イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

好きな子がめがねを忘れた:第13話『好きな子と約束をした』感想

 そして、夏への扉が開く。
 過剰な自意識と燃え盛る恋情と密着した距離感と無自覚なエロスが入り混じり、ギトついた画作りと爽やかな幼さに溶けて混ざって形をなす、極めて奇っ怪なスタンダード青春ラブコメディも遂に最終話。
 二人の夏はさらに熱く続いていくようだが、今回のアニメが追いかけるのはここまで……という終わり方である。
 大変良かった。
 作品の温度を高めに保ってくれた、小村くんの過剰なモノローグもたっぷり聞けたし、野生の小動物めいた三重さんの可愛さは山程摂取できたし、虚無から生えた昔の友達を火種にして関係性に進展もあったし、明らかやり過ぎに力んだ絵面と音響も食えた。
 最後の話数で、自分たちがどういうアニメをやってきたかギュギュッと濃縮して未来に託すような作りで、とても収まりが良かった。
 時にワーワー揶揄しつつも、僕はこのアニメをしっかり好きになれたので、お別れする時にそういう好きな部分を全部楽しませてくれたのは、サービス精神旺盛でありがたい。

 

 まー話全体としてはなんかデカい決着が付くわけではなく、むしろデカい決着が付きそうな特別な夏の入り口に立ったところで、アニメが終わってしまうわけだが。
 しかしその遅々とした歩き方はここまでずっと、身悶えするもどかしさでもって”ラブコメ”を楽しませてくれた作品がずっと続けてきた語り口でもあり、最後まで自分が作ってきたものに嘘をつかないまま、幕を閉じてくれたありがたさも感じる。
 小村くんは少し変態的で、三重さんは少し幼いけども、間違いなくお互い思い合い大事にしあっているわけで、時の流れとともに何かが変わって繋がり、やがてきらめく青春の結晶が形になるだろうと、ちゃんと信じられるのはありがたいことだ。
 やっぱラブコメがコメディである以上、登場人物には何処かぶっ壊れた面白さが欲しくなり、小村くんも三重さんもそういうニーズにしっかり答えてくれる、ヘンテコで可愛らしくイキイキした、とても良い子たちだった。
 このお話は小村くんのモノローグが、どんくらいの加速度と熱でぶっ飛んでるかでもってハンドル調整していた感じがあるのだが、前半はやや前のめりに過剰に、後半はロマンティックに少し落ち着いた感じで、適切に調整しながらその両面を見せてくれたのも、最終話にありがたい手土産だった。
 パンッパンに張り詰めた小村くんの内言に、思わず笑わされつつもそうならざるを得ない思いの強さ、愛の重たさを実感することで、このお話が好きになったわけだから、最終話でもちゃんと聞けるのは良いことだ。

 同時に序盤には感じられなかった小村くんの虚無性が、名前も顔も覚えられていない誰かが急に横入りすることで、最後に際立ってくるのも面白い。
 三重さんに恋をしていなければ、ラブコメの主役でなければ何者でもないと己を睨みつけている少年が、自分を作品世界に立たせるために必要とする儀礼
 『好きな子がめがねを忘れる』というワンアイデアで、露悪的にいえば出オチ的に滑り出した物語は、めがねを忘れた三重さんを世話する以上の自尊をそうそう簡単には、小村くんには与えない。
 三重さんもまた、小村くんにお世話されるだけの自分が嫌なのだと第9話で吠えて、だから僕はあの話数がとても好きなのだけども、そうやって己を吠えることで世界と自分にピントを合わせた少女は、少年よりもひと足早く、愛し愛されている自分たちの在り方を適切に見据えている。
 恋というラベルがつかない、不定形の関係でイチャイチャし続ける自分たちが、お互い思い合ってれば嬉しいなと願いながら、三重さんは愛されるに足りる自分に既に、ある種の自尊を持っているように思う。

 『お父さんみたい』は、家族が大好きでそのシェルターに未だ守られている幼い三重さんにとってなによりの賛辞なのだけど、小村くんはそう受け取れない。
 恋愛対象から外れている、ラブコメの主役にすらなれない透明な自分を確定する枠組みではないかと疑い、しかしそう問いかけることも怖くて、毎回降って湧くお世話特権を感受しながら、ピントのズレた距離で触れ合う。
 アニメが一応幕を閉じる今回、夏休みへと駆け出していく三重さんの手を取る形で小村くんは一歩踏み出し、その時三重さんはめがねを掛けている。
 めがねを忘れる/その世話をすることでしか繋がり得ない、1シチュエーションラブコメとしてのこの作品が自作を支え縛る規定を、踏み外す形で二人の未来が先に進んでいくのは、なかなか印象的だった。
 めがねを忘れようと忘れなかろうと、お父さんのようだと思われようとそうでなかろうと、小村くんは三重さんの特別でいたい自分の欲望に一歩を踏み出し、これから特別な夏休みを過ごす。
 それは何者でもなかった小村くんを特別にしていく、二人だけのヘンテコな関係を探り当てる旅の始まりだ。
 これが行き着く先、告白なりキスなりセックスなり”、恋の成就”と世間一般が定めるその更に先を見てみたい気持ちはあるが、しかしそういう明確でわかりやすい形にたどり着くことよりも、マグマのように溜め込んでいた過剰な思いを遂に解き放って、小村くんが前に出た所で終わる最終回、大変良かった。
 13話分積み上げたものが、確かに何かを変えたんだな、という納得があった。
 そこに至るまで、恋情をグツグツと煮込む異常で特別な空間がどんな塩梅か示すのに、Go Hands特有のやり過ぎ演出はしっかり機能していたわけで、幼年期の象徴たる遊具とASMRめいたエロティックな音響を同居させて、甘やかな黄金をバロックに仕上げていたのも、また良かった。
 どんな話だろうとぶん回さざるを得ない、創作集団としての業がキャラの凸凹に結構良い角度でハマっていて、想定していたよりもちゃんとグリップしていたのは、制作会社と原作のラッキーな組み合わせだったなぁ、などとも思う。

 僕は三重さんが無邪気で無垢で無自覚であるがゆえに放つ、清廉なエロティシズムも大変に好きだったので、最終話でそういうのが濃い目に匂い立ったのも良かった。
 『そらー小村くんもパンッパンになるわ……』と納得のイノセントな攻撃をバスバス食らって、なお紳士でいようと己を律する理由は、ただただ虚無性の自己評価の低さだけではないだろう。
 小村くん生粋のジェントルさは最後の最後、駄菓子屋の思い出が夏の気配に蘇る、忘れ去られた出会いの場面で大いに報われる。
 『お父さんみたいに』心底優しく、臆病なほどに紳士的に三重さんを扱う小村くんの手付きは、既に『お婿さん』としてのお墨付きをもらっていたのだ……と描いて終わっていく過去への目配せは、あくまで未来に漕ぎ出すための助走だ。
 発情と愛しさ、大人と子供、過去と未来、友情と恋。
 なかなか混じり合わなさそうなものが溶け合っていく夏に向かって、小村くんは確かに手を伸ばした。
 その時三重さんはめがねを付けていて、ピントはお互いの存在に、しっかり合っている。
 そういう所に二人の歩みはたどり着いて、そこからまた進んでいくのだ。
 そこまで描いて、このアニメは終わりである。
 とても良かった。

 

 というわけで”好きな子がめがねを忘れた”アニメ、無事完結である。
 大変良かった。
 想定していたよりも主人公が濃い目の変態であり、その過剰なモノローグとヒロインの野獣っぷりを最初の手がかりとして、見始めたアニメだった。
 様々いろんなことがあってなお気になる制作会社である、Go Handsがあんまりにも相変わらずの味付けで日常ラブコメを描き、一体どうなるものかと不安であったけども、蓋を開けてみると思いの外かみ合わせは良かったように思う。
 ドヤ顔で技術力とフェティシズムをぶん回すやり口はいい意味でのハッタリとして機能していたし、当たり前の青春の特別な高揚が世界を染め上げる時、どんな風に眩く異様な景色が広がっていくか、適切に描き出すタイミングもいくつかあった。
 二人の恋も人格も透明度が高く素朴なので、脂っこい絵筆が悪目立ちするときもあったが、全体的に良い調和で走りきれたように思った。

 めがねを良く忘れる女の子と、そんな女の子が好きすぎてやや頭がおかしい男の子の、まどろっこしくて甘酸っぱい距離感は同じところをぐるぐる回っているようでいて、少しずつ変化しながら前に進んでいった。
 その螺旋状の歩みに、ちょっとずつ大人になっていく季節の只中にいる人々への優しい視線だとか、恋を触媒に自分を見つけ、世界を色づけていく手応えだとか、非常に基礎的な善さを味わうことも出来た。
 僕はラブコメを食べる時は小中学生主役が楽なのだが、それはそういう季節を主題にする時、半自動的にジュブナイルとしての色彩を物語が帯びるからかもしれない。
 未だ自分の形が鮮明ではなく、それを掴み取ろうとしてもがいて、基本的には明るく楽しく、しかし時折迷ったりわからなくなったりもする、複雑に明滅する年頃に吹く、甘く熱い風。
 恋というものが持っているありふれて特別な力を、『好きな子がめがねを忘れた』というワンシチュエーションから上手く広げて、確かな手触りで描けたのは大変良かったです。
 あの手この手で基本パターンを広げつつ、小村くんと三重さんが過ごす日々を大事に、愛しく見つめてスケッチする姿勢が落ち着いていたのは、彼らを好きになる足場になってくれました。

 彼らが最後に進みだした夏が、どんな熱を帯びて転がっていくのか見届けたい気持ちは強くありますが、ともあれ完結おめでとうございます。
 とても面白く、好きになれるアニメでした。
 お疲れ様、楽しかったです!