イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

僕の心のヤバイやつ:第12話『僕は僕を知ってほしい』感想

 年明けと新学期、二つの始まりを共に過ごして、眩さの中に何かが溶けていく。
 さよならマーダーケースブック、激ヤバネクロフィリア妄想から始まった関係性は、いったいどこに行き着いたか。
 市川京太郎と山田杏奈の現在地を描く、僕ヤバアニメ第一期最終話である。
 大変良かった。

 話としては運命的に出会い段々と親しくなっていった二人が、外堀埋め立てられて姉の支援で更に近づき、アルバムに隠した陰りを目にしてもらって遂に、血腥い鎧を手放すまでを描いている。
 ここまでコミック・リリーフだったお姉が、戯画化されたブラコンとはちと違う、家族としての質感が濃い距離感でもって、ずっと間近に守ってきた男の子を素敵な女の子に手渡す瞬間なども描かれ、市川香菜が好きな人間としては嬉しい話でもあった。
 いやまぁ超絶美少女目の前にしてニチャニチャ笑うキモ人間ではあるのだが、中学受験シクって不登校になりかけ、中二病全開でピリピリしてた弟をマジで案じていたのはカケラも嘘ではないわけで、そういうお姉の気持ちを託せる誰かが、家の外から入ってきたのは良かったなぁ、としみじみ思うのだ。
 前回山田との通話を覗き込んでいたのが巧い前奏になってて、不格好なクピドとして弟の恋を後押しする姿勢、彼女候補をニヘラと受け入れる準備もしっかり整い、京ちゃんがまた一つ自分の傷に素直になる後押しが生まれていた。
 そんな距離感が生まれたのも、第9話でLINEアドレス交換した結果なわけで、一話一話ごとのイベントが着実に、距離を詰め変化を生み出すドミノ倒しとして連動してる感じが、なかなかに面白い。

 

 お邪魔な天使がクールに去った後は、京ちゃんが秘しておきたい薄暗いプライベートに山田がズカズカ踏み込み、ともすれば中学生には危険なフィジカルコンタクトも受け入れあう、特別な関係が再確認されていく。
 気恥ずかしさと屈辱で、過去をほじくり返されたくない表層と裏腹に、京ちゃんは膿んだ傷跡を誰かに受け止めて、その中に閉じ込められた思いを切開し、癒やしてほしいとも願っている。
 見せたいけど見せたくない、知られたくないけど知ってほしい。
 青春にありがちなアンビバレントは、しかし当人には切実な痛みを伴うものであり、『俺はヤバいんだ』という自己暗示で麻酔を駆けることで黙らせていたものが、もう京ちゃんには耐えられない。
 思い返してみれば、いいタイミングで山田杏奈に出会い、親しくなり、踏み込みぶつかってより強く、繋がっていった物語だなと思う。

 自分を特別な(だから孤立もしてしまう)存在だと思い込み、踏み込んでくる誰かを遠ざける棘の鎧。
 おそろいのキーホルダーを手渡したい相手に向き合うことで、異常心理の本が自分を傷つけ膿ませる危うい壁だったことと、京ちゃんは内省する。
 言い訳として選び取ったものが自己像を侵食し、本当に”ヤバく”なる寸前まで行っていたのは、第1話でガッツリ死姦妄想でオナニーぶっこいてた描写からも見て取れる。
 京ちゃんは純粋さを欺いたり利用したりする……他人をモノ化する存在が大嫌いなわけだが、死体という最も弱く何も言えない存在を性の対象とするネクロフィリアでドビュドビュしてた過去は、最も嫌悪する存在に逃避の果て成りかけていた危うさを、そこから巣立つ最終話に照らす。
 イヤまぁ、まだまだ京ちゃんは山田でガッシュガッシュシコるわけだが、そこで彼女を手前勝手な妄念の犠牲にする嫌悪感と、今後は向かい合っていくわけで。
 自分の思い込みを乗り越えて、あるがまま眼の前でモガモガ食ったり美少女だったり、彼女が好きな少年に発情したり独占しようと牽制したりする、尊厳ある一個人として対峙するのには何が必要か、京ちゃんはこれからも考えていく。
 物言わぬ死体ではなく、自分の想像を超える独立した他者だからこそ、生まれる変化と敬意(と、溢れ返るリビドー)を抱えて、新しい光の中に進んでいく。
 そういう新年と新学期の始まりが”最終回”になるのは、前向きな一期の終わりだなぁと思った。

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第12話より引用

 さて腕を折っての年明け、京ちゃんが気づいていない山田との親密な距離感を、身近に観測し応援してくれる第三者が状況を加速させていく。
 旗から見てりゃぁどう考えても両思いなのに、脈ナシと予防線を張って欲しい物を諦めるバクステ擦り人間を前に進ませるためには、キモさも優しさも共通な身内がググっと前に出るしかねぇ! ってんで、おねえがいい仕事をしていく。
 人間の根っこから陰のオーラモリモリ出してんのに、ウザいくらいに明るく振る舞ってんのはやっぱ、青春の暗がりに沈み欠けてる弟のためってのが、幾割かあるんだろうな……。
 そういう存在がLINE越し、大事な人の大事な人になりうる存在を見つめた時、おちゃらけた調子を引っ込めて布団で沈思黙考してたのは、今回描かれる直接接触の様子を見ていると、色々納得は行く。
 つーか他人の目が無くなった途端の山田のグイグイ加減がマジで凄くて、これで”ない”は無いだろッ! って感じ。

 おねえは超絶美少女の現臨にキモくキョドるが、愛する弟の間近に迫る相手がどんな存在なのか、自分で見定めて託す誠実さがある。
 そこには色恋にうわっついて騒ぐより大事なモンがあって、何かと暗い道歩きがちな家族を光の方に引っ張ってくれるかけがえない存在に、目を見て感謝を伝えたい気持ちがある。
 そんな姉の真心を、柱の向こう聞き届けてしまうのが市川京太郎という少年であり、正月トンチキコメディを終えた後のお互いの表情には、人間を繋ぐ柔らかいものがしっかり見えて良かった。
 おねえとしては恋人になろうが友だちのままだろうが、山田が京ちゃんの柔らかな部分に手を添えてくれる存在であるのが大事で、嬉しくて、ありがたいのだろう。
 こういうところでおフザケ引っ込めて……あるいは弟が過剰に重たく受け止めないように頑張っておフザケして、二人きりの時間を作ってあがれる姉にも、劇的な光は降り注ぐ。
 俺は市川京太郎くんが好きなので、彼に優しい人も好きだし、そういう人をしっかり照らしてくれる演出も好きだ。

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第12話より引用

 おねえがクールに去って二人きり、山田は持ち前の図太さで京ちゃんの資質に上がり込み、過去の栄光だとかまだ痛む傷だとか、ヤバさの防壁だとか枕の下に隠した恋心とかを、ガサゴソと漁る。
 ともすればヤバい無遠慮ともなる行動も、恋した相手がブン回すなら許容範囲のありがたさで、このプライベートな薄暗さをこそ誰かに見つけてほしかったのなら、なおさらだろう。
 心と体の柔らかな部分に触れてもいい相手、触れて欲しい相手を選ぶのは非常に微妙な営為であり、他の連中には触られたくないものも、その人ならば踏み込み眺めて良いと、壁を壊せる。
 そしてそうやって秘していたモノを顕にすることで、膿んだ傷が切開され新たな場所へと進み出すことが出来ることを、京ちゃんは既に知っている。
 そういう事を幾度かしてくれたからこそ、おねえが背中を押した自宅と私室への侵入を許し、私的で暗い場所に山田杏奈が踏み込むのも許すのだ。

 恥ずかしい卒業アルバムも、ヤバい殺人心理の本もワタワタしつつ見せて構わない京ちゃんが、枕の下の恋心(に結びついた愛欲)を隠すべく、バランスを崩して許容範囲外の間合いまで踏み込んでしまうのが、なかなか面白い。
 客観的に見れば死体がどーのこーの言ってる方がヤバいと思うのだが、京ちゃん的には山田杏奈の仕事ぶりを私的に眺めているとバレるほうがヤバくて、恥ずかしくて、大事なのだ。
 そういう客観と主観のバランスが崩れる愚かしさ、危うさ、そして愛おしさを恋するという行為は持っていて、山田もそこでバランス崩したから、図書室で強烈な牽制をぶっ放し、京ちゃんを傷つけた。
 世間一般が”正しい”と定めることよりも、私とあなたの間でのみ成立するアンバランスな重心を、二人は探り探りここまで来て、ハプニングで押し倒すのはまだ早いと、グイッと押しのけ写真は撮る。
 この危険なフライングも、まぁ許容範囲で収まる距離感でもって二人はもう繋がっていて、しかし高速カシャーカシャーはどう考えても許可取らない不意打ちだよなぁ山田杏奈?
 俺はお前の獣性が、時折怖いよ……。

 

 じっとり重たくなりがちな思春期の内省を、いい声したスカシ野郎とのオモシロ会話って形でコメディにしているのも、なかなか面白い手腕だけども。
 ネイキッドの全てをさらけ出したい願望を、だんだん自覚しつつある京ちゃんは、新しい学期が始まる時に二人きり他に誰もいない暗がりで、鎧を外して抱きしめてもらう。
 それこそがずっと欲しかったものであり、涙と感謝を込めて抱きしめ返せる自分へと、一歩を踏み出していく。
 それは優しく純粋であることをありきたりな挫折に許してもらえなかった少年が、自分を守るために選んだ棘の鎧を放棄して、過去夢見た自分に立ち返り、あるいは進み出す瞬間だ。
 ヤバい自分でいることで、何を守りたかったのか。
 第1話山田杏奈と出会った時、素直に見つめることが出来なかったものを彼女に恋する中で見つけ直して、京ちゃんは殺しの本を地面に擲つ。

 別に、異常殺人と血しぶきにフヒフヒ言ってる京ちゃんでも良かったな、と思う。
 『胸キュンラブコメに何言ってんだオメー』といわれそうだけども、京ちゃんが望んでヤバいならそれはそれで一つの生き方で、ヤバくて暗いネクロフィリア野郎だろうと、それは一つの生き方だ。
 しかし京ちゃん自身が、誰かをモノのように扱う自分でいたくはないと願い続けて、しかしそういう存在に漸近しなければ心の柔らかな部分を守れなくて、ヤバさを演じるうちに何かが腐りかけていたのなら、書を捨てて進み出るべき場所は眩しき恋の只中なのだろう。
 それに山田とラブラブになったところで、京ちゃんの卑屈で後ろ向きで尊大でムッツリなヤバさは、なかなか消えてくれるもんでもねぇしな……。

 己の内側を見つめ、吐き出し、抱きしめてもらって、抱きしめ返す。
 京ちゃんはそういう特別で親密な距離感を許せる相手と出会ってしまった自分を、怖さと恥ずかしさに殺して埋めるのではなく、ほかでもない自分なのだと認めることにした。
 そうやって自分をさらけ出してくれることを、何より喜んでくれる特別な誰かが、いてくれる奇跡にありがとうを言うことにした。
 それは山だと出会ってから生まれた変化であると同時に、棘だらけの思春期に気づけばねじ曲がっていた場所から、大事にしたかったものを取り戻して進んだ結果だとも思う。
 輝かしい未来はいつでも思い出の中の憧れにあって、そこに立ち返ればこそ見たこともない未来へ……具体的にはクラス内カースト最上位の現役JCモデル超絶美少女と、むっちゃラブラブな時空へと、踏み込んでいくのだ。
 ……やっぱ京ちゃんさぁ、今取り落としたヤバ書物拾い直して、青春のダンゴムシとして薄暗い場所に戻っていかない?
 ダメ?
 そう……。

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第12話より引用

 醜く足にすがりつくオッサンを振りほどいて、京ちゃんと山田は新しい季節に進み出していく。
 大晦日の交錯でヤバい男を見直した萌子が、友だちの気楽さで軽口叩いてお先に進んでいくのが、二人が二人でいることで生まれる変化が結構、風通しの良い関係に繋がっていると描いていて好きだ。
 京ちゃんは自分を守る鎧を擲って、山田が手渡してくれる飴を取る。
 それは甘くて、光に満ちている。
 この情景が、保健室のベッドの下這いつくばっていた青春のダンゴムシが、見つけた眩さに魅入られて進みだした先、たどり着いたものだ。
 悪くない景色……というか、とてもいいモノだろう。

 そしてここはゴールではなく、青春は続く。
 既に始まっている二期が、京ちゃんと山田の濃厚な三学期をどう描いてくれるのか、大変楽しみである。
 ヤバい自分でいることで傷つきやすい自我を守ってきた京ちゃんの、ドロドロした内側を知ってなお、隣り合ってくれる人がいるのだと、今の彼は知っている。
 知っているから踏み出せた光の中で、何と向き合い何処に踏み出すか。
 この素敵なアニメは、それをどう描くのか。
 とても楽しみだ。