イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

映画『プリキュアオールスターズF』感想

 20年目のプリキュアオールスターズ映画を見てきましたので、感想を書きます。
 ネタバレしない範囲で言いますと、メモリアルイヤーに相応しい気合とテーマ性、愛と迫力に満ちた大傑作でした。
 体内に微かでもプリキュア因子がある人には、必ず響くものがある映画だと思います。
 かなり強めにオススメです。
 是非劇場でご覧ください。

 

 

 

 というわけで”F”、見てまいりました。
 5年ぶりのオールスター映画、20周年記念の重責……背負うべき荷物の多い作品だと勝手に思い込んで劇場に向かいましたが、こっちの勝手な心配を圧倒的な実力で跳ね返す、パワーのある映画でした。
 背負わされているものの多さ、果たすべきミッションの重さから逆算して映画の形、キャラクターの造形と配置を決めていった感じがあって、このテーマドリヴンな作りがビタっとハマっていた印象です。
 20年目のプリキュアが、これから先20年プリキュアやり続けるために、今何を叫べば良いのか。
 世界で誰よりもプリキュアが好きで、プリキュアのこと考えてきた連中が、全身全霊で『プリキュアとはなにか』を描きに行った結果、とんでもない馬力が出た映画でした。

 物語は細かいことを全部置いておいて、曖昧な記憶の中4チームに別れたプリキュアが顔を合わせ、旅の中で友情を育み時に対立しながら進んでいきます。
 それぞれ別作品、別世界線で生きてきた連中が顔を合わせるオールスター映画、出会いのやり取りで時間を浪費するのを避けて一気にギアをあげる話運びを選んだわけですが、この唐突な感じ自体が、作品全体の壮大なスケールを反映してたのが面白かったです。
 少女たちが肩を並べて絆を深めるに足りるあまりに美しい風景だけがつなぎ合わされた世界のいびつさとか、都合よくプリキュアたちが顔を合わせて旅をする不自然さとかは、ただ話の都合でそうなっているわけではなく、むしろ不自然だからこそ物語の始原を強く反射している構造になってました。
 『実はプリキュアがラスボスに敗北し、世界が一度破壊されたところからスタートしている』という逆立ちした構図が、やること描くべきこと多すぎる映画に物語的圧縮をかけて、展開をギュギュッとツメて見せ場を用意する手助けになってくれました。

 

 既にプリキュアが負けている悲壮感、かなりギリギリのラインで世界と個人の”死”に触れている手触りは、乗り越えるべき強敵……シュプリームの存在感を高めてもいます。
 その正体がわかった後、スカイとプリズムに未来を託して次々散っていくプリキュアたち、月面決戦の特別感と合わせて、むしろ”セーラームーン”的な壮絶さがあって新鮮でした。
 強さを競い合う最初の戦いにおいて、多元世界から集結したプリキュアたちはシュプリームに敵わず、ある意味いらない慈悲を賭けられる形で再生され、玩弄され、憧れられる。
 かつて勝てなかった相手にどう勝利するのか、シュプリームが作り出した『プリキュアってこんなもんでしょ』をどう弾き返すかが問われるシチュエーションですが、20年分の重みを一気に爆発させ、やりすぎなほどに熱と勢いを乗せて突破していく手応えは、大変良かったです。
 4チーム16人+マスコットだけでも大所帯なのに、全作品のセンター復活、各プリキュアの見せ場確保の重圧を、ファンに刻みつけた思い出の分厚さ、確かに”プリキュア”が力になってきただろう20年間を信じて高密度でぶっ叩き続けるクライマックスを、異様なテンションで駆け抜けてくれました。
 シュプリームによる世界の破壊と再生を主題に据えたことで、そういう長くデカい演出を必要とするスケール感もしっかり出ていて、伝えるべきテーマとそれを入れ込む物語の器がちゃんと噛み合っていました。
 因果や時間を操り、世界の在り方すら決めてしまえる圧倒的なラスボスを用意したことで、メモリアルイヤーにやるべきデカいテーマ性がしっかり走れる足場になっていたのは、凄く良かった。

 

 シュプリームはそのスケール感だけでなく、プリキュアに憧れプリキュアに問いかけ続けるその造形自体が、20年目のプリキュアを総括するに相応しい良い敵でした。
 強さしか価値観軸がない(と思いこんでいる)シュプリームは、プリキュアとの初戦で彼女たちに焦がれ、自分もそうなりたいと願って世界を作り直し、プリキュアを学ぼうとします。
 その根源に『プリキュアって、何?』があるキャラクターなので、立って座って息しているだけで作品のメインテーマを擦って行って、殴り合いともなりゃその核心をビシバシ殴る存在感があったのは、ここ一手の造形だったと思います。
 力を比べる戦いにおいてプリキュアは負けたわけですが、自分もプリキュアを知りたいと再創造を選ばせ、孤高を意味する名前のとおり一人でいいはずのシュプリームにプーカを生み出させた時点で、プリキュアという理念は超越者に勝利していた感じもあります。
 『戦うより抱き合いたい』と初代EDが歌っているように、誰かの心を震わせ喜ばしい変化を促す物語を20年間紡いできたプリキュアの強さは、ただ殴り合いに勝って我意を通す(シュプリーム的な)強さではなく、誰かとともにあるから生まれる強さのはずです。
 それは打ち倒すのではなく止める強さ、考え直させる強さのはずで、それを証明するために二度目の決戦……そこに至るまでのスカイとプリズムの覚醒がある。

 始まりからして”ふたりはプリキュア”だった物語の、最新の絆を背負うソラちゃんとましろさんの関係は、この映画ではめちゃくちゃましろさん優位で展開していきます。
 ソラちゃんがためらい震えるたびに、ましろさんがその手を取って共に進み、答えを口にしていく。
 これは騎士的立ち位置にあるソラちゃんが、表面上体現しているわかりやすい強さに、欠けているものをお姫様的立ち位置にあるましろさんが補佐する構図が、強いだけのシュプリームを乗り越えていく映画全体の構造と重なるからだと思います。
 いやまぁ、田中仁が強火のましソラ勢だって可能性は捨てきれないけども……。

 一人ならくじけてしまう道でも、二人なら……みんなとなら進んでいける。
 再起と覚醒のクライマックスで、これでもかと積み重なるプリキュア20年史の中で、たった一人何かを悟る場面はありません。
 誰かがいてくれるからこそ進んでいける物語を20年分積み上げてきた事実を、束ねて力に変えることで『プリキュアとはなにか』という問いかけに答え、強さだけを至上とする価値観……『プリキュアが振るってるのだって暴力じゃん』というニヒリズムに、真っ向否を叩きつけるフィナーレは、大変良かったです。
 こんだけ生真面目に、火傷するほど熱く自分たちが何を作ってきたのか、今何を作っているのか、そしてこれから何を作っていくのか、核心に目を向けて作劇で磨き上げるお話も珍しいと思うし、それを物語の形にするために選んだ語り口一個一個も、見事に最適化されていると感じました。

 お商売の都合とかバトルノルマとか、色んなモノに当然縛られて展開する現実のアニメとして、プリキュアには沢山の歪みがやどります。
 シュプリームの造形はそういう、お話を続けていく以上生まれてしまう歪みも真っ向から捉え、これ以上ないほどの大音声で答え返すべき問いも、しっかり内包してたと思います。
 戦うことを話しの真ん中に据え、しかし慈愛と笑顔に満ちた日常を明確にその上に置いて、決意を込めて強さを蔑する。
 それは叶いっこない綺麗事なんですが、それを20年間それぞれの作品で、それぞれの物語でやり続けてきたのもプリキュアで、そうやって闘争と博愛の難しすぎるバランスを取りながら進んできた歩み、挑み続ける旅には、大きな意味がある。
 なければいけない。
 そういうプライドと祈りを、プリキュア総本山がこの記念碑的タイミングで真正面から吠えたことには、ドデカイ価値があったように思います。

 

 強さだけで勝つことが出来ないシュプリームが敗北する、大きなロジックを担うのがプーカの存在です。
 超越者の力を分け与えられながら、破壊の手のひらを疎んじて誰とも手を繋げない、『プーカ』としか喋れないプーカの言葉にならない願いを、自身傷つきながらも両手で抱きとめたのは、痛みの記憶も濃い花寺のどかでした。
 弱いもの、声を上げられない辛さを病床で思い知っているからこそ、そこに寄り添える彼女がその決定的な仕事をするのは、自分的にかなり納得の行く采配で、大変良かったです。
 触れれば何かを壊してしまう”強い”生き方を、創造主であるシュプリームは自身と世界の必然として疑うことなく受け入れているわけですが、プーカはそれは怖くて危ういものだと、怯え距離を取っている。
 シュプリームがプリキュアと出会い、闘い憧れたからこそ生まれたプーカがこの”弱い”態度……プリキュア的な懐疑を抱いて生きている時点で、シュプリームを否定し止揚するアンチテーゼがシュプリーム自身から生み出されていた。
 シュプリームが『戦えないならいらない』と否定するマスコットは、シュプリーム自身から生み出された魂の欠片であり、自分ひとりならば強さだけを価値としてしまう閉塞から、解き放ってくれる可能性でもある。
 しかしそれがシュプリーム自身に届くためには、何かを壊しかねない強さを正面から受け止め、戦士の心意気で拳を振るうプリキュア的な強さを、プーカも手に入れる必要がある。
 キュアプーカになる必要がある。
 そしてそれをやり遂げたからこそ、最新のプリキュアの助けを借りてシュプリームの独善は打破され、白と黒、鏡合わせの二人はプリキュアとして、新しい物語へ進み出していく。
 プリキュアに憧れつつプリキュアを否定する一人の幼子が、己の一部と対峙し否定し融和していく、神話的自己探求の物語という芯があったのが、僕は好きです。

 プーカを最新のプリキュアとして誕生させる意味でも、あるいはTVシリーズの展開と歩調を合わせる意味でも、そしてプリキュアにおける弱き存在の意味を問う意味でも、今回の映画ではマスコットたちの存在感が大きかったです。
 ちっちゃくて可愛い連中が美しい世界を共に旅し、笑い合ったり苦労したりする姿をたっぷり見られて、大変満足でした。
 年上の戦士に闘争の使命を預け、見守り祈ることしか出来ないマスコットの姿には、無力な子どもであることを宿命づけられたメイン視聴者の影が、常に重ねられていると思います。
 そういう存在に無限の可能性と、並び立つ強さが確かにあるのだと示すべく、劇場版という特別な舞台で開放されるマスコットプリキュアの眩さが、プーカがプリキュアと成る導きとなっていたのも、大変良かったです。
 ちいさく可愛らしい君たちは、誰よりも強い。
 マスコットの描き方を通じて、そういうメッセージを常に出し続けている所がプリキュアのいっとう好きなポイントなのですが、そこにメチャクチャ力入れて映画作ってくれたの、大変良かった。

 プーカが『プーカ』としか喋れないの、僕は凄く大事な描写だと感じました。
 人間誰しも伝えたいことが言葉になるわけではなく、やりたいことが手元でもつれて、なかなかうまく行かない時がある。
 それでも信じて手を伸ばし、その戸惑いにも怯えにも意味があるのだと伝えてくれる誰かがいてくれることが、未熟なコミュニケーションを下支えして、奇跡への道筋を作り上げてくれることだってある。
 だから良く分からない言葉に耳を傾けて、友達の言いたいことを大事にすることを、忘れないで欲しい。
 プーカとプリキュアの触れ合いからは、そういうメッセージを強く感じました。
 これも強さだけを至上とするシュプリームにはない価値で、他人を踏みにじる不器用な力でしかプリキュアのあこがれを伝えられなかったその拳を、プリキュア全員の叫びで受け止め押し返したのも、一つのコミュニケーションだったと言えるか。
 他人を傷つける拳にしかメッセージを込められない相手でも、対等なコミュニケーションを成立するために、プリキュアは強くある必要がある……ってことなのだろう。
 対決という形を取りつつ、激戦の中シュプリームが何を望んでいるのか、何を問いかけているのか常にプリキュアが受け止め、殴り返そうとしていたのが、バトル・コミュニケーションの物語であるプリキュアの映画だなー、と感じました。

 

 異様なテンションで加速していく後半戦に押し流され気味ですが、世界をバラバラにして必要なところだけ切り貼りした結果、素敵な冒険の舞台だけをぎゅぎゅっと濃縮することになった前半の度も、とても好きです。
 僕はプリキュアで時折湧いて出る、女たちがお互いの心を語り合うためだけに存在する、ムード満点の美しい自然が凄く好きなのですが、そういう場面だけで物語が構成されていて最高でした。
 心の奥底を打ち明けるには相応しいセッティングというものがあり、それを果たすために常識的なルールではなく、物語的要請に従って世界が生み出されていくのが、物語の力を感じられて好きなのです。
 砂漠に雪山に深い森……心ワクワクの冒険の舞台で、見知らぬ者同士が手を取り苦境を乗り越え、絆を育んでいく。
 やること山盛りなのに73分しか時間が用意されていない状況で、のちの闘いに描かれる答えに説得力を出すためには、普段と少し違った”日常”を用意する必要もあったのだと思います。

 他チームが時にコミカルに、時にエモーショナルに旅を進めていく中で、あげはさんチームだけややギスギスしながら進んでいくのが、いいアクセントになってもいました。
 プリキュア本編でもときおり顔を出しますが、人間個性があればこそそれが衝突して不協和音も生むし、それを飲み込み繋ぎ合わせて一緒に進めるから、”みんな”が成り立ってもいる。
 そこら辺のやや薄暗い部分を理由なくぶん回すのに、気まぐれ猫ちゃんはベストな配役であり、琴爪ゆかりが思う存分琴爪ゆかりだったの、大変良かったです。
 ゆかりさんの現実主義的センサーが実は正解を射抜いていて、作られた世界の不自然さ、プリキュアの本質を問い潰す罠を感じ取っていたって回収の仕方含めて、良い配役でした。

 他のプリキュアがどんどん出てきて、久しぶりに顔見た時も予想外の感慨がうわーっと湧いてきて、『あ、俺この子たちのこと好きだったな……』と思い出せたのも、大変良かったです。
 直近三作品のセンターが頭寄せ合い、元気にメシかっくらって前に進んでいく力強さも良かったし、性悪ローラとおもしろ人間ましろさんが意外なハーモニーを見せて突っ走る様子も、ウィングチームの朗らかで温かい雰囲気も良かった。
 顔つき合わせればどっか重なる部分、面白い化学反応しそうな要素があるのがプリキュアの良いところだと思うし、そういう部分はコンパクトかつ的確に、オールスターらしく描けていたと思います。
 オヨルンちゃんがお姉さんチームの末っ子として、物分りの悪い動き背負ってたの良かったなー……。

 魔王城に至るまでのファンタジックな旅は、プリキュアが護るべき絆のゆりかごとして、素晴らしい美術の力を借りて必要なだけの説得力を、ちゃんと宿していたように思います。
 見知らぬ同士が出会って手を取り、一緒に進んでいく。
 そうして積み上がる時間の中で、かけがえのない思いが育まれていく。
 シュプリームが形だけなぞった、護るべき弱者の外殻ではなく、楽しく美味しく笑い合う実感があればこそ、苦しい戦いにも耐えられるありふれた特別としての眩しさが、異郷の旅にちゃんとあったのは良かった。
 僕はアニメでファンタジックな風景を見るのがとても好きなので、そういうの山盛りで味あわせてくれた今回の映画、凄く良かったなー。
 そういう場所を共にしつつ、そこに宿る意味を理解しきれないシュプリームの孤独も、そういう態度を取りつつも魂の奥底に一緒に過ごした当たり前の日々が、神様が知ることのなかった日常の意味が染みているのも、ラスボスヒロインとの交流として最高。
 シュプリームが無価値と断じた旅こそが、分身たるプーカにとっては不器用な自分を受け止めてもらえた特別な体験で、闘いに踏み出す決定的な理由になってるところも好きよ。

 

 

 というわけで、73分に今までの、これからの、そして混じりっけなしの”今”のプリキュアを、全身全霊で叩き込む映画でした。
 僕は抽象度が高い、テーマにド正面から挑んで作劇の力をフル回転させるお話が好きなので、20年目の総決算に本気で挑んだこの映画、大変良かったです。
 シュプリームをプリキュアに憧れ、否定する存在にすることで、テーマへの問いかけが自然と作中に溢れ、お題目で終わらない活きた力強さで躍動していた。
 その分身たるプーカがシュプリームには体現できない側面を背負うことで、強さと弱さ、破壊と想像、日常と闘争が混ざり合って叫びに至る止揚の気持ちよさも、しっかり生まれていました。
 クライマックスの圧倒的疾走感を生み出すために、そしてその美しい旅路自体をかけがえない思い出と描く前半の作り方も、その良さを最大限に生かした決戦の熱量も、共に素晴らしかった。

 大変良い映画でした。
 面白かったです、ありがとう。
 体内のプリキュア因子が濃ければ濃いほど、魂を思いっきり揺さぶられる作品ではあるのですが、むしろダイレクトに『プリキュアとは何か』を語っている分、全然プリキュア詳しくない人もぶん殴るパワーあるかなと思います。
 あらゆるヒトにオススメです。
 ぜひ劇場でご覧ください!