イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

デリシャスパーティ♡プリキュア ベストエピソード7選

 先日無事完結を迎えた”デリシャスパーティ♡プリキュア”、自分なりのベストエピソード7つを選ばせていただきます。

 

 

 ・第12話『小さじ一杯の希望! ジェントルーの本当の心』

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 序盤を支えてくれたジェントルー最後の戦いであり、ゆいちゃんの主人公力があまね会長を救う回。
 ”ご飯”がメインテーマであることは事前に伝えられ、ワイワイ賑やかに日常を転がしつつ、食べることの意味と価値に関して結構生真面目に描いてきたデパプリが、実は”言葉”と”継承”をもう一つ柱としているのではないか……? と思わされる回である。
 言葉を使って好きを守り、奪われたものを取り返していく強さはゆいちゃんがお祖母ちゃんから引き継ぎ育んだもので、たくさんのキャラを救った大事な武器だ。
 この段階ではその包容力と逞しさに目が行っているが、一年かけて受け継いだものの裏にある危うさ、ゆいちゃんだけの言葉を見つける難しさを掘りに行って、別角度から主役の光と影を照らしたこと含め、”言葉”をどう使うか、使わせるか、かなり考えていたシリーズだったと思う。

 

 

・第18話『わたし、パフェになりたい!輝け!キュアフィナーレ!』

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 あらゆるプリキュアがそうであるように、デパプリも既存の”プリキュア”という枠組みからあえて己を逸脱させて、新しい挑戦でもって自作をかき回す試みを頑張っていた。
 それを二文字でまとめると”ヘン”になるのが、このアニメの面白いところだと個人的には考えている。
 せっかく助けた敵幹部が日常生活に戻ってくるまで自宅でしばらく寝込んでいたり、この話数のタイトルにもある奇妙な言語感覚とペーソスは、しかし(多分)一番作品世界を見る視線が低く土臭いプリキュアが、描こうとしたモノにしっくり来ていたように感じる。
 大人びたあまね会長からは出そうにない『パフェになりたい!』という幼い願いを、ゆいちゃんが取り戻させることで彼女はプリキュアとなり、一足先に人生の凸凹を良く知ってる頼れる先輩として、大いに仲間の力になっていく。
 そんな彼女の正しさに頼りつつも、その裏にある規範意識の危うさ、ドス黒く燃える憎悪の炎にもちゃんと向き直させて、同じ立場である幹部連中が自分を見つめ直す助けもさせていたのは、菓彩あまねという人を良くみた話数の使い方だったと思う。
 個人的には分かりやすいポンコツにそこまで貶さず、気品と強度を保ったまま親しみやすさと可愛げを作れたあまねの描き方は、相当に好きである。

 

 

・第21話『この味を守りたい…!らんの和菓子大作戦』

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 このヘンなアニメで最も明瞭に”ヘン”なのだと描かれ、ヘンでバカだからこそ感じる劣等感や戸惑い、規範から外れてしまっている自己認識と自分らしさを彫り込んでいったらんちゃん。
 横並びの一般性からははみ出しているけども、だからこその個性を仲間や縁ができた人に認めてもらいながら、一歩ずつ世界を知り自分を作っていった彼女の足取りは、デカい話をあえてやらなかったこのアニメ”らしさ”を、一番濃く体現するキャラかもしれない。
 この話数での彼女は世間知らずで頑なで、けして物分かりの良い”イイコ”ではないが、商店街の栄枯盛衰に仮託された滅びの宿命と、それを超えてなお生きていける人間のあり方に、地味ーなところから生真面目に取り込む姿勢もまた、大変に”らしい”。
 人間解らないからこそ解っていけるものであり、今はなにも解らない自分に、時に拒絶反応で強く反発を見せながらも向き合って、一個ずつ何かを掴むことが大事なんだと思う。
 SNS要素を背負って今っぽさを担当したこと含め、”ヘン”ならんちゃんの発展途上を一個ずつ丁寧に積み上げていった物語は、とても好きである。

 

 

・第23話『ここねのわがまま? 思い出のボールドーナツ』

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 らんらんが察しと物わかりが”悪い子”担当だとすると、一見賢く物わかり良く、その分物凄い強い力で自分を押し殺している”良い子”なここねちゃんは、かなり生々しい難しさの機能不全家族にメインで切り込む、これまた挑戦的なキャラクターだったと思う。
 誰も悪気はないんだけども歯車が噛み合わなくなって、気づけばどん詰まりまで追い込まれてしまった芙羽家のドラマは、大人を万能無敵でもなんでもなく、ときに間違いときに悩み、それを改めるからこそより正しくあろうと頑張ることが出来る、当たり前の人間として描くことを可能にした。
 これをヤダ味少なく描き切るのは相当難しかったと思うが、食べて生きて死んでいく、人間の当たり前を話しの真ん中に据えたデパが選んだ地道な語り口が、プリキュアらしい楽しさを維持したまま、土の匂いがする問題を身近な手触りのまま扱うことを可能にしていたと思う。
 出来るからこそ放って置かれ、良い子の檻に閉じ込められる切なさ、苦しさをここねちゃんはしっかり物語の真ん中にもってきたし、創り手たちはその繊細な難しさを投げ出すことなく、家族がもう一度ひとまとまりになって自分たちの形を探し作っていく、手作りの再生物語をちゃんと走った。
 それは”作って、共に食べる”というデパプリのテーマを、芙羽家を素材に力強く描く妙手だったように思う。
 色んなものが失われ壊れかけるが、それを見つけ直し自分なり作り変え共有することは、無理でも無駄でも無意味でもないのだ。

 

 

・第27話『コメコメ大変化!?らんのハッピー計画』

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 中盤の個別回は圧倒的な切れ味でもって、青春に悩む少女たちのあり方を力強く切開し、彼女たちに深い悩みと輝く答えを手渡した。
 つまり青春群像劇としての物語のポテンシャルはある程度落ち着いてしまったわけだが、そこに赤ん坊から少女へとすくすく育ったコメコメが、たくさんの懊悩と健気を抱えて前に出てくる。
 メイン視聴者層にとってプリキュアとは憧れのお姉さんであり、等身大の自分は無力で可愛いマスコットに投影されている構造だと思うが、今作ではそんな定番に一歩踏み込み、すくすく身の丈が伸びている子供だからこその悩みや難しさを、話の真ん中に取り込んできた。
 そんなエピソード群の中でもこの話数を選ぶのは、おバカ担当で誰かを背負う立場になかったらんらんが、物語を通じてどう自分を成長させたかとてもクリアに見える話だからだ。
 このお話は『人も世界も生まれて死んで、なにもかもが一定ではありえない』という、大変プリキュアらしからぬ無常観を前提に進んでいると思うけど、それは終わっていく悲しさだけを意味しない。
 時が前に進んでいってくれるからこそ少女たちは一歩ずつ大人に近づいていって、子どもは眩しく憧れに手を伸ばし、あるいは今まで見えなかった難しさに悩んだりする。
 その全部に意味があるのだと、結構な話数を使ってコメコメ主演でしっかり書けたのは、やっぱデカいファンタジーよりもメシ食うリアルを大事に、土っぽく自分なりの語り口を選んでいったこのお話の強さかな、と思う。

 

 

・第37話『ひそむ怪しい影… あまねの文化祭フィナーレ!』

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 優れた悪役は優れた英雄譚には必要不可欠で、このアニメでその仕事を果たしたのは、間違いなくナルシストルーだった。
 土っぽい作風に相応しく、人間が踏みつけにしちゃいけないところを全速力でもって土足で踏み荒らす配慮のなさは、非情に切実な怒りを見ている側に生み出してくれた。
 そんな彼は元同僚のあまねに結構執心していて、善良の実在を自分の中にも世界の外にも信じないことで悪党やってたナルシストルーとしては、あまねのおすまし顔は”嘘”に見えていたのだと思う。
 一足早くハロウィンに、そんな欺瞞をバチボコ殴って乗り越えていたあまねの個別回最終ラップ、話の半分以上はナルシストルーに向けられる。
 生まれつきの悪と定められた闇の一族は特に出てこず、世界規模のデカい闘いまで話が膨らんでいかないデパプリにおいて、悪もまたおしなべて人間の匂いがする。
 完璧さの檻に閉じ込められて迷ったり、愛ゆえの独善と独占に押し流されてしまう

人の弱さと過ちを、上から真っ二つに”正しく”切り分ける筆はこのへんてこなプリキュア当然持ってなくて、悪党は悪党なり迷っていた自分と向き合い、普遍的な社会的手続きを通じて、当たり前に何かを取り戻していく。
 ”懲役”というシステムをこれほど前向きに描いたプリキュアも珍しく、それは古い時代から受け継がれている人間の当たり前を、まだまだ諦めきってないこのお話らしい視線だなと思う。
 意固地に”悪”である自分に立ち止まり、その事でアイデンティティを守ろうとしていたナルシストルーが、自分の弱さや歪さも全部ひっくるめで向き合い直し、軽やかに未来へと歩みを進めたジェントルー=あまねに追い抜かれて手を引かれる構図も、風通しよく心地いい。

 

 

・第42話『ゴーダッツのたくらみ プレシャス vs. ブラックペッパー』

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 この話数というよりは、終盤戦一連のゆいちゃん掘り下げ回……であるけども。
 思い返すと”良い子”なここねちゃんよりも、ゆいちゃんは遥かに不自由に物語にとらわれて、自分だけの弱さや脆さを掘り下げられない立場に置かれていたな、と感じる。
 物語が始まる以前、ロールモデルであり保護者でもあった祖母を喪失したゆいちゃんは、それを自分なりに咀嚼し、受け取ったものを生かし直す道を既に見つけてお話に登場していた。
 ”答え”を既に見つけている彼女の信念は揺るぎなく、怪物的フィジカルにも支えられて強く正しく美しく、けして迷わない話の主軸として、ある意味便利に使われてきた。
 デパプリはそんな自分たちの筆致にかなり自覚的に、彼女の言葉が借り物でしかない脆さとか、真実暴力と悪意に横から殴りつけられた時夢がどうひび割れるかを、終盤しっかり掘り下げに来た。
 たっくんの明瞭な恋心と、博愛故に個人的感情にうといゆいちゃんのすれ違いもまた、その思いにまだ名前はつかないとしても特別に大切である事実を、子供のように泣きじゃくりながら抱きしめ、家族への愛ゆえに憎悪に滾る拳を止めるのは自分なのだと、理想を掲げて対峙もさせた。
 隣りにいるのが当たり前で、でもたしかに変わりつつある二人の距離感は、分かりやすい決着には至らない。
 しかしゴーダッツが叩きつけた暴力と裏切りのど真ん中、この次の話数でどっぷり暗い感情に沈み込ませたからこそ浮かび上がった強い気持ちは、間違いなく和実ゆいだけの人生の武器になっていく。
 それを握りしめていればたどり着くべき場所には(ときに当たり前に迷いながらも)行き着くだろうし、プリキュアとブラックペッパーとして共に闘ったこの日々が教えてくれたものは、普通じゃないからこその強さで二人を導いていくだろう。
 そんな幼なじみ二人の普通の物語に、特別な力で当たり前を護る一年の物語がピタッとハマるよう、終盤戦を徹底的に主役に回した選択が、俺は凄い良いなと思う。