イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

紅萩、野分に微笑む -2021年7月期アニメ総評&ベストエピソード-

・はじめに
この記事は、2021年8~10月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。

 

乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…X
ベストエピソード:第8話『お見合いしてしまった… 』

張り巡らされた演出意図、豊かな画材に流されることなく、何を描くかをしっかり見据えた、見事な短編でした。

乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…X:第8話『お見合いしてしまった… 』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

『結局はめふらとは、こういう角度で向き合うしか無いんだな』ということを思い知らされた二期であった。
僕にとって異世界転生モノというのはずっと異文化で、どこが面白いかを肌ではなく頭で受け取り分析し作品を解体しながら、メタ視点で読み解すジャンルである。
元々そういう傾向が強いけど、頭でっかちに作品の外側から、楽しさを解体してパーツの繋がりを確認し、確認しながら記述していく。
物語をロゴスで解体しすぎるこの見方は、”お話本来の面白さ”を徹底的に殺している感覚もあるし、その”本来”ってのがどう担保されているか実感がない視聴者としては、それ以外に方法がない諦めもあり、色々難しいところでもある。

難しい二期だろうな、とは始まる前から思っていて、実際想定よりも遥かにスロースピードに、物語は展開した。
第1話が始まった段階では、第3話くらいでスパッと魔法省にブチ込んで、そこで生まれる障害と克服、変化のドラマでうねりを作っていくと想定していたわけだが、蓋を開けると卒業は最終話までサスペンドされ、変わりなく無邪気で幼いカタリナ様の暮らしと、そこに宿る小さな兆しが描かれ続けた。
一期で炸裂した横紙破りの気持ちよさ、無自覚にフラグも世界の構造もぶち折って突き進む変化の快楽はそこにはなく、快進撃が生み出した幸福な凪、さざなみのように顔を見せる青年たちの変化が穏やかに刻まれていた。
停滞とも退屈とも取れる筆致だが、それは僕が確かに見たかったものであるし、けして乱雑に踏み荒らしてほしくないものでもあった。この筆致を二期が選んだことには、僕は納得と敬意を持って、時折文句を言いつつも楽しませてもらった。

この第8話はそういう二期の筆致が、最も豊かに花開いたエピソードである。花と水のモチーフ、明瞭な構図の意識を活用して、大変華やかに鮮烈に、ニコルの内面を活写している。
ただただ”連続する絵画”としての圧倒的な美麗がまず力強いエピソードであるけども、変化の見えにくい二期をそれでも確かに前に推し進めていた、穏やかなロマンスをしっかりと引き受けて、変わらなければならないと焦る思いと、変わらないことを選ぶ穏やかな決断がしっかり宿って、眩しく輝いてもいる。
選ばないことを選ぶ。
心地よい物語的状況を延々に続けたい、作家と読者の共犯に都合のいい題目であるけども、同時にそれは作中世界を活きるニコルが、花と水に満ちた美しい物語を経て確かに、自分の答えと選び取ったものだ。
その輝きを眩しく切り取ったこのエピソードは、単話としての圧倒的な仕上がりと同時に、非常に”二期”らしいエピソードだとも思う。花園は確かに時の流れにあって、数多の花の中からたしかに一つ、彼は選んだのだ。



・BLUE REFLECTION RAY/澪
ベストエピソード:第22話『 となりあわせの死』

それは確かに、そこにあるのだ。

BLUE REFLECTION RAY/澪:第22話『 となりあわせの死』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

いやまぁ……ベストっていうか、話の展開としてはマジで最悪で、ラスボスがどんな生き地獄を経て心の力を諦め、思いを罪悪と断じて静止した救済を世界にばらまこうと思ったか、キャラと視聴者が理解していく話なんだけども。
それでも、最初は年寄りの猫のように眠ってばかりいて、クール折返しでラスボスに躍り出て、触れ合うほどに救われなければならない切実な痛みを、救われない想いを滲ませていた紫乃の魂がどんな色か分かるこのエピソードが、やっぱり自分にはよく刺さる。

とにかく変なアニメで、異様な力みと切実さ、から回るトンチキと溢れる詩情が独自のデザインとテンポで襲いかかってくる、奇特なアニメであった。
一般的な基準からは珍味すぎるであろうし、異様なテイストに舌が受け付けない方も多数いるだろうが、僕の求める波長とはバッチリ共鳴し、大変楽しませてもらえた。
やっぱ眼の前の出来事、切り取られた世界に造り手とキャラクターが真摯で、どうやってもがっちり爪を立てなきゃ始まらない真摯さが随所に力んでいる作品は、ガワの至らなさや強張りを大きく乗り越えて、深く自分の好みに刺さるな、と再確認する半年であった。
一体この話が本物か否か、疑いながら始まった付き合いであったが、終わってみると自分の中で確かに財産となり、最終話の陽桜莉のようにオルゴールの中優しく並べ、時折思い出したくなる作品となった。

ぬか漬けだとフライパン殴打だのぼったち異能バトルだの、トンチキなところばかりが目立つけども。
機能不全家庭、貧困、暴力、断絶と弱者排除と、今モニターの向こう側で少女を、人間を、我々を飲み込みかけている様々な問題を、異能に反射させてしっかり見据え描いた、社会派幻想物語でもあったと思う。
このエピソードで描かれる教団の主張は、戯画化されてはいるものの実際世間に蔓延しかけている病で、しかもそれをただトレースするだけでなく、絶望を越えていける可能性、未来への処方箋もまた、自分たちが生み出す作品を信じて、この先の物語に……あるいは紫乃が神様になるまでの物語の中に、ちゃんと宿してある。
否応なく絶望し、断絶を知りつつ共鳴してしまう私たちの、人間としての当たり前。
そこにこそ希望があるし、力があるし、答えと不確かな問いかけが宿っていることを、紫乃が謎めいた謀略家として描かれた頃合いから……あるいはあの教会でずっと微睡んでいた頃からこの作品は書いていたし、この後の最終決戦でも描く。
そういう普遍的で、普遍的人間性と地続きなものにいつでも、異能を柱とする物語を繋げて描き続けことが、やっぱりこの物語で一番好きなところだ。

このエピソードを思い返しながら、いま全ての物語を見終えた自分を思い返すと、紫乃がここで否定し憎悪しつつ同化してしまった母の狂気と抑圧……弱者を踏みつけにする神という未来から、紫乃自身が望んだ当たり前の少女、自分の内側にも外側にもある弱さに寛大な”人間”へと、己を前に進め得たことが、作品を見終わっての満足に、強く繋がっている。
姉の命を奪った母の呪いを、恐れ憎むからこそ囚われ、再演してしまう哀しさ。
そういうものからも、少女たちはお互いの手を重ねて自由になることが出来る。
後悔まみれの過去にすら、共鳴する心が突破口を穿ち、ただ繰り返し過ち、出口なく惑う以外の道をいつか掴みうる希望は、ここで分厚い絶望を描けばこそ、力強い光として感じられる。
断絶に満ち、けして思い通りにはならない心と世界をこのヘンテコな作品は、凄くシビアな目線でずっと見つめ主人公たちに問いかけていたし、その下向きの引力に己を引っ張られすぎず、作品の力を信じてより良い場所へと、物語とその住人を旅立たせてあげた。
このエピソードに色濃く描かれる、少女たちを取り巻く赤黒い残酷に嘘がないからこそ、それを越えてなお生きようと、より強くより優しくなろうともがく人間の営みに、独自の説得力が宿るのだと思う。
その試みをずっと続け、独自のテンポと音色で素敵な詩を編み上げたのは、やっぱり立派なことだと思う。
とても好きになれるアニメで、いいアニメであった。


小林さんちのメイドラゴンS
ベストエピソード:第6話『合縁奇縁(片方はドラゴンです) 』

川辺は水と陸の境目にある。 人と竜に隔たれている自分たちを、あるいは気づかないふりをしながら、あるいは本当に無垢に、未だ見据えぬまま駆け抜けていく二人の少女。 その息吹を見守る存在が、”小林さんち”だけでなく街全体、名もなき人々の柔らかな共同体に伸びている。

小林さんちのメイドラゴンS:第6話『合縁奇縁(片方はドラゴンです) 』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

小林さんちのメイドラゴンS”は、とても面白いアニメだった。
このアニメが放送されるまでの道のりは”無事”とは欠片も言えないし、そういう困難があって乗り越えて……という色眼鏡をつけようが外そうが、大変に良いアニメであり、メイドラゴンの二期だった。
一期がよく出来ていたアニメほど全てを出し尽くしたからこそ二期を望まれるほどに好評で、一体何をやったものか、外野から見ててすら悩ましい、という状況は多くあるだろう。
この作品も竜と人の出会い、関係構築、掴み取ったものを堂々宣言しての障害克服と、お話の盛り上がるところは大体やってしまっていた。
物語の燃料不足が懸念される中、製作者が選んだのは『あまり足さない』ことであり、イルルという新たな家族が物語に加わりつつも、厄介な問題が押し寄せたり、新たな秘密が溝を生んだりとか、そういう操作はなかった。
ドラゴンたちは人間世界のだらけた生活を謳歌し、彼らなりに幸福を見つけ、様々に社会に関わる。人間はその日々に寄り添いつつ、色んなものを手に入れる。
そこにはとても穏やかで幸福な流れがあり、そうして手に入れたものが過去、打ち捨てたはずのものに向き合う力をくれたりもする。
エルマの過去が掘り下げられ、トールとの巨大感情が超新星爆発を生み出したり、イルルが失われた幼年期を小林さんちやタケの駄菓子屋を舞台に回復していく物語には、新鮮な歯ざわりがしっかりあった。

一見起伏が無いようでいて、奇妙な龍と人間が織りなす日常コメディには確かな感情の波、生活の息吹が宿っている。
機械のように活き方を決められていたファンタジックな世界では、けして得られなかった安らぎと生の実感。人間世界にはみ出してきた龍たちが、心の奥底で待ち望んでいた幸福を色んな場所で、色んな人と味わう物語を見続けるのは、彼らが好きな僕としてはとても嬉しかった。
とても幸福な日常に、シリアスな断層はない……というわけではなく、皆結構生真面目に、自分のあり方だとか過去の問題だとか、未来の行く末だとかに悩んでいる。
しかしそれは制御されないまま誰かに叩きつけられるのではなく、じっくりと考えて自分なりに答えを出したり、流れ行く日常の中で角を取っていったり、受け止めやすい優しさで大事な人に預けたり、事件にならない形で小さく小さく、答えを見つけていく。
この派手に吠えない、しかし真摯で楽しい人生の歩み方が、様々な面白さに満ちたオムニバスの随所に元気だったのは、とても良いことだと思う。

思い返すと、やっぱり『カンナカムイのアニメ』として見ている部分があって、彼女が小林さんちの子供として自由に遊び、学校で友達と学び、才川と睦み合っている姿をずっと見守れたのは、大変にありがたかった。
第7話の班行動、第10話のアメリカ大冒険と夏休みのスケッチも大変に良い。児童がどんな風に日常を過ごしているか、細密な観察眼と慈しみで以て見つめ、書き起こし、動かす情熱が、カンナちゃんを追いかける筆には大変元気であった。
人が生活を営むというのがどういうことか、”日常”アニメであるこの作品は細密に考えて、話の中心にいる特別な龍と人だけでなく、その周囲にいる名もなき人々、街の情景、確かに残る自然の色合いと合わせて、丁寧に描いてくれたと思う。
それは時に息吹の感じられないプラスティックな手触りで、”日常”なるものの冷たいイマーゴを描いてしまう”日常系”なるものの、最良の形であったと思うのだ。

この第6話、才川とカンナちゃんが駆け抜けていく水辺には、そんな視線が最も色濃いと感じる。
境界線の上を、断絶を意識することなく無邪気にかけていく子供と、その周囲に精密に配置された矛盾、対立、あるいはその融和。
劇的なイベントが一切ないまま、当たり前の児童の放課後にしか宿らない最高のワクワク、最高の友達との最高の時間を活写しながら、情景に宿り切り取られていくものを、僕はこの回の感想、かなり前のめりに見ていた。そこで見つけたものは見る側の、勝手な妄想ではないと思っている。

第12話のサブタイトル、そこでの川の使われ方が、このエピソードをベストに選ばせた感じもある。
流転していく水の流れに寄り添いながら、岸辺に二人腰を落とす。龍と人、能力も寿命も何もかも異なる人々が、別々に分かれていく”いつか”は必ず来るのだろうが、それは今ではない。流れ行く時の只中に身を置きながら、何を見て何を掴むか。
何が大事なのか。
けして話の真ん中にズンと重たく描きはしないけども、その答えを高らかに吠えることもないけども、確かに見つけ刻みつけて作られた作品であることを、あの最終回はしっかりと教えてくれた。
そうして逆回しに、このエピソードの意味を考え直す経験を経て……あるいはそれを全部飛ばして、ただただ川辺を走る才川とカンナちゃんが眩しくて、僕はこのお話をベストに選ぶ。
大変良いアニメだった。

 

 

・かげきしょうじょ!!
ベストエピソード:第1話『桜舞い散る木の下で』

彼女の世界が改まるほどの輝きは、作品が紅華をどう捉え、何を魅力として描いていくかを一番強く、僕らに伝えるだろうから。 そのための滑走路は、非常に周到に整えられてる。

かげきしょうじょ!!:第1話『桜舞い散る木の下で』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

作品と出会う第一話の仕上がりはいつでも、僕にとってとても大事で、そういう意味においてあまりにお話が気になりすぎて視聴後即、原作購入に突っ走らされた”かげきしょうじょ!!”第1話は大正解の第一話、といえる。
このお話が何を扱い、どう進み、キャラクターはどんな問題を抱えその克服のカギは何処にあるのか。
物語の見取り図をしっかり手渡す出だしであり、その手際に終始しない可愛げ、面白さ、輝きがしっかりあって、物語への強い期待を持てる。
ここで感じたときめきは裏切られることなく、全13話にしっかりとみなぎり、応えられて、少女群像それぞれの青春が笑顔と痛みをたっぷり宿して、緻密に描かれることとなった。
お話と初めて出会った時に受け取る情報、高まる期待、広がる想像はかけがえない宝であり、それを裏切られることなく拡げられる喜びを毎回受け取れるのは、とても幸せなことである。
そういう第一話であり、作品であった。

この段階から僕は愛ちゃんに目を奪われていて、彼女の頑なな振る舞いの奥に見えている震えと傷、癒えない欠落を四話まで追って、物語は進んでいくことになる。
実は愛ちゃんは主人公ではなく語り部で、内面も過去もあまり表に出てこないさらさという謎を追う、物語の進行役でもある。
天真爛漫、無敵の元気娘に思えるさらさがいったい、何を抱えて何に敗北しているのか。
この第1話で渡辺さらさに出逢ってしまった愛ちゃん(と僕ら)は、否応なくその影を追いかけ、その笑顔と輝きに魅せられて、物語の奥に引き込まれていくことになる。
実はサスペンスフルな作りをしているこの作品の中心に、切り込んでいく役目だけが愛ちゃんの全てでは当然なく、今まで発露することのなかった不器用な優しさ、燃え盛る情熱をさらさの手を取って、必死に探り当て形にしていく主体……の一人として、彼女は紅華を駆けていく。

第5話以降、かなりの駆け足で時を進めながら、アニメは群像一人ひとりがどんな思いで、どんな痛みとともに舞台に青春を賭けているかを描いていく。
そういう画角で”かげきしょうじょ!!”をやるためには、芯になる愛ちゃんとさらさを冒頭四話でしっかり打ち立てることが必要であり、同時に群像劇としての風通しの良さ、きらめく個性もスタートの時点で、僕は強く感じ取っていた。
自分たちが何を描き、何を切り取るのか。
その挨拶がしっかりできているアニメは、やはり面白い。
すべてを描ききることは当然出来ない”アニメ化”の檻の中、それでも自分たちが咀嚼し、作為品最大の価値と選び取ったモノに敬意を表しながら、絵に色と音を付けて命を吹き込んで動かす”アニメ化”の強さで、自分たちなりの物語を描く。
そんな営みが飛躍する滑走路として、やはりこの第一話はまばゆい輝きに、春めいた活力に満ちた、素晴らしいスタートである。


NIGHT HEAD 2041
ベストエピソード:第7話『世界の狭間 -Between the Worlds-』

スゲーぜこの豪腕…想定してたよりも怪作だったな、2041。

NIGHT HEAD 2041:第7話『世界の狭間 -Between the Worlds-』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

正直、書くことに困っている。
駄作ゴミクズと罵倒するのは流儀じゃないし、というかマジモンのゴミアニメってこんなもんじゃないし、作者が言いたいこと、書きたいことを大体把握できて、自分とは波長が噛み合わないなりに真摯に作品に向き合ってる姿勢が見えるこのアニメは、全くもって嫌いにはなれない。
それが僕に突き刺さるかどうかはさておき、書きたいことがあってそれと向き合い、12話のアニメーションをちゃんと作りきった事実には敬意を払うべきだし、実際大変なことだと思っている。
しかし素直に称賛も出来かねて、あまりに話の都合感が漂いすぎるキャラの退場のさせた方であるとか、頻発するワープでぶつ切りにされる語り口のザラつきであるとか、デカすぎる設定が空回りしてこちらに迫っては来ないまどろっこしさであるとか、文句言いたいところは多々ある。

霧原のニーサンが常時理不尽な状況にキレてて、感情グツグツ煮えたぎらせてるところとかかなり好みであったのだが、そんな理不尽が一気に押し寄せるこの回から折り返した物語は、そういう体温にあまり報いることなく、彼らを押し流し飲み込んでしまった感じがある。
個人的な好みとしては、この話数でニーサンが見せていた『フザケんじゃねぇぞジジイ!』という当然の怒りを武器に、もっと深くキャラの感情に踏み込み、宿命を切り分けた上で背負わせてあげて欲しかったと思っている。
ただまぁ、謎だらけでゴロゴロ状況が転がりまくる前半のフラストレーションが、『そういうもんあんです!』という暴力的な設定開示でベコベコぶん殴られ、一気に形を整えていくカタルシスが確かに、この話数にはあった。そういうのは、やっぱ好きなんだ。
この訳のわからねぇパワーと逸脱を、作中世界に生きるキャラクター個人の意志と個性にもっと強く絡めて、もどかしさを突破してくれたら良かったな、というのが、12話まで見終わった正直な感想である。
しかし『見たのが無駄だった』とかは、けして思わない作品でもあった。噛み合わない所、至らなく思える所も多々あったが、それだけではない魅力と力強さは、確かにあったと思う。
違和感やフラストレーションに囚われて、そういう実感を取り逃すのが嫌だから、アニメの感想を記し続けている部分はあるな、などと思いつつ、ともあれお疲れさまでした。


・Sonny Boy
ベストエピソード:第11話『少年と海』

ここまで見ていれば、猫たちの声は聞こえてくるだろう。

Sonny Boy:第11話『少年と海』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

正直、滅茶苦茶悩む。全話ベストと言い切れるくらいには、僕はこの作品に思い入れている。
それは第1話……というか放送以前から願っていた『オシャレ全開のぶっちぎりなセンス、溢れるイマジネーションを胸いっぱい浴びるのと同じくらい、漂流する意味、少年たちを主役に据える意味を骨太に扱って欲しい』という願いが、しっかり叶えられた結果でもある。
作品のどこに注目するべきか、どこに焦点があるのかを心地よい唐突の中で確かに伝えてくる第1話。
長良くんの祕めたる優しさが駆動を始める第2話、世界≒自分を変えうる手応えを感じだす第3話、作品が見据える軸が野球を通じて見える第4話、鬱屈の第5話を受けてたしかに一つの終局へと中間を導いていく第6話。
ショッキングな真実を知ればこそ力強く”卒業”していく者たちが逞しい第7話、ヤマビコの物語が物悲しい遠吠えを上げる第8話、猫たちの優しさが突き刺さる第9話、唐突な一つの終わりが”死”の重さを教える第10話、行き着いた先の微笑みを描く第12話。
どれも素晴らしい。

その上でこの第11話を選ぶのは、アニメーションとしての頭抜けた仕上がりの良さと、”死”に向き合うだけの成熟を長良くん達がどう身に着け、それでも受け止めきれないものにしっかり隣り合ってくれる友情の質感が、色濃く焼き付いているからだ。
自分たちだけのお葬式をいきなり始めた所でもうダバダバに泣いていたのだが、希が喪われた虚無に飲み込まれず、むしろ希を永遠に活かすために前に進むための必然として、誰に言われるでもなく殯の儀礼を整えていく彼らは、確かに立派な”大人”だった。
彼らがこれ以上無いほどの誠実さで希を弔ってくれたから、あまりにいきなり、あまりに虚しく(死なるものは常にそういうものであるし、若人の死はなおさらそうであるけども)死んでいった希を僕もまた、弔うことが出来たと思う。
そんな儀礼をわざわざ行うのは、自分たちが仮想の世界に生み出したコピーの命が確かに活きていて、弔われるに足りるだけの尊厳と輝きを必死に活きていたと、作者達が信じればこそだろう。
そういう被造物への、己の子供たちへの優しく逞しい視線がずっと、奇妙キテレツな物語にしっかり焼き付いていたから、自分なりの姿勢で、背筋を伸ばしたり寝転がったり逆立ちしたりしながら、お話に向き合うつもりになれたのだと思う。

長良くんは泣きじゃくる瑞穂を前にただ隣りにいて、泣かずに前を向く。
それはとても立派なことであるけども、真実宇宙に突き抜けていくためには彼も泣かなければならず、二千年の時を超えて賢者となったラジダニが戻ってきて、友として同じ役割を長良くんの慟哭に果たしてくれたのは、大変ありがたかった。
旅立つものがいて、残るものがある。
観測者がいなくなったあの世界は、果たして存在し続けるのか。誰もいない深山に倒れた木は、果たして本当に倒れているのか。
そんな問答を否応なく思い出すけど、実在なるものの唯一性を超えた所に話を持っていくために、作中の人物全てを現実の複写、唯一絶対の尊厳を持ちつつ静止したコピーでしか無い存在として描きもしたのだと思う。
たとえ”本当”というラベルがどちらにつこうとも、それがそこにある意味と実感は行いと物語の中にこそあって、彼らがそこにいた意味、僕らがそれに寄り添った意義は12話の物語、そこから生まれる共感と感慨それ自体にこそある。
そういうメッセージを勝手に受け取れる力強さが、作品の道具立て、語り口、ドラマの組み立てから立ち上がってきて、このお話でぶち上がっていくロケットが通弁に一つの答えを、言葉を超えた力強さで叩きつけてくれた。
僕はそう思った。そう、思える作品だったのだ。


ラブライブ! スーパースター!!
ベストエピソード:第11話『もう一度、あの場所で』

普通の話ならAパートラストで終わっても納得であるが、その先にある風景に主人公と物語を引っ張る説得力が、ここまで描かれた千砂都にあればこそ、生み出せた展開と言えよう。

ラブライブ! スーパースター!!:第11話『もう一度、あの場所で』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

まず大前提として、全話ベストである、という話はしておく。
無印とサンシャイン、少し外れた場所で虹ヶ咲。
凸凹はありつつも巨大コンテンツとして必要十分にウケ、多くの影響を及ぼしてきたこのシリーズの、最新作として”今”何をやるか。
よく考えてキャラを配置し舞台を編み上げ物語を組んで、出されたお話はどれも素晴らしかった。
敗北に傷つききったかのんの”今”が、クゥクゥの想いを無視できない優しさ、理不尽に反発する強さを蘇らせながら加速していく第1話。
ここまでLiellaの活動を頭ごなしに抑え込んできた少女が、一体どんな思いを背負ってきたか見える第7話と、そこからの開放が分断を結びあわせていく第8話。
”真ん中”に選ばれることを望みつつ運命に蹴り飛ばされ、道化になるしか己を守れなかった少女が夢を差し出される第4話と、その先にある景色へ力強く踏み込む第10話。
どれも最高に良い。

その上で、第5話第6話……あるいはそれ以外のあらゆる場面で描かれた、賢く自己を客観視出来て、しっかり為すべきことを成し遂げる自立の強さを持った嵐千砂都を前提として、さらなる高みへとキャラクターと関係性をジャンプアップさせたこの話数を、ベストに選ぶ。
嵐千砂都は魅力的な謎として物語の最初から提示されていて、『この優しくて逞しい少女は、一体何を考えてみんなを見守り、自分の夢に進んでいるのだろう?』と、自然思わされるキャラクターだった。
彼女のさばけた態度の奥にある、火の玉よりも熱い魂が暴かれ、暴れだし、抱擁の果てに新たに進み出すエピソード……そこで描かれたかつての澁谷かのんの英雄性、今蘇生しつつ在るものだけでも、嵐千砂都の物語は成り立つ。

しかしその先、英雄に並び立つ自分を自力で組み上げた少女の、友情だけを答えとしない強い踏み込みによって、澁谷かのんは真実敗北していた己、震えを”みんな”に預けられなかった過去を越えて、一人で立つ強さを手に入れる。
それは他ならぬ澁谷かのんから嵐千砂都が受け取り、黙々と自分を証明する奇跡に向かって踏み出す原点となったものだ。
自分の魂に強く焼き付いた、かつての星の輝き。
それを真実取り戻すために、どんな無茶苦茶でも、勝手なエゴに思えるものでも全力で叩きつけられる、強烈にすぎる信頼と愛情。
そういうモノを抱えた女が物語にいること、その牽引力で主役を引っ張ったことが、二度目の敗北に澁谷かのんが膝を折らず、『悔しい』という思いを周囲と共有できる結末を、とにかく強靭に引っ張り込めたと思う。
この話数があればこそ、澁谷かのんの物語として進んできたスーパースター! は未来へと繋がる価値在る敗北を少女たちに与え、”わたし”が”わたしたち”に……”みんな”になっていくために必要なものを、描ききれたのだと思う。

まぁスゲーシンプルに、感情の怪物としてあまりに規格外の巨大さ、強靭さ、エゴとアガペが完全に融合した独自すぎるフォルムを持った”嵐千砂都”の存在感が、ブッチギリだってのもあるけど。
いやほんとねぇ……愛すればこそエゴに沈むていう『一回目の答え』をゆうゆう飛び越えて、さらにディープ&コアに『誰かを思うということは、真実どういうことなのか』を問うてきた筆の強さは、幼馴染新世紀を高らかに告げていると思う。
千砂都の重すぎる信頼に、身勝手なエゴを欠片も嗅ぎ取らず、ただただ純粋に応えてみせる澁谷かのんの怪物的ヒューマニズムと合わせて、やっぱすげぇ話数だよ。