イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

響け! ユーフォニアム3:第9話『ちぐはぐチューニング』感想

 基準音たるB♭、北宇治吹奏楽部に未だ鳴り響かず。
 遂に吹き出した不協和音が、未解決のまま明暗を彷徨う様子を丁寧に追いかけていく、ユーフォ三期第9話である。

 

 シリーズを通して反復され、前回特に顕著だった視線の衝突とすれ違いは今回も元気……なのだが、安全無事な聖域だったはずの麗奈との関係が揺らぐ今回は、視線が見えないこと、遠くにすれ違っていくこと、そうなる原因たる決意の拳が、かなり目立った。
 身体言語への猛烈なフェティシズムはユーフォという作品……を通り越して、京都アニメーションという創作集団の一つのアイデンティティだと思っているが、話数ごと、担当作家ごとに焦点が微妙に異なり、それが各エピソードごとの味わいとして立ち上がってくるのも、また面白いものだと感じる。
 100人の人間集団が一丸となって全国を目指せるよう、必死に背伸びし顔と声を繕って、”部長”をやってきた久美子。
 ソリ落選の衝撃が彼女と彼女の北宇治を揺らす中で、それでもなお相手の顔を見てなんとか笑顔を浮かべ、バランスの良い中間地点をプカプカ漂う姿と、その浮ついた姿勢が受け止めきれない歪みが、今回も適切に描かれていた。

 真由との間に漂う窒息性の微笑合戦から、一息ついて本音で向き合える聖域だったはずの麗奈との距離感が、滝昇という指導者をどこまで信じるのか、個人としての心情と部長としての責務が衝突した結果、ヒビが入って離れていく。
 おそらくアンコン編から意図して積み上げられてきた、『立派になった黄前部長』が崩れかける衝撃と合わせて、かなり綿密な作劇犯行計画を感じさせる、重めの転換点である。
 今回のエピソードが前回の衝撃を加速するのは、問題なくハッピーエンドまで駆け抜けれると信じるに足りる久美子の成長も、色々難しいものを抱えつつ部を切り盛りしているトロイカ体制の安心感も、物語の開始時から勝つための正解を与え続けてくれた滝昇という存在も、全てが揺らぐからだ。
 絶対に安心だと、積み上がった数多の物語への信頼と愛着を裏打ちするように、これまで炸裂してきた部活の悪性腫瘍を未然に取り除き、大人びた姿勢で上手くこなしきた、三年生の久美子。
 そのあり方がこれまでと同じく、揺らがぬ己と未来をずっと探している、一生懸命で不安定な思春期のままだというサインは、頼れる成長を描く筆の中に、かなり精妙に、誠実に埋め込まれてきた。

 

 真由と心一つで向き合いきれていない、極めて”ユーフォ”の主人公っぽくないスタンスがソリ選抜で内破し、答えを見つけられない不安定を更に突き崩すように、悲願の全国金賞に向けて迷いつつ新たな挑戦に挑む滝先生が、部活をまとめきれていない現状も暴かれていく。
 その不和が、滝先生のことが好きな麗奈の根源を揺らし、彼女はまるで出逢ったばかりの頃のような、剥き出しの鋭さを久美子に向けて宇治川の橋の向こう側へ、去っていってしまう。
 起こってほしくなかったが、これが起きなきゃ”ユーフォ”じゃないと確実に言える重たさと歪むが連打を叩き込んできて、見ている側の負担はなかなかに大きい。
 それ以上にキツいだろう久美子が、一年のときのように真っ直ぐ泣きじゃくるでもなく、フラフラでもなんとか顔を作って苦笑い一つ、足を止めずに日々を生きている様子が、何より堪えた。

 アンコン以来見せられてきた頼れる部長さんの勇姿が、全部ウソだったわけじゃない。
 でもそれが全部じゃなかったから、今こんなことになっていて、それでもなお久美子は自分を前に進めるために、友達に言うべきことを告げて、ひどい顔だと解りつつ”部長”の表情を造って、心のわだかまりを直接、滝先生に聞きに行く。
 その姿勢は、望んでないオーディションに一歩も退かず、本気でやったから部長をソリから追い出して、なんか悪役っぽい立ち位置に予想通り押し込まれて震えている、真由と同じに立派な、思春期の肖像画だ。
 あるいは鬼のドラムメジャーの顔を作り、燃え盛る魂を三年預けてきた完全実力主義の厳しさを体現してきた麗奈が、部内に蔓延する不満や仲間からの反論に傷つきつつ、なお毅然と正論を背負う姿にも、痛みと毅然が同居している。
 そうやって、ぶつかり傷つけ合う誰もが何も悪くなくて、しかしそうなっていくしかない必然を丁寧に積み上げてくれることが、作中に生きて音楽をやる子ども達皆が必死で、本気なのだと証明してくれる。
 自分たちが生み出したこの子たちが本当に好きで、大事だからこそ、物語の中で起きていること、積み上がっていくこと、そこから広がっていく全てに、嘘はつけない。
 そういう作者たちの姿勢が、暗く重たくそれでも微かに、光が見えるエピソードに鮮明だった。
 俺はこのアニメの、そういう所が一番好きだ。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第9話より引用

 北宇治が選んだ完全実力主義は過酷に、表舞台に立つものとそこから締め出されるものを選別し、選ばれなかった奏は色んな人の視線を背負いながら、微笑んで去っていく。
 久美子の探るような視線を一瞬、目元の見えない暗がりで跳ね除けて、とても彼女らしい微笑みを造ってタフに退場していく奏が、影の中で何を思ったか。
 言葉や視線に込めたメッセージが、どう相手に響いて波紋をなしたか、見届けて確認して交錯させる(あるいはそれに失敗する)様子を濃厚に描いた前回に比べて、石立太一さんコンテ演出の今回は、伏せた視線が読み取りきれない場面が多い。
 それは不鮮明で不安な印象を探る側(久美子、あるいは彼女を窓にして作品世界を覗き込む僕ら)に与えると同時に、探られる側に見せきらない領域を残す、尊厳ある描写でもある。

 どんだけ器用に立ち回っても、他人の気持は見えきらないものだし、操作もできない。
 ”誓いのフィナーレ”で小器用に人間の間を泳いで、結果音楽に向き合いきれてない不誠実を背負っていた奏は、一年経って急に”良い子”になったわけではない。
 影の奥に相変わらずねじ曲がった性根と暗く燃える魂を確かに遺して、しかし久美子に手を差し伸べられ跳ね除け、なお踏み込んでぶつかっていく旅の中で、自分らしくない本気や本音を誰かに見せてもいいかなと、思うようになった。
 そんな今の彼女だからこそ、選抜から外れた恨みつらみを表に出さず、むしろ自分を覗き込む久美子の顔をこそしっかり見据えて、必要な朗らかさを作れもする。
 ずーっと彼女らしい解りにくさで、自分を変えてくれた恩人への愛と気遣いを画面に刻んできた奏は、”頼もしい黄前部長”が揺らぐ今回にあって、数少ない揺らがぬ足場だ。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第9話より引用

 ”頼れる黄前部長”を切り崩す(ことで、その外面の奥にある柔らかな中身を改めて問いただす下地を作る)今回、切開の筆は滝先生にも伸びてくる。
 北宇治を全国レベルまで引き上げた完全実力主義と、細部に拘る細やかな指導が生み出す緊張感と閉塞感を、橋本先生は剽軽を装ってなんとか切り崩そうとして、かつての合宿のように万座大爆笑とはいかない。
 それでも彼がおどけた様子で笑いを生み出し、自分のネタフリがちゃんと子ども達に届いているか、必要なだけの風穴を開けて”音を楽しむ”姿勢を作れているか、彼は極めて冷静に確認している。
 そんな彼が果たしてくれた役割を、葉月ちゃんがしっかり認識していることがコンビニ前の会話で後に解ったりもするが、まぁこんな感じで大人……あるいは大人びようと頑張っている子どもは自分の振る舞いがどう相手に響き、適切に何かを生み出せているかを確認し続ける。
 これは久美子や真由の、細やかな視線のやり取り、身体言語のせめぎあいを執拗に反復することで一つのルールとして、作品に刻まれたフェティシズムであろう。

 橋本先生の視線は生徒だけでなく、同じく無謬の大人として振る舞っている滝昇へも伸びる。
 『解ってますよ』と言わんばかりに結論を取り上げて、親友が生み出そうとしてる剽軽な空気を助けようとした滝昇に、橋本先生はくるりと振り返って視線を向ける。
 『本当に解ってる?』と問いかけるのは、彼が切り崩そうとした重たい空気、勝利至上主義の窮屈さが、滝昇の未熟さ故に生まれている現実を、指弾するでなく心配するトーンで伝えたいからだ。
 大人で指導者な、無謬なはずの滝先生もまた『音を楽しむ』という理想と、『勝つ』という現実の狭間で息苦しく生きている子どもの一人じゃないかと、橋本先生の視線は親友の不意を打つ。
 そこで意外そうな表情をするのは、そう問いただしてくれる対等な存在がいない、指導者……あるいは大人の孤独を語ってもいる。

 

 俯瞰で物語を見ている僕らには、鎧塚のぞみのオーボエソロを持ってしても『勝つ』ことが出来なかった去年の結果を超えるべく、滝昇がもがいてる様子が見えやすい。
 選ばれた落とされた、基準の見えない選別に振り回されるのはゴメンだ、信じきれない傷ついた。
 全国を目指すなら否応なく荒れ狂う、生徒自身が選び取った生々しい厳しさに当事者として向き合っている、作中の子ども達より少し遠い場所から、大人びて見えてまだ労政には遠い青年の顔を、見てやることが出来る。
 滝先生自身、子どもらに請われ亡妻の思いを継ぎ、全国金の栄誉を掴み取るべく迷いながら、この”三年目”に挑む当事者だ。
 傷つき悩むことがあっても、それをけして表に出さず……だからこそ生徒との距離も望まず開き、求めている音や音楽への姿勢が伝わりきらないもどかしさが、当たり前に彼を襲っている。

 それは多分一年のときにも、二年のときにもずっと彼の周りにあって、涼しい顔でなんでもないように薙ぎ払って結果を出してきた、滝昇の現実なのだと思う。
 久美子が演奏家としても人間としても身の丈を伸ばし、見えにくかった大人の難しさを組織のトップとして実体験する立場にもなって、ようやく顕になる部分なのだろう。
 そういう、今まで見えていなかったものが自分の側に寄っていく季節だからこそ、三年目にして滝昇の目指す音楽、彼が率いる完全実力主義の北宇治に、作品自体が疑問を呈している状況だとも言える。

 滝先生に委ね任せていれば全てが上手くいくという、無条件の盲信だけがこの物語の突破口になるのなら、みんなこんなに苦しんでいない。
 覚めた冷静さで何もかもを遠くに置き、客観的に上手くやる連中がどこにもいないからこそ、このお話はギスギス重たく何より熱く、たくさんの音を響かせてきた。
 その指揮者ではなく一人のプレイヤーとして、滝先生の横顔を削り出すタイミング……そういう”人間”の一人として彼を描くことでしか乗り越えていけない課題が、最後の物語でようやく顔を出した感じはある。

 

 滝昇にとって、橋本先生が改めて問いかける『音を楽しむ』とはどういう事なのか。
 それが彼を信じ疑う、100の個性と意思と脆さを抱えた彼の生徒たちと、どう響き合うのか。
 『勝つ』ために選んだ複数回オーディション制度、変更される編成への疑念が部に軋みを生み出す中で、そういう問いかけがより鮮明に、久美子の迷いと一歩に重なって描かれていく。
 それは未だ描かれざる新しい音で……黒江真由という三年目の異物と同じ、最後の物語だからこそ描くべき、描かなければいけない大事な主題なのだろう。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第9話より引用

 さて厳しさと当惑を秘めた練習が終わり、最後の合宿最後の夜となっていくわけだが。
 久美子を追いかけて声をかけた真由は、二人の現在地を象徴するような危うい階段の途中に配置されて、久美子はその声を完全に受け止めきれない。
 自分自身何をしたいのか、進路問題に結晶化しているように見えていない久美子にとって、過去の自分に似すぎていて嫌悪感が強い……ことを、心底受け止めきれてもいない真由への応対は、極めてストレスの掛かる難事だ。
 それでも感情剥き出しに跳ね除ける無様を、黄前部長は自分に許さず、なんとか顔を取り繕って礼儀正しく微笑み、不快な異物を置き去りにして去っていく。
 ここで久美子の欺瞞と弱さ、真由の必死な健気さをちゃんと書いて、愛着ある主人公を全肯定せず、三年目の異物を悪役色一色で染めない所が、僕は好きだ。

 ユーフォニアムという、抱えなければ持ち運べず、しかし一人で動かせるサイズの楽器がこの場面の演出装置として、極めて有効に機能していると思う。
 ユーフォを体の前面に抱えた姿勢は、傷つきやすく揺らいでいる自分の心身を守り、抱きしめるポジションと重なる。
 それは真由の言葉を自分に響かせず、ぐじゃぐじゃな自分を守る盾として機能し、あるいはその侵入を防ぐ境界線として冷たくそそり立つ。
 久美子が北宇治入学以来迷いながら鍛え上げた、『上手いユーフォ奏者である』というアイデンティティは、この楽器を持っていなければ果たせないが、少なくとも友達と向き合うときにはこれを手放さなければ、胸の奥にあるものを真実曝け出し、繋がることは難しい。
 真由もまたユーフォを手放せない鏡像関係が描かれつつ、幾度目か二人の接触は表面上大きな問題なく転がり、しかしその深部では何も生み出せずすれ違う。
 (部長として誰かを説得する時、胸に手を当て心を差し出す身体言語(真心のディスプレイ行為)を幾度も久美子が行ってきた描写もまた、ここでのユーフォの盾/壁を印象深くしているかな……)

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第9話より引用

 ユーフォにしがみついてバチボコ殴り合うのは映画で終えたッ! つう奏とは、壁のない柔らかなつながりが温かな日差しの中で出来る……と思いきや、滝先生への不信感が言葉にされた瞬間世界が冷たい闇に閉ざされ、立木の三叉が二人の間に確かにある断絶を可視化するの、まー意地の悪い演出だなとメチャクチャ思ったけども。
 とにかく息苦しく落ち着かない画面と展開が続く中で、僕ら視聴者はどっかに体重を預けて呼吸を整えたいと、必死で安息の地を探しているわけだが、奏も秀一も麗奈も、かつて確かな関係を結んだ人たちはいらがっぽい他者性を必ず孕んで、久美子と僕らを安心させてくれない。
 物語の始まりからずーっと一緒に頑張ってきた北宇治カルテットですら、答えのでない問題にそれぞれの立ち位置を持ち、それぞれ個別の考えを持っている。

 しかしブラスバンドが単一の楽器では成立し得ないように、部活という社会集団、思春期という時代を差異と衝突に向き合えばこそ面白く描いてきた物語が、早々簡単に完璧なユニゾンにたどり着かないのは、とても誠実な話運びだと思う。
 ある点においてはかけがえない特別をお互いに重ね合い、ある点においては譲れぬ軋みを表に出し、それでもなお、だからこそ豊かに響き会える人間同士の世界。
 それを切り取り続けていた筆が、前回から遂に本腰を入れてカデンツァに入ってきた感じがあって、正直待ってましたと興奮もしている。

 

 奏は選ばれなかった苦しさも、慰めてくれるという甘えも楽器を抱えず曝け出して、そのあけすけな表情に誘われて、久美子はユーフォを置いて向き合うことが出来る。
 それは真由と向き合う時、絶対に視界を塞いでくる『どっちが上手いのか』という生々しい問いかけを、A代表に残らなかった奏は突きつけてこないからかもしれない。
 そういう極めて生々しい、完全実力主義の一つの顔を確かに備えつつも、賢く視界が広い奏が苦しそうな久美子を思って、その顔色をちゃんと見つめながら戯ける様子は、なんともチャーミングでありがたい。
 笑いの温度管は違えど、どっか橋本先生に似たクレバーな道化ぶり……というべきか。

 無論久石奏はそれだけで終わる少女ではなく、部……特に二年生以下に漂う重たい瘴気を”部長”に届ける、かなり厄介で難しい仕事も果たす。
 これまでの物語を折に触れて思い返し、そこで傷つきながら選んだ言葉間違いではないのだと確認するように、部長としての責務を果たしてきたここまでの久美子が、極力見ないようにしてきた疑念。
 それが想像よりも大きく無視が出来ない影に育っていることを、奏の言葉は再度可視化する。
 それは最初のオーディションの時、美玲が『部長相手だから告げた』不信と良く似ていて、後輩を思えばこそ黄前久美子は、今度こそこれを無視できない。
 演奏の制度を担当するドラムメジャーと、人間の和を保つ副部長。
 その両方の仕事を兼任して背負わなければいけない、部長だからこそ奏(が代表して部長に預けた、不定形の声)が差し出してきた暗さを久美子は無視できないし、無視してはいけないとそれを見つめ直す。

 ダメ金で終わった去年より先の景色を見るために、打てる手を全て打って『勝ち』に行ってる三年目の北宇治。
 その変化は麗奈が正しく告げるように必要な軋みで、しかしその嵐に巻き込まれる当事者は高い位置から自分が置かれた場所を、俯瞰で見通すことが難しい。
 その難しさが滝昇自身に無縁ではないことを、だんだんこのアニメの画角は告げつつあるけども、久美子もまた滝先生と共に歩んで、本気だからこそ涙する自分の音を好きになれた日々を、一回見下ろす必要がある。
 その明暗の決定的なところを、去年本気で向き合ったからこそ思いを曝け出し伝えてくれる、久石奏が背負うのは、彼女たちが好きな自分としては嬉しい。
 それにしたって、マジで急に影濃いな……。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第9話より引用

 華やかな花火にワイワイ騒げる無邪気は、役無しゆえの特権か。
 北宇治トロイカ全員が、葉月ちゃんと緑輝が最高の笑顔で浮かれる場所から遥かに遠い、影の中に身を置いているのはなんとも興味深い。
 それは奏と久美子に急に覆いかぶさってきた、完全実力主義の長く重たい切断面であり、滝昇が目指す音楽を飲み込みきれない未熟と、どうしようもない人間の当たり前が入り混じった、なかなか複雑な黒色に染まっている。
 正しい結論は解っているけど、気持ちが追いついていかなくて何もかも壊してしまう危うい影に、北宇治は一回飲み込まれて山盛り禍根を残し、その後処理に奔走した記憶があるから久美子も、過去の二の舞いはごめんと厄介事を引き受け頑張る。
 しかしその当人のどこにも預けられない気持ちは、これまでその重荷を一緒に背負ってくれた特別な友達との間に、裂け目を感じればこそいよいよ行き場がない。

 後輩たちが久美子が身を置く影に近づいて『私は部長の味方ですよ!』とつぶやいたところで、消えないモヤモヤがどっかに動くわけではない。
 そういう重荷を動かすには、心のなかに踏み込む特別な鍵が必要で、それを持っている麗奈はしかし、自分をソリからはじき出した滝昇の選択を、間違ってはいないと前を向きながら告げる。
 この一言を受け取った時、麗奈には見えない死角で久美子の瞳がどう見開かれたか、このアニメは精妙に描くし、その後麗奈に向き直るまでの一瞬で彼女がどう気持ちを飲み込み、適切な顔を作ったかも切り取る。
 三期の久美子はこの『顔を作る』場面がとても多くて、小社会の中で立場を得て、自分の感情表出一つが大きなモノを揺るがしてしまう責任を、ちゃんと認識している事実が鮮明だ。

 それは何もかも共有できる特別な相手でも……あるいはだからこそ取り繕わなければいけないもので、剥き出しの自分を叩きつける過去の黄前久美子流を、部長頑張る中で彼女自身が忘れてしまった手触りを、闇夜に照らし出す。
 先週描かれたように、久美子は過去の反復の中に自分らしさ、北宇治らしさ、”ユーフォ”らしさを見出し、今の自分が何を望みどんな存在か、どうなっていきたいかを可視化出来ていないように思う。
 この迷いが定まらぬ進路にも反射しているわけだが、眩しい光から離れているとは言え周りの目がある半公的空間において、久美子は麗奈が選び取った正しさに確かに傷ついた自分を、膝の間に飲み干して隠すことを選ぶ。
 その大人びた物わかりが間違いなわけじゃ、もちろん無い。
 でも知らず張り巡らしてきた透明な網が、久美子を捕まえて不自由にしているのも、また事実なのだろう。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第9話より引用

 網に捉えられている息苦しさから、久美子を解き放ち支えてくれていた麗奈との距離が、歪み壊れていく今回。
 その決定機を切り取るカメラは、極めて繊細で的確だ。
 麗奈は下級生がなんとなしに口にした指導者への疑問を、ドラムメジャーとして、滝昇を幼いときから知り愛している一人間として、聞き逃すことが出来ない。
 彼女が部内にはびこる不満に向き合う時、立場論を越え私的な感情が必ず入り込んでくることを、幾度も強く握りしめる拳のアップは語っているが、しかし私情だけで動いているわけでもない。
 彼女は甘さを排除して最上の音楽を目指す、ドラムメジャーの責務として”も”指導者不信を見過ごせず、座ったままな久美子を置き去りに立ち上がって、下級生に睨みをきかせる。

 この苛烈さは揺るがぬ頼もしさで部全体を包み込み、あらゆる意見をすくい上げてよりより部活を目指す、部長の立場からは踏み込めない正しさだ。
 100人の構成員がそれぞれの思惑と弱さ、輝きと尊さを混ぜ合わせて『勝ち』を目指す演奏集団において、求められる機能やあり方は多様で複雑であり、そのトップに立つ幹部は特にそうだ。
 個人的感情だけで物事が動く、数年前の腐った北宇治に戻らぬためにも、過大な責任を三人で分割して背負い、目指すゴールへと進んでいく未来を、優子たちは久美子に託した。
 そんな先輩たちの想いに応えたいと、健気に頑張ってきた結果生まれる亀裂が、麗奈と久美子の間にズレを膿み、その顔を見えにくくする。

 この場面から段々と久美子と麗奈を別々のフレームに切り取り、隣り合っているのに重ならない違和感を強調するレイアウトが目立ってくる。
 これは北宇治の三年間を良く知らず、だからこそはじき出されてきた(そこに甘んじず歩み寄ってきた)真由が久美子と接触する時、多用されてきた画角だ。
 麗奈が北宇治のドラムメジャーとして、高坂麗奈一個人として、苛烈な正しさを後輩に振るうべく立ち上がったことで、座りっぱなしで自分の位置も定められない久美子と、捻れた位置に麗奈は置かれる。
 そこでは麗奈が頑なに握りしめた拳は見えても、伏せた顔の奥でどういう目をしているのはなかなか解らなくて、何もかもあけすけに共有できるようでいて、思えば二人はずっとこの距離、この位置にも立っていたことを教えてくれる。

 

 俺は今回、麗奈の拳が固く握られ震えている様子が、幾度も描かれるのが好きだ。
 滝昇を信じ支えにして突き進んできた自分の生き方を、先生が微笑みの奥に秘めている痛みや熱を、知らぬまま自分の弱さを覆い隠している連中に、麗奈は怒っている。
 その憤怒はずっと彼女の中にあって、ドラムメジャーという要職を任されるほどに成長して、実際その責務を果たすべく頑張って顔を作って厳しくやっていく中、上手く手綱を付けられていた獣だ。

 でも黄前部長ソリ落選の衝撃が部を揺らす中で、その手綱が緩む。
 走り出した獣が自分の大事な何もかもをぶち壊してしまわないように、厳しくも正しいドラムメジャーであるため”も”、麗奈は拳を握っている。
 それは心の震えを苦笑いでごまかしつつ、傷だらけのまんまなんとか部長であるために必死に頑張っている、久美子と同じ……そして決定的にズレた立ち姿だ。
 三年生になって、去年より一昨年より高い場所にたどり着くために選ばれた『勝つ』ための責務を背負って、だからこそ生まれる立場と感情のズレが、私的な熱量と視界の悪さに入り混じって、不鮮明な航路を刻んでいく。
 でも思い返せば、そんな重たい迷妄もまた……あるいはそれこそが”ユーフォ”だったのではないか。
 周到な準備の果て、遂に大きく何かが軋む今回、物語は僕らにそう問いかけてくる……ような気がする。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第9話より引用

 そんな久美子の軋みから近くて遠い場所で、真由はつばめに誘われて儚い線香花火で己を照らす。
 ここはつばめが適度に真由を『見ていない』事が、とても印象的な場面だ。
 久美子といる時、あるいはつばめを前にしているこの瞬間にも、真由はずーっと語りかける相手の方を見ている。
 自分の発言が場違いではないか、相手に自分を攻撃するきっかけを与えないか、最適な言動はどこにあるのか。
 シャッターチャンスを探るカメラマンのように、被写体になるのは常に自分ではない誰かであって、自分が何かにこだわりしがみつくからこその熱は、真由からは常に遠い。
 そこにある種の嫌悪と諦観を抱いていることは、既に久美子相手に(ずっとその言葉の響き方を見つめながら)語られたとおりだ。
 相手の反応を探り探り、眦に疲弊を宿して笑う表情はかなり痛ましくて……どこか久美子に良く似ている。

 隣り合う特別な誰かもいないまま、真由は自分に手を伸ばしてくれたつばめをじっと見て、自分の耳で聞き届けた彼女の演奏を、それを自分がどう思うかを語る。
 その時見つめているのは線香花火の輝きであって、まゆがこの言葉をどう受け取るかは気にしていない……というか、真由に解釈と反応の自由を委ねている感じがある。
 部内の立場を気にせず音のみで判断するこの姿勢が、他人の音を聞けないから実力を発揮できなかったつばめからでてくるのは、なかなかに感慨深い。
 そういう”歴史”もまた真由には馴染みがないけれど、自分を過剰に見つめない……久美子とは違った角度で受け止めてくれるつばめとの対話が、転校生であり楽しさ優先で確かな実力を持つ、今までの”ユーフォ”が向き合ったことがないタイプの難しさを抱える彼女の息苦しさを、少しだけ楽にしてくれるといいなと思う。

 

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第9話より引用

 今回はまぁまぁ順当に進んできた(ように思えた)三期の支えを、軒並み切り崩す回なので、幹部会の方向性もバラバラになり、普段は余裕がある秀一の態度も余裕がなくなってくる。
 求くんをビビらせていた不機嫌は結局、久美子を思えばこその苛立ちであって、例な相手にもでない飾りのない声で、久美子は幼馴染の見えない顔をちゃんと見て、崖っぷちでギリギリ心をつなぐ。
 ぶっちゃけアニメ版の秀一は、相当に蔑ろにされてる可哀想なポジションだと思っているけども、しかし部内の人情制御担当としても、他に代えが効かない久美子の特別としても、かなり大事な仕事を果たしてくれる。
 なかなか素直になれない幼馴染の本音を、背中越し聞き届けた久美子はニンマリ笑って、ちょっと気まずそうに視線を合わせてくる秀一相手に、持ち前の元気を少し取り戻す。
 そのちょっと幼い表情も、黄前久美子の沢山ある顔の一つだ。

 そして明暗バッキリ別れ、ご丁寧に非常口への誘導灯まで瞬く構図の中で、久美子は真由の歩み寄りを明確に跳ね除ける。
 畳の縁という境目を、伸ばした指先が越えて親しさを示している秀一との対峙と、全く真逆のピリついた空気がここには漂っていて、受け入れるのが”正しい”と解りつつどうしても跳ね除けてしまう、真由の生き方がどんだけ久美子に染み込まないのか、改めて感じさせられる。
 自分がソリに選ばれた後のあの空気を吸ってしまったら、そらー真由も幾度目か辞退を切り出したくもなるだろうけど、久美子としても『これまでの北宇治』を否定することになるその提案を呑むのはどうしても出来なくて、しかし『お前は特別ではない』と突きつけられるソリ落選は、あまりにも苦い。
 加えて自分が選ばれなかったことで、『頼もしい黄前部長』の求心力でまとまってきた北宇治に動揺も走ってしまい、雁字搦めで出口がない。
 蜘蛛の巣に囚われたアゲハ蝶の暗喩は、全く持って正しかったことが今回、改めて反復されていく。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第9話より引用

 合宿を終えても絡みつく不自由は消えてくれず、リーダー会議は重苦しい空気に包まれる。
 苛立ちを交えて他人の弱さを切り捨てる麗奈は、一年の頃を思わせる苛烈さで周囲を突き刺すが、それはストイックに良い音楽を追い求め誰よりも己にこそ厳しい彼女の、譲れぬ本質だ。
 人の良い秀一がその厳しい正しさの側にどうしても立てないように、麗奈も間違っていないはずの自分をけして捨てれなくて、歪な三角形に立ち位置を切り取られながら、三人は湿度の濃い摩擦熱を高めていく。

 嫌味と言うにはあまりにあまりな、秀一の『正論ごもっとも』に傷つくのはよく解るのだが、そこで久美子が自分の側に立ったことでむしろより深く衝撃を受けるのが、すげー高坂麗奈っぽく感じた。
 どっちつかずの柔らかな作り笑いでリーダー会議をギリギリ成立させ、他人の目が入らない本音の現場でも、取り繕った表情で何かを覆い隠す親友の態度こそが、麗奈を一番傷つける。
 何も覆い隠さないでいられる特別さを、青春全部賭けて一緒に音楽する中で積み上げてきたからこそ、麗奈と久美子は過大な責任を両肩に分け合って、一緒に進んでこれた。(秀一もいるよッ!)
 そういう相手だからこそ、真実心から麗奈のソリッドな実力主義、滝昇への信頼と愛情に心底共感しているわけではないと……それでも友達が傷つかないように安全な方を選んだのだと、麗奈には解ってしまう。
 その苦しさが、麗奈を久美子から離れた場所へと運んでいく。

 

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第9話より引用

 永遠に安定しているはずだった久美子と麗奈の絆を、引き剥がしていく離岸流は学校越えて帰り道のコンビニでも暴れるわけだが、その前段階でいつも仲良し北宇治カルテットが、それぞれの考えをしっかり持った高校3年生、あるいは吹奏楽奏者であることも描かれていく。
 滝昇の判断に疑問を抱く緑輝と、部内の雰囲気悪化を気に掛ける葉月ちゃんの間に立って、麗奈を背後にかばう……ようでいて、その顔が伺えない場所に立つ久美子は、相変わらず曖昧な微笑みで場を取り繕って、自分が信じた(はずの)完全実力主義が生み出す軋みを、なんとか抑えようと悪戦苦闘する。
 この煮え切らなさが再び麗奈を遠ざけ、凄く遠い場所まで押し流していってしまうわけだが、ここで葉月ちゃんが自分の演奏家人生に真摯に向き合い、強く拳を握って自分の考えをちゃんと述べるのが、凄く良いなと思った。

 緑輝も麗奈も久美子も、最初から吹奏楽の素地がしっかりあって、一年から代表に食い込んでいたエリートだ。
 対して葉月ちゃんは未経験者として部活動に勤しみ、三年目にしてようやく代表の椅子を手に入れた、『滝昇に上手くして貰った』側である。
 それは奏や美玲が危惧する盲信とは違った、強い意志と自発性のこもった信頼であって、確かに滝先生を信じきって望む未来を掴んだ者の、揺らがぬ心が握りしめた拳には宿っている。
 葉月ちゃんも久美子とは違った意味で北宇治完全実力主義の申し子であり、試され比べられる厳しさと、選ばれないモナカな立場から向き合ってきた。
 そういう人が、滝昇の選択も決断も間違っていないと告げることには、凄く大きな意味があったと思う。

 それは確かに間違っていない。
 しかし真上から仲良し四人組(-麗奈)を切り取ったバロックな夕景が示すように、同じ距離感同じ温度同じ方向でもって、一つの音になれているわけでもない。
 「でもそのバラバラって、ただギスギスして嫌なもんかな……?」つうことを、葉月ちゃんの真っ直ぐな視線は改めて問いかけているように感じた。
 いやー……”ユーフォ”難しいなやっぱ!

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第9話より引用

 そんな重たい難しさが極限に達するのが、オレンジと紫に塗り分けられた夕焼けの宇治川である。
 あまりにも美麗な色彩過ぎて脳髄痺れるが、そこに入り込む麗奈の殺し屋の目線がまた強烈過ぎて、どうにも心の持っていき場所に困る。
 行先も告げぬまま消えていった麗奈を追って、久美子はようやく彼女の顔が見える場所までたどり着くわけだが、目を見て話せる距離で暴かれるのは埋まらない溝と譲れぬ思いであって、隣り合って繋がれる幸せは、ここで決定的に二人を離れていく。
 順調に見えて息苦しい、精妙に久美子周辺の空気を切り取り続けてきた物語で、揺るがぬ息のつきどころだったはずの二人が、同じ画角に収まることもなく鋭く激しく衝突して、すれ違いながら傷つけ合う様子は、極めて”ユーフォ”的で美しい。
 まぁ、こういう話ですよ……。

 上手いことが至上な麗奈の生き方を、自分に引き寄せ特別にすることで、一年生の久美子は変わった。
 今回部長という立場、そこから生まれる広範な……あるいはどっちつかずで欲張りな態度を、麗奈を傷つけると知りつつ突き出す久美子は、どこか麗奈の特別さに引っ張られていた部分があった関係を、自分の選択で切り崩していく。
 この冷たく痛い離別も、極めて三期らしい自己批評的視線のもと、黄前久美子高坂麗奈、共に特別でありながら尊厳と意思を持つ個別の魂を、新たに削り出すための外科手術なのだろう。
 もちろん無麻酔、剥き出しで痛いのは当たり前だ!

 

 お互いのあり方を切り崩しあった後の更地に、新たな関係が築かれていくかは今後の展開次第だが、麗奈が滝昇への親愛と過酷ストイシズムを譲れなかったように、久美子もまた自分の信じる”部長”の在り方を変えれない。
 誰も取り落とさず、全員で同じ方向を向いて、最高の結末へとたどり着く。
 そんな甘っちょろい夢を完全実力主義の厳しさが、あまりに複雑な人のあり方が簡単には許してくれないことを、これまで山盛りにされた青春のグジャグジャから、あるいは現在進行系で暴れ狂う厄介な息苦しさから、久美子は学び取っている。
 でもそこに全部賭けて、沢山『頼れる黄前部長』の顔と声造ってみんなを導いてきた自分が嘘ではない……ここで譲って嘘にしてはいけないという矜持が、やっぱり久美子にもあるんだと思う。
 それはあの中学最後のダメ金で、ボケーっと麗奈の涙を見上げていた女の子が、ようやく掴み取った好きになれる自分の顔だ。

 それが大事な特別に決定的なヒビを入れるとしても、橋桁の隙間から相似形の断絶を切り抜かれるとしても、久美子は麗奈と同じにはなれないと告げることを選んだ。
 そんな決断がどれだけ麗奈を傷つけているのか、きっちり細やかな表情の芝居でえぐり取っているのがいかにもこのアニメであるけども、この鮮烈こそが”ユーフォ”という物語を先に勧めてきた記憶を蘇らせて、ズクズク痛みつつ興奮する場面だった。
 ここまで至ってしまったならここからしか始まらないし、別にこれが最後の曲じゃない。
 不協和音でも終止符でも、あらゆる音符の先にずっと物語は続いてきて、人間のややこしい部分も面倒くさい部分も全部ひっくるめて弾いてきたお話が、新たな場所へ進み出す。
 その予感は、やっぱり飛び切りの美しさの中で切り取られていて、大変良かった。
 良くねーよくみれい仲良くしててよー心が二つあーーーるッ!!

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第9話より引用

 一年坊主の頃なら泣きじゃくりながら駆け抜けていただろう帰り路を、久美子は結構落ち着いた歩みで進んで、『酷い顔してる』と指摘してくれるお姉ちゃんにボロボロのまんま、なんとか笑える強さを手に入れた。
 ただ強い思いに突き動かさされるまま、真っ直ぐひた走れた過去から遠い場所まで来てしまった自分を窓ガラスに照らしながら、久美子には振り回され傷ついた自分を客観視出来る冷静さと、出口が見えなくても足を止めないしぶとさが宿っている。
 知らず周囲を覆っていた見えない蜘蛛の巣に捕らわれて、必死にもがいてズタボロになったとしても、簡単には壊れず前に進み続けれる今の久美子は、やっぱ全部が全部間違いじゃない。
 そう思わされる。

 思えば北宇治に入ったばかりの頃、何もかも解ったようなフリをしながら冷たい態度で音楽を弄んでいた久美子が、他ならぬ麗奈と特別になる歩みの中で見つけた、自分の中の熱。
 それは消えてなくなったわけではなく、しかしそれだけで突き進める頃はもう結構遠くて、どんだけキツい現実が襲いかかっても、泣くほどじゃない揺れなさが、やはり寂しい。
 そういう久美子の隣に、あんだけぶつかりあったお姉ちゃんが極めて穏やかに、家族として当たり前の力の抜けたかでカレー掲げてくれているのが、俺には嬉しい。
 激しくぶつかりあったからこそ心の奥底が通じ、本気の涙を流したからこそ生まれる優しさに包まれるのだと、この衝突の先にあるものを見せてくれてる手触りが、お姉ちゃんと久美子との会話にはある。
 俺は……黄前麻美子が好きだから……。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第9話より引用

 今にして思えば、あんだけ同じ電車の両隣、イチャイチャベタベタ円熟の距離感で進んでいく二人を描き続けていたのも、ここで”刺す”ための前フリか。
 そう思わされる、電車と自電車に久々に別れた早朝の登校風景である。
 一人きりで座る座席はあまりに広いが、その殺風景が自分たちの現在地を冷静に告げてくれてる感じもあって、ベタついた感傷を切り離す現実の手触りを、黄前部長はしっかり見ている。
 麗奈の気配がない自転車置き場に、たった一人佇む自分を見据えるだけの余力が確かに、ここまで追い込まれた久美子にはちゃんとあって、改めてしっかり部長の顔を作って、いつもどおり誰よりも早く吹奏楽に向き合う。
 その強がりと背伸びは、朝日に照らされて爽やかに眩しい。
 その奥に流れ出さない涙を、必死に堪えているとしても……だ。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第9話より引用

 鍵。
 大人から手渡されるもの、信頼の証し。
 それを受け取れば吹奏楽だけやってる自分に戻れるもの。
 毎朝それを受け取るるーチーンに己を浸してきた久美子は、掌に強い感情を……引き裂かれてなお彼女の特別であり続けている麗奈がそうしたように宿して、その手を下へ降ろす。
 部長として、悩みを自覚した一人の演奏家として、今聞いておかなければ前へ行けないと感じたものへと、久美子は踏み出していく。

 丁寧に切り取られた決断のシーケンスから、一体何が飛び出すのか。
 戸惑い振り回され傷つけられた久美子が、その問いかけで顕にしたいものは何なのか。
 あるいは……そんな強く鋭い教え子の問を受け取り返すことで、滝昇の何が顕になっていくのか。

 暗く重苦しい闇と、そこに確かにある光を追いかけ編み上げながら生み出された物語は、留まることなく次の曲へと続いていく。
 そうやって色んな難しさと割り切れなさを、飲み干し噛み砕いてあるいはゴツゴツ難しい質感のまま、音楽に挑む青春を描いてきた物語が、新たに挑む物語の顔を、このアニメはどう画いていくのか。
 ここからのTVシリーズ最終章後半戦、そういうモノが山盛り見れそうで、心底楽しみだ。
 まだまだ、物語はここからだ。