イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

僕の心のヤバイやつ:第14話『僕は大人のなりかけ』感想

 震え立ち止まる気持ちを置き去りにして、体も恋も勝手に大きくなっていく。
 好きになった人との適切な距離感を、子どもではもはやない自分との向き合い方を、慎重に探る少年の日々を綴る、僕ヤバアニメ第14話である。

 京ちゃんの侠気が雪に炸裂したキーホルダー探しから、雪崩れるように山田家来訪、二人きりで風呂と飯、初めての嘘と色んなモノが数珠つなぎ、一気に起きる回である。
 嬉し恥ずかし思春期ハプニングが山田だけでなく、むしろより強い熱と湿度を伴って市川京太郎くんにも襲いかかるのは、平等と言って良いものなのか、なかなか悩ましい。
 とまれ、脳髄の奥の方を熱くさせる欲望はもう子どもではない彼らの中に確かに存在し、しかしその熱の赴くままに突き進むには周りが見えすぎていて、どこへ自分を進めたものか、少年少女は立ちすくんで周りを見る。
 そこにはたしかに自分を愛してくれている優しい人達がいて、それに報いようとあがいてるけど上手く出来ない無様な自分がいて、『いい子じゃないかも知れない……』と涙ぐむ。
 その子どもっぽい仕草が、注がれた愛に報いれるほど強く優しくなりたいと、子どもじゃないからこそ湧き上がってくる意思から起こっているのが、なんとも愛しい。

 もう一人の自分が俯瞰するように、明らかに『友達の距離感』ではない山田杏奈のアプローチに、京ちゃんは飲み込まれないよう自分を保つ。
 時折保てずガッシュガッシュ真夜中に吠えるが、保とうと頑張る。
 それが迷う山田の現在地を照らす、かけがえない他者として大事な言葉を投げかけたり、触れ合うことで自己の輪郭を教えたり……大人じゃなきゃ出来ない、大人ならするべきことにも繋がっている。
 衰えたのではなく育ったのだと、触れ合って教えてくれるありがたさに京ちゃんは図書室で感じいるけど、それは山田にとってもお互い様で、好きな人と適切な距離を探りつつ、『言わないほうが良いかな……』とためらいつつ、言葉や指先を伸ばして触れる行為は、自分では見えないものを縁取ってくれる。
 どこまで言っても自分でしか無いのに、自分では自分の在り方が見えない根源的欠陥を抱えた人類種が、もしかしたらあるがままの自分を感じ取れるかも知れない、唯一の希望。
 そういうものとして、青春と恋をスケッチしている所が、やっぱり好きなお話である。

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第14話より引用

 つーわけで友達距離感ではありえねーグイグイ力で、山田ハウスに引っ張り込まれた京ちゃんは、体熱上がるエッチハプニングに浮かれたり巻き込まれたり、なかなかHOTな青春時代じゃねぇの……。
 一人悶々と山田杏奈を性的消費すると思いきや、明らか体重の乗っている性欲を原作者から叩き込まれ、自身が思春期セクシーの体現者としてワタワタもする京ちゃんは、可愛そうだが公平で良いなとも思う。
 『中2なんて……男の子も女の子も、それぞれえっちだよ!』という、ある意味平等な視座で性欲見ている話だし、そういう欲望が脳髄の深い部分から思いっきり突き上げてくる時代を、どう乗りこなしていい塩梅に生きていくか、結構真面目な話でもある。
 自分の心も体も親の庇護物/所有物ではなく、尊厳と責任両方背負って好きにするべきだと分かりかけてくる頃合い、ただただ欲望の望むまま突っ走って、大事な人を裏切る結果になるのも怖いと、子どもらは震えている。
 為ったことがないから解らない、解らないから怖い、”大人”なる存在への変移。
 その難しさを、楽しいドタバタのあとに涙まじり、二人は語り合うことになる。

 クールで無敵なカースト最上位女子だと見上げていた山田が、鼻血出して泣きじゃくる場面を見たことで、京ちゃんは初めて恋を自覚した。
 憧れの女の子が見せる”人間味”は、理想像が崩れ落ちるショックよりもそれを自分だけが見つめている特別さと、そんな顔みたくない痛みの方が強くて、京ちゃんは極力山田杏奈が泣かなくてすむように、職場見学で逸れた時も、三者面談の時も、少女を見つめてを伸ばしてきた。
 そういう人が自虐するほど強くてヤバい存在ではなく、やりすぎなくらい他人を見つめてだからこそ立ち止まり、ぎこちなく生きてしまう人だということを、山田も良く理解っている。
 そういう人が、あの時なんで自分を遠ざけたのか。
 泣くかもしれないと覚悟して……つうか既に泣きじゃくって、それでも聞くのはやっぱり、好きだからこそだ。

 

 京ちゃんは山田が一足先に社会に出て、仕事をしている大人びた部分に惹かれていると自認しているが、子どもっぽく脆い部分も好きなんだと思う。
 そこにはかつて傷つき守れなかった、子供時代の自分が反射している。
 あとから来たのに追い抜かれ、悔しくて立ち止まってしまう自分を、優しく見守ってくれる人たちがどう扱っているのか。
 主観と客観、過去と現在、自己像と他者性が複雑に乱反射する場所を見つめながら、京ちゃんは山田が見えていないものを見つめ、言葉にし、手渡す。
 思考や分別を越えた速度で伸ばした手が、自分と同じ場所で震えている山田を抱きしめるのに戸惑いつつ、その一歩から身を引かない。

 一歩引いたところから自分や他人を観察し、ニヒルに距離を取る……ように見えて、生来の優しさでグイと身を乗り出し、実際の行動に出てしまう京ちゃんらしさは、キーホルダーを発見したときには伸びなかった手を、ようやく山田に近づかせる。
 それは山田が泣いてる原因であるあの日、傷つき離れようとした自分をグイッと引き寄せて、抱きしめてくれた手と良く似ている。
 京ちゃんや山田の賢さや優しさ、強さが彼ら自身のモノであるのと同じくらい、彼らを愛してくれた誰かから手渡され育まれたものだとしたら、お互いの不確かな輪郭を定めてくれる特別な相手だと、思える理由もまた、個人の中にはとどまらない。
 流れる涙、溢れる鼻水を親身に拭いてくれるお互いの手があって初めて、『いい子じゃないかも……』と震える心が落ち着いて、もっと”大人”に、もっと善い人になりたい自分に、真っ直ぐ向き合える。
 凄い身近な手応えでもって、善良であろうとすることの難しさと、そこに手を添えてくれる存在のありたがみを書き続けているのは、このお話のとても好きなところだ。

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第14話より引用

 山田杏奈を育んだ、タワーマンションの揺り籠に入り込むことで、京ちゃんは好きな人の好きな人がどういう存在なのかも、より深く知っていく。
 学校では”杏奈”呼びで厳しい感じだったのは、あくまで世間と触れ合うときの外殻であり、家族でほっこり過ごせる場所においてはちゃん付けだわ、習い事止めた日に好物出すわ、くまパジャマは着るわパンスト一丁で押しかけるわ……山田ママの柔らかい部分がドサッと押し寄せてくる!
 その後訪れた危険な至近距離に心臓踊らせつつも、親に嘘つかせたヤバさを気にかけていたり、家では自分を”杏奈”と呼ぶ幼さだったり、京ちゃんは周りを……特に山田杏奈を良く見ている。
 この観察力が過剰なメッセージを受信させて、重荷が心をへし折りかけた結果ねじ曲がりもしたが、元来市川京太郎がどんな人であるかは、当人よりも山田が良く理解ってくれている感じ。
 ここら辺の照応関係含めて、お互い様の似た者同士なんだなぁ……。
 自分はカーストド底辺、自分を見下す上位層と思っていた相手を、自分と重ねて見れるようになるまでの記録であり、同時に独立した尊厳を自分の好きな人が持っているのだと、適切な距離を探り当てるまでの記録でもあるか。

 ここら辺の対照関係は山田-京ちゃんだけに存在しているわけではなく、ぽけぽけ抜けてて可愛い所とかは山田母子で共通であるし、『誤解されがちなんだけども優しさに溢れたメカクレ男子大好きッ!』つう山田の性癖は、パパとの日々で培われたものでもある。
 誰もが誰かに自分を投射し、似ている部分を見つけ好きになる。
 あるいは好きだからこそ自分をその人に似せていって、新たな自分の一部にしていく。
 『二度と来るか!』な恐怖のタワマンで出会った巨人が、実は自分とよく似た誰かであると、京ちゃんは山田家を再訪して学ぶだろう。
 そういう不思議な縁と絆が、恋した女の子だけでなく彼女を守ってきた人たちとも、優しくおかしく繋がっていく様子を見れるのが、僕は好きだ。

 

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第14話より引用

 山田家とのファーストコンタクトを終えた京ちゃん達は、彼らを包むもう一つの社会……学校へと戻っていく。
 出会いから色々あって縮まった距離は、客観で見ればどう考えても友達の範疇には収まっていないが、臆病な優しさと尊大な怯えが、京ちゃんを臆した距離に押し留めている。
 京ちゃんは観察力が高く思慮深い人なので、自分の外側に在るものだけでなく内側に宿るものにも深く潜っていくわけだが、青春の心的探求をギャグ漫画の範疇に収めるべく、『イケてる市川』つうキャラに仮託して書いてるのは、面白くてい良い。
 イケ京ちゃんが言ってることは、画面の外から視聴者が見ているモノとしっかり重なっていて、つまりは京ちゃんが客観的現実をちゃんと把握できている証拠なのだが、コミュニケーション経験値が足りない京ちゃんは、それを思い込みだと押し止める。
 そうすることで、これ以上傷つきたくない自分を守る弱さもあるし、勝手な思い込みを他人に押し付けたくない、誠実さの表れでもあろう。

 しかししかし、山田杏奈を突き動かす思いはそんなバリアをやすやす乗り越え、”匂い”という微細で隠微な領域まで一気に踏み込んでくる。
 『ハグまで済ましてんだからよー! 嗅覚刺激にもそら当然ぶっ込んでくるだろーが!!』という話ではあるのだが、マージで青春のニトロ満載、危険球スレスレの球投げ込みまくってくる山田杏奈の積極性、畏くすらある……。
 そういう距離感を全員に許すほど、幼くあれない現状も既に描かれているので、臭さを気にかける自分を京ちゃんに預け、つうか浴びせ倒して赤面させるのは、やっぱ特別な間柄だよなぁ……。

 

 好きだからこそ近づきたい、触れ合いたい情熱に気圧されつつ、京ちゃんは自分と山田がどこにいて、どこに行きたくて、どこに行くべきかを、眩しい冬の木漏れ日の中で見つめる。
 ここ『僕らは大人のなりかけだ』と、境界線上に立ってる不安定さに押し流されることなくしっかり見れるのは、京ちゃんの強い賢さ、賢いからこその優しさが出てて、とても好きだ。
 自分一人が、何も分かんないまま大人になっていく怖さとか、そうやって変化していく自分が『いい子』ではいられなくなるんじゃないかという怯えとか、体と心の乖離と同調とか、色んなものに震えているわけではなく。
 自分が好きになった人も、頑是なく泣きじゃくるほどに青春に不安で、一緒に進んでいくしか無いのだと見つめれる人だから、山田は京ちゃん好きになったんだろうなぁ……。
 学校内、自然に過ごす内に確立された山田ブランドの殻を破って、なんもかんも全部さらけ出せるほど強くも無責任でもなく、相手を選んで自分の柔らかな部分を預けたかった女の子が、本当に欲しかったものを適切に差し出したんだから、そらー善い間柄も構築されるよ。

 そして京ちゃんが見えていないものは、山田が見つけ触れ差し出してくれる。
 細く弱くなったのではなく、強く逞しくなっている自分を京ちゃん自身は信じられないけど、山田がそう言ってくれるのなら、そういう自分に近づく一歩も、震えながら進み出せるのだろう。
 『自分を好きになるためには、自分以外の誰かに好きになってもらうしか無い』という逆説を、人生の真実として抱きとめていくまでの道のりは、なかなかに難しく、情欲と恋に満ちて熱い。
 『ちょっとエッチなラブコメディ』つうジャンルが、確かにそこに在る欲望を呪いと否定するのではなく、笑い寿ぐべき人生の一部として切り取る助けになってるの、俺は好きだ。

 

 無防備におっぱい触らせちゃって、でも跳ね除けるほど嫌でもなくて、甘酸っぱくも難解な距離感の問題を、京ちゃんも山田も必死に探っていく。
 そんな二人の現在地が、確かに前進していることをよく見せる回でした。
 あー……眩しくて酸っぱいなぁホント。
 アニメの筆は胸キュンラブコメとしての味付けを濃くしているし、それを煮出すためにかなり精妙に原作に手を入れてもいるので、より”光”を強く感じるよ。
 ドタバタワチャワチャ、可愛らしいもがきをたっぷり詰め込んで、二人の青春は進んでいく。
 次回も楽しみだ。