イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

僕の心のヤバイやつ:第24話『僕は伝えたい』感想

 2クールの長きにわたり繰り広げられてきた、付かず離れず青春大決戦も遂に最終局面!
 中学生の一大イベント、修学旅行を舞台に浮かれる心と流れる涙……仕事と好きピ、どっちが大事なの!!?
 怒涛のごとくひた走る、ラブコメ暴走超特急のフィナーレを見届けろ! な、僕ヤバ第24話である。

 二話構成の修学旅行エピを、爆エモAgraph劇伴に背中を押された泣きダッシュで決着……させると思いきや、激ヤバ女子部屋潜入でコミカルに引いて本戦は次回! という作りだった。
 この回またぎを成立させるべく、結構な再構築がなされていたわけだが、周りも自分もな~んも見えてないクソガキから、山田に恋してちったぁ世界が見えてきた京ちゃんの、”今”の視界を最後に再確認する話に、しっかりなっていたと思う。
 中学受験に失敗し、自分はダメなヤバいヤツで世界は下らない怖いところだと思いこんでいた……思い込むことで自分を守っていた京ちゃんは、眩しい光の中で山田杏奈が血を流しながら泣いているところを見上げて、ちょっとずつ目を開きだした。
 思いの外自分は大事にされていて、やりたいことも出来ることもそれなりにあって、目の前にいる人には尊敬できる部分が結構あって、世界は思いの外楽しい。
 そう思えるようになったからこそ、修学旅行相手に『ケッ!』と斜に構えつつも、心ウキウキ楽しい学校生活をエンジョイできている。

 

 そうさせてくれたのは、山田杏奈を好きでいて良い自分になるべく、京ちゃんが色々勇気出して頑張った結果、自分を変えた(あるいは取り戻した)からだ。
 好きになれる自分を見つける、一番大きな手助けをしてくれた人を好きになるという、すごく素直で真っ直ぐな恋心は山田にも同じであり、だからこそ京ちゃんと一緒の修学旅行をオーディションより優先して、涙を笑顔で覆ってはしゃぐ。
 仕事諦めるのも仕事のうちと、大人びたふりをしてるのに感情の起伏は激しく、密かに泣きじゃくる子供っぽさに気づかないまま、京ちゃんは奈良まで流れてきて、もうひとりの自分と対話しながら、山田が闇の中泣いている様を見る。
 そういう、パッと見の奥にある強がりとか痛みとか優しさとか、人間の柔らかな部分に目を向けて大事に出来る、強くて優しい人に本当はずっとなりたかったのに、なれてないガキな自分を思い知らされる。

 『ならもーなるしかないじゃん”男”にッ!』つうわけで、決意を込めて猛ダッシュするわけだが、ここで一回膝カックン、この話がコメディであることを思い出させるように、ドキドキハプニングで次回に続く!
 時折重たくシリアスな雰囲気を匂わせつつ、前編となる今回はいつもどおりの楽しいワイワイに満ちて、前回男の決闘を果たした足立くんもおバカな元気さを取り戻してくれてて、笑いつつもホッとする仕上がりだ。
 ここを滑走路にして、次回エモーションの極限までノーブレーキで加速していく終幕を描く……ってことだと思うが、女子部屋で演じられるトボケが混ざると、待ちに待った告白がブレるつう判断が、再構築の裏にあるんかなぁ。

 こぅして順番や見せ方を変えられると、当然印象も全然変わってくるわけで、実は『原作通り』のアニメ化なんて全然期待してなくて、常に『原作以上』のアニメ化を願っている自分としては、幾度目かの面白い挑戦だなぁと感じた。
 僕は原作好きでずーっと読んでるけども、のりお先生がWeb漫画で描いているもの、描けているものとアニメで描くべきものは当然違うと思うし、このアニメ化は結構そこら辺のギャップを鑑みつつ、アニメがやるべきこと、出来ることをやってくれた作品だと感じている。
 原作でフルスイングされている生っぽい下ネタは適度に加減しつつ、山田と京ちゃんのピュアラブっぷりに強くフォーカスして、音楽と色と動きがあるアニメの強さを適切に使って、色んな奴らがワイワイやってる世界の善さもちゃんと書く。
 一話早いけども、『様々な工夫を色々頑張ってくれて、大変良かったです』とまとめてしまっても良い、素敵なアニメ化だったなと思う。

 (まぁここら辺の手際を信じきれず、一期終盤で筆が止まったりもしたのだが、二期再開に当たりガッツリ5回ほど原作と合わせて見返し、自分なり”アニメ化”と向き合う角度を整え直せたのは、終わってみればいい経験だったと思う。
 安楽な視聴態度を投げ捨て、がっぷり四つに作品と相撲取らないとどうにもならないトコロにハマってしまうのはなかなか難儀だが、そうやって自分と物語を照らし直して始めて、生まれる視界と距離感というのは確かにあるのだと、思い出させてくれる視聴になったのはありがたかった)

 

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第24話より引用

 というわけで初手通学路ペヤング、『やっぱ山田が一番ヤベーんじゃねぇかな……』疑惑を深めつつ、最終章の幕が開いていく。
 京ちゃんや友達との修学旅行、行くべきか行かざるべきか悩み続けている山田は、日程明かされてガン凹みするわけだが、『明るく元気な、いつもの山田』を被り直し、日常は滞りなく過ぎていく。
 そんな、野放図に見えて思いの外自分を作ってもいる山田杏奈の変化を、問わず語りに感じ取れるナイーブさが京ちゃんにはあり、だから彼は山田の好きな人として選ばれる。(足立くんにはなかったので、前回男の玉砕へと進み出すことにもなった)

 見る、見られる。
 気にする、気にかけられる。
 違和感の正体を後半に持ち越したまま、視線の応答は幾重にも重なっていって、山田も京ちゃんもいろんなことに気付き、気付ききらない。
 彼らが経験豊富なオトナならば、夢も楽しさも両方大事に出来る器用な立ち回りも出来るのだろうけど、そうなっていくための戦いを一個一個積み重ねている彼らにとって、出会う全てが未知数だ。

 

 京ちゃんが三年目の修学旅行に、思いの外浮かれていることを、山田はビデオ通話越し、一年前のパンフレットを見て理解するし、キス妄想に浮かれつつも視界の端、置かれた単行本を京ちゃんは見落としはしない。
 そうやって、相手のことを良く見て考える……時に考えすぎるのは、やっぱり好きだからこそ。
 こそばゆくなるような純情が、最後の最後にもう一度強めにエンジンふかしてきて、待ってましたのありがたさに見てるこっちも体温上がるぜ……。

 ここで山田の涙をダイレクトには描かず、ブラックアウトした画面の向こう側に微かに滲ませて、京ちゃんの『見えなさ』とシンクロさせる描き方になったのは、このアニメらしい演出だと感じた。
 ここまでも原作なら俯瞰で描いてた部分を一人称に制限して、作中人物の心境や能力に重ね合わせ、引き寄せる描き方は幾度かあったけども、今回もそういうFPS的青春喜劇の文法を持ち込んできた感じ。
 なにっっしろメカクレスーパーピュアボーイの青春なんて、すっかり遠いトコロにいっちまった人間なので、こうしてシンクロ率を上げて京ちゃんのままならなさ、切実さ、瑞々しい痛みと優しさに見てる側を近づけてくれるのは、ありがたい語り口だ。

 

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第24話より引用

 鹿も迫りくるワイワイ修学旅行をコミカルに描きつつ、これまでも内省や世界を……この作品にとって大事なものを描いてきた窓辺の鏡面に、半沢さんが映り込む。
 近寄りがたい高嶺の花に思えて、ほわほわ赤ちゃん情緒な半沢さんは、メインヒロインの仕事を頑張る中で山田から抜け落ちてしまった要素を集めて再構築した、遅れてきたシャドウって感じがして可愛い。
 恋とは何かがわからない、けど山田と京ちゃんの望むままに恋を成就させてあげたい彼女を鏡にして、京ちゃんは今なら、今こそ思いを言葉にできる自分を再確認する。
 これまで幾度もそうであったように、騒々しいハプニングに邪魔をされて告白は遠く、ここらへんを紫髪のヤバ女にまとめ上げて井口裕香の声帯付けたのが、三年目からの新キャラとなるカンカンなんだろうけど。
 局面を一つの決着へと引っ張るべく、進級タイミングで作劇に必要なキャラクターを舞台にぶち上げ、圧力上げて押し出すフェイズなんだなぁ……とは思う。

 決着へと至る一連の流れを、強く後押しするのが山田杏奈の親友、小林ちひろである。
 露骨にシリアスな話するためだけにポップアップしてきた東屋で、遠い目をしながら無理する親友を見つめつつ、少女は普段あんま見せない成熟した顔をする。
 仕事か学業か、小林も納得行かないジレンマを結局解決するのは主役であり想い人である京ちゃんになるのだが、相談自体は小林にしかしてなくて、ここら辺の距離感のねじれが、なんだか切なく面白かった。
 少年めいた爽やかさで前向きに生きている小林は、恋も良く知らぬまま親友の隣りにい続けて、山田を一番思い悩ませている大問題に関しては、全く置いてけぼりのままだ。
 しかし京ちゃんには好きだからこそ言えない悩みを、打ち明け背負わせてもらえる特別さは確かにあって、でもそれがここから先、恋を知った山田と同じ世界で生きていられる保証にはならない。

 色々素敵なことに満ちていた、思わず応援したくなる京ちゃんと山田の恋路。
 それが何もかも率直に預け合って解決してきた同性の繋がりを、結構変えてしまうのだという事実を、ここで小林が京ちゃんに問題解決の主導権を手渡す様子を見ながら考えた。
 それは時の流れの中変わっていく彼らの必然であり、必ずしも哀しいことばかりではないのだけども、抜けてる山田の口を拭き面倒を見る仕事が小林ちひろの占有物でなくなることを、当人はわからないなりに理解っているとも思える場面だ。
 山田に彼氏が出来た意味を、受け止めるには恋愛方面の受容体発達が小林遅いのであるが、『山田杏奈が大事』という根源においては京ちゃんに負けず劣らずなわけで、でも解決権は京ちゃんにこそあるってのが……こう……。
 まーそういうもんだよなッ!(大声で逡巡を断ち切るマン)

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第24話より引用

 次週感動の最終回だってのに、全てを乗っ取る破壊力があるチンポバトルで殴りつけつつ、修学旅行の夜はふける。
 こんな爆弾、来週やったら何もかもダイナシになりかねないので今やっておくのは正解なのだが、最後の最後までおバカコメディの味わいが残って話が進むのは、そういう部分も好きな自分としては嬉しかったりもする。
 そして先週あんな魂のぶつかり合いしたのに、いつも通り最高の悪友としてアホなことほざいてくれる足立くんに、ありがたみを感じもするのだ。
 京ちゃんと山田が晴れて恋人同士となれば、色んなモノが変わっていくのだろうけど、変わんないものも当然あって、そういうものほど大事だったりするのだろう。

 原作では東屋の語らいで、小林に教えてもらうオーディションを京ちゃん自身が気づく形に変わったので、女子は女子でおバカに仲良く過ごしている裏で、意味深な顔を見せる山田……それを見守る親友の顔も、ちいと意味合いが変わって面白い。
 何でもかんでも言葉にするのではなくて、自分の中で複雑に噛みしめる大人っぽさを、山田一派でもいっとう子どもっぽい(その純粋さが良い)小林もまた背負っていて、それが山田と共鳴している感じになっていた。
 携帯電話に刻み込んでいた、夢の名残を消そうとして消せず、しかし直面して向き直ることも出来ず、宙ぶらりんで画面だけ消してしまう山田の迷いや弱さは、大人と子どもの間に立っている彼らにとって、大事にされるべき豊かさの影でもある。
 そうやって色んなことに迷って、迷う自分も受け止めてもらえる誰かと繋がって、見えたものが沢山あるからこそ、山田はこの修学旅行に来て、夢に迷ってもいる。
 答えが出ないけど……あるいはだからこそ大切なジレンマの真ん中で、どこか出発前の京ちゃんに似た迷い方をしているヒロインが描かれて、お話はもう一つギアを上げていく。

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第24話より引用

 鏡像関係は、クラスの底辺と頂上に見えて似た者同士……であることを、触れ合いの中で確認していった二人を描いてきたこのアニメにおいて、とても重要なモチーフだ。
 山田は窓ガラスの鏡に写った自分の夢を、諦めきれずに窓辺に沈み込むし、同じポーズで京ちゃんは自分の至らなさを嘆き、変われていない己に涙を流す。
 アマチュアの『ただただ好き』では終わらず、好きを仕事に繋げるために付箋張って幾度も練習してきた”秋野杏奈”の頑張りを、自分の指で引っ剥がす痛みに共鳴して、京ちゃんはうずくまり、他ならぬ山田が貸してくれた漫画から生まれたもう一人の自分との対話を経て、立ち上がり駆け出す。
 時に自意識パンパンの思春期ボーイの面白さを引き出し、時にその生真面目な良さを形にしてくれた、京ちゃんと同じ顔をした名助演、最後の見せ場と言ったところか。

 自己投射・自己投影の乱反射が随所に見える作品の中で、否定と深慮を繰り返す内省のプリズムを、イケすぎてるイマジナリーな自分との対話としてコミカルに、時に熱く描いてきたのは、とてもこのお話らしい”発明”だと思う。
 僕はイマジナリー京太郎のキャラも存在も好きで、思慮深く感じやすく、だから傷つきやすくて立ち止まってもしまう京ちゃんが、露悪の鎧の奥に隠しているものが良く出ている奴だと感じてきた。
 個別の意思を持ったキャラクターのように描かれながら、京ちゃんは彼が鏡写しの自分でしかないこと、その提案や対話は全部自分自身の内言であることを、しっかり認識している。
 彼が手渡す甘い夢や市川京太郎への信頼、『まさかね……』と打ち消してしまう未来を俯瞰で見据える視線は、全部京ちゃん自身が自分や世界を見つめるための、大事なレンズだ。

 彼が自分に投げかけてくるものが、あくまで自分の望みや認識の鏡像であって、答えを導くためにあえて否定するべき仮定をするのも、賢い少年の内省を分かりやすく描き直しているにすぎない。
 しかし自分ひとりなら迷宮入りしてしまいそうな悩みも、自分でありながら他人でもある『もう一人の僕』という鏡を使うことで、逡巡を踏み越え行動へ進み出す道へ、幾度も導かれてきた。
 そういう存在を京ちゃんが生み出して、ちっぽけで偉大な一歩を何度も踏み出してきたのも、そんな風に自分とよく対話して、本当はどうなりたいのか、何をしたいのか、身悶えしながらもちゃんと見据えて選べるようになった切っ掛けが、やっぱり山田杏奈なのも、僕は好きだ。

 

 山田が好きになってくれるだろう、少女漫画のヒーローみたいな自分を求めるようになって、京ちゃんはもうひとりの自分とよく話すようになった。
 鏡の向こう側、ひとりきりのベッド、あるいは人生勝負の土壇場で、一番身近な他人として、市川京太郎を客観視し、本当に大事なものを(この作品らしい愉快さで)手渡してくれる、大事な相棒。
 俺は彼が好きだったので、イマジナリー京太郎に導かれるように窓辺に出て、山田が何に苦しんでいるのか、自分が何を見落としたのか、京ちゃん自身が見つける展開になったアニメの変奏を、すごく良いなと感じた。
 受験失敗に傷つき、悪しざまに何かを罵りヤバくなることで自分を守ってきた京ちゃんが、今更取り戻しも進み出せもしない、どっか遠くにある理想像。
 それは手の届かない彼方にあるようでいて、自分の手で引き寄せられる/引き寄せるしかない現在の延長線上にしかなく、そんな人生の厳しさと尊さをなんだかんだ、ちゃんと理解ってる京ちゃんはなりたい自分になるための助けを、自分の中から導き出した。

 そういう、イマジネーションが現実を変えていける可能性に思い切り踏み出せるってのも、思春期の特長の一つであり、ちょっとイチャくてスカしてる部分引っくるめて、現実にこすれつつも夢を見る十代の、大きな力が最後に、京ちゃんに行くべき道を示す。
 薄々感じ取って気にもしていた、山田の迷いと涙。
 京ちゃんはずっとそういうモノを見落とさない、強く正しく優しい人になりたいと思っていて、山田杏奈に恋をすることで、そういう自分を取り戻していった。
 だから告白へと至る最後の一歩を、間違いなく京ちゃんであり、京ちゃんとは似ても似つかない彼の後押しで踏み出すのが、俺は凄く良いなと思う。
 それは京ちゃん自身が選び取って辿り着く場所であり、色んな誰かが助けてくれなければ辿り着けない場所でもあるのだ。

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第24話より引用

 さー物語が決着する場所へ、行けよ走れよ市川京太郎!
 ……って思ってたら、『そうはならんやろ……』っていう勢いで状況がゴロゴロ転がり、まさかまさかの女部屋乱入!!
 一触即発の激ヤバシチュエーション、最後の最後まで京ちゃんの青春は波乱万丈だぜ~~ってところで、次回最終回に続くのであった。
 『遂に往くのかッ!?』と思わせる激エモBGMでの全力疾走から、あっという間にコメディ時空に引きずり込まれていったの、大変このお話らしい引きで素晴らしかったです。
 このトホホでギャフンなところも愛おしく、ずっと見させてもらったお話だから、最終話一個前にそういう面白さを元気に暴れさせて、たっぷり味あわせてくれたのは嬉しかった。
 俺は僕ヤバの、色んなところが好きだ。

 

 というわけで、賑やかで思慮深い最後の大イベント、青春修学旅行でした。
 ぶっちゃけ先週までは『話数足んねぇ!』とか思っていたのだが、最終章を前後編にしてくれたおかげでじっくりどっしり、僕ヤバアニメどんな話だったか思い返しながら楽しむことが出来て、大変良かったです。
 事件の順番を入れ替えて、来週待ち構えるだろう最大級のエモーション炸裂が一番響くように、お話を整えてくれたのも良かった。
 小林に教えてもらうのではなく、京ちゃん自身が山田の秘密に気づく作りになって、当事者性が上がったと思いました。

 すれ違ったり立ち止まったり、踏み出して触れ合ったり。
 微細に震える心を寄せ合って、共に青春を駆け抜けてきた物語も残り一話。
 皆が知ってて、でも言葉になっていない京ちゃんと山田の思いを、アニメがどんな風に描いてくれるのか。
 来週がとっても楽しみです。
 色々あったけども、良いアニメ化でありいいアニメだったなぁ……。