携帯電話をどれだけ握りしめても、届かないモノたくさんあるよね。
物分りの良い外面をぶっ壊し、溢れ出した本音が何もかもをぶち壊しにしていく、MyGO!!!!!アニメ第8話である。
衝撃のライブとその余波を受けて、深く傷つき新たに立ち上がった祥子と、後ろを見たままずっと足踏みしてるそよと、そんな二人を前に何処にもいけない仲間たちの現状を描く回となった。
状況としては停滞しているのだが、感情は強くうねって衝突を繰り返していて、作劇のダイナミズムは衰えることなく加速を続けている。
祥子に真正面から全力食らわされたことで、CRYCHIC再結成の夢をぶっ壊されたそよがその残骸から何を見つけ出し、どう立ち上がるのか。
傷ついた心に絆創膏貼ってあげたいのに上手く出来ない燈と、名もなきAnonymousから作中随一の人間力を目覚めさせた愛音が、その歩みにどう隣り合うのか。
MyGO!!!!!終盤戦も全力でグツグツ行きそうな力強さを、たっぷりと感じられるエピソードだった。
楽奈ちゃんは飼い主候補にまだ首輪つける準備が整ってないので、しばらく抹茶パフェ食べながら好きにしててね……。
というわけでベースが一曲弾ききった上で烈火のブチギレをカマし、名前のないバンドが新しく動き出すには足場がグズグズすぎることが顕になった所から、物語はスタートである。
第5話で自分の挫折と弱さをさらけ出して以来、愛音は生来の行動力と視野の広さを再覚醒させて、誰かに優しくしたいのにそのやり方がわからない燈の戸惑いに、ずっと目をやって気にかけている。
なにか行動しないとなにも変わらないと、自意識にハマりこんでエンストしがちな仲間をグイグイ軽薄に引っ張って、前へ前へ動かす仕事は、とにかくこのピンク髪が担っている。
最初は傷ついた自意識を形だけ取り繕って満たすためだったが、クラスメイトにキャーキャー言われたデビューに満足せず、隣りに座ってる友達がなにを気にかけてるのか、まず見る姿勢に変わってきている。
多分千早愛音というのは元々そういう人で、だからこそ中学ではみんなの中心に立って、充実した青春やっていたんだと思う。
愛音はいい意味で人間と人生ナメてる部分があって、人間ハリネズミ共が触られて傷つかないためにトゲ出しても、『なんだかんだ言っても、あんたアタシのこと好きでしょ?』と、無根拠な前向きさで人間関係を繋ごうと頑張る。
その腰の軽さは、『嫌われたらどうしよう、間違えたらどうしよう……』と悩んでばかりのバンド仲間が、それでもどっかに行くための牽引力としてとても大事だ。
同時にただただ乱雑に引っ張るだけでなく、目の前にいる相手がどんな過去を背負いどんな気持ちでいるか、しっかり目を向ける視力も取り戻しつつある。
立希はそよのブチギレも祥子の涙も『カンケーないじゃん』と(柔らかな自分を守るための防衛行動として)跳ね除けるけども、彼女がずっと見つめている燈はそこにこそ心残りがある。
しかしどうしたら適切に繋がれるか分からないまま、答えを出せず前にも進めない。
この足踏みにペースを合わせて、至近距離で燈の内側に踏み込める特権は、燈を(悲しいかな一方的に)信奉している立希ではなく、愛音にこそあるのだ。
ずっと集めるだけで使い方が分からなかった絆創膏、本来の仕事を燈に手渡せる女として、千早愛音はずっと描かれている。
一緒に帰って自室によって、キモい虫ノートにビビる様子も隠すことなく共有して、今燈が感じていることを受け止める。
そういう柔らかで靭やかな繋がりが、立希と燈の間にはない。
どんだけそういう場所を望んでも、生来培った魂の在り方が望みを叶えてくれないの、立希ちゃんの描き方で残酷なところだなぁ、と思う。
バンドの面倒を全面的にひっかぶる、苦労人ポジションがこういう造形と立ち回りなの、MyGO!!!!!の凄いところだと思うね。
燈の部屋には彼女の好きなものが所狭しと並び、口下手に己を語るより雄弁に、彼女の宇宙を描いている。
愛音の目は目の前に広がっているモノにどういう心が宿っているのか、燈がなにを求めそれをどういう風に集め並べるかを、けして見逃さない。
個々人それぞれの在り方を尊重し、その一つ一つをちゃんと見つめる愛音の生き方は、後に祥子にフルボッコにされるそよのそれと真逆である。
燈の私室に招かれることで、愛音は学校にいるときよりも更に深く彼女を解っていくし、『虫は虫だよ!』と相容れない部分がある自分も、真っ直ぐ突き出して共有できる 豊川邸に押しかけようとしてスカされ、私的な内面を宿さない公園でしがみついた手を振り払われるそよとは、真逆の心理的距離を愛音は燈と作れているわけだ。
ここら辺の親密で特別な空気は、カブト虫ハントで運命を繋いだ祥子と初華にも通じる描写で、今回は特に要素の重ね合わせ、あるいは対比が上手い回だと感じた。
そんな二人が健気な青春迷子旅を続ける裏で、そよは激重鬼詰めLINEを闇の中垂れ流しにし、祥子は幼馴染とリスタートするために美しい場所での再開を果たしていた。
離れてなお自分を慕う美しい女に、全部忘れさせてもらって新たに動き出すために、sumimiぶっ壊して変態仮面バンド始めて良いものかは悩ましいが、祥子はあの”春日影”を受けてなお、顔を上げ前を向くことにした。
そよだけがCRYCHICの思いで漂う暗黒にとどまり、か細い腕でなんとか進みゆく時間を逆さにしようと、条理に抗うあがきを続けている。
それは新たに立ち上がる強さがない、長崎そよの当たり前の弱さと祈りの現れで、そこが見えない腹黒女に思えた彼女の内側が見えてくると、年相応に完璧でも無敵でもない事がわかってくる。
だからこそCRYCHICは壊れ、だからこそその残骸からなにかを始めようと、仲間たちはそよを置き去りに前へ前へ進んでいってしまう。
そうやって自分たちを未来に誘引する何かを、本番前なのにチューニングもやってねぇそよは音楽やロックやバンドに見いだせていない。
CRYCHICに付随する……あるいはそよにとってはその本質であった、心地よい人間関係と空気感を同じメンバーで再演すること、過去を取り戻すことだけが、今のそよに見えている救済だ。
ここら辺、音楽しか見ていねぇ楽奈ちゃんと完全に真逆で、MyGO!!!!!がバンドにまとまる中でこのイズムの違いがどう衝突し、融和していくかは大変楽しみ。
そんな執着を後ろにおいて、女と女が微笑むためだけに急遽プルアップしてくる美しい水辺(プリキュアとかで時々出てくる)で、本物お嬢様たちの関係に火が入るわけよ!
アイドル活動に勤しんでも『ぼちぼち』で、一年会ってなかった女のメッセージを心待ちにし続けてきた初華の好意に、甘える形で祥子はリスタートを選ぶ。
二人の関係が何もかもをすくい上げる圧倒的な”正解”ではないことは、橋の欄干が縦に分割するレイアウトからも感じ取ることが出来るが、しかし二人の語らいは思い出を交えつつ前向きで、今と未来を視野に入れている……ように思える。
真実祥子が何考えてCRYCHICを壊し、今新たに進み出す相手として初華にすがりついたかはまだまだ謎であるけども、少なくともそよほどには薄暗い引力に惹かれ、過去に縛られていないようだ。
今回携帯電話は誰かを求める思いとか、それが繋がらないままならなさとかを画面に切り取る、優秀なアイコンとして機能し続けているが、祥子と初華の再開はそれが轟かせるアラームで分断され、思い出語りは中断される。
時は行き過ぎて、春日影に微睡んでいた幸せは終わり、あの時抱きとめた少女は新たな仲間と、新しい歌を奏でている。
その切なさに涙ながら逃げ出した祥子だが、否応なく流れていく時の定めはしっかり理解していて、その中で自分が何をするべきか、何をしたいのかは解っているようだ。
ここら辺の前向きさは、遠くの星(バンドリにおいては最重要メタファーの一つ)を見上げるのが好きな初華の魂に、引っ張られる形で自分を取り戻した結果かもね。
燈、立希、そよ、睦、初華……。
出会う女みんな狂わせる、ブラックホール級の存在質量を自分が持っていることに、いまいち自覚がない祥子。
彼女が前を向くと、まーた何か……具体的にはsumimiの自分たちをラブラブカップルだと思っている方がぶっ壊されそうでもあるけど、傷つけることに怯えて後ろに引っ込んでいる道は選ばないと、祥子も決めたのだろう。
みんな思うまま自分勝手、ロックンロールキッズ達の生き様は勢いよくぶっ飛んで、ぶつかり合ってどこかに届く。
触れ合うほどに傷つけ合う、そういう生き方しか選べない不器用な迷子たちだが、そこには嘘がなくて真剣で……とても良い。
でも、まなちゃんはマジで祥子をボッコにしていいと思うよ……信じた相棒が春日影に脳髄ぶっ壊され女に奪われて、変態仮面バンドでギターをやるなんて……。
今の仲間もかつての仲間も、それぞれ自分たちなり前に足を踏み出す中で、長崎そよはさかしまの影に囚われていた!
祥子が幼馴染の隣に帰還して顔を上げたカットの直後に、この逆行を差し込んでくる意地の悪さが、MyGO!!!!!らしくて大変良い。
CRYCHIC復活の便利な道具として、使い潰すつもりだったのに計画かき乱してくるうぜーピンクをブロックしようとして、祥子にガチ嫌われてブロックされてる可能性に思い至るの、長崎そよの色んな意味での”限界”を語っていて最高にいい。
もはやコミュニケーションツールとして欠かすことの出来ない携帯電話が、実は万能の意思疎通補助具でもなんでもなくて、そこに乗っかる山程の文字はそよの思いを、な~んも告げていないと描くのは、現代性があってとても好きな描写だ。
んじゃあ顔つき合わせたリアルの衝突が、なんか前向きな決着を持ってくるかというとそうとも限らなくて、結局どんな道具を使うかではなく、どんな角度で人間と……自分と他人に向き合うかってのが大事なのだ。
自分の思いが空回りしている事実を見て、闇に籠もっていても欲しいものは手にはいらないと外面貼り直し、そよは学校に戻ってくる。
そんな彼女と同じ学舎に立ってる睦は、どんだけ心がかき乱されても上手くやれてしまうそよと距離を取り、同じベンチには座らない。
今回は心根が見えにくい睦が何に揺らぎ、何を考えているかをなんとなく感じ取らせる描写が多かったが、睦自身己の不器用に困惑し、持て余している気配が濃かった。
そういう睦に恨み言つらつら、まーた指先いじりながらちぎれかけた祥子との縁を引き寄せる道具として、べったり張り付く長崎そよ!
お前……最高だよッ!!
睦の一言がCRYCHIC完全に壊す決定打だったのは間違いないが、彼女が何であんな爆弾投げたのか、気持ちを聞き出す役はそよも祥子もやらない。
睦の分かりにくさはそこに根気強く付き合って、言葉にならない思いを引き出してあげる相手に、いっぱいいっぱいな二人がなれていない結果でもある。
ここら辺、燈のわかりづらさをかつては祥子が、今は愛音が導き手になって補助してあげてる描写と、面白い対比になってる。
助けてあげる道理はないかもしんないけど、睦もなんか言いたいこととか思ってることとか、人間なんだから当たり前に抱え込んで苦しいんだし、友達ならちったぁ寄り添ってあげなよ……。
まぁそんな余裕があるんなら、あんな限界LINE送らないし幼馴染に縋りもしないがなッ!!!!
自由すぎる野良猫は、通知見ただけじゃ既読にならない携帯電話のデフォルトを気にかけた様子もなく、勝手気ままにバンドやろうとする。
それでもおもしれー女たちと触れ合う機会を作ろうと、彼女なりすり寄ってきているのは大事な変化で、これを受け取ってまず動き出すのが、千早愛音という少女の強みである。
同時に立ち止まって心の深い場所に静かに潜れるのが高松燈の強さであり、ノートに書きつけている文面は、自分たちの過去と今と未来を星空に重ねて、非常に精妙に切り取っている。
月の強い光がなくなったからこそ、戻り立ち現れてくる小さな星の瞬きを、心待ちに天を仰ぐ。
それは祥子というあまりに大きな存在と、痛みを込めて引き裂かれたからこそ新たに動き出した、燈の物語を的確に言い表す言葉だ。
祥子が抱きしめ見出してくれた、その従属物でしかない自分を越えて、魂の叫びを歌に乗せ夜に解き放つ。
初ライブで体現していたロックスターとしての可能性は、しかしつねに燈を突き動かしてくれるわけではない。
どっちつかずでモジモジジメジメ、みんなに優しくしたいけどそんなに器用でもない燈の姿に、楽奈ちゃんは失望する。
野良猫の判断基準は分かりにくいようでいて明確で、心底ロックであるなら引き寄せられて近づき、つまんねー足踏みしているのなら離れていく。
その鬱屈にこそ燈が爆発するための蓄積があるわけだが、空気を読まず周りを見ず、とにかく自由に振る舞えてしまえる楽奈ちゃんにとって、周囲を見て立ち止まったり、自分と他人が違うことに傷ついたりする心は解らない。
楽奈ちゃんと燈の才能とぶっ壊れ加減は、大体おんなじくらいだと思うけども、その個性と世間がズレて生まれる擦過傷を気にするかしないかは、全くさかしまなんだな。
燈はカブト虫好きな自分を堂々前には押し出せず、でも分かって欲しいから私室で愛音に差し出し、今までどおりドン引きされる(そして、今までとは違ってだからといって縁が切れない)。
みんなになれない歪さを譲れず、そよのように上手く覆い隠すことも出来ず、でもみんなでいたいと願う気持ちがあるから、色んな人の顔色を見る。
同じく気にしいなのに、狂犬ムーヴで色々跳ね除けられる(跳ね除けきれない)立希ちゃんは、そんな燈の顔を見たときだけ、自分が突っぱねているものがどんな柔らかさを宿しているのか、思い至ることが出来る。
少女たちが自分と世界をどう見て、それにどう対応し生きているか、分解能が細かく表現が繊細で語りすぎていないところが、やはり良いアニメだ。
細かく細かく、人間の湿った部分を掘り込みすぎた結果、どんばどんばお汁が出てきちゃってもいるけどねッ!!!
というわけで溢れ出すぞ感情の間欠泉、MyGO!!!!!時空の湿り気はもう危険領域だッ!!!
ようやく『ウチくる?』出来た燈に対し、祥子はそよのお宅訪問願いを跳ね除け、公園というパブリックな空間を対話に選ぶ。
私的な空間で話し合うと溢れた感情がビッシャビッシャ止められなくなるだろうから、”公園”を選んだのに泣くわ喚くわすがりつくわ、ノーブレーキで”私”ブン回す長崎そよ……流石だ!
そこで叩きつけられる思いがエゴイスティックで自己防衛的な、そよ自身が思っているように”優しい”もんじゃないと、祥子は残酷に的確に切開していく。
そよが覆い隠していた思いを全部ぶちまけ、無防備になれているのは悪いことじゃないんだが、全身全霊で過去にしがみつくその強さ、なりふり構わなさが美しい醜悪を宿して、大変痛ましい。
睦を自分を拒絶する祥子との連結部分としか考えてない、他人の頭全力で踏みつけっぷりは、既にそよのエゴイズムを嗅ぎ取ってる祥子には悪手なんだけども、そんなふうになりふり構ってらんない必死さが切実で、頭ごなしに『正しくない』とはとても言えない。
そもそも是非善悪で割り切って進めていく話なら、第1話があんな湿度で始まっちゃいないんだよっ!!
どんだけ手ひどく拒絶されても、なおしがみつく必死さの根源は、世間一般には恋愛で描かれるのと同じ熱を宿している。
”早稲田金色夜叉”って感じだな……。
”友情”とありふれたラベルを貼るにはあまりにも粘ついて重たすぎ、自分が自分であることの根っこに深く食い込んで譲れない、過去の再生という奇跡。
それを掴み取るためなら何でもすると、軽々しく口にしてすがりついたそよの手を、祥子は残酷に叩き落とす。
そよはCRYCHICに本気である自分に酔ってる部分があって、『こんだけ必死なんだから時間くらい巻き戻ってくれるだろう、他人の心くらい変わってくれるだろう』と、願望と現実を同一視してしまっている。
そんな彼女は『なんでもします』の重たさ、それを口に出せないたかが学生の身の上を解っていなくて、多分その認識に打ちのめされたからCRYCHIC壊した祥子に、不意打ちでぶん殴られる。
『気楽に口から垂れ流しやがってガキがよ~……他人と人生ナメてんじゃねぇぞ!』ってキレる体験が、祥子の中にあったから生まれた反応だろうしなぁコレ。
必然の逆撃であり、今まで散々他人を便利に使ってきた報いでもあるのだが、傍から見えたほどには図太くも賢くもない、ただの高校一年生でしかない長崎そよにぶっ刺すには、あまりによく効く一撃だろう。
三人の気持ちはバラバラに引き裂かれて、公園の構造物はその分断を垂直方向の線として、鮮明に描き出す。
隣り合った睦が、炸裂する身勝手な感情と震える思い出に何かを感じている様子も、丁寧に積み重なっていく。
第3話の完全一人称で際立った、不可解な他者を追いかけるミステリとしての、MyGO!!!!!というアニメ。
そよの懇願を冷たく跳ね除けた祥子が何を決意し、複雑な視線を伏せる睦が何を思っているかは、輪郭をぼんやりと描かれつつも、核心には至らない。
この焦らしとチラ見せがめちゃくちゃ上手いことが、このオモシレー話の先を見たくなる猛烈な誘引となっていて、その真髄を啜れた感じがある。
『目の前の生きてる人間を、止まらず生成されていく”今”を見てねーんだよテメーは!!』ってのは、まったく正しい指摘なんだけども、それを愛音の逃げを『誰かが言わなきゃいけなかったよ』とかほざきつつ立希に言わせてたそよにぶっ刺すの、残酷が過ぎませんか……。
でもここまで拗れちゃうと、全部爆破して更地にしなきゃなんも作れないのも事実で、祥子の決別は再生のための破壊として大事……だったかなぁ。
『そよさんをCRYCHICの鎖から解き放ち、新たに進み出させませんと!』みたいな、ノーブルな思惑はまったく感じ取れず、ただただウザくてムカつくので全力で本心ぶっかました感じが、豊川祥子の地金と熱量が見えた感じで、大変良かったです。
博愛ぶってるエゴイストが、一番ムカつくからなマジ……。
あと睦!
オメーが分かりにくい表情の奥、何に震え何に傷ついてるのかは、アニメ放送中にちゃんと言ってね……。
ケアが薄いから心配なんだよ本当……。
というわけで、初ライブ終えてもまだまだ問題山積! 俺たちMyGO!!!!!青春迷子!! なエピソードでした。
そよが他人便利に使いエゴイストな自分にすら向き合わない、イヤーな人間になってる事実を叩きつけた結果、何もかもが廃墟になったのは悪いことじゃないと思う。
そういう悪性腫瘍だけでなく、人間が人間として生きられる命綱まで根こそぎにしちゃった感じもあるけど……まぁ起こっちゃったんだからしょうがねぇな!
バンドが動き出す衝撃に、玉突き事故のように動き出してる青春がどこに行き着くのか。
やりたいこともなりたい自分も、上手く扱えない赤ちゃん人間どもが奏でる曲は、ノイズゴリゴリ熱量マシマシの青春パンクだぜ!!
次回も、大変楽しみです。