イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プロジェクトセカイ カラフルステージ感想:隣に立つ、優しいあなたへ

 6月!
 特に目立ったイベントがないためソシャゲではジューンブライドネタが発火するまで擦られ、結婚式場に強火のネタが着弾する季節である。
 進級を見据えたこのタイミングで、メサイア・コンプレックスの塊と彼女の家事手伝いがとんでもない嵐を巻き起こすイベントを読んだ。
 マジでやりたい放題過ぎてビビったが、表向き仕事以上の友情で結ばれた女二人のハッピーデイズ……という受け取り方を推奨されるのが、クラフトエッグくんのコスい立ち回りだと思う。
 『許されるわけねーだろこんな危険球……ッ!』という気持ちと、『よくぞ投げてくれた、全速力で……』という気持ちが同居してて困る。

 ほなちゃんは誰にでも優しく、自分が手を差し伸べた相手に幸福になってもらうことで自己肯定感を高めている感じがあるので、奏への過剰な想いも個性の範疇であり、厳し目の傾斜がかかった燃え盛る感情ではぬぁい!
 ……という題目をはっつけて、赤の他人の家事労働全部背負っている女が、セルフネグレクト傾向が強い雇用主を心から心配してガガガッと踏み込み、二人でブライダルフェアにいって鐘を鳴らすお話を、ファンは一体どう受け取るのか。
 試練(ため)されている……私たちがッ!!
 そういう妄想にも、思わず支配されるほど熱くヒートしたイベントだった。
 『ほなかな結婚』なんて、言わないよ絶対。

 まぁ『家事労働をしている女性=お嫁さん』という連想自体が古くて危うく、ブライダル要素は恋情と結びつくことなくあくまで清潔に、特定の相手を固定せず回っていくのは、これまでと同じトーンではあるのだが。
 『はぁ、一向に友情の範疇ですが?』としらばっくれつつ、”ブライダル”が持つ象徴性を関節外れるくらい逆手に取ってひねり上げてくる展開は、プロセカがファンの妄想を加速させることでお商売している事実を思い出させてもくれる。
 まーた瑞希の立ち回りが、『マブダチが配偶者候補を紹介してきた時の、好意を持ちつつも人品をしっかり探る手付き』そのまんまで、奏を預けるに足りる相手か、戯けつつジットリ睨みつけてきてんだぁ……。

 

 悪いオタクとしての寝言はこんぐらいにして、今の穂波と奏が良く見えるエピソードだなー、と思った。
 『いい人』でありすぎることで中学時代、一回人生の問題集ミスってる穂波としては、持ち前のホスピタリティを雇用主にどんだけツッコんだもんか、距離感に悩むのは納得だ。
 そこにブースター積むのが天真爛漫イケイケドンドンなレオニレンちゃんなのも食い合わせがいいし、背中を押されてからのグイグイ感も、それに少し当惑しつつ相手の善意をしっかり受け止め、感謝のメッセージも出せるようになった奏は、”カーネーション・リコネクション”を経た奏だなぁ、と感じた。

 ニーゴのみんなと桜を見たり、スポジョイパークに行ったり。
 曲作りに直接関係ない色んなことを体験した奏は、相変わらず9歳のために自分を蔑ろにしがちだけども、誰かと笑い合う意味も、笑顔を差し出してくれるありがたみも、ちゃんと受け止められる様になってきている。
 メシ作って洗濯して生活環境を整えて、そんだけしか出来ねーッ! と悩む穂波に、それこそが救いなんだと素直な気持ちを伝えて、一緒に御飯を作るようになった奏。        
 まふゆを取り巻く環境が厳しくなるのに比例して、自分を救済に縛り付けながらも、今生きて、人を救えなくても生きている意味がある宵崎奏のことを、今の彼女は結構気に入っているのだと思う。
 そう思えるようになった一端を穂波は確実に握っていて、自分がそういう存在なのだという確信を今回のお話は、彼女に与えた。

 愛し合いされている手応えがユニットの外側にあるのは、本道走っていくときの大きな助けになるだろうしね。
 瑞希には類、絵名には愛莉と彰人、まふゆ本人に雫と、ニーゴメンバーにサークル外部との繋がりがあることが、もしかすっと今後過酷さを増すだろう青春闘争での大事な支援になるかな……とも考えていて、今回穂波と奏のラインを太くしたこと、詳細を語らぬながらかなり厄介な問題があると認識させたのは、その一環かもしれない。
 物語的な蓄積が増えるに従って、サークル内部で完結しないスケールにまで問題が肥大していった時、遂に外部に接合していく手を最初に打つのなら、まぁニーゴだろうなって感じもするしね。
 ここらへんは、今後の話運びを見て点が線になる部分かもしれない。

 

 というわけで、大変火力の高いお話だった。
 僕は奏が天才であるがゆえに、天才であり続けるためにないがしろにしている部分を、穂波が地道にケアしている関係が凄く好きだったので、今回猛烈にクローズアップしてくれて嬉しい。
 なんだかんだ自分の足でしっかり立ててるレオニの面々と、向き合っているときには満たされないホスピタリティ願望を満たして、献身のエゴイズムを奏相手に接種しているかすかな熱量が、人間っぽくて好きなんだよな。

 誰かに愛を注ぐのも、手前勝手な納得と期待の果て。
 でもそういう形でしか、僕たちはお互いの心臓に触れ合うことは出来ないのだから、その身勝手を自覚しつつ暖かく透明なもので、お互い繋がっているのは幸福なことだ。
 そういう人生の命綱は、一個に限定されるべきではないし、されると危ないし、色んなところに伸びてた方がいい。
 そんな事を感じる、六月の大嵐でした。
 いやー……すごかったねぇ、