イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ドリフェス!:第9話『Dear Dream全国行脚!!!!!』感想

響け! ユーフォニアム2:第9話『ひびけ! ユーフォニアム』感想


タイトルを背負って展開する田中あすか攻略エピソード最終編、ユーフォニアム二期第9話です。
ついに運命の日が訪れ、沢山の人の希望を背負い、青春探偵・黄前久美子が最後の事件に挑む!
という感じで、隠されていたあすかの過去と真意が明らかになるエピソード。
これまで引っ張ってきた謎の複雑さにふさわしく、複雑な感情の色、それを引き立てる演出の技巧、揺れ動く人間関係を繊細に切り取った、非常にユーフォらしい勝負回でした。
久美子が感じている混乱や屈折を素直ではない演出で繊細に描いた後、主人公が言うべき(主人公にしか言えない)一言で決着を付け、たどり着いた真実の演奏を非常にストレートな演出で見せる起伏の付け方が、圧倒的に豊かでした。
たしかに、二人のユーフォニアム奏者が心をつなげる今回は、このタイトルでなければいけないだろうな。

というわけで、作品最大の難敵であり、様々なエピソードの奥で存在感を強調されてきた田中あすかを、一気に攻略する話となりました。
一番色濃く描かれているのは久美子とあすかの交流なんですが、それ以外にも中川の本心とか、部のマドンナ・中世古が隠している母なる暗黒とか、麗奈が滝先生の過去に触れる瞬間とか、いろんなものが切り取られています。
じっくりと見ていきましょう。

 

今回久美子は難敵を前にしてずっと混乱していて、落ち着かない足を執拗に捉える演出が、彼女の困惑を伝えてきます。
山田シリーズ演出の足好きは今に始まったことではないですが、足だけではなく手やガラスに反射した顔、目を描ききらない構図を駆使し、『目と目が通じ合う、万全完璧のコミュニケーション』を徹底的に避ける今回の演出は、あすかの真意を見つけきれない久美子の心情を、複雑に乱反射させます。
元々久美子は他人の気持ちを素直に受け止められる『良い子』ではけしてなく、対話シーンでは基本的に目が泳いでいる子なんですけども、今回はそれを通り越して『思いを伝える目』それ自体が描かれない。
それは彼女が背負っているもの、背負わされている期待の重たさに、彼女自身が押しつぶされそうな状況を表しているわけです。

画角もまた大混乱を続け、あすかに限らず今回の『対話』は基本的に『ふたり』が同じ画面に収まることが少ない、『ひとり』と『ひとり』のコミュニケーションになっています。
あすかが父との関係を告白し、久美子が最大の混乱に飛び込んだ時は天地上下の区別すら破綻し、滅茶苦茶に転倒したアヴァンギャルドな画面構成が乱舞します。
たまに『ふたり』が映ったかと思えば、天井に据え付けたカメラで上から切り取ってくる(しかもうって変わって長尺)わけで、とにかく今回は真っ当に向かい合うような対話が少ない。
そうやって飢餓感を煽ればこそ、あすかと久美子がお互いの気持を吐露しあい、まるで子供のように素直な表情で肩を並べる演奏シーン、『ふたり』が並んで話している構図がくると、強い安心を感じる。
それはそのまま久美子の、そしてあすかの気持ちが揺れ動き、安住の地を見つけるまでの旅路なわけで、ストーリーの起伏をこういう形で演出するのは、非常にこのアニメらしい高度な屈折だなぁと感じました。


世界を歪めてしまうほどに久美子が混乱するのには、色んな理由があります。
青春探偵として様々な難事件に分け入り解決してきた久美子に、仲間たちがかける期待。
あすかが追い込まれている愛憎の迷路を、近すぎる間合いで見てしまった当惑。
好きだから踏み込みたいのに、けして他人を立ち入らせないあすかの性格。
そして何より、先輩として奏者として仲間として、あすかの内面に踏み込みたいと願う久美子自身の気負い。
実際にあすかに対面するまでの時間は、そういう様々なものを確認していく時間でもあります。

あすかの代打を務める夏紀と話し合い、思いを確認して背中を押して貰うシーンは、後に特大の爆弾を落とす中世古登場の前奏であり、夏紀自身の『本心』を確認してわだかまりを減らしていくシーンでもあります。
あすかとの複雑な対話を予見するように、曇りガラスで『本心』を隠した対話が繰り広げられるわけですが、夏紀自身は素直に気持ちを伝えています。

『あすか先輩が帰ってきた方がいい』
『私は吹けなくてもいい』
夏紀の健気な『本心』を言葉通りに受け止めきれないのは、背負わされた重荷でいっぱいいっぱいの久美子なのであり、ここでの精神状態があすかの家で本題が切り出されるまでの、ぎこちない展開と繋がっています。

そういう久美子の混乱を受け止めるのは『特別』を共有する麗奈であり、主人公の魅力に引き付けられた先達として、黄前久美子の魅力が何であるか、しっかり説明してくれます。
『ぎゅって握って、引剥したくなる!』の時の近すぎる距離感は、セクシュアルな危うさがみっしりと満ちていて、『ああ、ユーフォだ』という感じでした。
美少女のひどく無防備な言葉と感情を、特等席で共有できる特権を黄前久美子は持っていて、このお話はそういう危うい震えで満ちています。
今回久美子は田中あすかの過去と告白を最前列で受け止めるわけですが、麗奈がその資格を説明することで、(久美子自身は納得市内にしても)後の展開をスムーズにする地ならしを果たしているわけです。

それと同時に麗奈自身の物語も先に進んでいて、滝先生の寝顔を間近で見て、鍵を通じて身体接触を果たし、久美子が隠そうと思っていた奥さんの写真をついに目にします。
『無防備でパーソナルな領域に、土足で上がり込む』という意味では、こっちもあすかと久美子の関係を投射して展開されている感じですね。
惚れた男の指と触れ合った瞬間の恍惚も、このアニメらしい過剰さで表現されていましたが、そこに溺れる暇もなく、麗奈は滝先生の根源を目にし、真実に出会う。
今回のお話は久美子とあすかの話なので、滝先生を支配する死女を麗奈がどう思い、ここからどういう行動に出るかってのは次回以降に持ち越しですが、彼女の恋も否応なく次の段階に進んでいきました。
まぁ写真見て止まる慕情じゃないだろうし、どういう展開になるかなぁ……楽しみだ。


そして、中世古香織
元々彼女が田中あすかに屈折しまくった感情を抱いているのは描写されていたわけですが、後輩と個人的な空間に入ろうとするのを後押しした後で押しとどめ、まるで母親のように甲斐甲斐しく靴紐を結ぶ姿には、濃厚すぎる情念が込められていました。
ただ靴紐を結んでいるだけなのに、あの圧力、あの緊迫感が滲んでくるのは、本当に凄い。
あすかが一番重荷に感じているだろう『身勝手な愛情で、上から束縛する母親』のロールモデルを、無自覚にか自覚的にか香織が演じ、中世古香織をどうにかして田中あすかの心に刻み込もうとあがいている様子が、あのやり取りからは強く感じ取れます。
その愛情の鎖を、何がどうあっても受け入れられないあすかの頑なさも。

あすかが本心を吐露する相手に選んだのは、三年間一緒にいた中世古や部長ではなく、他人に興味が薄い久美子でした。
復帰作戦の実行犯として久美子を選び、夏紀に伝言を頼み、栗まんじゅうでその後押しをしているのに、いざ『二人だけの空間』が実現しそうになると息せき切って滑り込んでくるところに、ロジックを超越した黒い情熱を強く感じます。
ソロパートのオーディションでは頭で納得した『上手い人が吹くべき』というロジックに従おうとしたのに、あすかの過去に触れる特権を目の前で久美子が掻っ攫いそうになると黙っていられないあたり、香織の優先順にがどこにあるのか、彼女が何を抱え込んでいたのかが伝わってくる行動でした。

そんな香織の愛情は、母があすかを縛り付けるのと同じ身勝手さに満ちていて、どうあってもあすかはそれを受け入れられない。
香織の過剰な愛情に距離を取りたいあすかの気持ちは、久美子と手すりを二重に挟んで向かい合う、階段のレイアウトからも見て取れます。
自分を愛する人は、自分を所有しようとするから嫌い。
自分に無関心な人は、自分を縛り付けないから好き。
本来自由に歩き回るための靴である『スニーカー』を鏡にして、なぜ香織ではあすかの本心を聞き出せなかったのか説明する手法は、このアニメらしい見事な隠微さに満ちていました。
……逆にいえば、距離を開けられても他人を引き寄せる引力が、田中あすかにはやっぱあるんだろうな。

香織が靴紐を結び合わせる(あすかにとっては縛り付ける)時、あすかの表情は描かれません。
行為に没頭している香織には自分自身が死角になるし、第三者として居合わせた久美子の慄きは描かれていても、久美子が見ているはずのあすかは影になって描かれない。
ここらへんは『目に喋らせない』という演出指針を踏襲したものですが、疎ましい愛情に一瞬見せた本音をあすかはあっという間に取り繕い、いつもの軽薄な笑顔で「香織は可愛いね」と語りかけます。
公衆の面前で母親に殴られても、冷静さを維持できてしまう少女にとっては、そうやって仮面を貼り直すのは『いつものこと』であり、一年前の騒動もそうやって乗り切ってきたのでしょう。
『自制心』というには、それはあまりにも痛ましい処世術な気もします。


こうして香織の情念を点描してから、あすかと久美子は『家』にたどり着きます。
それはこれまで匂わされつつ、けして描かれることがなかったあすかのプライベート、本心、過去であり、どれだけ強く願っても香織が踏み込めない聖域です。
家に上がった後あすかが裸足であること、全てを告白し終えた後河原に向かう時あすかがはいているのが『サンダル』(香織が結んでくれた『スニーカー』ではなく!)であることからも、彼女が素裸の自分を久美子にだけ預ける特別さは、よく伝わってきます。

あすかはユーフォを吹くことで、父親を取り戻していました。
突然送り届けられた楽器と手紙はある意味呪いであり束縛なのですが、あるかは『自分の好きなこと』『自分が唯一自分であり続ける時間』として、母親と対立しながらユーフォの演奏時間を作り、『父の送ってくれた手紙の似合う自分』を維持し続けようと藻掻く。
そこには、他人(筆頭は母親)の感情に煩わされることを嫌い、ひょうげた仮面で距離を作って生きていく田中あすかとはまた別の生き方が、じっとりと刻印されています。

『他人なんてどうでも良い』とうそぶきつつ、あすかは他人を蔑ろにするこれまでの行動を悔いていて、父の実像に再開するために全国大会を目指した行動を『私利私欲』と切り捨てます。
部活を離れざるをえなくなった状況を『バチが当たった』と表現している以上、あすかは他人の気持ちがわからないわけではなく、自己防衛のために分厚く自分を鎧い、自分を求める人達を遠ざけて生き延びてきた、普通の女の子だというのが見えます。
しかしその言葉を聞くことが許されたのは久美子だけであり、『ユーフォニアムの音色』を受け取る自分の感性だけを頼りに、久美子はあすかを肯定する。
『普通の女の子』でいることを許されなかった賢すぎる少女と、難しいことはよく分からない『普通の女の子』は、巨大な裂け目を目の前にしつつこの瞬間、『音楽』で繋がり合うのです。
母親に与えられなかった、父に問うても答えられなかった愛情の答えを受け取ることで、あすかはようやく重荷を下ろし、一度も見たことのない笑顔を見せます。

久美子は母と子、父と子の間にある複雑な感情を分析したり理解できるほど、頭の良いキャラクターではありません。
格式のある家に生まれ、一分の無駄もない自室(六法全書がある受験生の部屋!)に閉じ込められ、正座という束縛にも慣れ親しんでしまっているあすかと、姉と触れ合いすれ違うことを許され、幼さと乱雑さを残した部屋で寝起きし、正座をすれば足を痺れさせる久美子は、違う人間です。
でもそういう無知さと差異は、コミュニケーションする種族としての人間の必然なのであり、そういう裂け目を飛び越える『なにか』があって初めて、人は繋がる。
『なにか』は時には音楽であり、非常に曖昧な『ユーフォっぽい』外見であったりしますが、人が人を『特別』な存在として選ぶ時、その激情は時にロジックを飛び越える。

ただ自分の感情の赴くまま、ポロっと出た言葉が人の心を打つ不思議な特質を持っている子であり、このことは事前に麗奈が指摘していたとおりです。
今回もあすかの懺悔の中にある倫理観や弱さについて考えるよりも早く、音楽家として優れた耳が聞き分けたあすかの叫びを本能的に信じ、グダグダ理屈を垂れるよりも早く『好きです』と叫ぶ。
母を『あの人』、父を『進藤さん』と呼ぶしかないあすかには、その叫びが何よりも必要だったのでしょう。
おんなじように愛を叫んでも、受け止められるどころか距離を置かれる香織を配置することで、久美子の特別さがより際立つ作りになってるのは、ありえないほど優秀な残酷さだと思います。


『スニーカー』を脱ぎ捨て『サンダル』を履いたあすかが、久美子と川を見ながら(二期一話で、麗奈と花火を見た『特別』なシチュエーションのリフレイン)『ユーフォっぽくない』と自分を称した時、やっぱり父からの手紙は呪いなのではないかな、と僕は思いました。
接触を断られ、それでも己の生業を刻みつけるように父から送られてきたユーフォは、あすかにとっては『似合わない楽器』だった。
父の望むような『ユーフォが似合う』子供にも、母が願うような『ユーフォを弾かない』子供にもなれないあすかが、久美子に『なれるはずだった、もう一人の自分』の幻影を見ているのだとしたら、それは『なれるはずだった、理想の姉』を無意識に重ねながらあすかに惹き付けられた久美子の思いと、複雑な十字架で交わっているわけです。

失ってしまった過去の幻影を重ね合わせつつ、同時に今目の前にいる、唯一単独の『特別』な存在として相手を見つめること。
コミュニケーションに必然的に付きまとう裂け目に絶望せず、幻影もまた人間の実像だと受け入れながら、静かに隣り合うこと。
一期のユーフォニアムが麗奈との間に未来に繋がる『特別』を新しく積み上げていく物語だとしたら、二期のユーフォニアムはあすかの過去に何もわからないまま踏み込み、すれ違った位置のまま手を伸ばして『特別』を回収する、そんなお話なのかなと、二人を見ていて思いました。

あまりにも難しすぎて、複雑すぎて、頑なにすぎる田中あすかという人間を、久美子は理解できないままだと思います。
それでも隣り合って、同じ場所を見ながら同じ音を聞くことは出来る。
香織と階段を降りている時は『ふたり』を隔てていた境界線(≒手すり)は、ラストカットにおいては護岸ブロックの凹みと言うかたちで周囲を埋め尽くしてはいても、『ふたり』の間に割り込んではいないわけです。

それは青春の季節の儚い煌めきなのかもしれないし、理解し合えたと思いたい気持ちが引き寄せる儚い幻想なのかもしれない。
『母親を説得する』という他人が願った仕事を、久美子は欠片すら果たさないまま、今回の物語は終わっています。
それでも、あすかが必死に自分を守ってきた鎧を外し、過去と真実、罪悪感と傷ついた感情を久美子に見せたこと、それを久美子が受け止め同じ音楽を聞いたことは、意味のあることだと思います。
それが『特別』ではない中世古香織を後景に配置することでしか描けない、残忍な『特別』であることも引っくるめて、青春探偵・王前久美子はこれまでとおなじように、思春期の難事件に居合わせ、踏み込み、率直で正しい答えにたどり着いたのでしょう。
それはやっぱり、良いことだと思います。

少女たちが己の本心を交わらせ、美しい音と光景が展開された後、カメラは破られた、補修された手紙にクローズアップしていきます。
それを破ったであろう『母』の束縛(もしくは愛情)に、今回久美子が成し遂げた冒険が接触すらしていないことを指摘するかのようです。
でも、ようやく他人を『家』に上がらせ、『部屋』を見せ、『裸足』で向き合えた田中あすかが己を取り巻く世界と戦う時、今回の冒険は何らかの変化をもたらすと思います。
その変化が、久美子が代表する北宇治吹奏楽部に田中あすかが帰還するという結末ならば、こんなに嬉しいことはありません。


田中あすかという謎をめぐるドラマ、このアニメを長らく貫通していたミステリーは、シリーズタイトルを冠する今回で一つの結末にたどり着きました。
ぶっちゃけ人間感情の謎をめぐるドラマとしてはこれ以上のピークはなかなか考えづらくて、こっから先何を描くんだろうかという疑問はあります。
が、全国大会本番はまだ先だし、劇的な変化を迎えたあとの少女を活写する筆の巧さも、このアニメの得意技です。
一つのクライマックスを見事に弾き終えた後、聞こえてくる次の曲はどんな調べなのか。
ユーフォニアム終盤戦、非常に楽しみです。

舟を編む:第8話『編む』感想

言葉の海を泳ぐ船は時間だって超えられる、辞書編纂お仕事系アニメ、新章開幕の第8話。
13年の時間をすっ飛ばし、完成に近づいた大渡海に、新たな仲間が乗り込んできたぞ! というお話でした。
青春時代を過ぎた馬締と西岡が、かつて自分がされたように若人を導いていく姿。
馬締とも西岡ともどこか似ていて、しかし自分らしい悩みと強みを持った岸辺さんの新しい物語。
新章を立てる意味がちゃんと感じられる、食べごたえ十分の話運びであり、時代が変わっても失われないこのアニメらしさも随所で輝いている。
新奇性と安定感を両立させた、非常に良いリ・スタートだと思います。

というわけで時間が飛び、大渡海完成間際まで状況が進みました。
ここまで見守った以上、船が編み上げられ世間に出ていくところまでしっかり見守りたいし、状況が変わったことで見せるだろう新しい困難、新しいドラマも見てみたいしで、仕切り直しは素晴らしい判断だと思います。
その時大事になるのは、変わった部分と変わらない部分を明瞭に見せ、時代が流れても作品の良さは失われず、新しい可能性が生まれてきていると視聴者に感じさせること。
新人が辞書編纂部に馴染むまでを手際よく、歯ごたえ十分に見せることで、今回はその難しい両立をしっかり果たしていました。

まずお馴染みのメンバーの話をしますと、馬締も西岡も13年分の年輪を刻んで、自分の居場所を探す青年から、自分が居場所になってあげられる大人へと立派に成長していました。
しかし根本的な部分が変わるわけではなく、馬締は相変わらず視野の狭い変人のままだし、西岡も調子のいいチャラ坊のまま。
それは欠点であると同時に長所でもあり、時代が流れても変わってはいけないものなわけで、馬締の言葉がうまく伝わらず関係がギクシャクするのは、困った状況であると同時に彼の成長を見守ってきたものには、不思議と嬉しいシーンでもあります。

岸部ちゃんとのファーストコンタクトを見ても、『相変わらず猫背で、動くときもワタつくなぁ……』と、このアニメの強みである丁寧な作画を活かして『馬締は変わっていない』と教えられる。
かつては振り回されていたそういう個性の乗りこなし方を13年の時間は教えてくれてもいて、不器用ながらも真摯な言葉を伝え、飲み会をセッティングし、かつて荒木さんがやってくれたような『良い大人』に成長している様子も、しっかり描かれています。
自分が乗りこなし方を覚えるだけではなく、香具矢というパートナーに支えられ、二人三脚で進んでいく様子もしっかり見えたのも良かったです。
馬締が自分らしさを完全に乗りこなしていては、香具矢が足らない部分を補い、彼の長所を最大限発揮させる頼もしさを画面に乗せることは出来ないわけで、いいバランスで成長と未熟、両方を感じることが出来ました。

Bパート頭、二人の食卓をじっくり流すシーンは結ばれた彼らがどういう関係を作れたのか、丁寧に見せてくれる非常に良い見せ場でした。
時間の変化と関係性の不変を同時に描くこのシーンは、は日常を非常に細密な解像度で切り取ってきたこのアニメの真骨頂と言うべきもので、非常に良かったと思います。
描写の情報量が非常に多くて、すっ飛ばされた13年の間におばあさんが亡くなったり、夫婦の関係が深まったりという変化を、一切台詞に載せなくても理解できるのは、非常にこのアニメらしい。
香具矢の口調やモノの食べ方がタケおばあさんそっくりになっていて、今は写真にしかいない彼女の気遣いが、しっかり継承されたことを教えてくれます。
これは当然、『タケおばあさんの仕草』をアニメに落とし込むことを強く意識し、実際に動画を作ったからこそ機能する演出なわけで、そういう作りは贅沢だし強靭だなぁと思う。
相変わらず真面目一本気な夫をしっかり理解し、お互いの目を見ながら豊かに暮らしている姿が食卓に焼き付けられていて、夫婦の空気が感じられる、穏やかで優しい場面でした。

俺の西岡も『離れていても、心は一緒だ』という言葉通り、最強の人間力を発揮して岸部ちゃんの心を繋いでくれました。
青年時代にあった一種の思い詰めた感じが馬締から薄れていて、冗談も飛び出す良い付き合いになっている所とか、マジ西岡お前……って感じだった。
飲み会に顔をだすのは自分のノスタルジーを満たすと同時に、人数が足りず欠点を補いきれない辞書編纂部の問題を、砕けた場所でチェックする意味合いもあんだろうなぁ……出来た男だ。


いつものメンバーが陰影のあるいい表情を見せる中、新キャラの岸辺ちゃんもそれに負けない魅力を、燦然と輝かせていました。
かつての馬締や西岡と同じように、辞書編纂という仕事に悩み、自分の居場所を探し求めている若者が、自分なりの向かい合い方で道を見つけるまでのお話がギュッと詰まっていて、見ごたえがあった。
馬締の不器用な真摯さ、西岡のそつのないフォローをしっかり受け取るだけではなく、『ファッション』という得意分野を活かして立ち位置を確立するところとか、非常に頼もしかったです。
やっぱ『自分なりに、自分に出来ることを、出来る限りやる』姿を見せてくれるとキャラクターを好きになるし、このアニメはその描写一切怠けんからな……キャラクターの血色が良いというか。

『右』の定義はあらきさんが馬締の心を、そして視聴者(と僕)の心をギュッと握り込んだ、この作品の殺し文句だと言えます。
時間経過に従い、新キャラクターが顔を出したこのタイミングで、確実に勝てるこのシーンをリフレインさせるのは、必然であると同時に新鮮でもある、凄い一手だと思います。
あのやり取りで馬締がどれだけ辞書編纂に引き込まれていったか知っている身としては、岸部ちゃんがこれから『アウェイ』で巧くやれてる確証を得られる、信頼のおけるやり取りでした。
くわえて言うと、馬締と同じ『正解』に岸部ちゃんがたどり着くことで、頼もしい主任に成長した馬締と同じ資質を、岸部ちゃんが備えている説得力も出てくる。
新キャラを作品になじませるためにも、13年という時間を超えて受け継がれるものを見せる意味でも、非常に豊かな繰り返しでした。

過去の遺産を有効活用するだけではなく、新しい衝撃でガツンと殴ってくるのを怠けないのもこのアニメの良いところ。
『紙』というこれまで触っていなかった、しかし非常に大事な分野に切り込んでいくやり取りは、岸部ちゃんの感じた当惑と好奇心が視聴者とシンクロするという意味でも、非常に面白い展開でした。
『右』や『西行』でもそうなんだけど、トリビアとして心惹かれる要素をうまく使いこなして、好奇心をぐいっと引き寄せるエピソードの造り方、挿入タイミングが抜群に巧いよね、このアニメ。
作中人物が心を動かされる要素に、視聴者も無理なく気持ちを引っ張られるので、劇中で起こっていることと画面の外で見ている僕らの間に、乖離が少ないというか。

紙への熱意、『ヌメリ感』の驚きは新キャラと視聴者を近づけるだけではなく、場に馴染めない岸部ちゃんが辞書編纂に前のめりになっていく起因にもなっています。
自分の居場所から追い立てられたと思い込み、馬締の不器用な対応にも戸惑い、未来への展望を見失っていた彼女が、一個ずつ足場を見つけ、『辞書編纂は、わたしの仕事なんだ』と納得するまでの物語。
これが非常にしっかり展開すればこそ、ただ懐かしかったり、時間の経過を感じ取ったりするだけではなく、なにか新しいうねりが物語に宿った興奮と、一つ確かな未来をキャラクターが掴み取った満足感とが、見終わった時に湧いてくる。
変化した状況を説明するだけではなく、岸辺みどりのキャリアメイクを抜かりなく描ききったことも、今回のお話の素晴らしさだと思います。


細かい部分でいいますと、13年前の『ちょっと昔な感じ』を小道具で出していたのがしっかり効いて、時間変化をスッと飲み込めたのが気持ちよかったです。
ブラウン管ディスプレイがCRTに、ガラケースマホに変わることで、馬締と大渡海が泳いできた時間が素直に感じ取れ、視聴者が置いてけぼりにならない。
細やかな美術は作品のリアリティを高めるだけではなく、こういう効果を狙っていたとも思うので、キレイに成功していて唸ってしまいました。

キャラクターが変化と不変を見せたように、美術もまた無言で『変わらないもの』の価値を語ってきます。
辞書が幾重にも積まれた辞書編纂部の風景、本流から離れつつも独特の存在感がある別館。
それは馬締の真摯さや、西岡の視野の広さのように、時代が流れ情報機器が進化しても失われない『紙の辞書』の価値を担保する、大事な足場です。
人間が言葉とドラマでもって表現するものを、動かない建物や小道具がどっしりと後押しする体制が揺るがないのも、このアニメが創作のカロリーを巧く使いこなしている証明だなと思うね。

13年の時間と新しい可能性という主軸をどっさり描くと同時に、今後の展開を予期させる細かい描写を挟み込んでくる巧さも、今回冴えていました。
『ヌメリ感』のある紙の制定はこの後も話を盛り上げてくれそうだし、松本先生の治りにくい風邪は今後訪れるだろう離別を予感させるし。
『最後まで走りきる』ために時間は飛んだわけで、物語が速度を上げていくための新たな燃料がどこにあるのか示す指示が明瞭だったのは、新章第一話として凄く良かったと思います。
まぁ笑顔で辞書完成を松本先生と祝えればそれが一番なんだけども、あの描き方だと確実に一発クルよなぁ……13年分の『成長』を今回巧く描いたように、時間が死を連れてくる宿命も、ネガティブなだけの描き方にはけしてしないと思うけどさ。


そんなわけで、過去と未来、変化と不変が交錯する、可能性の爽やかな風が吹く新章開幕となりました。
岸辺ちゃんの素直なキャラが非常にかわいくて、彼女の戸惑いと決意をぶっとくまとめる話運びとも相まって、一話でグッと好きになってしまった。
俺の好きな青年たちも13年経って立派に成長し、あるいは彼ららしさを損なわず、新しくも懐かしい魅力を強めてくれました。

これまで描いてきたもの、これから描かれるものをとても大事にしてくれていて、作品への信頼感がさらに増す、大満足の仕上がりでした。
長らく見守ってきた大渡海の渡航も、ついに大詰め。
ここからどんな困難が襲いかかり、岸辺ちゃんを始めとする新しい仲間たちと、どうそれを乗り越えていくのか。
舟を編む終盤戦、本当に楽しいし、楽しみです。

アイカツスターズ:第34話『おしゃれガールレッスン』感想

天まで届く階段は努力の欠片で出来ている、OPも変わって新章開幕、アイカツスターズ第34話。
新展開一発目はスターズのおしゃれ番長真昼が新境地を見せるお話で、ゲストキャラクターの陽性な気質にも助けられ、明るく楽しいエピソードとなりました。
『連載を任される人気モデル』という立場に戸惑いつつも、年上をおしゃれで引っ張る腕力で実力を証明し、いい具合に凄みと説得力を出す展開は、『アイドル一年生』から抜け出しつつある物語をうまい具合に象徴していました。
真昼個人の成長を見せるエピソードとして、お話全体の潮目を見せる初手として、なかなか良かったと思います。

というわけで、ゆめとローラの間に距離が空いたり、小春との離別を経験したりして、いろんなものが変わったスターズ。
気づけば3クール近くも積み上げてきているわけで、ぼんやりとした憧れを追いかける時代に区切りをつけ、別のステップに歩を進めるタイミングではあります。
今回は連載を任されることで『誰かの背中を追いかけるのではなく、誰かを背中で引っ張る立場になったよ』と宣言された真昼が、戸惑いつつ自然体で自分の強みを活かし、結果を出す話でした。

美組に所属する真昼の強みは当然『美』でして、今回で言えば化粧。
具体的かつ細やかなメイクレッスンで、一手ずつヤンキーたちを魔法にかけていく描写には、『これが真昼の強さだ!』と訴えかける説得力が、しっかり詰まっていました。
やっぱこういう所をふんわりやらず、尺と調査を分厚く積んで見せてくれると、製作者の見せたいものをそのまま受け止められますね。
全てを真昼色に染め上げるのではなく、メッシュや髪のボリュームという素材を活かして変化させているのも、お洒落番長としての説得力に繋がってるな。

今回はメイクの技量だけではなく、性格面の個性や強みもよく描写されていました。
押し出しの強いヤンキーに負けず、好意は汲み取りつつ、自分の信じるベストを最後までやりきる。
空手という濃口のキャラ性も、物怖じせず前に出る強さをフィジカル面で支えていて、かつ不要な暴力にはならずコメディに逃がす使い方をされていました。
こういう取り回しをされると、『キャラ立てのために、いかにも取って付けました!』というくさみが抜けて、むしろキャラの個性になってくるので面白いもんですね。

姉譲りの女殺し力も全開で、年上相手にガンッガン指示を出し、リップは赤で押し切る強引さと、緊張を笑顔で解す面倒見の良さを見事に発揮。
モデルとしての経験値を指導でも活かして、『いつでも笑顔』という明確な方針を共有していく姿は、非常にスマートな指導法でした。
結果として年上からの『姐さん』呼びにも納得がいく、余裕とカリスマを感じられる展開に仕上がっていて、『真昼はもう、姉の背中を追っかけるだけの一年生じゃない』という製作者のメッセージを、するりと飲み込める回だったと思います。
こういう風に、お話の都合や展開を具体性で裏打ちして進めてくれると、置いてけぼりにならずに住むのでありがたい。


主軸がぶっとくおっ立つと、それを柱にして周りも仕上がってくるのが物語というもの。
ゼロ年代初頭の強まり黒ギャルの外見と、80年台ヤンキーの立ち回りを併せ持つエピソードゲストたちは強烈でしたが、蓋を開けてみると素直ないい子であり、物語の展開にも寄与する優秀なキャラでした。
パート明けて一発目で『あ、こいつらイイやつじゃん』と見せる落差の作り方が良かったし、真昼の指導でどんどん良くなっていく様子が分かりやすくなったのも、師匠も弟子も株が上がるいい展開だった。

『黒ギャル』を『変化するべき、劣った資質』として描きかねない展開ではあるんですが、『真昼を目指していたんだけど、道を間違えてこうなった』という迂回路を用意することで、なんとか衝突を回避……出来てたのかなぁ。
個人的には『黒ギャル』に張り付いている『なんかみっともないもの』『変わるべきもの』『イタイもの』というパブリック・イメージを照らし直し、『過去の彼女たち』も『変わった後の彼女たち』も両方、意味のあるものとして描けていたら、更に良かったかなという感じですが……尺がねぇな。
『過去の彼女たち』は話の主眼ではないし、ステージを上がる真昼の説得力を出すためにメイク講座を分厚くした結果、そっちに回す尺がなくなったとは思う……結果出来上がったものを考えると、真昼に重点した配分は正しかったわけだし。

エピソードゲストだけではなく、頑張る真昼を支えるレギュラーもワンポイントでいい動きをしていて、新しい魅力を見せていたと思います。
相変わらずのケア能力を見せるローラとか、案外義に篤いところを見せるあことか、真昼のサクセスロードに乗っかる形で、キャラの描写が分厚くなってました。
思いやりを交換する形でローラのゆめに対する現状認識を真昼が引っ張り出したり、距離をおいてもつながっているゆめとローラの気持ちが見えたり、脇役の描き方今回良かったな。
何分人数が多い話なので、こういう形で描写を積み重ね、メインエピソードで爆発する足場をしっかり固める手際は大事だと思いますね。


というわけで、導かれる立場から誰かに尊敬される立場になりつつアイドルの物語として、非常に具体的で気持ちのいいエピソードでした。
話数を積み重ねたという事実だけでは、『この子は強くなった』と言われても納得はできないわけで、今回のように説得力を詰め込み、ドラマチックに変化を見せてくれると、お話の潮目が変わってきたことをしっかり飲み込めますね。
ゲストの扱いも適度にコミカルで、しっかり真面目で、キャラを好きになれる良いバランスで描いてくれたと思います。

今回真昼が見せた変化と成長は、同じ話数を共有し、同じ変化とイベントを経験した他の一年生にも起こるものでしょう。
そのテストケース一例目がしっかり仕上がったのは、今後の期待を高めてくれます。
次回は主役であり、未だ曖昧な『あの力』に翻弄されるゆめのメイン回。
その仕上がりが、ユニット編では後ろに下がっていたひめの値打ちにも関わってくるわけで、鮮烈なエピソードを期待したいところです。

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