イマワノキワ

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ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン:第34話『C-MOON その①』感想

 意地と覚悟がぶつかり合う最終決戦、神父の新たな力が迸るVS”C-MOON”戦前半戦、ストーンオーシャン第34話である。
 マジでキモい外見と能力した新スタンドが好き勝手絶頂ぶっこむ中、エンポリオくんは解説と絶叫に超忙しく、戦士二人は水平に崖にぶら下がるような異常戦闘に苦戦を強いられる。
 遂に目覚めた承太郎は未だ間に合わず、さてこの状況をいかんせん……というエピソードである。

 

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第34話から引用

 人体裏返しの超グロ一撃必殺をやってのける”C-MOON”との決戦は、何かと概念勝負が多かったここ最近のバトルからうって変わって、シンプルな肉弾戦の手応えが懐かしくも嬉しい。
 しかし相手は遠距離操縦で即死技ぶっ放してくるインチキスタンドで、おまけに自分自身は狂った重力の影響を受けないチート付き。
 かなり不利な状況であるが、覚悟の塊と化した徐倫は特に動揺することなく、裏返った手足をもう一度裏返させ、肉体の痛みなど何でもないように糸で縫い合わせる。
 医療器具であり救命具でもある”ストーン・フリー”の強みは今回も健在で、徐倫は異様な状況に動揺することなく、落下していくアナスイを助け、”C-MOON”を絞首刑に処す土壇場へと、力強く踏み出していく。

 徐倫が刑務所で覚醒させたのは、揺るがない覚悟だけでない。
 未知の敵に飲み込まれず、眼の前にある状況を冷静に見据えて柔軟に対応する、知恵と勇気こそが彼女の強さだ。
 ”ストーン・フリー”の応用性はそんな精神性の表れであるし、多彩な使い方が可能なスタンドがあればこそただ勝つだけでなく、仲間を助けたり傷を直したりも出来る可能性が、闘いの中で発露していく。
 いまだ戦士としての資質を覚醒させていないエンポリオくんが、さんざん動揺してワンワン泣きじゃくっているのとは、面白い対比である。
 (少なくともこの段階では)エンポリオくんは賢くはあっても強くはなく、主役である徐倫がどんな高みに立っているか、示すための弱い当て馬(あるいは解説役)ポジションでしかない。
 ジョースターの血縁でもない只のエキストラを、運命の克服に呪われた神父はモブ以下と見下して、優先順位を絞って殺しに来る。
 ジョースターさえ消せば、DIOから引き継いだ頂点に手が届くのだと、奇妙な確信に背中を押されて突っ走っている。

 徐倫にも確信はあって、神父のドス黒い願いをなんとしても押し留め、悪行のツケを払わすことにためらいはない。
 しかしそれは目指すべき答えをカンニングし、安心を誰かから略奪して進んでいく道ではない。
 知略戦でもあるスタンドバトルは、常に相手の能力が見えないところから始まり、逆に能力を縛るルールや本体の精神性を見抜かれた時、大体の決着は付く。
 炎に焼かれながらスカイフィッシュに立ち向かい、マイマイカブリに喰われながらウェザーを探したときのように、徐倫はいつでも先の見えない闘いに全身を投げ込み、現場で今目の前にあるものに向き合いながら、自分を前に進めてきた。
 ”C-MOON”戦でも相手の未知の能力を、仲間に助けられつつ逆手に取って、裏返された手足をもう一度裏返させ、必敗の運命を覆しながら突き進んでいく。
 彼女の覚悟は未来に起こることを知っているからではなく、知らないからこそ魂の奥底から奮い立たせる、運命への対抗手段だ。

 

 

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第34話から引用

 影に潜み続けるだけでは勝利を確定させられないと、神父は闇から這い出して顔を見せる。
 攻撃の届かない安全圏から遠隔操作で勝ちを拾うだけでは、彼が抱えた不安は解消されない。
 自分の目で運命をねじ伏せ、”天国”への道を拓いたのだと確信したい心が付け入る隙になっていくのは、吉良やディアボロといった過去のラスボスと共通なのだろう。
 見えないところに自分を投げ捨て、それでも受け止め繋いでくれる誰かを信じる連帯は、神父を始めとしたJOJOの悪たちには宿らない。
 彼らは孤独だから自分の目で運命の行く先を確かめ、自分の手で糸をたぐらなければ満足できない。

 激戦の結果徐倫は致命の一撃を喰らい、心臓を裏返されて死んだ……という親父の確信を、承太郎からのメールは否定する。
 スタンドとはまた別の理屈(あるいは理屈の不在、超越)で、後半戦を特に支えている”血と運命の共鳴”は、なんとなくだが猛烈な実感をもって、愛娘が確かに生き延びていることを語る。
 それは揺るがない一つの事実で、しかしそこに至る途中経過は大きな謎だ。
 正しい結末はわかりきっていて、しかしそこに至るまでの過程が不確かな時、闇に潜り込んで運命の絡繰りを暴こうとするのか、不定形の未来へ身を投げていくのか。
 ここに、この物語の主役と敵役を別ける大きな違いがあると思う。

 アナスイ徐倫を助けるために、”C-MOON”の方へと……極めて危険な”前”へと突き進む。
 そこにこそ正しい結末があるのだと、共鳴する血縁を持たない彼も愛ゆえに確信している。
 F・Fとウェザーの死を経て、彼が徐倫のために殺すのではなく傷や痛みを引き受け、守る存在になっていることを示すのが、この”C-MOON”戦一つの仕事かなと思う。
 神父が絶対視する思い出や血縁、運命から引き離されていても、人は引き寄せられて出会いお互いを変えていく。
 今邪悪な凶器として暴走している”引力”の真の意味合いを探る上で、徐倫に狂ったアナスイ(婚礼によって血縁になりうる存在)と守られるばかりのエンポリオくんがこの決戦に身を置いているのは、多分大事なことなのだろう。
 既に決められた縁だけが、物語の行く末を決める権利ではないのだ。


 定められ、ねじれ狂う大きな何かの後を追うのではなく、その絡繰りを闘いの中見抜き、上を行って前へ進む。
 そんな生き方を体現する徐倫をぶち抜いた”C-MOON”の拳は、しかし物語をおわらせはしないのだと、かつて世界を救った英雄は告げる。
 しかし、どうやって?
 その謎を解くために静止した思索ではなく、激しくぶつかり合う闘いを選ぶしかないのがこの物語だ。
 その行き着く先の、更に先を見届けれる喜びを噛み締めつつ、次回を待つ。
 アニメがここからの物語をどう描くか、とても楽しみである。