イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

茅の輪くぐれど汗引かず -2022年4月期アニメ 総評&ベストエピソード-

・はじめに
この記事は、2022年4~6月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。

 

 

 

阿波連さんははかれない
ベストエピソード:第10話『キャンプじゃね?』

lastbreath.hatenablog.com

正直な話を最初にしておくと、もっとイヤな味のするアニメなのかな、と思いながら見始めた作品である。
他人との距離が測れず、何かと極端な間合いで他人と触れ合ってしまう奇人少女と、一見常識人ながら時に彼女を上回る妄想力を見せつける、これまた奇妙な少年。
彼らの青春を描く筆は、当初こちらが想像し恐れていたようなあざ笑いの色がなくて、ググッとその実感に体を近づけて、徹底的にズレて力強いボケっぱなしな面白さと、そこにかすかに宿る悲しみや願いにしっかり寄り添った……実に”はかれている”仕上がりだった。
もっと作中人物から距離を離し、そこで生きていれば宿る人生の息吹に寄り添わない描き方も出来たはずだが、あくまでその奇妙さを笑いに活かせるよう客観視を保ちつつ、道化じみていようが奇妙だろうが、生きていれば必ず宿る必死の身動ぎを大事に、丁寧に拾い上げてくれる筆使いで、阿波連さんとライドウくんの青春は転がっていった。

そこには自分が描いているもの、沢山の笑いとちょっとシンミリする味わいで生み出されているものと、丁寧に距離を測る姿勢がある。
これが製作者サイドから大きく踏み出して、視聴者にもまた作品との距離、作中に生きる子供たちの青春を探る手付きを要求してくるのが、この第10話だったと思う。
あのキャンプでライドウくんは何を告げ、阿波連さんはなぜ口づけたのか。
この答え合わせは最終話まで持ち越しであるが、ここまで彼らが見せた可愛げと真摯さ……何よりお互いが大好きなのだという真理を推理材料として、悲しいことにはなっていないだろうな、という推測は立つ。
見ている側も彼らの幸福を望むに十分な魅力を、ここまででしっかり作り上げることが出来ていたし、その思いを裏切られない決着を期待しながらも、彼らの関係がどういう決着を迎えたは、明瞭に語られぬまま話数が過ぎる。
このモヤッとした、しかし幸福でもある時間の中で、視聴者が”阿波連さんははかれない”という作品を、それが好きになってる自分を”はかる”構造になっているのが、そんな冒険を下支えする丁寧な好感の生成が、この話数を起爆点にクライマックスを作り上げていく。
こういう、ボケっぱなしの天然青春コメディという看板からはあまり想起できない仕掛け含めて、二人の関係が確かに答えにたどり着きつつ、それを明記しないまま最終盤へと雪崩込んでいくこのエピソードは、とても良かった。

 

 

ダンス・ダンス・ダンスール
ベストエピソード:第1話『やるわけねーだろ、バレエなんて!』

lastbreath.hatenablog.com

まー、ベストエピソード選出は悩む。
『ああ、いいアニメだった。どの話も好きだなぁ』と思える作品を見終えた時は特にそうだし、自分は話の谷になる部分こそ好きになる傾向があるので、いわゆる勝負回以外にも目を向けやすいてのが、悩ましさに拍車をかける。
キャラクターとドラマの総決算としては第5話と第11話、2つの”白鳥の湖”がやはり圧巻であるし、潤平の人生が大きく切り替わる第3話、都の可憐な美しさがロマンティシズムを加速させる第8話、流鶯と都の過酷な過去が重たく語られる第10話など、良いエピソードが沢山ある。
その上でこのスタートを選ぶのは、そういういいお話が生まれでてくる素地が、全ての始まりであるこの話数に的確に顕れていて、期待感とドキドキに突き動かされるように、原作全部イッキ読みしちゃったからである。

人間をなにかに駆り立てるものはいつだって偉大で、それがせき止められることはとても悲しい。
”男らしく”に呪われてバレエを諦め、ヘラヘラ笑いで周りに合わせるようになった潤平少年の優しさと辛さが、出だしから的確に描かれていて、彼に惹かれて先に漫画を読んでしまった。
先を知っていることは、この見事な”アニメ化”においては祝福でしか無く、あの場面がどうアニメになり、このセリフがどう響き、あの跳躍がどう描かれ動くか、信頼を寄せ楽しく待つ幸運に恵まれる事になった。
思春期の少年が、自分の人生を揺り動かしてしまうような体験と出会い、それでも物わかり良く殺していたものを再度突き動かされて、抑えきれない喜びと重苦しい残酷の渦中へと飛び立っていく。
このアニメ”一期”ではその階段に二段目までしか描かれないけども、それでも十分以上に”バレエ”が体現してしまう人生の眩さと熱さ、それに突き動かされ己を運んでいく潤平のキャラクターは、よく伝わる仕上がりだったと思う。
選び取ったテーマと、それを体現するキャラクターに大きな魅力があり、その引力で人を引き付け振り回す。
物語の正道にして一番難しいスタイルを、妥協のないバレエ作画と、残酷と美麗を鮮烈に魅せる演出でもってしっかり取り回し、一つの区切りまでしっかり語ってくれた、良いアニメだった。
この始まりに感じた胸の高鳴りは、一切裏切られること無くアニメとして走り切り、その先に続く物語を僕に出会わせてくれた。
ありがたい限りだ。

 

 

・であいもん
ベストエピソード:第3話『夏宵噺子』感想ツイートまとめ

lastbreath.hatenablog.com

涼しげで焦りがなく、穏やかな統一感が作品全体を貫通している。
とても良いアニメだったと思う。
個人的な事情から京都と和菓子にはちと縁が深くて、生中な姿勢で指突っ込んでるなら向き合い方難しいな……などと考えながら視聴を始めたが、全くもって杞憂であった。
水彩画のファンタジーを交えつつ、京都という街の落ち着きと変わらなさ、そこに宿る活気を丁寧に編み上げてくれて、12話一年の旅行記としてもいい仕上がりだった。
どっしり土に足を落として、人間がどう生きて行くか、そこに和菓子がどう携わるかを描いていく構成になったので、背景であり舞台でも在る街にどういう風が宿っているかをちゃんと描くのは、作品が成立する最低条件と言える。
そこを悠々とクリアし、流れていく時間と四季の風情もしっかり書き込んで、しみじみいいもんとして景色を描けていたのは、大変に良かった。

ドラマとしてみると、ドタバタ楽しい人情コメディの側面もしっかり楽しみつつ、やっぱ一果という難しい子供をどう描くかに、僕の焦点はあった気がする。
そこに最初にフォーカスが定まって、見逃せない作品として前のめりになったのがこの話数であり、ここからずっと『どうなるものかな……』と腕組み見ていたものが解けたのが、第11話である。
どっちを選ぶかは大変に悩んだけども、この話数で切り取られた盆地のうだるような夏、そこに宿る一筋の涼の描き方が、やはり作品へを引っ張り込んでくれた大きな要因であるので、この話数をベストとする。

一年間、借り物の”いい子”として緑松に宿りつつ、賢さと健気、秘めた弱さで自分を頑なにしてしまっている一果が、どれだけ脆く危ういか。
それをちゃんとここで描いたからこそ、押し付けるでなくじっくり腰を下ろし、自分の人生も自分なり進みつつ、”良い子”の奥にあるものをしっかり見守ってくれてる人たちのありがたさも、じんわりと染みた。
それは最終話、一年分の小さな歩みをしっかり反映して何かが変わり、しかし何も変わらず、時はまた巡っていく形で終わる。
その変わらなさ、進まなさが奢りと焦りを上手く抜き取って、全体的な作風、一果を一人間として尊重しながら進もうという姿勢に、丁寧に噛み合っていたように思う。
そんな風に、賢すぎる子供を扱ってくれるお話が、僕はやっぱり好きなのだ。

 

 

・ヒロインたるもの!〜嫌われヒロインと内緒のお仕事〜
ベストエピソード:第7話『うちの幼なじみ』

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”ベスト”か? と問われると、正直答えに窮する部分は結構あるのだけども。
自分から凄く縁遠い文化が、アニメという(一応)自分の庭に流れ込んできて、ちょっと向き合ってみるのも良いかな……位の気持ちで見始めた作品であったが、やはり根源的な価値観、欲しい所に球が入らず思わぬ所でぶん殴られる異質感と、対峙し続ける三ヶ月ではあった。
僕は創作物語に限らず、あらゆるプロダクトというのは顧客と文脈があって、望まれて存在しているものだと考えているから、自分と波長が合おうが合うまいが、世の中にそれを求めそれをこそ自分の物語だと受け止める人がいることを、事実と捕らえている。
同時に人間は認識の動物なので、食い合わせが悪いものは認識の外側において、それが存在しないかのように生きていくことを志向しがちだ。
それは自分に心地よい環境を選び取る生存の技芸なわけで、けして否定されるべきものではないけども、食いやすいメシばっかりくっていると顎は弱るしハラワタは腐る。
なので異質ながら食べやすそうなものを選んで、時折積極的に接種するようにしている。異世界モノとか、スタンダードなヘテロブコメとかね。

この作品は思春期女性の自己充足願望、こうあって欲しい青春の形を追体験する変身願望、あるいは世の中に”普通”と流布する価値観やライフスタイル、充足の形に自分が合致していると確認したい願いを叶える、願望充足型エンターテインメントの色合いが濃いと感じた。
友情に恋に仕事に、己を偽ることなく達成し充実していくひよりちゃんはよく、”モブ”という言葉を発していた。
ヒロインとして選ばれず、何者でもない存在でありながら、特別に輝く存在の側に立ち、彼らに倫理的優越を確保したまま影響を受けて、自分自身を変えていく。
グイグイ他人を引っ張っていく”男らしい”在り方から距離を取りつつも、状況のキャスティングボードは受動的で抑圧的なまま掌握し続ける全体構造が巧妙で、その欲望の構造を気づかせないまま作品に引っ張る巧妙さと合わせて、いつしか作中の現実として展開するドラマとキャラより、俯瞰でレトリックと戦術を見破る方向に、面白さの軸足がシフトしていった感じもある。
”勉強になる”というのは、エンタテインメントを見て出てくる感想としては相当に良くないものだと思うが、正直今一番素直に出てくるのはその言葉である。

この話数をベストに選んだのもそういう、ロクでもない視線が結構刺さってて。
こうもエグく、キャラを使い潰して状況を描くのか……つう驚きと納得が、この話数にはあった。
ひよりちゃんは恋をする時期にないので、このお話は恋を扱わない。
最終話まで見通してみると、渚くんの思いと失恋はこれを宣告するためにのみ作中に意義をもって、彼はそれを告げるためだけに表舞台に出てきて、一話で退場する。
その一切情けも容赦もない機能主義こそが、このお話……が所属するHoney Worksという創作商業集団の文脈においては、栄達を支え成功の礎になったのだろうなと、外野から勝手に推察する決定機ともなった。
心がときめく定番シチュ、あるいは今回のお話が踏み込まない領域をしっかり線引し、ユーザーのニーズに応えるために必要なある種の残酷さが、一番良く出たエピソードだと感じた。
それが果たして、作品とそれが属するカルチャーの本質なのか。
ここは、いつか自分の目でしっかりと確認しなければいけないところだと思っている。

 

 

かぐや様は告らせたい-ウルトラロマンティック-
ベストエピソード:第12話『かぐや様は告りたい② /かぐや様は告りたい③/「二つの告白」前編/「二つの告白」後編/秀知院は後夜祭』

lastbreath.hatenablog.com候補は多いが、同時に文句なしのベストでもあろう。
こんだけ長く続いたお話を納めるにあたり、奇策を高じず横道に逃げず、主人公二人がお互いどういう思いで相手を求め、それを伝えるべく何を作り上げて何を選び、そんな二人の青春がどれだけ輝いているか。
全部ど真ん中で描ききり、伝えきった、極めて見事な一時間スペシャルだった。
二話連続放送という形式、ここにいたるまでの結構長い準備期間を整えないと、この王道ど真ん中の気持ちよさ、今までの”かぐや様は告らせたい”というアニメ全てを総括するような満足感は、けして生まれなかったと思う。

各キャラクターの思いがこれ以上無いほどに伝わる、気合の入った表情作画。
あるいは白銀くんが好きだという思い……の更に先にある、ずっと一緒にいる未来を強く求める気持ちをどうすればかぐや様に伝えれるのか、さんざん準備し超納得のシチュエーションで叩きつけた、あの美しい真夜中の夢の作画と演出。
アニメーションとしてのクオリティが、全てお話が伝えるべきものに連動しきった作り込みの強さも、この一瞬に全てが活きるように仕上げたシリーズ構成・放送形態の強さも、全く凄まじいものであった。

ヘテロブコメのニュー・スタンダードと言える実績と影響力、なによりも面白さを誇るこの作品だが、期を重ねてもアヴァンギャルドな挑戦と、毎回違う面白さ、ときめき、眩さを届けようとする意欲は緩むことがなかった。
三期も使用人の枠を超え、友人として家族としてかぐや様を思う早坂の気持ちを紐解いた第2話とか、ヒップホップの精神性を見事にアニメに落とし込んだ第5話とか、物語の起源と未来が錯綜する第9話とか、良いエピソードがたくさんあった。
基本ショートギャグの積み重ね、同じことの繰り返し……に見えて、人間同士の相互作用で変化していく人格とか、小さな変化の積み重ねとか、それがロマンティックに炸裂する瞬間とか、繰り返しではありえない面白さが、随所に暴れていた。
特に石上くんはそれが顕著で、かぐや師匠と新生を誓った道が何処に続いてんのか、この後の新作アニメで見れそうで楽しみでもある。

アニメシリーズ自体は続くが、やはりタイトルにもある”かぐや様は告らせたい”という、相手を利し自分を高みに置く生き方から決別し、あまりにもピュアな口づけで気持ちを伝えてしまったこと、”恋愛頭脳戦”の究極系を描かれてしまったことは、微かな寂しさと大きな満足感を込めて、一つの終わりを実感させる。
今胸にこみ上げているこの感慨は、やっぱり最終回がマジで良かったおかげであり、三期分の期待を大きく飛び越え、最高以上の最高を形にしてどっぷり浸らせてくれたことは、本当にありがたかった。
新作、大変楽しみにしてます。面白かったです、ありがとう。

 

 

・ヒーラー・ガール
ベストエピソード:第8話『メイドさんが大好きです・クビよ』

lastbreath.hatenablog.com
色んな意味で難しい部分があり、そここそがこのアニメっぽいのでベストに選ぶ……という感じである。
放送前から『宗教っぽいwwww』と草生やして煽られ、そうなっても仕方ないヴィジュアルイメージをぶち破って、独自の存在感と面白さを叩きつけ走りきったこの作品。
『やっぱアニメオタクは、外野からガーガーモノ言うよりモニタの前で口半開きにして、全身の毛穴で作品食べたほうが健康に良いな……』という基本を思い出させてくれた意味でも、得難いアニメ視聴であった。
キャラがそこにいるということ、世界がそこに在るということに凄く独自の、真摯な向き合い方をしてた作品で、それが”ヒーラー”っていう大嘘を成り立たせる大前提として、しっかり機能していたと思う。
序盤の一人原画祭りとか、全話の絵コンテ入江監督が仕上げてるところとか、制作体制にも独特の癖とこだわりがあり、それが有効に機能してオリジナルな面白さを加速させていった感じも、ヘンテコで良かった。
世にスタンダードとされる飲み込みやすさよりも、自分たちなり丁寧に作品を編み上げて、ヘンテコな個性も含めて実力で食わせに往く感じが、ちょっと昔の深夜アニメっぽい無骨さを漂わせて、懐かしくも嬉しかった。(ここら辺の匂いは”ゲキドル”とかからも受け取ってる)

このお話は単話としてみると、今まで過去や心の奥底がダイレクトに描かれなかった玲美の”答え合わせ”として、その繊細な心根や複雑な家庭環境、葵さんとの人間関係を丁寧に編み上げる、凄く仕上がりの良いエピソードだ。
同時にそれを描き切る筆の暗さ重さを、力技でぶん投げるようなハッピーエンドが噛み合っておらず、悪くないけど奇妙な違和感のある、不思議な話数でもある。
放送当時僕も受け止め方にかなり悩んで、どうしたもんかと感想を探ったわけだが、この後の展開で葵さんが果たした仕事、『この人いてくれて良かったなぁ……』と思う場面の多さを見ると、この終わり方で良かったんだと思わされた。
こういう話数を超えて意味が変わってくる面白さもまた、物語が積み上がっていく楽しさの一つであり、何度も味変して正体を掴ませない……けど、楽しくいい気分で見届けられるので何度も見てしまう作品の、特徴が色濃く出たエピソードだと思う。

この印象の変化はエピソード単位だけでなくキャラも同じで、話数を重ねるほどに陰影が深まり、『この子はこういう子なんだ』という理解が逆さに裏切られるわけではなくて、新しい表情を『あ、そういうことなんだね』と納得できる体験が、幾度もあった。
響ちゃんがどんな子か、豊かな自然を堪能する中解らせてくれる第5話と、そこで収まりきらない陰影を教える第10話とか、オリジナル深夜アニメ特有の終盤唐突に襲い来る”いらないシリアス”を凄まじい手腕で料理しきった第11話とかも、そういう味がよく出てて、選出に悩んだ。
ただ放送当時感じた『いい話なんだけどな~~~』って感覚が話数を重ねるごと、納得とともに解けて価値を上げていく体験ってのはこの話、このアニメでしか出来ないと思うので、これをベストに選ぶ。
いいアニメでした。

 

 

虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期
ベストエピソード:第13話『響け!ときめき――。』

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まぁ、例によって例の如く”ベスト”は全話で、だから選ぶの悩むけども。
高咲侑の物語を大きく取り扱った”二期”の終わりとして、アニメシリーズとして一つの幕を下ろすタイミングとして、かなりとんでもないことをしっかりやってのけたこの最終話を上げないと、色んなことが嘘になりそうなのでこの話数とする。
演出方面で僕が好きなのは、辿り着いた結論のキャンバスとなるステージメインのこの会ではなく、その途中経過を唐突に照りだす太陽とか、バッキバキに画面を分割する垂直線とか、視線のレベルを生かした心理表現とかが元気な悩みの過程であり、それは第3話のランジュマンションのシーンとか、第7話の栞子と世界の描き方とか、第9話でミアとランジュのW加入を成立させる緊張感だとかに、むしろ顕著に現れていたりする。
一期で描ききれなかったキャラクターの後ろ側に、回り込んで深く掘る描き方としては第4話で見えた太陽だからこそ人間の陰りが分かんない愛さんとか、それを補っていた果林さんの湿った側面が色濃く宿る第11話とか、柔らかな微笑みの奥に分厚い人間力を宿す彼方ちゃんの凄みが見える第12話とかが、大変いい。
まぁ、何しろアニガサキなのでみんな違ってみんな良いわけだが。

それでもこの最終話を選ぶのは、幾度も『ここが始まりです!』と宣言しつつ、明確にすべてを終わらせるべくすべてを注ぎ込み語り切り、自分たちが何を描いてきたかを明瞭に言語化し映像化して、その先に続く”あなた”の物語として見ている人に託す、強い信念が感じ取れるからだ。
本来不適な見方なのかもしれないけど、僕はこのお話を分断に満ちた世界を生きるための理想化された処方箋、あるいは希望を込めた祈りとして見てて、社会規範のタガが緩み、平等も友愛も成立しづらいなか肥大化する自由という怪物が闊歩する現実でどう”わたし達”でいられるのかを、ずっと睨みつけてる話だと思った。
Youを名にし負う我らが主人公、侑ちゃんが透明なアバター(ゲーム的一人称の残影)であることを乗り越え、作曲家として己を世界に問い、魅了していく自分の物語を走り抜けていった二期において、侑とYouは重なり合うことを、最終的に辞める。
他の12人がそうであったように、侑ちゃんの助け合ってそうであれたように、彼女はあの美しい仮想世界を確かに生きている一人の少女として人生に悩み、夢を掴み、トキメキを大きく響かせて、誰かの憧れになる。
物語が始まる前とその瞬間から、ずっと一緒だった歩夢と離れてなお伝わる温もりを感じながら虹を見上げて、その先にある未来へと自分の足で駆けていく。
それは彼女というキャラクターが、物語の便利な奴隷である宿命を見据えた上で、沢山の物語を捧げて開放した作者たちの祈りが、実を結んだ結果だ。

Youでなくなったからこそ侑ちゃんは、主人公たる彼女にMeを重ねていた僕らに向かって、今終わろうとしている物語がそれでも確かに突き刺したモノの価値を、幕が下りてモニタの電源をおろしても続いていく僕らの物語の中で、殺さず響かせてほしいと願う。
そらー萌え産業の消費物が投げかけるにはあまりにデカいテーマと野望と祈りであるけど、そういうデカい妄想を練り込んだからこそこの作品はとても良いものに仕上がったのだし、言わないほうが不実だろう、と描かれてみれば思う。
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のアニメはああ終わるしかなかったし、ああ終わってくれたのだ。
そういうエンドマークを鮮烈に描ききれる作品は凄いし、虹色の美しい幻影を見事に終わらせたからこそ、それは無限になっていくのだ。

 

 

・薔薇王の葬列
ベストエピソード:第22話『Use your head more, damn brat. Don't die even if you are weak.』

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最初は良くある史実改変ネタかぁ……などと、軽くナメて見始めた作品であったが、セックスとバイオレンスを独特の画風でもって透明感を残したままガンガン暴れさせ、家と性と規範にガチガチに縛られた中世のヤダみと、権勢と栄光を求めて全てを踏みにじっていく戦乱期の狂熱を存分に取り入れた作風は、膝を正して見るまで時間がかからなかった。
”ヘンリー六世””リチャード三世”以外のシェークスピア劇やキリスト教など、様々な文脈を自在に横断しつつ、あくまでリチャードという複雑で純粋な人間がどう狂い、どう愛し、どう騙し殺し奪っていったか、ピカレスクな味わいと身を裂くような切なさを交えて描いていく筆には、見るほどに己を試されている感じがあった。
男も女も、王も簒奪者も、あらゆる区別なく罪人であり愚者であり業に囚われた囚人である、一切の出口なき世界。
地上の王国に意味などなにもないのに、それを求めて全てを踏みにじらずにはいられない、愚か者たちの運命は容赦なく描かれ、バッタバッタと人が死ぬ……か、死んだほうがマシな状況にゴロゴロツッコんでいく。
悲惨な話であり、その悲惨さを娯楽として楽しむ悪趣味をしっかり理解しつつ、だからこそそんな死線を超えた切実さを、群像の中に投げ込めたのだと思う。

レイプ、望まぬ婚礼と出産、否定される身体、女である故の軛。
女性読者に刺さるエグミを全面に出して話が回っている……ようでいて、真実の愛を求めて国を乱す荒淫の罠とか、”男らしく”いられなかった結果乱を生むヘンリーと家族の桎梏とか、愛を知りつつ己の業を制御しきれなかったバッキンガムの愚かさとか、男たちも平等に地獄の中もがいて、愚かに死んでいく話であった。
愛とか真実とか、男とか女とか、王とか聖者とか、どんな属性も人を救い得ず、むしろより強いカルマに人間を繋ぐ縄にしかならない出口のなさが、なんともグノーシス的であり、その徹底はむしろ小気味よかった。

地上の牢獄を唯一開けうる鍵となる、愛なる呪い。
主人公リチャードが遂に掴んだ半身との運命が、史実以上の悲惨さで決着するこのエピソードは、つまり彼が生きてきた物語全体がどのようなものであったかを、明確に語るクライマックスである。
ここで地上の栄光をすべて捨て去り、名も家も王冠も捨てて二人きり愛に生きていく道を選べなかった理由こそが、リチャードとバッキンガムが手を取り合い、たくさんの血と罪を重ねて高みに登っていった物語、その最果てである。
そこにはなんの意味もなかったが、しかし確かに微かな輝きがあった。
過ちであり罪であると知りつつ、光に手を伸ばすことでしか生きられなかった者たちの残骸で、薔薇王の葬列は満たされているが、この話数で切り落とされた罪と愛こそが、最も眩く、最も愚かしく輝く、作中最大の墓標である。
こんな場所に流れ着いてほしくはなかったが、しかし描かれたものの全てが、二人がここに至るしかなかった運命を強く語っている。
そういう必然のある決着が、年表に確定している”リチャード三世”の無惨な敗北よりも先に描かれたことが、その結末を飲み込む一つの助けになってくれた感じはある。
ここで愛を殺し生きる意味を決めてしまったのだから、残る物語の勝敗も栄達ももはや問題ではなく、重要なのは唯一つ、いかにして死ぬべきか。
残りの二話をある意味”余生”にしてしまうほど猛烈に燃え、砕かれた愛の軌跡は、おぞましくも切なく、泣けるほどに人間的で、バカバカしいほどに嘘がなかった。
とても良いアニメであり、古典的名作と歴史的事実を敬愛すればこその堂々の大嘘を、力強く語り切る傑作であったと思う。

 

 

・まちカドまぞく 2丁目
ベストエピソード:第6話『夕日の誓い!まぞくたちの進む道』

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最高に心が動く、圧倒的なクライマックスだから……という意識は、じつはあんまなくて。
リスクを背負って危険な心の奥底に挑み、ずっと探し求めていた姉の真意を確かめ、未来への指針を掴む……ていう派手で総決算感ある話運びが、なんてことないドタバタな日常と、そこで育まれる温かい絆に強く連動している以上、この話の良い所はその話がハレかケかでは判別できない。
むしろそういう区別も確かにありつつ、人生の道行を決めてしまうような決定的瞬間にこそ、普段培ってきた小さく柔らかな力が求められ試されるのだ、という発想のもと作られてるお話だから、全話がベストではある。
それじゃあなんでこの話をわざわざ選ぶかというと、そりゃー桃がとても自然に、戦いに挑む前、姉を失う前はそう笑えてただろう笑顔を取り戻して笑ってくれたのが、嬉しかったからである。

この作品はポップでソフトでファンタジックな外装の奥に、かなりシビアで理不尽な核を持っていて、だからこそ普段ぎゃいぎゃいお馬鹿な喜劇に興じつつ、真剣に人生の修羅場に挑む少女たちの本気も良く伝わるわけだが。
楽しい日々の中、冗談扱いですんでる桃の暴力的で乾いた生き方の裏には、相当シビアで重苦しい傷があることは、既に彼女の心に潜った作品の歩みを見れば良くわかる。
多魔は異形の怪物が当たり前に受け入れられているユートピアではあるけど、そこは四苦八苦を遠ざけた”何処にもない場所”ではなく、苦があればこそ楽を己に、そして自分の大事な人に求める、優しくあろうとする人たちの、人間の目指すべき当たり前がつまった街である。
そんなまちカドに見守られ育まれ、暗い迷い道に姉との思い出を取り戻してもらって、桃が見つけた新しい道は、手のひらに収まる小さな幸せを護るために、自分の力を使う……使える自分になることだった。
そうなりたいと願い、そうなれるのだと自分を信じられる基盤は、お人好しな闇の種族がしっかり踏み固めてくれて、桃はどんどんシャミ子が好きになる。シャミ子的になっていく。
あの笑顔が優しく見えるのは、過酷な人生に傷つけられる前の桃が蘇ってきてる証拠であり、再生の奇跡を成し遂げたシャミ子が、強く優しいまぞくに確かに己を育て、人に分け与えている証明でもあろう。
そういう一歩一歩が確かに力強く作品に刻まれているからこそ、僕はこのお話が好きなのだ。
この笑顔の後に、誓いを裏切らず強く優しい魔法少女として、日々を楽しく生き友のために戦い言葉を紡いだ桃の生き様含め、やっぱりこの話数がベストである。
クライマックスに繋がる当たり前の日常が全部ベストであるように、クライマックスを終えた後に続いていく平和でありきたりで、特別で確かになにかが変わった日常もまた、いつでもベストなのだ。

 

 

・時光代理人 -LINK CLICK-
ベストエピソード:第5話『告別』

lastbreath.hatenablog.com正確には4月期アニメじゃないけど、僕が追いついたのがこのタイミングなので、この記事でまとめさせてもらう。
凄いアニメだった。
良いサスペンスを成立させるには情報の出し方と隠し方、何が起こるかの予兆を視聴者に確実に作って、それを上回る心地よい裏切りを発生させることが大事だと思うが、筋立てと演出、精妙な画面構成とライティング、芝居の間と音響の妙味を駆使して、しっかりと毎回、そういうものを成立させてきた。
『このアニメはこういうお話なんだな』という納得がしっかり生まれた上で、『その上でこういう話になるの!?』という驚きを与え、同時にその裏切りに納得も出来る。
基本にして理想形だが実現するのが難しいことを、家族を中心とした人情劇と、過酷な運命に抗う異能者の物語の両輪で、しっかりと実現させてきた。
第3話からの三部作は、急に始まった超本格バスケにビックリしつつ引き込まれ、そこから中国地方都市の切ないリアルと普遍的な青春絵巻に心動かされ、そして過酷な運命がすべてを飲み込んでいくという、時間をかけただけはある説得力で持って、”時光代理人”がどんなものかを教えてくれた。

そこには軽妙な笑いがあり、ありふれた人生の味わいがあり、譲れない信念があり、過酷な現実があり、そこに潜れるのに変えれない異能の宿命があり、それでも料理を味わい掌の温もりを覚えている、人間の心があった。
国を越え時を超え伝わるものをしっかり真ん中に据えつつ、あまりにも重すぎる宿命に、人間的であるがゆえに思い悩む主人公の心根と、”時光代理人”という存在を縛る鎖、それが生み出すかすかな希望を教えてくれた。
ここで学んだものは後半戦、より過酷さを増していく事件の中で別の角度から問われ、別の事件のはずなのに同じように暖かな家族の絆、都市と地方のギャップ、変わりゆく時代と変わってはいけない心が、トキ達の隣を走り抜け、あるいは当事者として突き刺さっていく。
後に最後の事件として帰還することになる第1話も、”時光代理人”がどんな物語かを的確に語っていて明瞭であるし、第2話に滲む切なさと人情、あるいは一つだけ異質な番外編のはずなのに異様な重要情報が隠されてる第6話や、第9話以降のサスペンスフルなクライマックスも素晴らしい。
ただやっぱ、三話続きで長く強く豊かな変化を持って、”時光代理人”を自分に教えてくれた物語が、一つの決着を迎えるこの話数が一番、僕の中で印象深い。
こうも色んなネタを扱いつつ、しっかりひとまとめの軸を作ってまとめ上げ、一個の”仕事”としてケリを付けつつも、作品全体に強く伸びていく余韻と伏線を成立させる、圧倒的な巧さ。
そんな作品の凄みに、飲み込まれ引き込まれるエピソードだった。