イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ダンジョン飯:第6話『宮廷料理/塩茹で』感想

 食えないはずの絵に描いた餅が、歴史と恨みを絡めて人を食いに来るのが迷宮の常。
 奇想天外な冒険の諸相を楽しく描く、ダンジョン飯アニメ第6話である。
 前半がまーたライオスが強火のイカレ行動に出る……のに合わせて、今や亡霊と死体ばかりとなった廃都の歴史に迫る回であり、後半はクールな仕事人チルチャックの奮戦を描くミミック回。
 どちらもモンスターと取っ組み合うより、仕掛けられた罠に飲まれ切り抜けかじりつき、冒険者らしく腹に収めるまでを描くエピソードとなった。
 特に後半はトリガー味濃い目のケレンが元気に暴れて、静かになりそうな罠解除や謎解きをパワフルに描いてくれて、アニメ独自の見応えがあった。
 原作テイストを生かした抑えめの筆致も、こういう”暴れ”を見せる回も、どっちも美味しくいただける素地が出来てきているのは、腰を落として調理に勤しむアニメスタッフの頑張り故だと思う。
 とってもいい感じだ。

 

 Aパートは絵と現実、過去と現在の垣根を越えて、ライオスがどうにか画餅で腹が膨れないものか、悪戦苦闘するエピソードである。
 銭に目がくらんだごろつき共が、治安悪い感じでワイワイ生きている迷宮経済は既に描かれているが、ではそれは何を足場にして成り立っているのか。
 誇りだらけの応接室に飾られた”生きている絵”は、そのヒントをコミカルなグルメ闘争の中に隠している。
 人が生まれて育ち、亡き父の跡を継いで王となる一つの物語がそこには刻まれているわけだが、ライオス(を筆頭とする、迷宮に寄生して今を生きてる有象無象)にはその歴史は結構どうでも良く、振る舞われる料理を食べたいと感じるのも超ド級の変人だけだ。
 絵=歴史=過去の中でどれだけ美味を振る舞われても、仲間に命綱を引かれて現実に帰れば空きっ腹が待っていて、既に過ぎ去ったものは腹を満たしてはくれない。
 それはライオスが歴史に封じられた幻影ではなく、他人の領地……あるいは墓所を侵してでも今を生きなければいけない、浅ましくて必死な生者だからこその空腹だ。

 食べるか食べられるか、ある意味平等な”ダンジョン飯”の視線は、しかし絵の中の過去とその外側にある現実を切り離すのではなく、魔法……あるいは呪いによって越境させる。
 ライオスの頭の中にあるのは好奇心と餓えばかりだが、迷宮に満ちた不思議なルールは時や次元を飛び越えて、虚しかろうとかつて王城で振る舞われた宮廷料理の味を、生者に伝える。
 他の連中が見向きもしないまま、怪物殺しやお宝探しに夢中な欲のるつぼの中で、変人主人公だけが終わったものの中に飛び込み、仲間たちも呆れつつそんな旅に付き合っているのは、なかなかに面白く……意味深でもある。

 

 ライオスは絵に描き加えられた登場人物として、無名匿名のヴェールに守られて無銭飲食をする。
 彼が何をしようと過ぎ去った過去は変わらないし、そこで振る舞われる料理は生きている彼の腹を満たしはしない。
 しかしその境界線を、狂気を瞳に宿したエルフだけは乗り越えて、過去に存在するはずの異物として、ライオスを認識もしている。
 現在から過去へ、迷宮から絵の中へ干渉可能なライオスの特殊性は、彼に掴みかかったエルフにおいて逆転し、過去から現在へ、終わったはずの歴史から餓えて奪い侵す現実へと、その手を伸ばしうる。
 そんな彼が誰なのか、この段階ではサワリでしか無いけども、原作を幸福に見終えた立場から見返すと、『なるほどここで……』と思える描写であった。

 二次元と三次元、過去と現在に隔たれているはずの境目は、生死の境と同じように迷宮の中では混濁し、冒険者を誘い閉じ込めうる。
 ライオスの冒険は一方的な収奪にはならず、ファイアーボールがぶっ飛んでくる危険な戦闘に発展して、『腹が減るということは、死にうるということ、生きているということ』というルールを、思わぬ形で裏打ちする。
 知恵者チルチャックですら知らぬ、遠い昔に滅んだ王城の秘史が、どういう形でアニメに姿を表し、ここでの邂逅を活かして広がっていくのか。
 そういうのも、楽しみになる不思議な冒険だった。

 

 ライオスが演じた絵画の中の冒険が、彼と迷宮の過去と未来に関わる物語だとすると、チルチャック VS ミミックの激闘は徹頭徹尾彼の現在にまつわる、卑属で必死で賢明な物語だ。
 戦闘能力を持たない専業シーフとして、お誂え向きの戦場を用意された彼はたった一人、罠に満ちた部屋に挑む。
 それはセンシが思い違いしているような、見た目通りの子どもなどではなく熟練の冒険者の姿であり、幾度も繰り返した死がジクジク痛む、人生経験豊富な古強者だ。
 そんな彼のクールな魅力と、危険に満ちた仕事場から退くことはしないタフさが、ちとコミカルなケレンと相まって、とても魅力的に描かれていた。
 長命種二人に囲まれると子ども扱いだけども、”さん”付けされるだけの貫禄と実績は確かにあるわけで、ただただ可愛いマスコットでは終わらない、旅の仲間に相応しい頼もしさが見れて良かった。

 ファンタジーの定番を独自の解釈で描き直す、”ダンジョン飯”特有のアレンジレシピもまた元気で、宝箱を殻にするヤドカリ(描かれ方からするとヤシガニか)となったミミックとの死闘は、なかなか見応えがあった。
 回想でのチルチャックがすげー容赦なく死んでいくので、トボけた外見や生態に似合わずヤバいモンスターなのだなと思えるし、だからこそ彼がそれを乗り越えた手応えも大きい。
 幾度も殺され、小さなタフガイの苦手要素になっていた怪物を自分の手で乗り越え、あまつさえウマイウマイと食っちまうことで、ちょっとした変化が生まれていくのも良い。
 子どもの姿ながら大人な頼もしさと判断基準を持っているチルチャックも、命がけの冒険や思わぬ美味で考えを改め、ちょっとずつ変わっていけると示すのに、ブリブリ美味そうな茹でミミックは良い食材だったのだろう。
 仲間に”倒してもらう”のではなく、チルチャックが罠を活用し知恵を絞って”倒す”話なのが、冒険の中で確かに生まれていく変化を刻むのに、ちょうどいい手応えであった。

 様々なファンタジーを咀嚼して生み出された奇想や、痛快な冒険絵巻だけでなく、それを通じて偏屈者の変人たちがちょっとずつ己を変え、お互いに繋がっていく人間ドラマがしっかり……しかし悪目立ちすることなくそこに在るのが、このお話の良い隠し味であろう。
 ワクワク胸が高鳴り、クスッと笑える美味しい冒険が刹那的に終わっていくわけではなくて、チラホラ見せられる世界観の奥行き、様々な伏線を巻き込みながら、迷宮に集った”パーティ”が生きて変わっていく様子を、身近に楽しませてくれる。
 目立たないけど確かな変化は、食べて生きてこそ積み上がっていくものであり、そういう地道で普遍的な手応えを物語に盛り込む意味でも、”食”というテーマはちょうど良いのだろう。
 チルチャックが抱えていたミミックへの苦手意識、それを仲間に見せられない見栄が乗り越えられたと、読み解くより早く腹に落ちていく描写として、『美味しく食べちゃう』ってのは、とても力強いしね。

 

 というわけでちょっとペースを落とし、穏やかに豊かに迷宮のスケッチを届けてくれるエピソードでした。
 とにかくネタがキレるお話なので、こういう短編特有のサラッとした喉越しにコクを混ぜて、美味しく楽しく飲ませる技量は高い。
 常に命を賭けながらも、微笑って食って生き延びてる冒険者達の毎日は、この異世界においてこういう手応えで転がっているのです。
 そう丁寧に感じさせてくれるお話であり、そういうアニメになっているのはやっぱ、とても良いことだ。
 次回も楽しみです。