イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

寒風頬を裂く -2019年9月期アニメ総評&ベストエピソード-

・はじめに
この記事は、2019年10~12月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。

 

 

 ・Dr.STONE
ベストエピソード」第17話『百の夜と千の空』

こういう個人的な事情をしっかり見せることで、デカいことを為しげ続ける主人公が、バッチリ”人間”だって実感が視聴者に届くけんね。

Dr.STONE:第17話『百の夜と千の空』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 というわけで、19年9月期アニメ、最終回一番乗りは”Dr.STONE”だった。
いや…素晴らしいアニメ、素晴らしいアニメ化、素晴らしい最終回だった。最高でした。二期マジで楽しみにしてます。総評終了。

…で終わるのも味気ないので、何処が良かったかって話をします。
僕は原作ファンなので、原作の魅力がどれだけ殺されずアニメになってくれるかってのに、やはり注目してしまいます。
メディアが変われば、同じ話でも別物として生み直さないと行けないわけで。再編集、作品解釈の腕前一つで、作品は死にもすれば生きもする。どれだけ原作に敬意を払いつつ、そのエッセンスをアニメにするか、放送形態に見合った魅力を引き出せるかってのが”アニメ化”の勝負(の一つ)だと思います。

そしてこのアニメ、その勝負に120点で勝ってくれました。
動き、色が付き、喋る。アングルが変化し、BGMが乗っかり、ズームや引きの構図がリニアに使える。映像としてのベーシックな強さを、どっしり腰を落としてぶん回し、作画、美術、音響、声優さんたちの熱演……アニメならではの強みが、原作の魅力を最大限引き出してくれていました。
いいアニメ化をすると、原作と出会い直せるのが僕は凄く好きなのですが。千空がチート面した熱血人情野郎だとか、司の孤独と独善との対比だとか、医療救命技術としての科学描写だとか、千ゲンの巨大男男感情のデカさだとか、色んなものを再発見できる、良いアニメ化だったと思います。

基本テンポ良く進む原作の魅力を活かした展開でしたが、アニオリで太らせる部分はしっかり時間を使っていたのも、アニメにする意味が分厚くあったと思います。
特にこのエピソードは原作より太く、力強く”最初の六人”の人間味を描き、過去から未来へ継承されるもの、百夜の祈りを受け継ぎ千空が掴み取った輝きを鮮明にしてくれていて、非常にいい仕上がりでした。
心動かす勝負どころと見定めて、しっかりクオリティを上げて爆エモに仕上げたのも良かったし、『百夜以外の人々だって、必死に生きて死んだんだ』と改めて刻んだことで、世界観の横幅が広がったのも良かった。
主役のチート無双を気持ちよく描きつつ、様々な強さ弱さがある他者への敬意を忘れず、色んな連中の面白さと頼もしさ、一人では生きられない世界の残酷と豊かさを風通し良く描いたのは、この作品の大きな魅力でしょう。

ここで分厚く百夜を扱ったことで、中途に終わらざるを得ない物語にしっかり重心が生まれて、24話半年間の物語がどう終わるかしっかり定められたのも、ベストに選ぶ理由です。
思いを繋ぎ、夢を広げる。千空が成し遂げるこの物語は、こういうエピソードがあればこそ意味を持つ。
そういう明瞭な意識を持って一話を仕上げ、その強さを活かして最終話を描きぬく。自分たちが何を積み上げてきたか、しっかりまとめて終わらせる。
そういう巧妙な計算と構成が、今この瞬間、このキャラ、このドラマを熱く描ききる短距離走の熱量としっかり同居していて、非常に良かったです。どっちかになりがちなんけども、バランス非常に良かった。

予定されてた分割二期だとは思うけども、見ていれば『当然…待ってました!』と思える仕上がりでもあって、ホントに続きがあるのが嬉しいです。
そう思えるのも、24話の枠組みの中でどう盛り上がりを作り、テーマを刻み、キャラクター一人一人の生き様を活写するべく考え抜いた結果、ちゃんと終わったからこそ。
そんな物語中盤の起爆剤であり、前半から引っ張ってきた謎の解明編でもあり、最終話へ、その先の物語へと繋がる中継地点でもある。
そういう豊かなエピソードを、綺羅星のような話数から一つ、選ばしてもらいます。

 

放課後さいころ倶楽部
ベストエピソード:第11話『みんなのゲーム』

ボードゲームのみならず、TRPGシステム、TRPGシナリオを作るときの勘所が、かなり精妙に凝縮されている気がする。

放課後さいころ倶楽部:第11話『みんなのゲーム』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 胃に優しいアニメが好きだ。
別に、いわゆる鬱展開がないとか、ハードな暴力シーンがないとか、そういう話ではない。
自分が何を書いているか明瞭に見据えた上で、丁寧に客観性と譲れない主張で煮込んで、こちらに受け取りやすいキャラクターとドラマを適切に転がして、しっかり届けてくれる話が好きだ、という話だ。
深夜アニメは特定顧客に特化しすぎた商品であり、結構そういう消化の良さを蹴り飛ばしたりもするので、実は結構苦手なメディアである。『こんだけ大量にアニメ見て文章書いて、何いってんだオメー』って感じでしょうけども、まぁそうなのよ実は。

そういう意味で、このアニメは非常に良かった。
なぜゲームか、なぜ青春か。ジャンルのお約束に甘えず、一個一個のエピソード、描写と演出でもって『この葉な子がこの形である理由』を積み上げ、怠けずしっかり届けてくれた。
キャラクターは適度に明るく元気で、しかし不自然に明朗でも愚鈍でもなく、世界は静かに美しく解像度が高くて、ドラマには個別の躍動感が踊っていた。声高にではなく、穏やかに展開する青春にはしっかり友情と、軽い挿し色として色恋が踊っていて、とても良い色彩だった。
美姫を中心に、個性と特質がそれぞれ異なる少女たちが、アナログゲームを通じて出会っていく。プレイを通じて分かり合い、支え合っていく。その地道な日々に、確かにゲームの楽しさはある。
それが伝わるように、ゲームの勘所をしっかり抽出、説明し、視聴者に届ける行為を、このアニメは怠けなかった。なんでゲームが面白くて、この子らが愛すべき存在なのかをしっかり積み上げていた。
それはあんま目立たない。でも物語をつくる上で、非常に大事なことだと思う。しっかり煮込んだ上で必要な歯ごたえがあって、滋養が付いていい気持ちになって楽しめる。そういうお話を組み上げるのは、とても難しく大変なことだ。しっかりやりきってくれて、ありがたい限りである。

僕はTRPGというゲームを趣味にしている。紙と鉛筆(最近はDiscordとユドナリウム)を使って、卓の向こうにいる仲間と一緒に物語を作っていく遊びだ。この話で描かれたボードゲームやカードゲームとは別種だが、隣接した趣味だと言える。
そこでつくる物語の骨子を作って運営もするし、そうやって生まれた物語を走り抜けるキャラクターを作りもする。そんな物語が展開されるシステムも、時折つくる。そういう人間にとって、この物語が”ゲーム”を見据える視線はクレバーで、優しいものだった。
ゲームという体験が、何故楽しいのか。その楽しさは、何を生み出すのか。
それがしっかり捉えられ、ベラベラと長尺の設定語りを垂れ流すのではなく、キャラクターの”体験”として活写されていたことが、僕は凄く嬉しい。しっかり考えて、物語という形式でどう伝えるべきか、ドラマやキャラクターを考える。展開する物語に噛み合うゲームは何か、しっかり選び取る。
そういうことを怠けず、12話ちゃんと作ってくれて、とても嬉しかった。エミーと翠、二人のデザイナー志望がメインにいることで『作る側』の目線、ゲームが楽しみを生むメカニズムの解析が織り込まれていたことが、作品の奥行きを広げたと思う。

この第11話は、そういうビジョンが最大限活きたお話だ。翠ちゃんは自分のすべてを込めた”ワンルーム”をテストプレイし、ディベロップしていく。原点に立ち返り、自分の情熱をどう”ゲーム”にしていくか、コンポーネントやメカニズムを考え抜いていく。
伝わらない面白さに、意味はない。創作者の頭の中にある”楽しい”をどう外側に出して、ユーザーと共有していくかということに、娯楽をつくる難しさはある。このエピソードで翠ちゃんは、考え抜いてそれに挑み、ロジカルな思考の外側に飛び出すことで突破していく。
そんな苦闘を丁寧に、説得力と熱量を込めて語るエピソードは、僕にとって妙に懐かしく、生々しいものだった。かつて経験し、今経験し続けている”僕のゲーム”に、そこから繋がっている人たちを、不思議と思い出すエピソードだった。
そういう話が届いてくれることは、非常に稀有なことだ。このお話が見れて、僕はとても良かったと思う。

 

ハイスコアガール
ベストエピソード:第18話

日高さんは濡れている。ハルオに対して興奮し、愛おしく思う身体成熟を持て余している。 それは健常な成長の一側面で、怯えるものでも、バカにするものでも、遠ざけるものでもない。

ハイスコアガールⅡ:第18話感想 - イマワノキワ

 ハイスコアガールのアニメ化は、善いアニメ化が常にそうであるように、原作の魅力を最大限活かしつつ、アニメ独自の力強さ、新しい発見、思いがけぬ再発見に満ちたものとなった。
原作が持っているジュブナイルとしての強さ、ファンタジーとしての骨格、ロマンスとしての甘やかさをしっかり活かしつつ、動き、色と声がつく”アニメ”としてどう作り上げていくか。再構築し、語り直すか。
それをしっかり考え、自分なり形にした”アニメ化”は、やっぱりありがたくも面白い。3Dアニメという表現手段も、随所に生きる詩情豊かなレイアウト、画面が語りかけてくるメッセージの濃厚さでしっかり肉付けされ、非常に味わい深くものとなった。

そうしてアニメを(あるいはアニメで)”読み返し”ているうちに、自分の中で腑に落ちたものがある。
日高小春が”負けた”理由だ。

この話数で非常に鮮烈に表現されたように、小春は心身の発達に伴うセクシュアルな欲求に、しっかり寄り添っている。健全に、健常に体も心も育ち、愛おしい男と身体を重ねる瞬間を強く求めている。
それは幼年期をなかなか抜けきれないハルオにとっては過剰なスピードであり、それを拒絶することで……シンクロして同じ夢を見られる大野さんの速度に合わせることで、恋の筋道は決定的になっていく。

出会った時期は遅すぎ、相手に求めるものは早すぎる小春は、必然的にハルオの唯一にはなれない。大野さんこそがハルオの特別である運命と理由、ハルオの思い出に全て大野さんが突き刺さっている残酷を幾度も切り取りつつ、小春は闘いから降りることが出来ない。
それは非常にフィジカルで、頭で考えても諦めきれない情熱に突き動かされた、恋という名前の呪いだからだ。勝手に解けてくれるものではなく、激戦と友情を認めてようやく止まることが出来る、燃え上がる炎。
それに焦がされていたから、ここで小春は濡れた指先で誘い、拒絶されて抱きしめ、死角となった場所で運命の少女と錯綜する。あまりにもロマンティックで、あまりにも残酷な情欲と純情の衝突。燃え盛る火花。

それに嘘をつけなかったから、日高小春は負けたのだ。ハルオが見せてくれた、ゲームという新しい喜びにも、ライバルとして真摯に向き合った大野さんの思いにも、嘘はつけなかった。彼女は誠実で、真面目で、とても良い子だったから負けるのだ。
その、”ヒロインレース”という(あえて言うけど)ゴミみたいなジャンル・フレームにしっかり乗っかりつつも、そういう枠組みを思い切り蹴っ飛ばす欲情のうねり、勝ち負けを超越した誠実な生き様が報われるのは、この話数からかなり間があく。
最終話でようやく、ハルオはこの話数で見える不誠実にしっかり向かい、小春を選べないことを自分の言葉で、自分の責任で受け止めていく。あの渋谷で死ぬほど願った成熟は、決定的な敗北と……圧倒的な勝利を最後に小春にもたらし、ハルオは彼女を置き去りに最終決戦に飛び込んでいく。
遅すぎると思わなくもない。あまりに沢山のものが傷ついた気もする。でも、それを全部飲み込んでなお、指輪の暗号をおせっかいにも、バカ正直にも説いて教えて恋敵の恋を成就させる小春の想いが、一番色濃く焼き付いているのは。
成熟に怯えつつ、それでも踏み込むしか無い運命の一瞬を鮮烈に描き、思春期の非常に複雑な表情を切り取っているのは、やはりこの話数だと思う。”性”というものにかなり真摯に、踏み込めない震えと止められない誘惑を両方見据えながら描いている作品なのだと出会い直させてくれたのは、やっぱりこの話数なのだ。
そこに焼き付けられた少年と少女の、身勝手で抑えようもない青春。いつか大人になるために、大人になりきれない自分を嫌というほど思い知る瞬間。それを描ききったからこそ、最終話の大団円が腑に落ちる。これ以上無いと確信できるほど、良い終わり方にたどり着ける。
そういう話数を、ベストに選ぶ。絵空事の仮想と切り捨てられるゲームが、彼らにとってはあまりに切実な、血がにじむようにリアルな青春であったこと。そこにエロティックでフィジカルな、同じく切実な”性”のうねりと戸惑いがしっかり宿っていること。仮想と現実の境界は世間で言われてるほどシンプルではなく、非常に複雑かつ切実な越境と共犯が入り混じりながら、震えを込めて皆前に進んでいること。それが、この話数を見るとわかる。日高小春のエロティックな”雫”の描写が、バーチャルなピコピコに体温と重力を与えて、作品の質量を分厚く太らせている。それがわかる話数だ。
そういうものが、しっかりある。いいアニメだった。

 

・Z/X Code reunion
ベストエピソード:第2話『ドライブシャフト起動(イグニッション)!』

とにかく主人公が相棒に向ける感情がフルスロットルで、『出だしからそんなに飛ばしてどーすんの!』っていうぐらい、グラグラ煮立っていた。素晴らしい。

Z/X Code reunion:第1話&第2話感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 まぁジャンクだよ。
最初見て切った奴らも、最後まで見た奴らも、それは否定しないだろう。見てないでジャンクだ下らねぇだ言うのは良くねぇ。何らか評価を下すのなら、サワリだけでも自分の目で見て、自分の舌で味わった上で『ゴミだな!』と言ったほうが良い。言わないほうが良いけどさ。

そういうお話に背骨を入れて最後まで見たのは、やっぱり主人公の描画にブレがなかったところで。ゴテゴテ盛るほどにかっこ悪くなるオーバーブーストの設定とか、どーにも上から目線が抜けなくて体温の足らない救済意識だとか、色々粗は当然あるとして『リゲルが好き。世界で一番大事』という目線は、ずーっとブレなかった。
恋の中にあるエゴイズム。仲良しデコボコ集団を描きつつも、確実に存在する感情の高低差。それが作品と主人公を立たせる唯一の柱であれば、一切嘘なく、激烈にエゴイスティックに描き続ける。
その闘いに勝ったからこそ、このどっかで見たパーツをクタクタに煮込んで作られたアニメは面白かった。そんなポテンシャルをぶん回すのが第二話だったので、ここがベストである。

『まぁこの女が、狂った熱量でリゲルを見つめ続けるなら見れるな……』という予感はしっかり叶えられ、あづみちゃんは主人公として救世主として横幅広い動きをこなしつつ、行動の根っこにはリゲルがあった。リゲルしか基本ない、と言っても良い。
そういうエゴイズムが愛であり、他の奴らはまぁまぁどーでもいい。明言されない格差が人間の間にあって、それを踏まえてなお世界程度は救える。一見小綺麗にまとめられた『イイ話』に見えて、ニヒルでシニカルな人物造形が最後まで輝いていた。制作スタッフが狙った陰影なのかは、さっぱりわかんない。
纏の闇が表に出てくる第5話と迷ったけども、アレは製作者確実に手癖で回した結果であって、纏のPTSDは『なんかよくある、そういう感じの属性』が変な刺さり方しただけだからなぁ…。Z/X戦争の想像を絶するろくでもなさを、なんか背景にサラッと流してお気楽学園生活している所が、まぁなんというかこのアニメ全体を語っている気がする。
”ベスト”と言いつつ貶してる調子だが、やっぱ好きになれるポイントがあって、いいアニメだったと思う。勉強にもなったし、それ以上の感慨も終わってみるとある。そういうハンディな付き合いをアニメとするのも、僕は結構好きなのだ。ありがとう。

 

BEASTARS
ベストエピソード:第4話『君は聖杯までふやかして』

本音をむき出しにしただけじゃ、世界は面白い舞台にならない。本気で"嘘"を演じればこそ、ショーはショー足り得る。 でも、それはとても大変な"嘘"だ。

BEASTARS:第4話『君は聖杯までふやかして』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 知らなかった傑作と出会うチャンスとしても、優れたスタッフによる再解釈・再発見と遭遇する機会としても、”アニメ化”はありがたい。
原作からして大好きなこの作品を、オレンジがつくる。一報を聞いた時から上がった期待は、第一話の圧倒的なクオリティと均整、それを最後の最後まで……ドラマの盛り上がりに合わせてむしろ加速させながら走り切る姿勢で、見事に叶えられた。
二期まで決定して、とてもありがたい限りだ。

3Dモデルを使いこなし、新たな表現領域に挑む貪欲な新規性を、それと感じさせない角のとり方。長尺のカットワークに挑み、常に画面に意味と象徴性、緊張感をもたせ続ける精密さ。その巧さが、獣相のヒューマンドラマを駆動させるキャラの人格と可愛げ、物語の熱量を覚まさず、むしろ加熱していくバランス感覚。
非常に”巧い”アニメであったし、それ以上のエモーションと欲望がしっかり焼き付いた作品となった。目線と指先のエロティシズムを、どうアニメートしていくか。食欲と支配に結びついた”性”が、作品の中心に座る物語を描く上で必要な演出メディアへ、しっかりとアプローチされていた。

アニメを堪能する中で、色々見つけ直すものがあった。
肉食/草食というファンタジックな作品の土台を支えるために、社会内部での権力(暴力)行使、男女の性差とそれぞれの抑圧を徹底的に洗っていること。
レゴシ、ルイ、ハル、ジュノーという強烈な主役格を真ん中に据えつつも、相当に横幅の広い、厳しくも優しい視線で世界と人間を見据えていること。
”演劇部”という初期状態が、作品全体を横断する成長物語、社会の矛盾とその超克(の難しさ)を描く上で、大事な象徴となっていること。そしてそれが、既にゴールを指し示していること。

そういう、僕が知ってるつもりで知らなかった”BEASTARS”の色んな顔を見せてくれたことが、このアニメ化が素晴らしいと言える大きな理由だ。漫画から変わっている部分も。効果を考えると強く得心が行くブラッシュアップになっている。ハルちゃんの困窮を示すために、マットレス落とすとかね。お前は寝床でクソかき集めてんだから、寝床で死ね! 良い悪意の表出だ……。
そういうアニメスタッフの腕前と分析眼に、一番ガツンと殴られたのはこの話数だ。
ルイの復活をアピールするための道化にしかなりえないビルが、どれだけ繊細にイチコジンであるか。
”演劇”という舞台が、この後レゴシたちが飛び出していく矛盾まみれの社会と、そこで欲望とどう向き合い、どういう本音と建前を演じていくかというドラマを、見事に抽出しているか。
頻出する”鏡”のモチーフ。自己の投影先でありながら、身勝手なエゴ(その究極系としての捕食暴力)の犠牲にしかならない他者。他者をないがしろにすることによって傷つく自分。
そういうものを、演者とシチュエーションを変え、万華鏡のように折り重ねながら写し取っていく。”部”内部での複雑な人間模様をしっかり作っておいたから、裏街で”大人”を知った後の街の輝き、シシ組との死闘をくぐり抜けた後の光もまた、混沌の中に美しさを宿す。

この後レゴシの物語は、演劇部を離れ、学校というシェルターを離れ、より広い場所に進んでいく。しかし既に通り越したはずの、狭い場所での人間模様にこそ、その先にある広く残酷で美しい混沌を見定める足場が、しっかり用意されている。
そういう揺るぎのなさを見ればこそ、作品を信頼する心構えもできる。『このアニメに前のめりになってもいい』という決意を、ガッチリと固めさせてくれた意味でも、この話数は自分の中で、非常に大事だ。
アドリブと予定調和、暴走する本能と押さえつける器量が同居した、華麗なる”アドラー”。死の中に潜む美麗の陶酔、破綻寸前まで加速すればこそ盛り上がる舞台。その裏側にある傷を、見ようともしない観客の身勝手。
それは形を変えて、学園の外で、裏街や綺麗事まみれの世界で演じられることになる。そういう嘘が、非常に大事で綺麗であることもひっくるめて。
それをこのアニメが、どう切り取るか。二期は非常に楽しみだ。

 

・星合の空
ベストエピソード:選出不能

創作の危険物取扱資格は、誠実によってしか発行されない。それをこのお話が持っているかどうかは、今後の描画で証明されていくだろう。

星合の空:第1話感想ツイートまとめ - イマワノキワ

( まぁ、何言えばいいかはなかなか難しいよ。だからあんままとまった、”総評”と言える文章にはならないと思う。それでも12話見た以上、言いたいことも言うべきこともあるから、最終話に続いて少し書く。)

星合の空は、12話で終わった。
監督がTwitterで語ったところによれば、本来24話で2年以上進めてきた企画が、今年春に突然全12話に変更され、その形式に合わせるのではなく、本来予定された折返しポイントで放送を終える、という決断をした……ようである。
その裏側にどんな事情があり、銭金の話があったかは判らない。誠実な消費者としては色々想像し、配慮し、事情を考えなきゃいけないところなんだろうが、ズケズケと踏み込んでいいのかなという(ある意味日本人的な)物怖じもあって、分かり切ることは出来ない。
監督は24話やるつもりで、13話に続く第12話で放送を終えた。それが電波に乗るのか、監督の頭の中にある(中にしか現状無い)『本当の星合の空』が目に触れるかどうかは判らない。見たいと思うが、叶うかは不透明だ。
中保半端な未完成品を、あえて世に問う。反論罵倒は覚悟の上……というには、拙くゴツゴツした投げかけだとは思う。『客を、読者をナメてんのか』という気持ちもあるし、そうせざるを得なかった切迫感には勝手な親近も覚えている。
加えて中途に終わった傑作を、ズッと舌の上で転がし続ける苦味と甘み、作者と読者の権力構造がかなりグチャグチャになってるテキスト論的カオスが目の前にある興奮も入り混じって、なかなか『これだ!』という評価が出せない。

僕はこのアニメが好きだ。
フツーの深夜アニメでは切り取らないだろう、重くシリアスな”今”の問題を、いかにも青春スポ根群像劇と並走させる意地の悪さ。それを成立させるための、ソフトテニス描写の力の入れ方。キャラ萌えをブーストさせる可愛げある描写と、まったく可愛くないむき出しの暴力。
挑発と理知に満ちて、描きたいものが鮮明なアニメだった。だからこそ、この先にある物語は書かなければいけなかっただろう、と思う。あるいは12話というフレームに合わせて、どんな努力を払ってでも終わりまで書く道筋はあり得た、と。

世界には百億人の眞己がいる。暴力にさらされ、理不尽に殺されかけ、実際死んでいるたくさんの子供達。あるいはそんな子供時代をどうにか生存し、魂の荒廃によって新しい”眞己”を製造している大人たち。
そういうシリアスで責任ある領域に足を突っ込んでいたからこそ、このアニメは僕によく刺さった。皆を笑顔に繋ぐ庖丁を、殺人凶器とするかしないかのところでクリフ・ハンガーした(予定通り24話構成なら、年またぎの良いヒキになっていただろう)物語は、そんな”眞己”たちに現状への諦観を与えてしまうものだったのではないか、と思う。
少なくとも僕の中にいた”眞己”的なものは、『ああ、親父を殺さなきゃいけねぇんだな』と、あの赤黒い悪魔の城を見て思った。そう思わせるどん詰まりの圧迫感、どこにもいけない暴力性が、驚異的な精度で画面に宿ってしまうこと自体が、この中途に断ち切られた物語の良さと口惜しさを物語っている。
他人にぶっ刺すつもりで尖らせた、リアルなネタ。それを諦観で終わらせず、何らか解決(克服、変化……向き合い方は様々あるだろうけど、とにかく明るい方)へ進ませるビジョンとメッセージを与えきることが、そういう物語をチョイスした責務かな、と思う。

この『覚悟の12話』は、そういう部分を蹴っ飛ばしているのが一番良くないかな、と自分では思う。
飛鳥くんに自分を載せていた、性自認に悩む人達。樹の背中の聖痕を、自分のものだと感じたサバイバー。そういう存在に届きうる作品だったからこそ、その悩みと苦しさが何処に行き着くのかを……現実において悲しくも数多そうなるように、無理解と抑圧の中で窒息させる以外の結論(無論、それ以外の結論も沢山ある。重苦しければ、無条件にリアルってわけでもない視座は、この作品はちゃんと持っていた)を、描く責任があったのではないか。
放送当時の衝撃が少し和らいで考えると、やっぱ個人的にはそこが引っかかる。続きが出れば嬉しいし、出ないなりにこの作品を僕が飲み込む腹は(それなりに)固まった。
でも”今”にアプローチしようとした物語が、おそらく『売れない』というシビアでハードな理由によって断ち切られ、その寸断を作家が制御しきれない形で世に出した(出すしかなかった)現状を思うと、複雑な気持ちになる。
それは12話で描いた監督の作家性だけでなく、24話で世に出せなかったビジネス側の問題、作品と商品が絶対に切り離せない商業アニメというメディア、そこに繋がっている消費者/視聴者たる僕の問題でもあるのだろうな、と考えると、両肩に乗るものがやっぱり重い。

売れないアニメが好きなのか、好きなアニメが売れないのか。いわゆる”売れ筋”と呼ばれるアニメに食指が動かない、厄介なマイナー舌。
それを自覚するものとしては、このアニメは非常に好みに合った。巧いし、ありきたりでないし、可愛げがあるし、生き生きとしていた。
だからこそ、それが中途で”死ぬ”しかない現実を思うと、深い溜め息と『まぁそういうもんだよな……』という諦めが同時に出てきて、とても悲しくなる。
眞己たちが作中で戦っていた理不尽に負けて、それでも戦った結果がこの”半分”だと考えると、メタ方向に奇妙なシンクロをした作品だとも言える。それを手をたたえて笑い飛ばせるほど、僕はこの作品が嫌いじゃないし、好きでもない。

作品は予兆の先に結末を書く。少なくとも、優れた作品は。出題は解答できるように仕上げ、意外な一撃は殴りつけた後に納得を与える。そういう心地よい裏切りと共犯が、創作物への愛着を生む。
そうなれそうな予兆が、解決を待っている和音が、映像の中に満ちた作品だった。厳しく生々しい試練によってためされた、子供たちそれぞれの窒息。それがどんな突破を見せるのか、期待と希望を込めて見ていた物語は、赤黒いどん詰まりで終わった。

『終わりにするんだ』

眞己が呟いた言葉が、”終わり”ではないからこそ囁かれていることを僕は知っているけども、実際形になるのはそこまでで、確かに”終わり”になってしまった。
そのエンドマークの先にあったはずのものを、僕は代償行為として、治療行為として、読解行為として色々読むけども、当然オリジナルではない。期待するだけして裏切られた、作品が死産されるしか無い残酷な背景を一ミリも知らない読者が、無責任に、勝手に弄ぶ夢だ。
そんな夢想をかなりの精度で、信頼を持って戯れることが出来る作り込みを感謝すれば良いのか。それが到達するべき(到達して欲しかった)結末が描かれないことを、悲しめば良いのか。やっぱり良く分からない。

最終話ではなく”第12話”なので、話は途中だ。先に続く保証が、この折返しの先に何があるかを世に問うチャンスがあるかないか、おそらく”無い”よりにさっぱり不明なこととあわせて、全ては途中だ。
それは続くものとしての人生を、乾いて優しい視線で見つめていた作品と妙に重なっていて、僕は苦笑しつつ受け止めてしまう。受け止めないまま、好きだったものを憎むしか無い感情をブン回して生きていくスタミナは、今の僕にはない。悲しむべきか、喜ぶべきか。
おそらくベストは、この先にある。描かれないかもしれない彼らの未来、あの赤いどん詰まりの先にある風景に。だから、ベストエピソードは選出しない。
それが選べる日を、僕は待つ。
最悪の中絶が”終わり”になるのか、奇跡の復活を果たすのか。僕には分からないけど、確かに待つだろう。

 

GRANBLUE FANTASY The Animation Season2
ベストエピソード:第4話『届かぬ想い』

瞳も赤、ドレスも赤、トマトも赤…蒼なんて大ッ嫌い!

GRANBLUE FANTASY The Animation Season2:第4話『届かぬ想い』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 グラブル二期アニメは、いいアニメだった。原作ゲームをやっていないので、『再編集の妙味がどれくらいか』という視点は持ち得ないのだけども、このアニメーションで初めて大空陸の物語に触れる視聴者として、毎週ワクワクさせてもらった。
A-1からMAPPAへ、物語を引き継ぎつつ変化したスタッフと表現。抑えられた色調、勝負所を考えた作画力の投入、食事シーンを露骨なフード理論でぶん回す演出文法。
僕が”原作”に思い入れがないからか、それともいい仕上がりだったのか。その変化は心地よく受け取れた。仲間を集め、たびに出ていく段取りに結構時間を使った一気に比べ、仲間の過去や内面を深めていくエピソードの深度も、彼らが好きになっている僕には嬉しかった。
多分莫大なスケールなのだろう”原作”をアニメに咀嚼し直し、しっかり並べ直したストーリーは、骨が太く実は野心的な演出に助けられてよく刺さった。とにかく強くて色の濃い感情を抱えて、大空陸に生きている人たち。彼らがなぜ空に漕ぎ出していくか、色んなキャラクターの視点から立体視出来たのは嬉しい。
そういう作品の解像度を、クオリティがしっかり支えた。とにかく美術が最高に良くて、ファンタジックな世界に腰まで浸る快楽を”神撃のバハムート GENESIS”以来たっぷりと味わった。やっぱ風が吹いてる世界観は良い…。

キャラクターの描写で見ると、それぞれのエピソードで主役を張ったカタリナ、フェリ、ラカムと、彼らの感情を受け止めるヴィーラ、ドランク、ノアそれぞれがよく彫り込まれていた。
それぞれ事情と因縁、一筋縄ではいかない想いと願いを抱えて空を走っていく者たちが、一つの船に乗る。移り変わる舞台の美しさとあわせて、”旅”の面白さを上手くドライブできていたと思う。最終話でアポロとオルキス、オイゲンの因縁を”さわり”だけ凄まじい温度で叩きつけられてしまったのは、軽く恨み言であるが。三期はよ!!
さておき、そんなキャラクターの思いをアニメに焼き付けるべく、かなり攻めた演出をさり気なくこなしているところも良かった。これだけのビッグバジェット、安定した方向性だけで描いていけば良い……というのは素人の思い込みで、”グランブルーファンタジー”の看板を背負えばこそ、安定感といっしょに冒険もしなければいけないのだろう。
光や高低差、構図、象徴を巧みに使って、セリフではなくアクションで、説明ではなく描写で物語を埋めていくリッチな作りが、幾度も見られた。こういう『難しい』表現がこのポピュラーなタイトルで見れるのは、実は非常に幸福なことだと思う。

この第4話は、チリチリとヤバさの片鱗を見せていたヴィーラさんが心情を吐露し、思い切り大爆発するエピソードだ。どれだけの感情を”お姉さま”に懐き、それが叶えられなかったのか。なにゆえ、彼女は迷い間違えたのか。
それを描く筆は鮮烈で、見ているだけで強制的に、色んなものを理解らされてしまう。そういう豪腕を許すだけの繊細な演出力が、グイグイとお話を駆動させていく。その安定感と爆発力の同居は、二期全体に行き渡り……このエピソードが一番色濃く出ている。
最終話で好きになるしかなかったオルキスちゃんと、人間づきあいがあんま上手くない蒼の少女たち相手にお姉さんぶるイオちゃんがマジで可愛い第7話とかなり迷ったが、作品の最大火力を評価する方向で行こうと思った。他のエピソードもそれぞれの美しさ、それぞれの熱量があって、どれも良いのだけども。

こういう個別の輝きを、縦軸としてしっかり支えていたのが主人公・グランくんの描写だ。一期での出会いと旅立ち、決断と成長をしっかり踏まえて、”団長”としての頼もしさ、変わらぬ精神のみずみずしさを輝かせてくれた。
一期第11話で確認した、胸の中の青い輝き。ルリアへの愛と信頼が一切曇らず、リセットされるどころか日常と激戦の中で光を増していくのも素晴らしかった。グランくんは日々新に、自分が守るべき大事なものの意味をしっかり捕まえ直し、体を張って証明し続けていて、本当に偉いと思います。こういう主人公がいてくれる”王道”は、マジで強い。
ルリアも少女の可憐、運命に巻き込まれた苦しみと不屈の心をしっかり輝かせる、最強のヒロインでした。オルキスというシャドウを出すことで、ただただ儚く美しいだけでなく、星晶獣と繋がる特別な運命も色濃く描かれていた。それに負けそうになった時は、グランくんが空から落ちてきてルリアLOVEブレードで一切合切薙ぎ払ってくれるよ! そんなグランくんがダメになったら、ルリアが支えてくれるよ!!
主軸になる2人の安定感を、毎回研ぎ直す。人を愛し、新しい世界に出会うことがどれだけ強い力になるかを、色んな角度、色んなキャラクターで描く。
冒険ジュブナイルのど真ん中を、堂々疾駆するアニメになりました。非常に良かったので、露骨に続いている物語をちゃんと三期という形にして、グランくんの新たな冒険を是非見せてほしいと思います。マジでアポオルの結末お願いします……。

 

ヴィンランド・サガ
ベストエピソード:第6話『旅の始まり』

こんだけの罪科を殺したての”ジャブ”として打ってくる以上、トルフィンの復讐行は相当に重たく、厳しいものになっていくのだろう。見る側も覚悟がいるが、面白い。やったろうじゃねぇか。

ヴィンランド・サガ:第6話『旅の始まり』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 終わってみると、楽しいアニメだったな、と思う。血みどろ、残虐、理不尽。娯楽として飲み込むにはあまりに重たいものを描きつつ、飲み込まざるを得ない熱量と迫力、醜さと美しさがたっぷり詰まった、長いサーガの序章。
どれもがベスト級で、第14話の静謐なる残虐、クヌートの覇道が動き出してからのドラマティックは、非常に力強い。鮮麗な美術がしっかり仕事をして、人間の業の醜悪を強調し、神が見下ろす世界の美しさを浮き彫りにしていく。
愛とはエゴであり、救済は死にしかない。ヴィリバルド師が語る悟りを越えてなお、人が人たる地上の楽土を掴まんと、父殺しを決意するクヌート。その理想の礎として、狂奔の仮面のまま死に絶えるアシェラッド。
そんな歴史のうねりから置き去りにされ、ただ身の丈にあった幸福とその喪失を、復讐で購おうとした少年、トルフィン。アシェラッドとクヌートが己の生きる意味を、血みどろで掴み取るのに対し、彼は盲目の犬のように吠え、噛みつき、同じ場所を回り続けて2クールが終わった。

僕は漫画原作を知らないままこの作品に触れたので、トルフィンくんは第1話の可愛らしい少年のまま、記憶に刻まれている。復讐のために”ヴァイキング”に成り果てても、答えはいつでも故郷にある。
本当の戦士となりえた父、物語の最初に死せる偉大なる先人。トールズがたどり着いた場所が、いつでも正解であり、しかしそれはあくまで”父”の答えだ。アシェラッドの死体の先に待っている、復讐を奪われた空白地含め、トルフィンは偉大な(そして邪悪な)”父”たちの背中を越えて、自分だけのサーガを刻まなければいけない。
祖のための前段階としてこの長いアニメはあったわけだが、そんな”本編”にたどり着くためにはたっぷり奪われ、間違えなければいけない。空っぽの復讐者、愚かなる餓鬼、汚れきった殺戮者として時を重ね、戦と刃の愚かしさを学ばなければいけない。

そのための接合点として、可愛かったトルフィンくんが”ヴァイキング”になってしまう宿命を飲み込むことが、アニメから見た僕には大事だった。
多分、第3話までの平穏な世界がいつでも正しい。そこにこそ答えはあるけど、しかし真実その意味を知るためには、厳しい旅路を続けなければいけない。自分の思い出を取り戻すために、誰かの安らぎを燃やしてしまう愚かさ。刃を持って奪われたものを、刃で以って取り返そうとする矛盾が、この先に待っている。
このエピソードはじっくりと、それを教えてくれた。『このやるせないどん詰まりを、ずっと追いかけていくのだ』と差く品が静かに、確かに語りかけてくれたことで、非常に物語と対話しやすくなったと思う。こういうエピソードに労力と尺をしっかり使ってくたからこそ、のちの大スペクタクル、勝負所のデカい感動を咀嚼する足場ができた。
聞けばかなり、アニオリが入っているという。そうやって入り口を整え、残酷無残な”ヴァイキング”の旅路に寄り添う支度を、作品がしっかり整えてくれる。それが明瞭に機能していることが、アニメを入り口に作品と知り合った視聴者として、とてもありがたかった。
そういうアニメ独自の工夫が生きて、僕の視聴体験と共鳴した記念として。そしてトルフィンの失楽と、”母”なるものとの決別をしっかり刻んだ一個のドラマとして、非常に心にのこるエピソードである。

 

ぼくたちは勉強ができない
ベストエピソード:第7話『人知れず天才は彼らの忖度に[X]する 』

まだ形にならない恋のトキメキも大事だけど、受験を頑張る中で出会った人、見つけた情緒こそが、緒方理珠最大の”青春のお土産”なんだと思う。

ぼくたちは勉強ができない!:第7話『人知れず天才は彼らの忖度に[X]する 』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 まぁ俺が緒方くん好きだ、ってのは置いておいて、だ。
結構変なアニメだったと思う。全体的にテンポが緩くて、あんまガッツイてない。恋愛エンジンかかりは悪く……というか、最終回を迎えてなお全然駆動していない。受験が繋ぐ友情と成長、小さな自分を乗り越えてだんだん大きくなっていく身の丈。
たまに(あんまり上手いとは言えない)肌色サービスはあるけども、基本的に非常に健全な世界認識、人間把握に則った成長物語が、ジワジワと展開していく。その生真面目さを大上段でぶん回すわけでもなく、ドタバタとグダグダが心地よく迫る。

そんなテイストが原作由来なのか、岩崎監督の味なのかは、なかなか判別しきれない。『僕の好きな岩崎良明』を凄く良いコースに投げ込んでくれて、彼のファンとしては大満足である。やっぱこのくらいの微温が、非常に肌にしっくり来る……。
”あの”最終回にあんまカリカリ来てないのは、ヒロインレースの勝馬投票券をあえて買わず、子供たち全員が幸福に成長していって欲しいと願いながら作品見てた立場もあろう。一応、うるかちゃんが報われると良いなとは思っていたけども、成幸くんが選ぶ道ならどれもが幸福を呼ぶだろうな、とも考えていた。
まぁ決断に至る過程が全部すっ飛んだのは、モヤッともするけどね……。そこに至るまでの色々に対する感情は、最終話感想に込めたのでまぁ良いや。トータル、いいアニメだったと思います。

ジジイの慈しみ視点で見てると、緒方くんは本当に可愛い子で。天才だってのに全然センサーが働いて無くて、他人の思いも自分の気持ちもさっぱりわかんないまま、成幸くんや大事な友達(関城さんはマジ立派)と触れ合う中で、人格を豊かにしていく歩み。
まんじゅう顔をぷっくら膨らませて、笑顔になったり怒ったり。彼女が一喜一憂するたびに、とても良い気持ちになれた。彼女が”合格”という結果にたどり着くまでに、どれだけ沢山のまんじゅう顔を積み重ねるか見たかった気持ちは、やっぱりある。
その1ページとして、あの子が色んな事件に出会う、なんてことないこのお話が僕は好きだ。エピソードとしての盛り上がり、勝負所は文乃の第10話なんだろうし、あの話も大好きだけどれども。
このお話のぬるま湯感、どーでもいい日常に宿る温もりと大切さは、僕がなんでこのアニメを好きになったか、そのエッセンスがギュッと詰まっている。私的なベストエピソードは、そういうモノを選ぶのが良いかな、と思うのだ。

 

ノー・ガンズ・ライフ
ベストエピソード:第10話『幻肢』

今後の鉄郎の生き様が、コルトの墓標になるわけよ…。

ノー・ガンズ・ライフ:第10話『幻肢』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 腐りきった街で、屈服せずに生き様を貫く男。
チャンドラー……の源流たるホームズ(ちょうど”歌舞伎町シャーロック”と放送時期がかぶったのは、個人的に面白いシンクロだった)の血を引く十三は、アクションとガジェットを交え事件を処理していく物語。
サイバーパンク浪花節。己を強く持ったプロフェッショナルが演じる、命がけの意地っ張り。そういうモノをたっぷり楽しませてくれるこのお話は、非常に良かった。キャラの根っこの部分は輪郭だけが見えて、中身がまだ描かれていないけども、二期があるなら良いクスグリだろう。

しかし十三だけであったら、このお話そこまでコクがなかったと思う。最初の事件の被害者であり、相棒候補としてさんざん間違え、無力を味合う鉄郎の存在が、十三の完成度に良い奥行きを与えている。
”間違えない大人”である十三と、間違えて学ぶ”子供”たる鉄郎。二人のハーモニーがクソみたいな街に響くことで、作品独特の音楽が聞こえてくる。この構図が一気に形になるのが、この第10話だと思う。

鉄郎は今まで庇護されていた十三を画面外に追いやり、独力で困窮や暴力、理不尽と向き合っていく。結果はハッピーエンドじゃない。自分の弱さを思い知らされるだけだ。
しかしその学びこそが、おそらくは十三を無敵のタフガイに変えた地金であり。少年もまた、この苦味を噛み潰して前に進んでいくしかない。その錆びた質感、子供と大人の人生が交錯する立体感が、作品世界の”当たり前”を地道に背負ったコルトの造形と上手く響き合い、良いエピソードに仕上がっていた。
メガアームド斎時貞大先生大暴れのエピソードから選ぼうかな、とも思ったけど、アレやっぱ出落ちだからな……むちゃくちゃ面白いけど。ベーシックな部分の強さが作品全体の強さだと思うので、しみじみ苦くてしみじみコクがあるこのエピソードが、一番良いと思った。二期も楽しみにしています。

 

 神田川 JET GIRLS
ベストエピソード:第7話『疾走る理由』感想ツイートまとめ

どれだけ自分のほんとうを、震えながら差し出せるか。差し出された柔らかなものを、受け止めて一緒に前に進めるか。 ジェットガールズにとって、レースはそういう場所になりつつある。

神田川 JET GIRLS:第7話『疾走る理由』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 情景の綺麗なアニメだったな、と。終わってみれば思う。凄く真っ直ぐな挫折と葛藤を抱え込んだ女の子たちが、出会い触れ合って、その熱量に怯えて身を離してしまう。それでも近づいて、だんだん関係を作っていく一歩一歩を、凄く綺麗な描画の中で積み上げていくアニメだった。
そこに清潔感と透明感を追い求めるのではなく、ザラッと脂っこい肌色描写、そこに透けて見える”男”の視線が乱反射している所が、この作品(というより、金子ひらく作品)の独自性だと思う。
綺麗にアク抜きしてしまうより、なんか生身の存在感みたいなモノがあって、僕はこの独特の描写がとても好きである。上手く扱わなければダイナシになってしまいそうな露骨さに、あえて踏み込んで噛み付いていく。如何に刺激的で斬新なサービスをねじ込むかも含めて、ある意味職人的に挑戦しまくっていく。
その鼓動が奇妙なグルーヴとなって、凄く繊細に自分を探し、誰かの愛情を受け止められるだけの人格を手に入れようともがいている少女たちを照らしているのは、僕は凄く好きである。

このお話はいかにも黒髪クール女として、陽気なグイグイ系女にズブズブ行きそうなミサちゃんの迷走を軸に進んでいく。彼女は自分のコンプレックスとも、ジェットレースへの情熱とも、凛ちゃんの真っ直ぐな愛情とも、なかなか上手く向き合えない。
そんな彼女の”間違い”を正していくことで、物語は推進していく。明るく、元気に、楽しく。ミサちゃんの屈折を受け止め、ともすれば後ろ向きになりがちな彼女を引っ張る凛ちゃんは間違えない。太陽と月の距離感は、変わることがない。
そういう安定感で押し込んできて、一気に反転するのがこの七話である。第一話冒頭から情報としては示されてきた、母の喪失。それがどれだけ、太陽印の明るい女の子の胸に強く刻まれているか。失われたものを満たしてくれる存在を、強く求めているか。
それを静かに、強く見せるのがこのエピソードだ。凄く気持ちのいい裏切りであり、自分が見落としていたものを鮮烈に突き刺されるエピソードでもあり、非常に好きだ。

物語を消費するという行為は、常になんらか型にはめ、ジャンルとイメージの先入観を通してストーリーを消化していく作業だ。『こういうキャラはこうする』『こういう展開はこうなる』という学習は便利な道具だが、作品一つ一つ、キャラクター一人一人と向き合う時は、余計な歪みを時に生む。
だからそれを引っ剥がして、裸眼で作品と向き合うよう気をつけているのだけども、体は楽をしたがる。知っているパターン、手に入れた思い込みでお話を消化しようとする。
このエピソードで凛ちゃんが、凄く脆いものをさらけ出してきたときに、僕はそういう自分の無意識の歪みを、幾度目か認識することになった。片方間違えて、片方が正す。そういう型にはまったコンビネーションが、実は双方向の依存と愛情に絡め取られて存在していると作品が語りかけたときに、”意外”に思ってしまった。
そう思わされる作品は、やっぱり良い。一個一個手びねりでキャラと、お話と、自分たちが積み上げている作品世界と対話しているからこそ、そういう裏切りもある。ポルノとしていくらでも型通りやれる、むしろ型通り裏切りがないことを求められるジャンルの中でも、それをやっている。
そういう鮮烈さがあるのは、やっぱり凄いことだと思う。

 

バビロン
ベストエピソード:第1話『疑惑』

事件はつまらない汚職から麻酔医の自殺、大物議員秘書へと繋がり、男たちは夜を駆けていく。紫色の、淫靡で曖昧な光に満ちた夜。

バビロン:第1話『疑惑』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 一ヶ月の休止を経て、1月の終わりにやってきたバビロン最終話。なかなかに評価が難しいところで、今も定まりきらない部分がある。
起承転結の”転”で強引に、出来る限界まで良質に誠実に”終わらせた”感覚は、多分三巻までしか出ていない原作を見るだにあまり間違っていない……と思う。こう終わるしかなかったが、こう終わってしまった以上”転”たるアメリカ編でたっぷり積み上げられた思索と長ったらしい会話が、真価を発揮するタイミングは正直無い。
善と愛、男と女。アメリカ大統領の自殺体により変貌した先の中、二つの対極が全てを集約するクライマックスへの前フリ、豊かな畑に思索の身が伸びるための”耕し”として、一月を延々喋り倒した長く重く少し退屈な物語はあった…と思うのだが、そういう炸裂とは違う道をアニメは選び取り、立派に終わった。

2019年9月期は本当に激動の季節で、終わらず続くことで作家の矜持を顔面になすりつけてくる作品もあったし、延期も一週間から三ヶ月先まで山盛りだ。そんだけアニメ業界を取り巻く環境が厳しいということで、当然視聴者サイドにも理解が必要だが、同時に勝手を気ままに言わせてもらえば、ちゃんと枠の範囲で終わっては欲しい。
そうも出来ない事情があり、『終わるのであれば……』と飲み込んでいる状況で、こう終わった。やっぱり評価は難しい。『曲世愛は、彼女を中心に蠢いていた邪悪なる人類革新(あるいは終焉)の気配は、もうちょいデカくやれたんじゃないかな……』という期待感は、今でもチリチリと焼けている。
まぁまどが”結”書かねぇのにアニメ企画動かしたその最初から、約束された結末だったのかも知れない。そう考えてみると、非常に窮屈(暴力やセックスへの表現規制含む)な状況で、出せる最善を必死に追い求め、『より良い終わり』をなんとか掴んだアニメであったとも思う。
愛ちゃんはああ言うけども、『終わる』ってのはまぁ、そこまで完全無欠に悪いことでもなく。終わることで始まり、また続いていってしまえる不可思議について、キッチリ踏み込んだ思索を展開できなかったのもまた、アニメの苦しいところだったかも知れない。

そういう苦しさはやっぱり第三章でブワッと湧き出るわけだが、そこに至るまでの”起””承”たる7話までのヒキは、淫猥にして蠱惑、サスペンスフルで非常に強力であった。
緊張感のある絵作り、見せ方の工夫とタイミング。どれをとっても非常に的確かつ強力で、エロスとタナトスが入り交じる良い色彩だった。
この作品のセックスはあくまでショッキングな”ヒキ”として機能して、終盤あんま視線を向けら得れなくなってしまうのだけども。やはり性を入り口に興味を引き、生と死の絶頂が混濁する瞬間を描くことで、愛が生み出す(善が闘う)死の誘惑、世界を巻き込む終わりの匂いは、しっかり際立ったのだと思う。
この第一話で世界を埋め作る、紫と緑が入り混じった重層的な闇。終わった後思い返してみると、この色彩に魅入られて最後まで見たな、という感じはある。静かに、正しく滑り出したように見えて、なにか得体のしれない、とてもデカい怪物に撫でられているような戦慄と期待。
曲世愛の声すらよくわからないのに、確かに誘惑される。最悪のファムファタールの魅力が、作品全体を大きく牽引していたこの作品に置いて、”夜(ニュクス)”の多彩な表情は確かに魅力だった。
よく整った硬さを丁寧に回して、最後の最後に文緒の自殺体をショッキングに突き刺して作品に引き込む構成の巧さもあるけど、やっぱりあの夜の面影、紫と緑の色彩こそが、僕にとっての”バビロン”であった気がする。