イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

となりの妖怪さん:第3話感想ツイートまとめ

 降れよ雷光叫べよ嵐!
 哀しき怨霊を人と妖怪の絆が打ち破る、スーパーバトル巨編”となりの妖怪さん”第3話である。

 ここまで超絶ほっこり田舎暮らし with 妖怪をお届けしてきたお話が、ヒグマ感覚でひょっこり顔出す鵺とか、ガチ消滅の危機ぶち当ててくる大怨霊とか、一気に舵を切り替える回…ってわけでもないか。
 妖怪さん達が人と隣り合うため、抱えた異能を自覚的に制御している優しい獣だってのは既に描かれていたし、となれば枷が外れた連中が牙を剥いた時どうなるか描いた今回は、ほっこり日常と背中合わせ、全然あり得る作品の一つの顔なのだろう。
 というか、これを描かないと多分片手落ち。

 それにしたって稲妻落ちるわ火は出るわ、蛇霊決戦のアクションは作画に気合も入っていて、意外な角度から殴られる喜びが大きかった。
 いやー…正直こういう味も出してくるアニメだとは全然思っていなかったので、嬉しい不意打ちだったな。
 穏やかに流れる田舎の情景と同じくらい、必死に戦う皆の様子もちゃんと描いてくれて、実は色んな事が起こり得る作風を受け入れるのに、しっかり腰の入った作り込みがいい仕事してくれてる。
 平和も闘争も、最初っから当たり前にあるわけではなく、何もかもが起こり得るからそれに備え受け入れる、タフな柔軟性が良く分かる回だった。
 この思考停止してない空気は、かなり好みだ。

 

 やっぱむーちゃんとぶちおくんのW主人公の感があり、前半は化学修行の成果が出てきたぶちおくんメイン。
 ヌッと鵺が通学路に顔出す世界観、相変わらず面白すぎるけども、大事な人を守るために勉強してたことが役立つ展開は、めっちゃ素直に良かった。
 その後のぶちおくんがブルブル震えてビビってるのも、当たり前の猫又が必死に勇気振り絞って闘った感じが濃く、しみじみいい味。
 当たり前に危険が襲ってくる世界だからこそ、有事に備えて力を磨くのは無駄じゃなかったわけだなぁ…。
 今後ぶちおくんは、力あるものとしてどう振る舞っていくかも、悩みながら学び取っていくわけだ。
 …猫又若武者修行旅の味出てきたな。好きだ

 とはいえまだまだ未熟な化けっぷりを、ママさんに見抜かれ感謝を伝えられる下りも良い。
 幼い日の記憶、新しい家族に守られた思い出が今もぶちおくんを包んでいる描写が、後々蛇霊がなぜ呪いを背負ったのか明かされる時共鳴してくるのが、良い構成だった。

 愛ゆえに強くなれる人も、愛ゆえの呪いに化ける存在もいる中で、ぶちおくんはどういう猫又になっていくのか。
 ただただのんびり過ごせるわけではないと、ハードな戦いに奮闘する様子が描かれたことで、お話が伸びていく先がグンと広がった感じもある。
 バトル要素をこういう使い方してくるの、なかなか意外で面白く、不思議な納得もあるね。

 

 後半はむーちゃんとジロウが、ここまで撒いてきた不穏要素を回収する形で、過去の因縁と決着をつけるまでのお話。
 山と人界の守護者として、荒ぶる大蛇を子ごと殺すしかなかった過去のジロウに、穏やかな日々の中戦い以外の生き方を学んだ今のジロウが、己を犠牲にケリ付けようとしたところで、消えたオヤジ代わり親身に向き合ってきたむーちゃんが現世に引き戻す…という形。
 天狗がどういう役割背負って山間の村にいるのか、しっかり教える展開となり、収まりが良かった。
 こんだけ怪異が身近な世界だと、オカルト要素はガッチリ国家が管理してそうだなぁ…のんきな田舎なので、そういう要素は表には出ないけども。

 むーちゃんの寂しさに付け込まれる形で、蛇霊が恨みを晴らそうとする展開が、結果として彼女が自分の気持と向き合い、今自分がどこにいるかを確かめる助けになっていたのは、試練を通じて成長していく正統派ジュブナイルで、大変良かった。
 自分の中の寂しさに向き合い、巫女としての勤めを果たすことで、ジロウに助けてもらってたむーちゃんが消えようとするジロウを引き戻す形になってて、お互いがお互いを支え合ってるフェアな関係が、お話にグッと両足踏ん張ってきた。
なんてことない平和な日々が、戦い生きるための力になる。
 ここまで二話、妖怪田舎暮らしとしての良さをちゃんと書いたからこそ、むーちゃんの強さも映える。

 

 守られ導かれるべき、弱く幼い存在だと描かれてきたむーちゃんやぶちおくんが、彼らなりのヒロイズムを発揮する今回は、彼らに大事な人を守るために戦える強さを育んだ、ジロウやママさんのつよさを描く話数でもある。
 戦うしか知らなかったジロウが受け入れる道を選んだように、水神が嫉妬の毒により蛇霊に落ちたように、人はどんな風にも変わりうる。

 そんな変遷をより善い方向へ導くためには、導き抱きとめてくれる誰かの存在が必要で、愛し愛されながら日々を積み重ねて、もっと強い自分になっていく揺りかごとして、結構ヤバめな危機もフツーにある美しい田舎は、とても良い。

 

 作品が持つ新たな…しかし確かにここまで描いたものと繋がった魅力を顕にし、更に好きにさせてくれるエピソードでした。
 まったりテイストで進んでいくとばかり思い込んでいた”ナメ”を、いいタイミングでぶん殴ってくれたのは、今後お話と向き合っていく上で大変ありがたい。
 やっぱこういう『俺達こういうことだってやるぜ!』つう一撃が気持ちよく入ると、怠けた視聴態度がビッと背筋伸ばして、アニオタの健康にも良いな…。

 かくして守られた平和な日常が、幼き人間と妖怪をどう育んでいくのか。
 次回も描かれるだろう静かな幸せを、改めて楽しく見れそうで、大変楽しみです。
 いいアニメだ…”となりの妖怪さん”…。

烏は主を選ばない:第3話『真の金烏』感想ツイートまとめ

 絹の衣と金の玉座に、秘めたる御毒はいかほどか。
 烏は主を選ばない 第3話を見る。

 ぼんくら次男が若宮のもとに出仕し、常人がこなせない難題をブツクサ言いながら乗り越えつつ、だんだん御代の近しい所…つまりは宮廷の毒のど真ん中に近づいていく過程を描く。
 人と獣の間で、抱えた獣性を下賤と切り捨てることで権力構造を維持している八咫烏の社会の実態も見えてきて、華やかに見えてグロテスクな匂いが心地よい。
 ホワイトカラーとブルーカラー、貴族と奴隷を切り分ける制度は、複数の役所が複雑に絡み合う官僚制といっしょにずいぶん発達しているみたいだが、衣一つ剥けば人に劣らず烏もまた、ずいぶん畜生のようだなぁ…。

 

 前回ぼんやり予測してた”馬”の真実がズバッと当たり、的中の喜びよりもそのロクでもなさにげんなりもしたが、蝶よ花よと育てられたあせび様は下々の事情を、何も知らない感じで。
 囲碁をやるにも長ーい箸ごし、現世の汚れを遠ざけ高御座でふんぞり返っている貴族の、最上級の方々は汗を厭い獣であることを嫌っているわけだが、その頂点に立つはずの真の金烏は、はしたないはずの羽衣(漢字これでいいよな?)でスラスラ歩き回る。
 窮屈な格式を嫌い、実質的に生きている様子はみすぼらしい庵住まいからも感じられ、婚礼政治の毒が詰まったハーレムからも身を遠ざけている。
 清廉…とも少し違うその眼光が、何を睨んでいるのか。

 ここら辺は雪哉がその主に近づく中で、あるいは陰謀の温度が燃え上がる過程で、否応なく暴かれていく部分だろう。
 まだ死人も陰謀も匂い程度、プンプン匂うだろう八咫烏社会のハラワタが暴かれていない状況なので、その汚れを跳ね除ける気高さや強さも、気配程度しか見えない。
 ドタバタ振り回され振り回し、コミカルに展開する宮中の日常の外側…例えば烏人が”馬”にされる現場とかが描かれた時、華やかな社会が孕む矛盾と、それに立ち向かう気概が誰にあるのか、より鮮明になっていくだろう。

 

 今回はそのための助走、周辺情報の説明回という感じだったが、想定より八咫烏社会が律令官僚制度をしっかり備えてたのが面白い。
 烏衣では上がり込めず、若宮専属の帯を肩から下げれば通行御免な、衣一つで態度が変わる世界。
 本来衣を必要とせず、裸で生きれるはずの八咫烏は、人の衣を纏う権利を剥奪することで、人間を”馬”にしている。
 彼らの本性が人に近いか獣なのか…あるいは人間という最悪の獣にそっくりなのか、未だ見えきらない状況である。
 けども、するりと鳥形に化けれる人でなしが、社会制度もそこに軋む差別も、人間社会の良くない所を擬しているのは、良い感じに趣味の悪いジョークと思える。
 まー差別と搾取を前提に社会を編んできたのは、山内の外にある僕らの社会も全く同じだから、上から目線で偉そうなことは言えないが。

 家柄、血縁、性別、身分、装束。
 八咫烏はあらゆる手段をもって、上に立つべき存在と踏みつけにされる連中を切り分ける。
 近代以降の価値観が血に染み付いた僕らにとって、それは”悪いこと”なのだが、彼らにとっては呼吸するより当たり前な社会の当然であり、華やかなお后選びも貴族の勢力争いも、不平等と差別に立脚している。
 そんな世界でも、全ての烏が一個人としての尊厳を求めている様子は、ここまでも幾度か描かれた。

 人間が当たり前にもっているものを抑え込めば、当然の反発があらゆる場所に満ちる。
 俺達は汚れ仕事を背負う”馬”でも、家格を上げるための婚礼ゲームのコマでも、政治と権勢の道具でもない。 そういう澱は、あせびが知らぬ俗世の塵の中にずっしり溜まっているだろうし、抑圧を吸い上げる上澄み…宮中の外側にカメラが向いた時、より鮮明に見えてくる感じがする。

 バッキンバッキンに不満高まってそうな世界で、どんな弾圧と暴力装置がそれ抑え込んでいるのか、お綺麗な行政手続きの外側にある血みどろを一回、見てみたいんだよなぁ…。
 人間社会の中世レベルの、そうとうエグい抑え込みしなきゃ、この超身分社会維持できてないでしょ多分。

 

 ここら辺の生っぽい事情は今後暴かれるとして、雪哉が出仕した若宮は、”真の金烏”なる存在らしい。
 年功も才能もぶっ飛ばして、オカルティックに権力の中枢に座る霊王。
 散々『このクソ烏共、自分たちの獣っぷりを衣で隠し、権力片手に人間ごっこやってますよ!』と書いた後、霊獣たる八咫烏の本文が全部の道理を押し流して皇位を決めると語られるのは、なかなかに面白い。
 あんだけ”人間的”な在り方に支配されておきながら、その中心は理屈を蹴飛ばした宣託が支配してて、年が上だとか、能力があるとか、当たり前の理屈で主上を選べない前中世が居座っているわけだ。
 宣託に選ばれし霊王たる若宮が、底の見えない白面の奥にどうやら、身分や建前に囚われない超中世的発想を抱えてるっぽいのが、更に興味深くもある。

 八咫烏社会を支配する、古臭く軋む差別と権勢の”人間的”世界。
 霊的宣託によって特権的に選ばれる旧さと、社会の当然に縛られない新しさを兼ね備えている…ように思える若宮が、一体何を考えているのか。
 陰謀渦巻く御簾の奥から、ずずいと飛び出した御前会議がそこら辺、雪哉と僕らに見せてくれそうである。

 

 時代を越えた快男児の社会改革絵巻となっていくか、世界を支配する枷の重たさがそれを押しつぶしていくのか、全然見えない所が面白い。
 フツーに気持ちよく話し進めるなら、若宮と雪哉の近代的価値観が古くてヤベー因習殴り倒していくんだろうけど、華やかな桜花宮…花嫁候補の牢獄をもう一つのメインに据えているのが、どうにも湿り気強くて一筋縄ではいかない予感。

 一見華やかな女の子の憧れッ! みたいな衣整えつつ、イエ制度と政治と差別を練り合わせた地獄の碁盤なわけで、それも姫君の誰かが蹴っ飛ばすのか、婚礼制度が犠牲を飲み込んでしぶとさを見せるのか。
 恋という個人的で大切…なはずなんだが、身分と建前に一番最初に押しつぶされる脆いものを、王子様が全然顔を見せない婚礼ゲームがどんくらいの温度で扱ってくるのか。
 そこら辺も、大変に気になる。

 一人間として、誰が誰をどんくらい慕っているのか、姫君達のハラワタもまだまだ見えないからなぁ…それが解んないと、悲劇にすり潰される純情無惨も際立たないわけで。
 邪を払うとされる桃がどんだけ、あせび姫を俗世の塵から守るのか…
 あるいはそんなシンプルな、乙女物語的構図を越えたところにキツいのブッ込んでくるのか。
 まだまだ御簾の奥に作品の顔が見えきらず、だからこそ追いかけてみたくなる所が、なんとも平安の趣があって良い。
 秘すればこそ花が咲くのは、芸事もミステリも同じだね。

 

 今回見せたややコミカルで、あんま洒落になんないことが起きない温度感がこっからも続くのか。
 匂わされてる色んなヤバさが、牙を剥いて襲いかかるのか。
 御前会議でそんな風向きも判断できると、アニメからの新参としては嬉しい感じです。
 やっぱなぁ…”腹”ってのを早めに決めておきたいわけよ、重いブロウで死なないために!
 次回も楽しみ!

ガールズバンドクライ:第3話『ズッコケ問答』感想ツイートまとめ

声無き魚が、遂に産声を上げる。
 ガールズバンドクライ 第3話を見る。
 前回生粋のロックンロール・モンスターとしての資質を見せつけた仁菜が、その才能を初ステージに炸裂させるまでを描くエピソードである。
 Aパートで”三人目”であるすばるちゃんの人柄を掘り下げ関係を築き、満を持しての”声無き魚”まで一気に駆け抜けるカタルシスが、勝負の三話に相応しい仕上がりだった。

 

 やっぱ仁菜を演じる理名さんの歌が、圧倒的な説得力を持って作品を下支えしているのを感じる。
 燃え尽きたはずの桃香さんがもう一度魂を熱く燃やし、面倒くさいガールを導きたくなる、圧倒的な才。
 運命を引き寄せ人生を捻じ曲げる、巨大な星。
 スーパースター誕生の物語に必要な存在質量を、歌の説得力が分厚く下支えしてくれるのは大変いい。
 仁菜のチャーミングな面倒くささをここまでどっしり描き、それを爆笑しつつ嘲笑わない…むしろ面倒くさいからこそ期待を寄せる仲間たちの頼りなさで毒気を抜いて、『今爆発しなきゃ嘘だろ!』って所まで、物語のテンションを持っていく。
 熱さ一辺倒で力むわけではなく、心地よく抜いた笑いを随所に交えて、独自のテンポでバンドをやるしかない女の子たちの叫びを、高く高く響かせていく。

 濃い口なキャラの魅力をこすり合わせ発火させていく、ダイアログの良さを最大限活かして、気持ちよく初ライブまで行ける回だった。 初ステージを天国までぶっ飛ばすには、色々と仕込みがいる。
 前回顔見世だけしてたけど人間が見えきれないすばるちゃんを掘り下げ、バンドの起爆剤となる仁菜のロックンロール魂、自分が認められない魅力を発見し肯定してくれる仲間のありがたさを積み込んで、初舞台が話の筋書きで用意されたものではなく、運命であり必然であると思わせないといけない。
 今回のエピソードは、そういう物語的要請をしっかり果たしつつ、川崎や渋谷に生きる彼女たちの息吹を、今までよりも更に色濃く描き直してくれる回だ。
 嘘っぱちの世界に、確かに彼女たちが在る。
 その実感が、作品に前のめりに踏み込むための足場になっていく。
 ありがたい

 ここまで二話、圧倒的に面倒くさい主人公を目が離せない引力弦として削り出し、その推進力で進んできた物語は、やっぱり仁菜を真ん中に据えて進んでいく。
 冒頭、作曲アプリにドハマリしてガンガンその才能を燃やしていく(ついでに勉強して大学受かるフツーの幸せから、ガンガン遠ざかっていく)様子が、鳩の縦ノリを伴奏に大変良かった。
 小気味いいコメディと真っ直ぐな音楽スポ根を描きつつ、細かいところで『今、川崎で、ロックをやる』ことがどういう風景を生むか、編み上げていく指先が繊細だ。
 ド素人が『今、川崎で、ロックをやる』なら、教本より先に感覚で操作できるアプリが手渡される。
 なるほど、そういう手応えかと、小さな描写の中に納得が積み重なっていく。

 

 

 

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第3話より引用

 最高の初ライブに向けて笑いと期待をガン済みしていく、早くて強い流れの中で、作品が乗っかる舞台がどういう場所で、少女たちがどこに生きているのか横幅広く見せるのも怠けないのが、大変良かった。
 今回のエピソードは、ここまで描かれなかった少女たちのパーソナルスペースのお披露目会でもある。
 仁菜の予備校、桃香さんの家、すばるのアクターズスクール…そして後に仲間となる連中の吉野家
 それぞれ異なった場所に、それぞれ異なったキャラクターが、自分たちの在り方を反射させながら立っている。
 お互いがお互いの領域に足を運び、匂いを感じメシを食う。

 勉強して、大学行って、クズどもを見返す。
 仁菜の復讐計画をダイナシにする楽しいことを、ドンドン手渡す桃香さんの視界に”進路指導室”が入っているのが好きだ。
 それは確かにそこにあって、しかしそこから伸びていくフツーの幸せに背中を向けて、ロックンロールをやるしかない。
 桃香さんは仁菜をそういう存在だと、極めて正しくみぬいいているし、バカ後輩が無駄なあがきでその部屋に迷い込む前に、行くべき場所への道を拓く。
 全然自分に自身が持てない怪物を、自分がどっかに置いてきてしまったものを持ってる眩しい星を、受け止め励まし送り出していく。
 桃香さん、佇まいがかなり”姉”でありがたい…。

 

 ねじくれて面倒くさい仁菜のキャラクター性を、破壊力ある物語のエンジンとして肯定的に受け取れるのは、桃香さんの頼りがいが大きいだろう。
 彼女がクズの中にある炎を信じ、吉野家奢ってアプリ渡して、自分自身気づいてない可能性が開花するよう、期待し面倒見てくれるからこそ、仁菜を『おもしれー女』として受け取れる。
 ロックンロールをやるしかないバケモノを、フツーにいい子として矯正してアク取りするのではなく、エグみやヤバさ込で楽しい主役として受け止めさせるためには、三歳上の大人力が絶対必要なのだ。
 ここら辺、すばるちゃんが自分と他人をしっかり把握し、適正距離を積極的に探れる人格なのとも重なる。
 とにっかく面倒くさい主役一本に人格的問題≒作品に独自性と爆発力を与える、扱いの難しい火薬を絞り、物わかりの良い二人が主役の可能性を面白がり、支え導く構造が、前回に引き続き鮮明に照らされていく。

 しかし桃香さんも無傷の天使ってわけではなく、自分が置き去りにした/自分を置いていった仲間を眩しく見上げて、燃え尽きてしまった自分を燃やしてくれる新たな才能に、人生を預ける歪さを持っている。
 バブちゃん仁菜がちったぁ自分の足で立てるようになった時、多分この歪さに飛び込んで今までの恩を返す展開になると思うので、今からメチャクチャ愉しみである。
 マージで桃香さんには世話になっとるからな、井芹は…。

 第1話ラストで故郷に帰ろうと、青春を終わらせようとした桃香さんを川崎に留めた、仁菜の吠え声。
 カラオケボックスでそれが炸裂する時、桃香さんが陶然と聞き惚れている様子が良かった。
 それは彼女が失った…と思いこんでいるものを、もう一度取り戻してくれる特別な歌であり、だからこそ彼女は極めて面倒くさい情緒赤ん坊女の面倒を見る。
 思いの外、河原木桃香は利己的なのだ。
 透明でエゴのない天使の思いやりより、自分から失われ諦めきれない、ロックの原液を間近に浴びれるから助けていると、少し濁ったとびきりの優しさを感じれたほうが、もっともっと桃香さんを好きになれる。
 そういう描き方で、大変良かった。

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第3話より引用

 現状、自信ないくせにプライド高く、卑屈なのに傲慢な仁菜は自分を見れていない。
 そんな彼女がどんだけ特別で、どうすれば一番自分らしく叫べるのかは、仁菜の外側…河原木桃香の視界の中にある。
 ヨーグルトと肉まんを口に運んでもらい、ワンワン泣いては爆笑しながらあやしてもらい、『お前は最高の怪物だ』と褒めておだてて、歌わせてもらう。
 『完全にママじゃん…』って感じの、期待と信頼が仁菜の世界を開いていく。
 その先にあるのが”声無き魚”の眩い光であり、モニター越しようやく自分の姿を、数多同じ屈折を持った観客席の幻影を、見つける井芹仁菜である。

 井芹仁菜がどんな存在であるか、他人に決めつけられたくないと反発するくせに、自分でも見つけられていない…だからこそロックンロールをやるしかない少女は、世界に山ほどいる自分の分身へと、必ず声を届けていく。
 観客席にフリフリ衣装の仁菜の影が、彼女の叫びを待っている描写があったのは、この後主役たちの声が世間に届き、共感性で若者を殴るロックンロール兵器として仁菜達が、売れていく未来への滑走路を確かに開いていた。
 仁菜の鬱屈と爆発力は彼女固有の才能であると同時に、小さな身一つ飛び超えてもっと大きな場所へと届き、その反響で仁菜に己を教える、大きなエコーになってく、
 桃香さんは、そんな未来を確信してる。

 

 プロデューサー(あるいは教育者)に必要なヴィジョンと信頼を、プロ経験者である桃香さんはしっかり持っている…という話なのだが、そんな彼女の自己評価は思いの外低いと思う。
 何しろ全部辞めて故郷に戻ろうとしていたわけで、若いまんま人生に勝てなかった負け犬として、仁菜という才能…自分から失われてしまったモノを持ってる特別に照らされなきゃ、もう輝けない老いた星だと、自分を見ている感じがある。

 『んなわけねーだろ!』と、ロック幼児の面倒見てる姿を眺めりゃすぐに解るが、この客観と主観のすれ違いは、それこそ桃香さんと仁菜の間にある期待と自己卑下の構造に重なる。
 仁菜を信じ引っ張り上げた女が、自分を地べたに投げ出してる。

 自分のことで手一杯、人間的伸びしろしかない激ヤバ女はまだそういう事に気付けないが、仲間とロックンロールを駆け抜ける中で快楽と光りに包まれ、自分と世界のあり方が見えてきた時、そういう残酷を見落とせるのか。
 自分すら愛してなかった自分を愛し、信じ、導いてくれた人が、『アタシ終わってるし…』と下向いてるのを、ロックンロールの申し子が我慢できるのか。

 

 そういう未来への疑問を、熱の入ったハイボルテージに押し流されながらしっかり感じ取れる、良い”第3話”だった。
 桃香さんが『メシ食わす人』として描かれ続けてるの、俺好きなんだよなぁ…。
 ヨーグルトに牛丼、アプリに衣装にマイク。
 自己肯定感を簒奪され、己を証明するものに飢えている若者にたっぷり食わせて、自分を叫ぶための武器を用意してあげる、フィーダーとしてのありがたみ。
 それに報いて、実は飢えてたかぁちゃんに手ずから魂の糧を渡し返す責務が、間違いなく仁菜にはあるだろう。

 一歩後ろに引いて『井芹仁菜の物語』を軌道に乗せるサポーターを、自分の立ち位置とすることでなんとか背筋を伸ばしている桃香さんに、仁菜が『アンタ主役じゃん! アタシを主役にしてくれたじゃん!』と叫ぶ瞬間を、僕は心待ちにしている。
 それを果たしたときが、ロックンローラー井芹仁菜、真実の一本立ちになると思うから。
 やっぱね、ロックは仁義ですよ。

 

 

 俺は断然ももにな派なので、お話の順序をすっ飛ばしてその話をしてしまったが、Aパートのすばるちゃん掘り下げも大変良かった。
 仁菜と同レベルの激ヤバだと話が制御不能に沈没していくわけで、距離感解らず後ろに引く仁菜にグイグイ前に出つつ、自分を適切に開示して魂預ける足場を用意もしてくれる、とても人間育ったいい子だった。
 まー拗れて面倒くさい所も山盛りありそうだけど、今回のライブで成功体験を積んだ仁菜がもうちょい頼もしくなったら、そっちを掘り下げるターンが来るのだろう。
 つーかこのお話が面倒くさい女を描く筆は最高なので、すばるちゃん固有の面倒くささも、ガンガン表に出ていって欲しい。

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第3話より引用

 カトゥーン調の小気味いコミカルと、最高に熱い音楽描写と同じくらい、情感を背景とレイアウトに反射し、人間関係の変化を美術で語る表現の上手さはこのアニメの武器だ。
 尊大なくせにビビりな仁菜がまとう影に、前向きで力強いすばるの光が追いつき、逃げられ、また追いつき返して一緒に光の中に飛び込んでいく様子を描く、Aパートの変遷。
 それは仁菜が自分を追い詰める凶器になってる、持ち前のネガティブがかけがえのない誰かの助けで、少しは希望のある方へと向き直るまでを削り出していく。
 そうしてくれる、すばるちゃんのありがたさと素晴らしさも。

 薄暗く遠い街頭ですれ違う距離感は、役者を目指す明るい(と思われてる)光に、暗い仁菜の領域が照らされる間合いまで縮まり、最終的にハチ公前でズッ友写真取る所まで行く。
 すばると語り合い、お互いをよく知る前は気になっていた顔のない嘲り(仁菜が熊本で、一回殺された凶器)も、友達が隣りにいてくれるならもう聞こえない。

 お上りさんで陰気で、だからこそ炸裂するロックを内に秘めた怪物の顔は、すばるが撮ってくれるからこそ目に見える形になる。
 仁菜はつくづく自分の顔と辿り着きたい未来が見えない子どもで、すばる(と桃香さん)はそんな彼女の卑屈な退却戦を許さない。
 お前は、もっと出来る。
 私がいてやる。
 仁菜(が代表する、世界すべての子ども達)が一番欲しい言葉を、グイグイ前に出てガンガン手渡してくれる少女は、ロックの怪物がその才能を羽ばたかせるために、絶対必要な仲間なのだ。

 

 空気読めず自分の光を押し付けると思わせておいて、ビビって身を引く仁菜の呼吸をしっかり読み、柔らかく絡め取って本音引っ張り出せるあたり、すばるは相当に視力が良い。
 仁菜のチャーミング・モンスターっぷりに当てられている視聴者としては、作中でもアイツのやりたい放題を『しょーがねーな!』と受け入れて欲しい。
 その通りにすばる(と桃香さん)が振る舞ってくれるのは、求めているものと描かれるものが重なる、幸福なありがたさだ。

 とりあえず東京出て大学行けば人生に復讐できるだろうと、旧日本軍並のガバガバ戦時計画で逆襲戦に挑んでいる仁菜に対し、すばるは未来が見えないながらしっかり自分を探って、やりたいことを世界に突き出している。 
 家のしきたりに押し流され、やりたくもない役者人生を背負わされつつも、怒りをスティックに叩きつけドラマーでいる自分を、自分で選び取る。
 自分の手綱を己で握る独立独歩が、彼女の背筋を伸ばし眩しく輝かせ…そういうのに憧れつつもビビって背筋が曲がる仁菜を、影の方向に逃げさせようとする。

 でも仁菜だって、好き好んで暗い場所に逃げ込んでいるわけではない。
 そこじゃなきゃ、息なんて出来ないから。
 自分を殺してくる親と学校から、自分を生存させられないから、仁菜は自己卑下の影に必死に隠れて、何をやりたいのか見えなくなっている。
 ならそういうやつほど、光り輝く表舞台に引っ張っていかなきゃいけねーだろ! つうことで、すばるちゃんとぶつかり触れ合う中で、仁菜は光に近い場所へと進み出していく。

 安和すばるはそういう事をロック赤ちゃんにしてくれる、マジいい子で良い姉貴だということを教えてくれるAパートで、大変良かったです。
 三話にして既に、自分の中で仁菜は愛すべきベイビーになってきているので、自分じゃメシも食えねぇ赤ちゃんをバブバブさせてくれる人たち、全員好きになってしまう…。

 

 というわけで、大変良かったです。
 『勝負の三話』という深夜アニメの方程式が、通用しなくなるほど作劇もアップテンポになってきていると思いますが、時代に追いつく速さと熱量を維持しつつ、大事なコーナーを最高速で回りきる妙技を、たっぷり堪能させてもらいました。
 ファーストライブを最高の輝きと受け止めさせるために必要な、キャラとドラマへの愛着と期待をしっかり作り上げた上で、望んでいたより遥かに高くぶっ飛んでいった”声無き魚”、素晴らしかった。

 『やっぱ勝負どころで、キッチリ勝てるアニメはつえーな!』と、当たり前のことを思いつつこの後のお話、大変楽しみです。
 おもしれーなこのアニメマジ…。

 

 

 

・補記 あの時照らしそこなった、普通怪獣の陰りが彼らの瞼の奥に、僕と同じように突き刺さっているのなら。
 仁菜のロック野郎っぷり、矛盾だらけの青春モンスターっぷりは、ある意味高海千歌のリベンジなのかなと、極めて勝手に気楽に思ったりもする。
 スクールでもアイドルでもない、クドい萌記号を拾わなくてもいいセッティングで、本来は相当暗くてヤバいはずのキャラがキラキラ青春に飲まれ何かが歪んだ、遠い昔のあの話。
 あの時見たかった、怪物が怪物のまま怪物らしく暴れるお話を、ようやく見れてる手応え。

 でもそれは、怪物が怪物ではない何かになって、色々ガタつきながら必死に己の話を走りきったからこそ、今見れているものなのだろう。
 勿論、この話は内浦の続きじゃない。
 でも自分の中確かに、あの子の残影を追ってる部分がある。

 話のあやふやな輪郭、スタッフの共通項だけで何かを語るのは何の意味もない空言なんだが、こうして新たな波動に心揺さぶられてみると、全然あの子の物語にケリつけてられてなかった自分を新たに見せつけられて、その事書かないのも嘘だろうと思ったから、今ここに余計な補記を付け足してる。

 暗くて面倒くさくて暴力的で、ロックの怪物になるしか道がないくらい真っ直ぐな、仁菜の顔。
 彼女を主役とする、”ガールズバンドクライ”の顔。
 そこに重なる、怪物として設計されていながら、甘く柔らかな光でその影を塗りつぶされた少女の面影。
 それが妄想であると刻まないと、引きずられすぎて仁菜の顔、ちゃんと見えなくなりそうだ。

 

うる星やつら:第37話『飛鳥ふたたび/嵐を呼ぶデート 前編』感想ツイートまとめ

 うる星やつら 第37話を見る。
 約10話ぶりに水乃小路飛鳥が大暴れし、パニックと暴力とすれ違いが凄い勢いで混乱を生み出す、過去最大級にドッタンバッタン大騒ぎな回だった。
 宇宙人だの妖怪だの、人外の存在が当たり前に顔を出すお話なのに、一番カオスなのが超絶金持ちが好き勝手絶頂やる時だってのに、強めのこのお話らしさを感じている。
 ただの男性恐怖症なら落ち着くチャンスもあろうが、飛鳥は作中最強クラスの怪力も持ち合わせているので混乱に暴力で拍車がかかり、ドンドン状況が落ち着かなくなっていくのが、ドタバタコメディに特化したデザインだなぁ、と思うね。
 おまけに無垢でえっちだ。無敵だな…。

 

 つーわけで今週は、人間の範疇が獣/女/お兄様にぶっ壊れた怪力美少女が、母からの荒療治に友引高校を巻き込むお話と、唯一なんとか話が通じる男性である終太郎とのデートの前哨戦である。
 『性差の話しされたら俺の出番だ!』つうわけで、竜ちゃんもさらしに隠したお胸を見え隠れさせつつ、久々にちょっとエロティックな雰囲気で第1エピソードが進む。
 あとフツーに妹を案じ良い兄でいようと頑張る、トンちゃんが健気でカワイそう
 時が過ぎてみると、箱入り娘を極めた結果あらゆる常識が欠落した飛鳥がお兄ちゃんに迫るのは、半世紀先取りした無知シチュみたいな手触りがあり、”うる星”の先進性を改めて感じ取る次第である。
 そこら辺のアモラルな気配を魅力的なスパイスにしつつ、過剰なパワーをパニック状態でブンブン振り回す飛鳥が、ギャグ時空じゃなきゃ許されない器物損壊と傷害を量産しつつ、ちょっとずつ屋敷の外側に慣れていくお話だ。

 

 前回描かれた終太郎の閉所恐怖症と同じく、ギャグキャラに必要な濃い味付け、そいつがそいつでいるための聖痕を消し去って”マトモ”にするわけではない。
 だが壊れてるやつなりに社会に馴染む努力とか、ぶっ壊れたまんまでも自分の手綱を握るための一歩とかが、笑いと混乱の中確かにあるのは、やっぱ見てて安心するところだ。
 いやまぁ、その過程で発生する大暴れに巻き込まれる側はたたったもんじゃないが…。

 何もかもぶっ飛ぶうる星時空の中でも、極め付きの異常環境で育てられた飛鳥は、ラブコメが足場とする”マトモ”な性差をブンブン揺らし、壁に叩きつける。
 ドサクサに紛れてスケベ根性を満たそうとするあたるをぶっ飛ばしながら、最終的に竜ちゃんを『性別:お兄様』と認識する飛鳥はかなり強めにイカれているが、あんだけ被害を出しながらなんかホッコリしてしまう可愛げがある。
 まー体だけ立派に育った鎧仕立ての幼児なので、怒る気にもならない無邪気な天災というか、お騒がせ野郎勢揃いなうる星のなかでも、かなり独特なキャラをしていると、ガラス割過ぎヤリ過ぎ完満載なドタバタを楽しませてもらった。
 やっぱ可愛いね飛鳥は…。

 あとモノ壊す作画が旧作世代の懐かしい味がしつつ、キッチリ最新鋭の”良い作画”としてブラッシュアップされてたの、すごく令和うる星らしい味わいで好きだったな…。
 こういう『古い革袋に、最新鋭の気合はいった最高のぶどう酒を注ぎ込み続ける』スタイルは、今”うる星”やる上で絶対必要だったしキッチリやりきった、このアニメが選んだ一つの戦いだったと思う。
 作品を象徴するアンセムとなった”ラムのラブソング”をほぼ封印して、MAISONdes最新のクリエイティビティに任せているところといい、古典を敬しつつやるべき戦い方を貫いてくれてるのは、本当に尊敬する。

 

 あんだけの大立ち回りをしても飛鳥の常識は書き換わらず、作中最大のイカレっぷりをどうにか方向づけようと、遂に水乃小路母が横車を押すのが、第2エピソードと次回の連作となる。
 飛鳥エピは結構潤沢に話数使って、騒々しいドタバタをたっぷり描きながら話が転がっていくので、独特の手触りと連続性があって面白い。
 水乃小路兄妹を鏡にする形で、同じくぶっ壊れた面堂兄妹のあり方が際立ってくるのも、ここまで積み上げてきた話数を活かし、一つの集大成として長尺のエピソードを編もうとしてる感じがあって、『ああ、第4クールなんだなぁ…』って思う。
 ここに一つのピークが来るように、話数を選んで当てはめてきたわけだなぁ。

 ポニテメガネで変装したラムとか、黒子衣装に下心を隠すあたるとかが暴れるのは次回になるわけで、第27話第2エピソードと同じく、今回はあくまで序奏。
 とはいえ常識の通じぬ怪力珍獣箱入り娘を相手に、ある程度の絆を育んだ面堂くんの苦労が随所に感じられて、なかなか味わい深い。
 トンちゃんにしても面堂くんにしても、身近な男衆が純情怪力モンスターを見捨てず、優しくしてくれているのは救いだ。
 つーか狂った因習で純朴モンスター培養しておいて、手に負えないから許嫁に丸投げしてる、水乃小路母のメンタリティが一番の怪物な感じしてきたな…声帯が三石さんだから、ギリギリヤバさが笑いに転換してるけども。

 

 というわけで、久方ぶりでも大火力、ヤバさと可愛さの天井が振り切れている強烈キャラの帰還・前編でした。
 あんだけドッタンバッタン大暴れしても、全体の印象が『飛鳥、可愛かったね…』なのは、長きに渡って”うる星”見てきて価値観ズレてるのか、キャラ立ての妙味か…。
 この心地よき混沌に飲み込まれサッパリ判別はつかないが、絶対ろくなことにはならないデート本番、どうなることやら大変楽しみです!

 

ダンジョン飯:第16話『掃除屋/みりん干し』感想

 迷宮変貌の法則を解き明かしても、なお見えぬ運命と心の行方。
 3パーティーが一同に介して、交わったりぶつかったりする結節点、ダンジョン飯第16話である。

 ここまで別視点に隔てて描かれた、ライオス・シュロー・カブルー各一行が合流して、物語の激浪が彼らを押し流していく寸前の一休み……という塩梅のお話。
 切れ者チルチャックが己の職分を見事に果たし、物理的迷宮から帰還する道筋を立てるものの、運命と人間関係という複雑怪奇なもう一つの迷宮を見誤り、ヤベー男どもを触れ合わせた結果、のっぴきならない状況が発火する話でもある。
 『こっちのがヤバい!』と土壇場で勝負を張った、マイヅルとセンシの方は心を込めて食事を作る者たちの共感で穏やかに繋がり、ライオス一人きりにしたシュローとの対峙は境界線を見誤って一触即発の大惨事と、弘法も筆の誤り、チルチャックだって判断力チェックにファンブルするわなぁ! という展開になった。

 

 3パーティーが合流して賑やかになる前、最後のライオス式”ダンジョン飯”として描かれるのは、ダンジョンの恒常性を保っているダンジョンクリーナーの生態だ。
 放っておけば傷ついたまんまなリアルな損傷を治し、永遠にハック&スラッシュしていられる欲望の器を維持し続けるからくりは、目に見えない小さな生き物が生態系を維持しているからだ。
 幾度か語られた、一つの大きなエコシステムとしてダンジョンを見る視点を更に補強する描写だが、ライオスはそれも口に含んでみる。
 人間の舌には合わない食材だが、ライオスは『美味い/不味い』というグルメ漫画的価値観軸で魔物食を評価していない部分があって、これも一つの経験と激マズ食感も含めて味わってる感じがある。
 傍から見ればイカれた社会不適合者だが、しかしそんな好奇心や鷹揚な態度がどれだけ楽しいものか、1クール見守ってきた僕らには結構共感できる姿勢といえる。

 クリーナーは惨劇の跡を上手く隠蔽し、チルチャックがどう誤魔化したものか悩んでいたファリンの痕跡をかき消して、地上への道を開いてくれる。
 しかし階段を目の前にしてまき起こった諍い、ライオスが不用意にパナシた真相開示で、地上に戻るルートはとたんに危うくなり、人間同士のゴチャゴチャを全部ひっくり返す衝撃の異形が顔を見せもする。
 人を危機に陥れるはずのダンジョンが、チルチャックが一瞬夢見た希望へのマッピング通り道を作り、眼の前の相手の胸の中にある迷宮を読み残ったパーティリーダーがより深い奈落に自分たちを突き落としていくのは、なかなか皮肉で面白い構図だ。
 ライオスは魔物が蠢くダンジョンに惹かれここまで辿り着いたわけだが、カブルーは黒魔術のヤバさ引っくるめて人間が織りなすよしなし事全てに愉しみを覚え、複雑に絡み合う情念と関係全部に魅入られている。
 そしてシュローは東国のしがらみを引きずりながら辿り着いた異国で、出会ってしまった北方人への恋に飲食も忘れてのめり込み、ようやっと運命のたどり着くべき場所へと足を運んだ。
 人と人の間、人の内側にも”ダンジョン”はあり、攻略され簒奪されるばかりと思える”ダンジョン”にも人間に似た不思議な面白さが、確かにあるのだと改めて描く回である。

 

 人間と人間が触れ合う領域において、カブルーは壊すも繋ぐも思うがままな達者を見せる。
 どこか高みから興味本位、修羅場も愉しむ意地の悪さを冷ややかに匂わせつつ、地上の倫理から逸脱したヤベー魔物食野郎の懐にするりと入り込み、発言を誘導して情報を得ていく。
 先週チルチャックが危惧していた、人を見抜く眼力や適切な話術に欠けているライオスの危うさに、思い切り付け込まれる形で”迷宮攻略”された……とも言えるか。
 ライオスも脳みそ空っぽのカカシではなく、下手くそなりに嘘をつき間合いを測るわけだが、専門領域には舌が軽くなるというマニア特有の弱点を付かれて、ベラベラ喋って地金を晒すことになる。
 まーここで自分を隠し通せる器用な男を気に入って、ここまでこのアニメを見てきたわけではないし、イカれっぷりの奥に確かな人間味があればこそこのお話は面白いわけだが、対人心理戦において全く、ライオスはカブルーに勝ち筋がない。

 シュローが激怒する呪われし復活を、ライオスは後ろめたく感じている気配すらない。
 そういう芝居をすれば、シュローから共感の欠片でも盗み取れそうなうろたえ方をせずに、ゆらぎのない瞳で自分が感じていたこと、仲間に共感して欲しい事を真っ直ぐ突き出す。
 ストレートにしか生きれない、感じ取れないこの気質が地上に展開する人間たちの社会では雑音の源となり、ライオスを迷宮で生きるしかないアウトサイダーにしていった様子が、容易に想像できるガンギマリっぷりだった。
 いいとこの子弟として、社会常識をある程度以上身につけているシュローにとって、黒魔術行使の大罪を平然と語るライオスは、対話不可能なモンスターに見えているかもしれない。
 この難物をどう斬り伏せ、調理し腹に収めていくか。
 あるいは許せず斬り殺してしまうか、そういう土壇場にやせ衰えたサムライは立っているわけだが……まぁヤベー奴だよなライオス、普通に考えて。
 ここら辺の価値観にチルチャックが近いってのを、黒魔術師マルシルへの当てこすりで既に書いているところとか、やっぱ好きだな。

 

 カエルスーツにツノカブト、レンガ齧りの激ヤバ集団を、魔物と同等の存在と警戒したマイヅルの判断は偏見と切り捨てるには妥当であり、主人公一行以外の視点を作中に持ち込んだからこそ、気づけば慣れ親しんだキャラクターの異常性を、客観視するタイミングが来たとも言える。
 色んな人がそれぞれの角度から、自分に見えている世界や他人をマッピングして、誰が仲間で誰が魔物なのか見定めている、複合立体視の迷宮探索。
 爆発しそうな危険物と監視の目を届かせた、センシとマイヅルの調理場ではとても穏やかなコミュニケーションが育まれ、仲間たちが久闊を叙するはずの密室では、ライオスの魔物的価値観が不用意に飛び出し、マトモなシュローを打ちのめしていく。
 まこと一寸先は闇、道が見えたと思ったら迷い道くねくねの迷宮探索行であるが、では”マトモ”なシュローの考え通り、死の運命を受け入れて火竜に食われたファリンを諦めていれば良かったのか。
 ありえぬ富が溢れ、死者も生き返る奇跡の地が、ここ迷宮なのではないのか。
 そういう問いかけも、暖かな東洋飯作りとギスギス人生劇場の間で、面白い色合いを見せてきている。

 愛する肉親との離別を諦めきれない、ライオスの”人間らしさ”にも共鳴は出来るが、しかしこの世界の社会規範を当たり前に背負ったシュローのドン引きも、そらそうだと理解できる。
 かつてカブルーが兄妹を評した、『善人ではなく人間に興味がないだけ』つう言葉を裏打ちする、非人間的なズレ方が可視化される回だと言える。
 生き死にの土壇場で禁忌に踏み込むことを選んだマルシルといい、魔物食にためらいがない隠者たるセンシといい、そういう魔物性をライオス一行は、どっかに秘めている。
 ……どっちかと言えばシュロー的なマトモさを、備えているからこそパーティーの知恵袋になれているチルチャックは、貧乏くじ引くポジションだよなぁつくづく。

 では、この迷宮のどこに出口があるのか……あるいは”魔物”を殺し進むことで突破するのか。
 おぞましい怪物をなんとか料理して腹に収め、自分の一部と変えていくのか。
 簡単に見つからないからこそ迷い込み探る物語は、一触即発の危険を孕んだまま、まだまだ続く。
 人間の心のなか、あるいは人と人との間に広がっている迷宮は、より広く大きな”運命”にも足を伸ばして、様々な人を飲み込んでいく。
 ライオス達が迷宮を食っているように見えて、その実迷宮が人間たちを食っている入れ子の反転構造が可視化されていくのも、シュローやカブルーといった異物をライオス達に切り込ませ、新たな視点を付け足したからこそだろう。


 マルシル達と視聴者がうっかり美味しく楽しいものと馴染んできた、魔物メシがドン引き必至な異常行為であり、それでも命を繋ぎ願いを叶える大事な営みだった事実も、フツーのメシを作るマイヅルの手つきで、新たに照らされてきた。
 我が子同然に慈しんできた”坊っちゃん”が、寝食を忘れてやせ衰える悲しみを癒やすように、手ずから作った美味そうなメシを、危機を目の前にしたマイヅルは手放し符を握る。
 欠乏を満たすものであるよりも、戦うものであることを選んだ彼女が捨て去ろうとしたものを、センシがコミカルにキャッチしている様子が、僕にはとてもありがたいものに見えた。
 それは空中に危うく揺らぎつつも、まだ盆の上に乗っかって皆で食べれるものなのだ。

 ライオス達の楽しい冒険をカトラリー代わりに、この魅力的な世界を味わってきた僕らとしては、ファリン復活のために彼らが選んだ道が全部間違いだったと、地上の理屈で断じて欲しくはない。
 ましてや人間マニアの楽しい観察対象として、興味本位で引っ掻き回される言われもない。
 しかしそういう反発を突き抜けて、シュローやカブルーが持ち込んできた新たな視線は、確かに主役一行が選んでしまった道の危うさや問題を浮き彫りにし、当然起こり得る問題を表に引っ張り出してくる。
 というかカブルーがライオスの人となりをジロリと観察しているのは、能天気生物マニアに見えていない破局を回避するべく、大局的視座に立っているからこそだ。
 私的興味を満たしつつも迷宮の外に拡がる大きな世界、身内(パーティー)に収まらない広範な正義感を持ってる”マトモ”な人間は、やっぱり彼……あるいは愛する人の呪われし蘇生に真っ当に怒れる、シュローの側なのだ。
 しかしこの話……つうか血湧き肉躍る冒険譚全般、マトモじゃないからこそ面白くもあってな……。

 

 踏んだら終わりの対話トラップも、話していたらひょっこり顔を出すドン引きモンスターも、山ほど潜んでいる社会と世界をどう進み、どんな宝を持ち帰るのか。
 対話不能なモンスターではなく、対話必須な人間が話の真ん中に踊りだしてきたからこそ描かれる、融和と対立……その先に待つだろう決断と運命の物語は、人と怪物の中間点に立つキメラを画面に写し、不穏に次回へと続く。
 見知らぬ同士が交流するドラマを豊かに織りつつ、いいタイミングでテーマや価値観を相対化し、客観視した後に何が描かれるのか。
 次回も楽しみ!