イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン:第38話『ホワット・ア・ワンダフル・ワールド』感想

 連載開始から36年、アニメ初回放送から10年……ジョースターの血脈を巡り六部にわたって描かれた運命の物語が、今ここに一つの決着を迎える。
 加速した時が人と世界のあり方を変え、神父の狂信する”覚悟”が完成する寸前最後の闘いを……その先に待つ素晴らしき結末を描く、ストーンオーシャン最終話である。
 徐倫を主人公とした物語の終わりであると同時に、時代を越え継がれてきたジョジョ一つの終わりなのだという意識がOPにもEDにも色濃く現れた、感慨無量のラストだと言える。
 第ニ部・第二部EDである”Roundabout”が旅の中、幾つもの環状交差点を過ぎ去った体験から生まれた旅情の曲であることを考えると、数多の”ジョジョ”が仲間とともに突き進んだ旅が、ジョースターの血統に縛られず魂を継いでたどり着いた場所を描く今回に、相応しい終わりだったと思う。

 かくして世界は一巡し、神父が望んだ同じ繰り返しではなく新たな可能性に満ちた旅立ちを始める。
 荒天(Heavy Wether)が降り注いだとしても、偶然と愛に導かれた仲間たちはもう一度出会い、肩を寄せ合って危機を乗り越え、運命の行き着く先へと自分たちを運んでいく。
 刑務所に存在しない子供の幽霊として、運命から逃げ隠れして生きてきたエンポリオくんが、母の遺骨を徐倫から優しく手渡して貰い、あの部屋から出ることにした決断が、掴み取った一つの終わり。
 それは死を超えて新たに生まれていく希望であり、旧世界最後の生き残りとして魂を分けた戦友に新たに、自分の名を告げなければいけない哀しみが、誰にも知られないまま脈打つ。
 たとえ全てが忘却の彼方に消え失せたとしても、世界が別の形で新たに始まったとしても、エンポリオくんと僕たちは”ジョジョの奇妙な冒険”を覚えている。
 それはとても、幸福なことだ。

 

 

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第38話から引用

 というわけで徐倫はトゲトゲした暴力的イヤ小娘に、承太郎はヘナチョコ顔のしょぼいオッサンに改変され、孤立無援に泣きじゃくるエンポリオくん。
 そんな可哀想なガキを妄言ぶっ放し眼血ダラダラ流しながら神父が追い回すという、最悪の絵面でラストバトルがスタートだ!
 加速した時の中で、エンポリオくんの鼻血はあっという間に治るのに、時の中心でその影響を受けない神父が延々徐倫が付けた聖痕から血を流しているのは、なかなか強烈な絵面である。
 エンポリオくんじゃなくても『何を言ってるんだ……』としか言いようがない、神父が押し付ける覚悟と救済。
 それは他人を必要とせず認めない肥大化したエゴが、自分の弱さを認められないまますがった、偽りの夢のように思える。
 ジョルノが『暗闇の荒野に、進むべき道を切り開くこと』と定義した”覚悟”を、神父は未来をチートすることで不安への予防接種を済ませておく、可能性を一切殺したゆらぎのない安心だとほざく。
 それは自分の船舶な決断が、ペルラを殺し未来を閉ざした過ちを直視できず、神を否定してなおDIOに救いを求めて、全世界巻き込んで自分に都合の良い新たな世界を、生み出しさえする。
 ペルラに十字を切ることを拒んだ棄教者が、神のご意思を勝手に受信して他人を踏みにじり、誰が犠牲になるべきか勝手に決めて世界を書き換えてしまう所に、けして癒えないプッチの歪さがあると思う。

 プッチは吸血鬼的不変……それによる哀しみも怒りもない未来を求めて、自分の引力が導き得たDIOの子ども達も便利に使い潰して、物語が始まった場所へと途中下車する。
 すべて切り捨て自由になったはずの、前世からの因縁。
 徐倫と仲間たちがエンポリオくんに、必死に託したものを自分の手で潰しきらなければ、枕を高くして新たな世界に立つことは出来ないのだ。
 この壮大なスケールで展開する小市民根性の、どこに”覚悟”があるのかと問いたくもなるが、プッチにとっての”覚悟”とは自分一人が罪悪感から逃れ、ペルラの死は運命で書き換え得ないものなのだと納得するための心理的麻酔なので、彼の中に矛盾はない。
 そうして靴の中の小石をどけるように、孤独になってしまったエンポリオくんを約束された場所に追い込み、プロトコルに定められた通り叩き潰して、新世界の神となる未来は、神父の中では確定している。

 

 の、だが。
 文字通り裸に剥かれ、自分を家幽霊の牢獄から引っ張り出して、母の愛を宿した遺骨を手渡してもらう未来を奪われてなお、エンポリオくんには委ねられたものがある。
 『何もかも定められたとおりに繰り返す』というルールを定めておきながら、自分だけは強敵たる徐倫としのぎを削る宿命から追い出して、都合のいい結末を盗み取る都合の良さは、エンポリオくんを無力な少年として、この決戦に置かない。
 彼には徐倫たちとの思い出があり、目の前でその命が散っていく哀しみが残り、それでもなお果たさなければならない定めと正義があり、それをやり遂げる意思と力がある。
 泣きながら逃げじゃくる(子供なんだから当然だ)果て、定められた結末に犠牲として追い込められたようでいて、エンポリオくんは強く拳を握って思い出す。
 自分がどんな奇妙な冒険をくぐり抜け、血にも名前にも”ジョースター”はなくとも、たしかにその黄金の精神を受け継いだ『最後のJOJO』なのだということを。

 それを思い出させたのが、出会いと別れで二度……あるいは共に過ごす中で幾度も、小さなエンポリオくんに手渡された徐倫の優しさなのが、六部総決算として好きだ。
 糸をスタンドとして選んだ彼女は、いつでも大事なものを繋ぎ止め、結びつける優しさを、荒くれた激しさの中に持っていた。
 死の際に追い詰められた時エンポリオくんを戦士に引き戻すのが、その優しい思い出なのが僕は嬉しくて、とても悲しかった。
 空条徐倫は、もういないからだ。

 神父自身が物質化したウェザーのDISCが仇となり、加速した時の中でも神父を仕留めうる純粋酸素に周囲を満たして、エンポリオくんは勝利を掴み取る。
 それは自分自身血みどろに傷ついての勝利であり、敗北必死の暗闇の中なんとか知恵を巡らせ勇気を振り絞り、真の”覚悟”を受け継いで掴み取った決着だ。
 でもそれがグチャグチャの血みどろで、必要だからといって全肯定は出来ない”暴力”であることが、結構強調された描き方であるのは、泣きじゃくり逃げ惑うエンポリオくんの素顔が、ただの子どもでしかないことと合わせて切ない。
 徐倫がただの少女でしかない自分をずっと忘れなかったからこそ、エンポリオくんに優しくして共に旅立ち、ここにたどり着いたように。
 ただの子どもでしかないエンポリオジョジョの世界最後の生き残りとして、その小さな拳で悪を殴り殺し、自分の血と神父の返り血に汚れる。
 その罪も”覚悟”の内なのは承知の上で、こんな小さな子供に世界の命運を託し、正義を成し遂げる重責を果たさせる苛烈さと、託された思いに応えるべくそれを背負うエンポリオくんの勇壮が、僕には重たい。
 その重みに耐えきれないから、神父は不確定要素を排除した天国を求めたのかもしれない。

 神父はペルラの思い出を自分の中に持ち続けず、DISCに物質化して抜き去った。
 ”ホワイト・スネイク”の能力は人が抱え続け、向き合い戦うべき重荷を編集可能なモノにして、他人から奪う。
 その悪しき力を逆しまに振るうことで、ウェザーの力と意思はエンポリオくんに宿り、不確定でなお善き未来へと繋がる道を切り開いていく。
 それは悪魔の虹を自分でも制御できず、沢山の人達を犠牲にするしかなかったウェザーの悲しさを、本来求めていた神父との決着へと送り出し、本懐を遂げさせた決着なのかもしれない。
 本来ならあの時目覚めていて、しかしウェザー自身には善用できなかった新たな可能性が、そんな不確かさを消すべく運命から途中下車した神父の足元をすくい、終わらせていく。

 逆に言えば魂を物質化する”ホワイト・スネイク”には、自分を押しつぶす重たい運命に抗える可能性と力が確かにあったはずなのに、神父は望んでそういう拡張性を潰して、狭い使い方しかできなかった。
 最後の不安点を潰すべく余計な寄り道をしておっ死ぬところといい、”覚悟”の違いを最後に叩きつけられるところといい、そのための最後のひと押しを自分の手で行ってしまうところといい、神父との決着は因果応報という言葉が良く似合う。
 この闘いはエンポリオくん一人の気高い勝利であり、彼をここまで送り出したすべての出逢いと思いの勝利であり、他人を不要と断じて切り捨ててきた神父の、孤独な敗北でもある。
 全ての運命や責任……妹を失った哀しみや己の愚かさを振りちぎって”加速”するプッチが、部屋に充満した純粋酸素に侵され、”ウェザー・リポート”にギリギリ押し潰されるようにゆっくり倒されていくのも、誤った方角に全力で突っ走り、確かに世界を変えてしまった男の末路としては、納得がいく。
 運命にも時間にも、エンリコ・プッチは結局追いつかれるのだ。

 

 

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第38話から引用

 かくして新たな世界でエンポリオくんは懐かしき人たちに新たに出会い、孤独な涙を優しく受け止めてもらう。
 激しく降りしきる嵐の中で、アイリーンが徐倫の面影を残してとても優しく、自分が着ているものをエンポリオくんに分け与えてくれるのが、メチャクチャ泣ける。
 俺は徐倫が他人の痛みに手を添え、何かを手渡してくれる優しい人なのが凄く好きなので、エンポリオくんだけを置き去りに何もかも変わってしまった世界で、それが変わらないのが凄く嬉しく、切なかった。
 愛という引力は仲間たちを再び繋ぎ合わせるけども、それはどこか彼方で行われた闘いの残滓が、変わり果ててしまった新しい世界でもどこかに眠っていて、確かに生きているのだと教える。
 糸は自分と他人だけでなく、消えてしまったはずの自分も、それを世界で唯一覚えている少年とも、もう一度結びつけるのだ。

 長い戦いの果て、掴み取り流された結末にエンポリオくんは驚愕の表情を浮かべ、己の名前を告げながら泣きじゃくる。
 『百億パーセント泣くな……』と理解っていたがアニメの見せ方、種崎さんとファイルーズさんの演技がぶっちぎりに良くて、想像していたよりも泣いた。
 この結末を既に知っているところから第六部アニメを見直す形になって、こんな過酷な所に押し流されるエンポリオくんが可哀想で、凄く肩入れしながら見てきたわけだが。
 実際にこの結末をアニメで描かれると、哀れみよりも誇らしさが先に立ったように思う。
 色んなことに興味を持ち、本で勉強したり無免許運転したり、ワーワー騒ぎながらも勇気を絞り出して小さな体で闘い、悲しすぎる別れを幾度も叩きつけられてなお、果たすべき正義を成し遂げたエンポリオくん。
 そんな彼と、彼の仲間たちが駆け抜けてきた奇妙な冒険を知る者はもう誰もいないから、彼は今にも落ちてきそうな空の下で泣きじゃくりながら、新たに名前を告げるわけだけども。
 そうやって訪れた想像もしなかった可能性……神父の天国ではけして現れなかった奇跡は、間違いなく彼が掴み取ったものであり、徐倫達が掴み取らせたものでもある。
 自分の血も仲間の犠牲も敵の返り地も、真っ赤に染まって彼がたどり着いた場所で、ただの弱っちい子どもみたいに泣きじゃくることが出来たのは、凄く誇り高く優しい結末だと思う。
 その寂しさに衣を手渡し、同じ車に乗って何処かへと進んでいける、新しくも懐かしい仲間たちが隣りにいることも。

 そうして継がれていった星が、血ではなく思いによってエンポリオくんの未来へと受け継がれたところで、”Roundabout”は終わる。
 ジョースターの血統、身勝手で小市民的で凶暴な悪と震えながら向き合い、人が人たる意味を探し続けた6つのアニメに、一つの幕が下りる。
 そういうものを10年、俺たちはアニメにしてきたんだぞ。
 特別なEDはそういう、誇らしい教示に満ちて美しく、ポップで、すごく”JOJO”だった。
 とても素晴らしい終わり方だったと思う。

 

 

 かくして、3クールに渡る”ストーンオーシャン”が終わった。
 思い返してみると荒木先生の奇想は特に終盤すごい勢いで荒れ狂っていて、全然ついていけてない部分も沢山あったが、漫画版完結から結構な時間を老いて出会い直してみると、不思議と地道に胸に迫る部分が多く、そういうジンワリした温もりを求めて”ジョジョ”見ているものとしては、『相当好きだなストーンオーシャン……』と思える体験だった。
 過酷な運命を前に泣きじゃくるだけの女の子だった徐倫が、過酷な刑務所を人生の学校に己を鍛え上げ、仲間と出会ってその人生を変え、タフに陽気に未来を切り開いていく姿と同じくらい。
 彼女が優しい人なのだと、幾度もアニメが書いてくれたのが嬉しく、ありがたかった。

 何が起こってるのか分かんないなりに、とにかく凄いことが起きているのだと見ている側を飲み込んでくるスタンドの表現力は、アニメ独自の強みを最大限原作に食い込ませるよう、製作者が奮戦した結果だった。
 アニメで見返しても納得できるわけじゃないけど、納得できないことに納得できた……というか。
 少年漫画のフレームを越えた”奇妙な冒険”っぷりは、人間のドス黒い部分にまで強く踏み込む問題意識と合わせて、ここから掲載誌を変えても行くわけだが、どんだけ奇妙に捻くれて見えても、ジョジョの根っこにある人間讃歌は揺るがないと、思えるアニメだった。
 過酷な運命の中で人が生きることと、それを受け止めきれない弱さと危うさ。
 プッチの妄執をしつこく分厚く重ねる中で、徐倫達が出会い繋がり生まれる覚悟や意思、知性の意味を、新たに自分なり噛み砕くことも出来た。
 そういう出会い直しをさせてくれる作品はとても有難いし、新たに違って見える”ストーンオーシャン”が実は結構原作そのまま……あるいはその良さをより力強く、わかりやすく描き直す努力の産物であると思わせてくれた。
 それに気づくと、それなりの時を経て変わった自分と、変わらない自分に向き直る、得難い機会を得ることにもなった。

 閉ざされた不変に何もかもを閉ざすよりも、新たに変わり生まれていく可能性を寿ぐ。
 一巡した世界を描いたラストシーンは、まぁそういう事を言っているのだと思う。
 新たに”ストーンオーシャン”と出会い、自分なりに結び直す体験を通じて、そういう喜ばしい変化を自分の中に、大好きなお話の中に見つけられたのは、作品蓋碗とするべきことを言葉ではなく心で理解して、それをどうにか言葉に絞り出し直す面白さを、僕に与えてくれました。

 ありがとう、とても面白かったです。
 お疲れ様でした。

 

・追記 Good Vibrations