イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

蝸牛、慈雨に笑う -2021年4月期アニメ総評&ベストエピソード-

・はじめに
この記事は、2021年4~7月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。

 

ましろのおと
ベストエピソード:第3話『驟雨』

こういう話数は大好きだ。主役と作品を好きになれた。

ましろのおと:第3話『驟雨』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 カッチリと手堅いアニメであったと思う。
遊びがなく硬直している……という意味では当然なく、作品が追うべきテーマと主役のキャラ設定がしっかりと噛み合い、その物語をおいかけていく中で自然と、作品の背骨が太く強く見えてくる、骨格のしっかりしたアニメだった。
周囲のキャラ配置も、少し騒がしい青春が音楽に、人格に及ぼす影響を丁寧に追いかけられるように配置されて隙がない。そのままでは真っ白だからこそ、他人と触れ合わなければいけないのに、あまりに不器用で音以外では繋がれない雪がどう、音で自分の世界を切り開いていくのか。音で殴り倒され、音で自分をわかっていくのか。
そういう物語の骨格が、一番最初に鮮明になったのはこの話数であった。ライバルでありメンターでもある清流先生が初登場し、ドラマのないモノトーンな演奏を奏でる。それを責められ、不器用の奥に覗く雪の赤い血潮が見えて、彼の学園生活が駆動し始める。
ここまでいまいち手応えをつかみそこねていた物語から、しっかりとした感触が湧き上がってきて、これを掴んでいれば大丈夫だ、という信頼が生まれてくる。
この話数で手に入れた手がかりは最後まで崩れることも、揺れることなく作品の芯を支え、1クール見続ける支えになってくれた。シンエイ動画らしい、ちょっとオールドスクールな息抜き表現も懐かしく、個人的に楽しいところであった。
何しろ長く続いている作品であり、1クールではサワリ程度しか触れられない不自由もあったかと思うが、作品のポテンシャルとキャラの面白さはしっかり伝わった。可能であれば、アニメーションでこの続きがぜひ見たいと思わせてくれる、手堅く面白いアニメであった。

 

 

・SSSS.DYNAZENON
ベストエピソード:第3話『戦う理由って、なに?』

通知表へのダメージを冷静に計算しつつ、誰にも言えない英雄活動で街を守ることに、少女は結構積極的だ。 不可思議で遠い印象なのに、オトコノコよりヒーロー活動に積極的な彼女が、僕は好きである

SSSS.DYNAZENON:第3話『戦う理由って、なに?』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 非常に個人的な理由で、総評が難しいアニメである。このアニメがどんなもので、万人の視線から見て、また自分個人として何を描いていたか、見終わった今でも断言はできない。
はっきり言って、DYNAZENONが何を描いていたか(描こうとしていたか)に関してはそれなりに掴めている自覚(自信ではなく)はあるけど、それを描く画角、筆致、画材がテーマと素材に対し適切であったかは判断しきれない。多分、ずっと。
作品と読者の関係はけして固定的ではなく、『作者がそこにあると信じて作品に練り込んだもの』が必ずしも『それを受け取った読者の中に生成されるもの』と=ではないからこそ、僕は客観ではなく主観を足場にする”感想”を書き続けているわけだが、読者である僕もまた主観と客観の間で固定的にはなりえないからこそ、『この作品をどう思うか』と『この作品がどうであるか』は切り離せない。

話数単位でいうと、みなクオリティは高いし、好きなポイントもあって選ぶのは難しい。でもそういうスタンダードなものさしが適応できる関係を、僕とこの作品は多分作れていないので、あやふやで分かりにくい向き合い方で一番助けになってくれたエピソードを選ぶことにした。
当たり前に不定形の死を忘却していく普通の世界に、馴染みきれないアウトサイダー……と、派手なラベルを付けることすら出来ない半煮えの子供たち。心の何処かで全てをぶち壊す謎の存在を求め、でもそれが全てだとは到底思えないまま、誰かが自分を見つけてくれることを待っている存在。

ガウマ隊が『怪獣のなりそこないに乗る、怪獣使いのなりそこない』であり、シズムのような怪獣使いにはならない(成れない、判り合えない)までを描く話であったのだな、ということは最終回で了解した。分からないこと、繋がり得ないことを常に視野に入れてきた物語だから、その表現が踏み込みきらないハンパさに満ち、作者サイドから唯一絶対の解釈を叩きつけない作りなのは納得がいく。
煮えきらないことに重点した結果、画面の中にあるものへの踏み込みに露骨な濃淡がある作風は、かなり評価が分かれると思う。ダラダラ青春の煮えきらなさに付き合った結果、話がぜんぜん行き着くべき場所に転がらず、第10話で人間の根源に一気に踏み込める都合のいい怪獣を用意して相当強引に話を進めた手腕を、不細工となじる声もあろう。(それは、僕の中にもある声だ)

非常に挑戦的な作風になったし、そうすることで浮き彫りにしたいものも何となく判るけど、しかし一切文句なく完璧にやりきっている感じはしない。そういう隙がない完成度をあえて外してでも、蓬たちの周囲に漂うハンパな空気、リアリティ(あるいはその不在)の手触りを切り取ろうとした……という見方もできる。
どちらにせよ、見る人によって相当評価が変わる話だと思うし、評価点も全く異なるだろう。様々な人が加点要素にするだろう怪獣アクションは、自分の素養のなさもあって日常パートとの違和が際立ち、僕にはあんま刺さらなかった。
”浮いてる”感じもしたが、それは僕があのダルくて体温低い日常が好きだから感じることであって、あの体温の高さもまたこの作品の強み、魅力、特色なのだろう。

夢芽ちゃんが”死”に囚われたミステリアス少女なだけでなく、友だちの前では当たり前に笑い甘える等身大の女の子だと見せるために、鳴衣ちゃんがいたように。
夢芽ちゃんの魅力で、1クール見たようなもんだな、とは思う。共感だけが作品を見続ける理由ではないけど、『この子はこういう子だ!』という揺るがない確信で足場を固めて、自分なりに作品と対話していく拠点を作ることは、僕にとってはとても大事だ。
夢芽ちゃんが街に広がる”死”を、リアリティを掴みきれない子供たちで唯一見てくれたこと。それを認識せざるを得ないほど姉の”死”が、彼女の中で硬く強い核になっているのだと感じられたこと。
蓬が醸し出す人のいい煮えきらなさよりも、ガウマさんが放出する古き善き熱血(の影にある、当たり前の鬱屈)よりも、そこが僕にとってのダイナゼノンであり、あり続けた。
この話数で見つけたと思ったものの大半が、掌から滑り落ちてさっぱり解らなくなっていくわけだが、それでもここで差し出されたものに自分なりの確信を返せたからこそ、ヒーヒー言いながらお話と取っ組み合い(というには独り相撲であったが)して、普段とは違う面白さを受け取りつつ感想をやりきれたのだと思う。
やっぱね、そういう手触りこそが自分の中では大事だし、たとえ”作品それ自体”って奴が解らなくなっても、自分が見たいと思うもの、自分に見えてるものをそれなりに大事にゴロゴロ転がっていくことは、大事であり楽しいことだと思いました。
そういう感覚が手に入れられる視聴は、やっぱ幸福でありがたい。いいアニメだったと思います。

 

 

スーパーカブ
ベストエピソード:第1話『ないないの女の子』

どういうサイズで世界を切り取り、何に足場を置いて物語を進め、どういう実感でお話を取り回していくのか。

スーパーカブ:第1話『ないないの女の子』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ベストを選ぶのに悩む作品は、やはり良いと思う。
どの話数にも揺るがず共有された、そして各話ごとの面白さと強い意図がある。
春の終わりに、小さく確かな変化を力強く書いた第3話。しっとりと夏を動かしだし、小熊の反骨が次第に見えだす第4話。今までと筆致を変えて、礼子のアクティブな気質が光る第5話。あまりにも爽やかな青春の反抗を海辺に輝かせる第6話。椎との出会いと穏やかな変化を切り出してくる秋の連作と、その近くて遠い間合いを切実に描く第10話。スーパーカブに何がなしうるのか、試し問いただす第11話。そして、全てをまとめ上げる第12話。
全て統一された筆致とトーンで揺るがず構成され、何を見せるか、何を描くかをよく考えた作品として仕上がっている。生活の匂い、季節の香りを画面に満たしつつ、過剰に語らず理解らせるストイックな物語は、ないない少女が何を手に入れていくか、カブが何を手渡していくかを丁寧に積み上げていく。
その手触りと、卑近に落ちないリアリティの掴まえ方が常時、大変良かった。

この手応えは小熊が変化していく様子が、しっかりと感じられるが故だと思う。
彼女はカブを書い、ガソリンを入れられるようになり、悪い女に声をかけられ、一緒に走るようになる。整備の技術を学び、生存のための哲学を走りの中で手に入れ、水色少女に憧れる存在になっていく。
そんな風に”手に入れていく”様子が映えるのは、何もない状態が鮮烈に、かなり時間を使ってこの話数で描かれたからだ。タッパー飯の食事の荒廃、灰色の部屋と教室。後に非常に豊かな色彩を切り取るのと同じ精密さで、小熊がどれだけ”ないない”なのか描かれたこと。
それが、後に豊かなキャンバスとして作品が掴まえるものを、広げる土台になる。輝きを描くためには、輝いていない時間を嘘なく、切実に描ききることが大事であり、このお話はそういう一見矛盾に思える創作の真理をしっかりと掴まえ、自分の筆で余すところなく形にし切った。

この話数で感じ取った心地よい風、品のいい視線は最後まで緩むことなく、変わる季節と小熊の成長を描き続ける。話数ごとに小熊が持っているものは、マテリアルなアイテムも抽象的な価値もひっくるめてどんどん増えていって、彼女は相当にパンクな自分を知り、走り、貫き出す。
そんな変化の喜びが広がる、真っ白な画用紙をしっかりこの話数で用意したことと、この話数内部でカラフルな変化……その最大としてのカブとの出会いをちゃんと示し、自作がどんなものであるか抜かりなく挨拶していること。
この第1話で膨らんだ期待がけして裏切られず、予測を超えた見事な描写と、人間の確かなものを切り取る豊かさで春夏秋冬、流れていく時をまとめ上げてくれたこと。
それに感謝しつつ、全ての始まりであり、このアニメの全てが詰まっているような第一話をベストエピソードに選ぶ。大変に、面白いアニメだった。

 



・Fairy蘭丸~あなたの心お助けします~
ベストエピソード:第9話『冷淡』

それでもうるうくんは、愛する人も愛される自分も哀しく終わってしまった過去を、今度こそ正しく終わらせたくて戦いに挑んだ。 結果再び間違えて、堪えきれずようやく涙を流す。 潤む瞳を表に晒すためには、これほど苦しい道が必要、ということかもしれない。まさに、三界火宅なりし。

Fairy蘭丸~あなたの心お助けします~:第9話『冷淡』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 結構不思議なアニメで、常時距離感を図りつつ、しかし体重は確かに預けながら見るという……自分のアニメオタク史でも結構珍妙なスタンスで、1クール見終わった作品だった。
ぶっちゃけ世間の評価は微妙にならざるを得ない難しさがあるし、むしろそここそが作品の核でもあるので、勢い私的な主観評価にならざるを得ない。そういう意味では、大変好きな作品になってくれた。
主役たちの成長や発見、決断が必ずしも良い結末に繋がらない不安定さが、このお話の特徴であるように思う。心は千々に乱れ、正しいと信じていたものは脆く砕けて、運命は不確かに子供たちを弄ぶ。
それでもなお、微かな祈りと正しさが現世の闇を切り裂いて、より良い場所へと衆生を……自分自身を導きうる。そういう可能性を、確かに信じていた物語だった。

焔くんとうるうくんは水と炎、反発し合いながら相補う存在として最初から設定され、二人でうねりながら物語を走ってきた。この二人の関係性が、作中一番素直なエネルギーを宿していたと思う。
熱量のあるヒロイズムで、作品の顔を見せてくれた第2話も好きなんだが、思い返してみると一番スッキリしないこのエピソードが、一番このアニメを(僕が)理解る上で助けになってくれたな、と感じた。
荒廃した性、自分に似た誰か、傷ついた純粋。追い詰められた子供を救うことで、自分の中の泣いてる子供を助けるという、エゴの乱反射。悲しい結末がままならない世界のルールと、隠された真意を教え、少年たちはようやく抱き合える。
その複雑怪奇なままならなさこそが作品の主役で、主役に見える夭聖たちもまた犠牲者であり、救済者であり、闘士であり、ただの子供なのだと教えてくれたのが、僕にとってはこのエピソードなのだ。
キャラ単位の物語としては、お話の構図がキッチリしているのもあって見通しが良く、一話一話彼らが好きになれる良い構成だったと思う。他の連中がネトつく中、あくまで未熟に爽やかに、成長物語のド真ん中を駆けていった樹果くんの話も、やっぱ好きだなー。

 

 

・バクテン!!
ベストエピソード:第9話『甘えてよ!』

父母不在の理由を明言はせず、しかししっかり判るように海と空と美里くんを描くシーンが、静かで美しく、寂しかった。 青く広く、誰もいない場所。たった一人飛ぶ鳥を見上げながら、美里くんは孤独になるしかない自分と、自分から喪われたものを思う。

バクテン!!:第9話『甘えてよ!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ”バクテン!!”を最後まで見た人の多くが、ベストエピソード、ベストカットに選ぶだろうこの場面が、やはり僕の中のベストである。

理由は沢山ある。
ここまで一見冷淡に他人に接してきた美里くんが、しかし注意深く見ればその硬い鎧から溢れさせていた優しさと柔らかさを、ようやく発揮できる大きな変化のエピソードであること。
その起爆剤にして受け皿として、翔太郎の優れた人格がよく発揮され、また彼自身が”視られる”側になる未来に向けて、美里くんが受けてきた恩義を返すきっかけとなっていること。
第7話以降、作品全体に伸びてきた人間の暗い部分を、この作品らしい筆致でしっかりと掘り下げ、なおかつ安易なニヒリズムには落ちず、『それでも、明日を』という視線を力強く伸ばし続けていること。
そのことが、後に翔太郎を襲う試練、そこで剥き出しになる熱い地金への呼び水になっていること。

しかしやはり、この青い世界の美しさと寂しさ、そこに転写されている美里くんの孤独、その理由こそが、あまりに鮮烈であることが最大の理由だ。
けして明言されず、又されてはいけないだろうモノを背景に転写しながら、しかし何よりも雄弁にこのシーンはこの作品が生まれてきた背景を語る。全てを押し流す洪水に一人取り残され、それでも誰かが翔ぶ姿に憧れを抱いて、逞しく生き延びてきた青年の気高さと寂しさが、そこには強く香っている。
皆が、そういう場所で生きているのだろう。被災経験の有無、家族の在不在は大きな差であるが、しかし何か強く硬く共有される”芯”のようなもの……生きることの辛さと、それと無縁でありながら繋がってもいる世界の美しさが、美里くんと僕らを包み、かすかに繋げている。
翔太郎はそれを手繰り寄せて、喪われた父母の代わりに……あるいは同世代の親友として、彼が甘えられ、持ち前の優しさを発揮できる世界への扉を開いていく。
光溢れる場所に美里くんが進みだしたとしても、この青い世界は消えない。そこは寂しいと同時に否定し得ない愛しさと美しさがある、彼の霊が確かに宿るホームなのだから。
でも、それが世界の全てではないし、あってはならないから、この物語は彼を包む青い世界から新たな場所へと、彼を漕ぎ出させる。そこに彼を導いたことが、後に翔太郎を闇から引っ張り上げる助けとなり、美里くんを新たな空へと飛ばしていく。

一人ではないこと。何かが繋がっていること。その輝きが、果てしなく広い場所であくまで一人でいる尊厳と美しさに、両立していることがこの作品の良さだろう。
その孤独を否定することなく、一つの真実として認めた上で、それでも繋がる意味を描く。変わっていける可能性、明日と自由の価値を描く。
それを真っ直ぐに描くことはかなり力量と勇気のいることだと思う。綺麗事に質量と体温を宿すのは、当たり前の価値を新たに語り直すのは、いつだって難しい。
でもその姿勢こそが、10年越しの”明日”を語ることをミッションとするこの作品にとっては必要で、大事で、見事に成し遂げてみせた。その証明が、この話数、このシーンなのだと僕は思っている。

 

 

ゾンビランドサガ リベンジ
ベストエピソード:第5話『リトルパラッポ SAGA 』

そこに宿る輝きと哀しみを、成熟の渦中にある天才子役を鏡にして見事に描き抜く、珠玉のエピソードでした。大変良かったです。 ”芸”というテーマに真剣に挑み、冴えた表現でその意味を深く掘り下げてくれたのが、非常に素晴らしかった。

ゾンビランドサガ リベンジ:第5話『リトルパラッポ SAGA 』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 まぁ、ベストは全話で良いんじゃねぇかな、とは思う。
それぞれバラエティ豊かに、色んなものを色んな角度から描き、楽しませてくれた。
見たかったもの、という観点からいうと、共同体に受け入れられ自由に生きてるたえちゃんを堪能できた第6話が……談話の仕上がりでいうと、全てを集約しつつクライマックスへの明瞭な必然性を積み上げる第11話が、それぞれ素晴らしい仕上がりであった。
その上で個の話数を選ぶのは、永遠の子供と芸事の厳しさ、足下の足掻きを板に載せない矜持という、個人的にドンピシャのネタが十重二十重、みっしりと詰まっているからだ。

細かいところは感想まとめの方に書いたので繰り返さないが、ここでリリィがやりきったプロのパフォーマーとしての強さ、揺らがない矜持は二期のフランシュシュにとってとても大事なもので、お話の末尾を飾る避難所ライブ、駅スタライブでも力強く迸っていく。
本気で嘘を付く仕事。仮面の下に幾重も折り重なった哀しみや苦しみを、見せないことで成立する仕事。芸事を背負うものの全てが、リリィの小さな体にギュッと詰まって、しっかり表現されたエピソードだと感じました。
正直ゾンビランドサガで味わうとは思わなかった角度、深さ、味わいで急所を抉られて『あ、このアニメをもう一度、特別に好きにならざるを得ないんだな』と、思い知らされるエピソードとなりました。
そういう刺さり方をする物語があるっていうことは、やっぱとてもありがたいことである。

 


憂国のモリアーティ
ベストエピソード:第2話『緋色の瞳 第一幕』

美しいから、邪悪でも惹かれてしまうのか。 邪悪だからこそ、美しいと魅入られるのか。 どちらにしても、ウィリアムが持つ奇っ怪なカリスマ、人を悪なる善に誘い込む魔性はよく描けていると思う。

憂国のモリアーティ:第2話『緋色の瞳 第一幕』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 総評が難しいアニメである。
両手を上げて『最高でした! 俺のために作られたアニメでした!』と言えば間違いなく嘘になるし、んじゃあ口汚く罵れば自分の本心を語っていることに為るかと言えば、それも嘘だ。
楽しかったが、それが作品の提示した……それを受け取って作品を応援し、アニメ化まで押し上げた(であろう)層と共鳴する楽しさなのか、途中からかなり悩みつつ見ていた。
『気にせず個人で、勝手に楽しめばいい』というのは真理であり、同時にこんな風に感想を書き連ねてわざわざ衆目に晒す存在としては、なかなかそういう風に割り切る勇気がないポイントでもある。
私の感覚は私自身の内側から溢れるものであり、同時にその外側にあって触れ得ないものとの関わりの中にしか無いものでもあって、そのバランスを取ることにも、何かを受け取ったとき自分がどう思うのかと同じくらい興味があり、大事だと思う(少なくとも、思おうと心がけているつもりの)自分としては、いつしか作品を取り巻くメタな状況、それに取り込まれた”作品を見る自分”への詳察が、視聴し感想を呟く行為と切り離せなくなっていった。
それはそれで、今見て書き語る私という現象がどんなものなのか、よく教えてくれる得難い体験であり、耐え難い違和感よりもそこから得られる知見のほうがありがたく、面白いものだったからこそ、2クールに渡り視聴を続けられた部分はある。

作品が是正しているように感じる”モリアーティ”の身内感、根本的な内省のなさ、人間らしさと非人間的所業の軋み……どれも素直には飲み込みきれず、自分なり噛み砕きながら、あるいは『ま、そういうもんかな』と遠くに置く判断をして、見ていた部分はある。
悪党殺してスカッと爽やか、イケメン無罪のハラハラピカレスク。最悪に悪し様に言えばそんな感じの、ジャンルが求めてくる快楽に全然同調できず、『はよ死ね』と思いながら何処か遠く、”モリアーティ”の兄弟を睨みつけていた部分が僕の中にあったことは、確かな事実だ。
序盤の感想に残っている主役たちへの嫌悪と違和は、けして馴染み切ることなく僕の中に宿り、アニメもまたけして”モリアーティ”を肯定することなく、何処か客観に遠ざけながら書き続けた部分があるなと、僕は思っている。

それと同時に、アニメとしての表現力、画面に意図を焼き付け届ける力強さが確かに強くあって、その原始的なパワーに引っ張られてみていたことも、けして忘れてはいけないと思う。
このアニメが、面白いから見ていた。シンプルながら、それが答え……少なくとも答えの一つだろう。
そんな腕力が一番最初に、鮮烈に殴りつけてきたのはやはりこの、黄金の礼拝堂のシーンであり、国と人の運命を狂わせていく黄金の堕天使の説得力は図抜けている。この麗しさに飲まれて、2クール見続けていた部分があろう。
様々な感慨が複雑に絡みながら、未だまとまらない部分もあったが、間違いなく後は言える。
面白いアニメだった、ありがとう。

 

 

・オッドタクシー
ベストエピソード:第4話『田中革命』感想ツイートまとめ

第4話にして小戸川主観から外れた物語をやったことで、なんだかんだタフな状況を乗りこなしている小戸川からは見えない、黒い泥の深さが描かれた感じがある。 主客が逆転していく、目眩の面白さもあった。

オッドタクシー:第4話『田中革命』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ジグソーパズルが1ピース欠けても成立しないように、ドラマとしてもサスペンスとしても、オッドタクシーは13話全部あってのオッドタクシーである。
現代社会に渦を巻く業を、様々なキャラクターに背負わせつつ、その表皮を剥ぎ取り、あるいはまだ残る軽妙を話芸に乗せて笑い飛ばす。そうして心地よい風が吹いた後に、全く笑えない街の荒廃が押し寄せてきて、複雑怪奇な人間曼荼羅を見上げる喜び。
謎とヒントを散りばめ、複雑なプロットを編みきった手腕と同じくらい、多数の人間がうごめくドラマの熱量、奇妙な世界を生きる人々の魅力をしっかり高めて、適切に届けてきた巧さが、このお話の強みだと思う。
皆アホらしく、強欲で、ひねくれて、愛おしかった。いい具合にキャラがたった動物たちが、それぞれの個性と欲と歪みをぶつけ合いながら、『どうにか良い岸辺に流れ着いてくれねぇか』と思いながら見守るのは、楽しい経験だった。

この第4話まで、どこか小戸川だけの物語だと感じながら見ていた。皮肉屋で人間嫌いで、しかしクレバーでタフな彼が世の荒波を、タクシーに乗って乗り越えていくお話なのだと。
しかしここで、小戸川の視界から外れた物語が展開することで、グンと物語の幅が広がった。誰もが自分の物語の主役であり、しかしそれは一本調子、約束された方向に転がっては行かない。
在り来たりの悲劇と、在り来たりの狂気を抱えてとんでもない方向にぶっ飛んでいくこのエピソードの主役もいれば、ツメを隠しきって最後に伸ばす黒猫もいるし、やっぱりタフに荒波を泳ぎきったセイウチもいる。
いろんなヤツがいて、答えは一つではなくて、しかしなにか切実な叫びのようなものが複雑に、絡み合いながら木霊する動物園。
ちょっとマイケル・ヴェンチェラっぽい味わいもありつつ、この作品が描き出したのはそういう世界だ。小戸川だけが主役ではなく、しかし結局、彼と彼が操るタクシーを軸に物語は展開していく。複雑に踊り、欲望に空回り、否応なく終わる。それを基調としながら、最後の最後で一つ、特大の不協和音と疑問符がズシンと、重い触感を投げる。
そんな大胆な着地を僕が許すのは、やっぱこの話数で見せられた世界の広さであり、様々な答えがありうる多彩さをエピソードに込めて、笑えるトホホ感と笑えねぇヤバさを届けてくれたからだ。

ここで狂った田中も、空飛ぶタクシーに呪いを解除されて、アプリを削除し彼自身の人生に戻る。しかし和田垣は幸運のペンを回収して、醒めることのない悪夢に犠牲者を引き込もうと、決意を新たにした。
救いは、全ての人に平等に降り注ぐわけじゃない。何もかも上手くいく、そんなハッピーエンドはないかもしれない。それでも、道は続く。それでも、街は蠢く。
そういう話だったと思う。あの結末含め、大変良いアニメだった。

 

 

・MARS RED
ベストエピソード:第1話『陽のあたる場所』感想ツイートまとめ

座組から想像していたよりも遥かに地味で、雰囲気があり、作品とキャラが好きになれるスタートであった。面白いよこのアニメ…。

MARS RED:第1話『陽のあたる場所』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 第1話というのは作品が視聴者に、最初に挨拶をするエピソードであり大変大事だ。そこで掴んだものを足がかりにして、僕らはアニメを見ていくことになるし、楽しく付き合えそうか、それとも判り合うのに手を焼きそうか、向き合い方を考えることになる。
MARS REDはこの第一話で掴んだ感覚が、時に意外な方向に揺れつつも裏切られることなく、最後まで駆け抜けていくアニメだった。
かなり特殊な筆致、ゆったり目のテンポ。人間が生きていくことへの思弁と、時代への豊かな視線。そういうものが入り混じりながら、近代に駆逐されていくお伽噺の住人として、吸血鬼を書いていく。業に狂い、宿命に押し潰されながら、それでも恋をし人生を謳歌する奇妙な夜の住人たち。
彼らが大正モダンの終わりという、比較的穏やかに微睡めた時代と、その終焉を告げる大震災とをまたぎつつ、出会いと別れを繰り返しながら転がっていく物語は、とても独特で面白いものだった。

この第1話、吸血鬼がほぼ出ない。ムッツリと黙り込んだ前田さんが、愛しい女をそれと知られず終わらせ、苦鳴一つも漏らさぬまま宿命に準じていく。狂った吸血鬼は誰も殺すことなく、ただただ愛を呟いて、聖痕を大地と男の心に刻んで燃えていく。
根本的にロマンティックで、吸血鬼たちの闇夜の闘争の気配を上手く躱しつつ、弱く強い存在としてのヴァンパイアを描いていく。そういう作風が、かなり唐突に殴りつけてくるこのスタートから濃厚に香ったことが、お話への期待感と親和性を高め、作品の内側へと僕を導いてくれた。
やっぱ、岬が最高に良い。あの可哀想な女の残影を追いかけ、太平に倦みやがてカオスに落ちていく帝都をむっつり歩く前田さんと、同じ視線で作品を見させてくれるヒロインであった。
物語のはじめに燃え落ちるのに、瞼の裏に焼き付いて消えない、その狂った恋歌。惚れ込んだ甲斐はある物語が、様々な吸血鬼と女達のロマンス、時代に食われ業に飲まれる愚者達で味わいを増しながら、1クールを駆け抜けていった。
大変面白かった。人は選ぶだろう。様々な素養が、楽しむためにはいる作品かも知れない。
しかし、僕には丁度良く、ピッタリと波長の合う物語であった。

 

 

ワンダーエッグプライオリティ
ベストエピソード:特別編『私のプライオリティ』感想ツイートまとめ

いい最終回でした。ありがとう。

ワンダーエッグプライオリティ 特別編:『私のプライオリティ』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 多分、見たかった最終回ではない。
あまりにも畫かれたワンダーが魅力的だったから、それが全てのルールとして面白くもねぇ現実を殴り飛ばし、圧倒的に友情と闘争が勝利し報われる展開を、心の何処かで僕は期待していた。
実際には現実はそこまで生易しくもなく、差し出した犠牲に報いはあまりに少なく、少女たちは青春の敗残兵のように否応なく優先順位を付けて、現実に適応していく。あらゆるものが色あせ、凄まじく苦い毒薬を当たり前に噛み締めながら、彼女たちは大人になっていく。
そうなれないものは、死と狂気が待つ夢の国に再び降りていって、ひどく分の悪い賭けに身を投げる。生還の保証なし、戦い抜いて手に入るものは不明。それでも、掴みたいと思える夢があればこそ、ねいるは人間になりうる望みを求め、アイは永遠の友情とそこに反射する揺るがない自分を求めて、もう一度卵を掴む。

こうして終わってみると、作品のキャッチコピーで”変えろ”と告げられているセカイが、自分の殻の外側に在るものではないことが判る。異様な戦いに身を投じても、塗り替えたセカイは非常に都合悪く戦士を置き去りにして、孤独をばかり強くしていく。夢の中で掴んだ友情も、現実の風化の前に特別ではありえず、虚しく弾けていく。
変えられるのは自分だけ、選べるのはひどく小さな範囲。そういうシビアな選択肢は、必ずしも現実を正解としない。”正解”はないのだ。世間的に賢いとされ、ほぼすべての生存者たちが選ぶ面白くもねぇ挫折の道も、気の狂ったドリームランドへのドロップアウトも、どちらも等価に、凶悪で残酷なものとして描かれている。
友情と冒険を経て自分を変え、セカイを変え、殻を割ったように思えても、その外側にはまた狂暴で出口のない卵が渦を巻いている。そういう閉塞感を、じっとりと見つめた作品……なのだが、同時に暗い参道を通ってそこから逃してくれるWonderの魅力とかけがえなさ、人命を容易に奪う凶悪な存在感を、大事にした物語でもあった。

四人の少女がそれぞれ選ぶ道に、軽重はない。彼女たちは卵の殻を割った。あるいはヒビだけ入れて、孵化することなく夢の中で死んでいく道を選んだ。
アイちゃんが投げつけた携帯電話に、ヒビが入っても壊れないのは多分、彼女が夢と死の国と、現実と生の国を行ったり来たりする永遠の子供だからだ。それはまだ怪しく光って、彼女にだけ聞こえるSOSを届ける。それは助けて欲しいと泣きじゃくる、アイちゃん自身の魂のこだまでもあろう。
彼女のオッドアイは、大人になれば見落としてしまう不思議の国を、野ざらしの死体を必ず見つけてしまう。リカが見えなくなったねいるの背中が、見えてしまうからこそもう一度追いかけることは、不幸なのか、幸福なのか。
そこに正解はない。アイちゃんがいて、物語を駆け抜けて、一つの優先順位をセカイに、自分につけた。それだけの話しだ。
そんな風に突き放して、血が出るほど切実に、作品世界とキャラクターを抱擁する物語はなかなかないので、やはりすごくこの話らしい、いい最終回だったと思う。

殻を割って孵化させられるのも、大事に守って保持し続けれるのも、全ては自分の心の中にあるものだけだ。他のものは何もかも哀しく移ろい、重たいものに試されて潰れ、理不尽に道を閉ざされていく。
そういう現実と夢のカタチに、この作品はずっと真っ直ぐな視線を向けていたし、だからこそこの決着なのだと思う。夢が勝つわけでもなく、現実が負けるわけでもない。それらはそれぞれの凶悪と美麗を秘めながら、優先順位をつけて選び取るもの……内側に取り込み、同化していくものなのだろう。

夢なるものが覚醒の従属的な対義語として、あるいは苦界の憂さを忘れる麻酔薬としてあ、端女のように扱われている状況にかなり苛立っていた自分としては、Wonderを凄まじくクオリティ高く、妥協なく、甘っちょろい救済願望を跳ね除けるように狂暴な獣として描いてくれたこの作品の筆は、僕にとって嬉しいものだった。
アイちゃんが、自分が選び自分を飲み込んだWonderに溺れて、世界に顧みられることなく殻の中で死んでいくのか、それともその鋭い視力と豊かな心を実りある方向に結びつけて、十全なる生を(ねいるも取り返して)歩んでいくのか。
それを、この物語は語らない。正解はないからだ。
あるのはpriorityだけ。
何を自分とし、何を殻の外側のセカイとするか。自由も権利もなく踏みにじられ、唐突に切断されてなお、選ぶしかなく選ぶことは出来るこの、人間たちの世界だけだ。

アイちゃんはねいると紡いだ、ねいるを救い決断に促した『ふたりならファンタジー』という呪文に、導かれて道を戻る。自分の口から発した祝福が、呪いとなって勇者を縛る構図は、ひどくクラシックで良い。
その言葉を紡げたこと……一度は背を向けて現実に帰還しかけ、それでも自分の思いと誰かの縁に縋って、危うい夢にもう一度潜ることを選んだこと。
私のプライオリティを、夢見ても目覚めても残酷なセカイで、それでも決断したこと。
俺はね、それがとても誇らしく、輝かしいことだと思えるんだよ。

 

 

NOMAD メガロボクス2
ベストエピソード:第3話『患いの根腐れを望むなら、水瓶の穴を塞ぐな』

バイクが盗まれ、ギアが奪われたことでカーサの物語が始まったように、ジョーが決定的に再起するこの光との握手は、南部贋作の不在をこそ確認する。 いないからこそ、いる。 そんな矛盾をジョーは抱擁し、己の側に引き寄せていく。

NOMAD メガロボクス2:第3話『患いの根腐れを望むなら、水瓶の穴を塞ぐな』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 少し、個人的な昔話をする。
僕の最初のブログは”Paladoxical LiveZ”という名前だ。HTMLをエディター手打ちでポチポチ叩きつつ、今になって思えばバカらしく思い上がったことを、それでも必死に綴っているサイトだった。
わざわざサイトの名前にするくらい、”矛盾に満ちた生”というのは僕にとって最初から、そして今までとこれからも大事なもので、ずっと考え続ける大きなテーマだ。
相反し、判り合えないと思われているものが実は融和の機会を待っていて、どうすればそれを掴み取れるのか、色んな人達が思い悩み、あるいはその疑問に見て見ぬ振りをしている。
勝ちは勝ち、負けは負け、終わりは終わり。そういうトートロジーで己をせき止め、しかしそれが一般的な意味や価値を突破して、何処かにたどり着く瞬間を待ちわびている……けど、なかなかに届かない。進めないからこそ、その瞬間を強く待ちわびている。
そんな矛盾した感覚は人間普遍のものだと僕は思っていて、様々な物語もバラバラに思えて始まるものが、実は一つであったことをそれぞれの血を滲ませながら語っていくことに、その核があると考えている。
死によって、無理解によって、人間であることの限界によって分断され、急き立てられたもの。色あせ、壊れ、もう元には戻らないもの。現世に散らばるそんな断片が、一つなぎであると心底確かめられるクライマックスにたどり着くためには、何もかもがバラバラな現実をしっかり歩み、人として当然に迷うことが必要になるだろう。
デカい題目で結論と答えだけを言えば、人は物語に納得するわけではない。
解っていても踏み込めない、許したくても抱きしめられない、間違えてると知りつつ進むしか無い。
そんな歩みをしっかり追いかければこそ、虚構の存在でしか無いキャラクターと、彼らの人生を彩るドラマが間近にあるかのように、手を差し伸べて引き寄せることも出来る。語るべきものを描ききるためには、長い回り道を丁寧に歩む必要があるのだ。

NOMADはそんな矛盾の本道を、徹底的に歩ききった話だと思う。
既に一期で終わりきっていて、続ける必要のない物語をあえて語る意味。勝利の先に待っている敗北と、荒れ地の先にある豊かな麦畑。間違えきればこそ、殴り合えばこそ辿り着ける、許すとか許さないとかを超越した場所。
そこに行き着くには何が必要で、人はどんな風に間違え、傷つき、抱きしめ合うのか。ジョーと様々な人々を描く中で、しっかりそれを語りきった物語だと思う。凄く抽象的で普遍的な答えを追いかけるために、泥と血の匂いが強く宿った、弱くて強い人間達の肖像を丁寧に追いかけてくれる物語だった。
ジョーはカーサで、癒やしと答えを得る。この第3話で示された虚無との抱擁……先に進むために終わりを認め、死を真っ直ぐ見ればこそそこから始められる救済が、彼を苛んでいた矛盾を解決する。
自分に都合のいい亡霊ではなく、もはや何処にもいない南部贋作の不在を見ることで、ジョーは光を掴んでいく。共にあった日々に築き上げたものは何一つ消えてはおらず、方法はわからずとも喪失は取り戻せることを、死というかつて逃げ出し、勝ち得なかった存在にファイティングポーズを取り直すことで獲得していく。
カーサから巣立ち、ジョーが手に入れたものは更に試されていく。かつての仲間たちは当然ツバを吹きかけ、罪の重さは幾度も彼を試す。それでも、立ち上がる。寡黙に家を修繕し、帰るべき場所を取り戻していく。その生き様も、カーサで褐色の大男から学んだものだ。
負けることは勝つことで、終わることからしか始められない。そんな矛盾に思えるものの中にこそ、このあまりにも世知辛い……文句のつけようのないエンディングの先にすら、厳しすぎる試練と別離が待ち受けてる世の中をそれでも、進んでいく導きがある。
この不明瞭な時代に、そう描けたこと……あえて語り直したことには、非常に大きな意味がある。そしてそれと同じくらい、リングに立つボクサーたちと、それ以外の場所で闘う全ての人々の決断と奮戦のドラマを熱く語りきったことが、尊く嬉しい。
素晴らしい二期であり、素晴らしいアニメだった。ありがとう。

 

 

・シャドーハウス
ベストエピソード:第4話『深夜の見回り』感想ツイートまとめ

どんなに踏みつけにされても、人の魂は尊厳を求める。 どんなに押さえつけられても、傷ついた人に手を差し伸べる優しさが人にはある。 エミリコの冒険、ケイトの賢さの奥に、そういうヴィジョンがかなり鮮明に見えてるのが、作品を信頼したくなる大きな足場です

シャドーハウス:第4話『深夜の見回り』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 シャドーハウスはクラシックな館もの怪談、素直なジュブナイルの外装に、最新鋭のワクワクとサスペンス……そして旧い物語構造と価値対立を入れ込んだ、優れた物語だと思う。
ケイトとエミリコが体現するのは自由、平等、博愛、不屈……抑圧に立ち向かい、一人間である己の尊厳を声高に叫ぶ、この現代の倫理的社会基盤であり、あまりに当たり前になりすぎてもはやその価値をなかなか確認し得ないものと言える。
描かれてみればとても大事で、人間の当たり前が煤に汚れ見えにくくなっている時代に、これほど古き善き”啓蒙”の強さ、素晴らしさを主役に分割して背負わせ、相互に影響し合うドラマ、分かたれればこそ描かれる人間的な至らなさとそれを越えていく意思を、作品の背骨として入れ込んでいることが、僕の感性とよく響いた。
無論大上段のお説教では終わらず、謎めいた屋敷の秘密が段々と顕になっていく面白さ、それを掻き立てる不穏と謎の見せ方、子供たちが一つ一つ握りしめていく成長の手応えと、とにかく面白い話でもある。そういうベーシックな物語の強さも、また作品を支える大事な柱であった。

連載中の作品を、売上のブースター的な意味合いも込めて、別メディアに写し取り描く。当たり前に行われているがとても大変な創作活動にも、このアニメは大変な努力と独自の答えを出していた。
マンガとは大きく異なると聞きつつ、しかしアニメの範疇でしっかりとまとめ上げられた、エミリコとケイトの旅路。この先に続く物語への期待を見事に残しつつ、確かに彼女たちが何かを成し遂げたのだと満足できる終わり方は、大変に良かった。
原作者であるソウマトウ先生が全面協力できた状況の優位を活かし、アニメにしか出来ない豊かな表現力で、怪しきヴィクトリア朝美術の面白さ、影と光が入り交じるシャドーハウスを描ききったのは、偉業と言っていいだろう。
見たいと思ったものがしっかり見れて、こちらの想像を超える面白さが毎回ほとばしり、豊かなビジュアルと骨の太いドラマ、魅力的なキャラクターで楽しませてくれる。エンターテインメントとして物語として、とても良いものであった。

そんな作品への期待と信頼感は、出だしの時点で強く醸造されていたわけだが、やはりこの四話、震えるラムをエミリコがその心で抱きしめるエピソードが、真実全体重を預ける契機になった。
誰かに認められ、守られたいと願う当たり前の願いが、この屋敷では叶えられない。自分のシャドーとの関係も作れず、優れた資質を恐怖と自己卑下で埋もれさせているラムを、エミリコはなんの見返りも求めず抱きしめる。人間に出来ることで、これ以上に大事で尊いことはない。
……というか、ラムが言葉を向けてくれること、笑顔でいてくれることが笑りこ最大の報酬なのだ。そんなとびきりのお人好しが、この話の主役なのだ。
この後の”お披露目”でもラムは、この夜の体験を豊かに膨らませ、仲間の助けとなり、再びエミリコの心を受け取ってシャーリーの手を取った。仕組まれた悪意に弾き出され斃れたとも思ったが、屋敷の大人とは違う形で二体一心の新生を果たし、エミリコとケイトの危機を救っていた。
孤独な夜に一人泣いていた女の子が、野望の贄、娯楽の糧として死んでいくなど到底許せるものではなかったので、そういう意味でもよく収めてくれたと思う。マジで僕にとって、ラムを見守りながら視聴するアニメで(も)あった……。

ラム萌え要素だけでなく、薄暗い屋敷を子供三人、人間関係を構築しながら冒険し課題をクリしていく手応えも良く、僕がこの作品に見ていた美質……児童文学としての切れ味がよく表に出たエピソードであると思う。
子供にしか出来ないことの小さな、しかし確かで気高い手触りをとても大事にし、キャラの身の丈にあった冒険、それを越えた輝きをしっかり積み上げていたことが、最後まで見終わった時の充実感に繋がっていた。
1クールアニメの第4話とは、お話しが挨拶を終え、その個別の顔が見えてくるタイミングだ。ここで感じた手応えや期待は、見ているアニメが視聴者の懐に入り、”私のアニメ”になってくれるかどうか、強く試す。
そしてこのアニメは、ここで掴まえた楽しさや期待をけして裏切ることなく、立派に膨らませてくれた。こちらの想像を遥かに超えて、良いものを沢山見せてくれた。その呼応こそが、物語を味わう大きな醍醐味なのだろう。