イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

積雨百合の背を曲げず -2023年4月期アニメ 総評&ベストエピソード-

・はじめに
 この記事は、2023年1~3月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
 各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
 作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。




 鬼滅の刃 刀鍛冶の里編
 ベストエピソード:第9話『霞柱・時透無一郎』

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 鬼滅アニメとの付き合い方は、自分の中では結構難しい課題だ。
 自分は古いタイプのアニメオタクで、オタクカルチャーがここまで一般化する以前の、作画もシナリオも八方破れのテキトーな時代に、嗜好の根っこが固められている。
 今の基準じゃ見れたもんじゃないジャンクを美味しく食べるべく、強制的に顎が鍛えられ舌が肥えない雑食性のオタク幼年期を過ごした身としては、特に作画方面でのハードルが近年ぶち上がりすぎていて、制作者サイドもなかなか厳しかろう……とまっこと余計な心配を、勝手にしたりもする。
 実際若い世代のアニオタが、自分には十分以上に仕上がっている作画を不十分と判断する現場に行き合わせたこともあって、やや過剰品質な傾向を感じてもいるのだが、しかし圧倒的なクオリティでマスをぶん殴って外野席までぶっ飛ばすやり口が、まさに正解であると示したのが、他でもない鬼滅アニメかなとも思う。
 主に集英社原作のアニメ化に顕著だけども、ぱんっぱんに力こぶ張り詰めて気合十分打席に入り、わかりやすい演出と常時緩まない作画で場外ホームランを生み出すメソッドが、商業的に桁違いの成功を引っ張っても来ていて、そういう戦い方をするなら退けない所まで、市場の圧は高まってるイメージだ。

 無論良い作画を浴びるのは大変眼福で、ハイクオリティなのは基本的に、そして根本的に良いことだ。
 しかし常時力んだパワフルさは、作中に緩急とテンポを生み出すことを時に難しくするし、古臭いオタクとしては力を抜いてるからこそ生まれる侘び寂びみたいなものを、勝手に求めたくもなる。
 なによりも凄い作画がお話の中どういう機能を果たし、何のために凄いのかという目的が時に”凄いために凄い”というトートロジーに飲まれる瞬間が結構観察できて、上手さに意味を求めたくなる視聴者としては時に応対に困る。
 何を何のために描くのか、時に力を抜き緩やかに構えて目的を果たす闊達自在が好きな身としては、鬼滅アニメの力んだ緩まなさをどう受け止めたものか、時折困るのだ。

 その上でこの話数は、圧倒的なクオリティと展開されるドラマ、時透無一郎というキャラクターの起原を彫り込む筆先がしっかりと噛み合い、必要なだけのトルクを力強く出していた。
 山中の景色も大変美しく、それが打ち砕かれる無常を際立たせるキャンパスとしてしっかり機能していたし、無邪気な杣人の子であった過去と凄腕の剣士に成り果てた今の対比も、しっかりとした手応えで画面に乗っかっていた。
 『この画面、この作りで良かったな』と見ながら腑に落ちる話数は、自分的な納得が強く特別なお話になってくれるので、やはり好きだ。

 

 

ヴィンランド・サガ SEASON2
 ベストエピソード:第6話『馬がほしい 』

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 『このアニメ、何が面白いんだろう……』って手応えは、時に唯一の強みを引っ張り出す武器にも変わる。
 陰さんで血みどろで、だからこそ爽快な復讐劇だったSEASON1の後に続く”ヴィンランド・サガ”の二期は、何もかもを奪われた虚無と今も昔も変わらない当たり前の労働に彩られて、地味で落ち着いていて……その外壁を静かに打ち破る、マグマのような熱に満ちていた。
 寡黙に日々を耐え忍び、日々の小さな幸せに慰めを見出すような、ドラマティックではありえない平凡な人々の中に、足元に、いつでも秘められている強い熱量。
 これを主役の元戦士と、当たり前で何より得難い感性と善性を持った元農夫の二人が、二人で人生を生き抜きながら掘り返していく物語。
 丁寧に1000年前の農作業の実態を、一頭の馬が世界全部を書き換えてしまうような力を持っていた時代の手応えを、傷追い人たちがその心を満たしていく土の匂いを、とにかく寡黙に積み上げる。
 物語を描く筆先自身が、自分たちが作っているテーマと作風をどっしり裏打ちしていく、ある種愚直ですらある誠実なスタイルが一番色濃く出ているのは、このエピソードなのかな、と思う。

 後にクヌートの覇道主義と、トルフィンの人道主義が衝突する現場となるケティルの農園は、しかしそういう宿命のためのキャンバスとしてだけ世界に存在したわけではなく、確かに生活が営まれる人間の居場所だった。
 当たり前の差別と暴力があり、それを奥歯で噛み砕いて飲み込めるだけの理由が実り、傷だらけの過去をゆっくりと自分の腹の奥に落として、己が何者でありどこに生きたいのか、見定めるための魂の宿木となっていった。
 そういう場所の実在感と説得力をアニメが生むためには、繰り返す日々を誠実に描写すると同時に、その一瞬一瞬が何をキャラクターに生み出し、何が変わっているのかを描く必要がある。
 表情と芝居の奥に何が実っているのか、視聴者が掘り出しその手に取る喜びは、土を耕し種を撒いた成果を収穫するのにも似た喜びがあって、読みがいのあるアニメだったと思う。
 それは宿命が血しぶきを上げて炸裂するクライマックスと同じくらい、あるいはそれ以上に、前半波風少なく、しかし思い返せば静かに熱く積み重なった土まみれの日々にこそ、宿っていた気がするのだ。

 

 

・スキップとローファー
 ベストエピソード:第8話『ムワムワ いろいろ』

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 クールアニメの放送と歩調を合わせて感想を綴るようになって長いが、そうしていると時折、自分なりに『この描写が作品の核だ』と勝手に思い込む瞬間が、突然降ってくることがある。
 それが実際に、お話を象徴し凝縮するコアであるのかは不可知だと思っているけども、少なくともその手応えは嘘のない実感として僕の中に降り立って、その後作品を見続ける一つの柱に(あるいは一つの見方に縛り付ける鎖に)なっていく。
 解ってしまったものは作品を見て、解体して飲み込む脳髄を占拠し、視界を色づけて一つの方向へと導く。
 透明で客観的なモノの味方からはハズレた視線であるけども、この個人的な手応えは僕にとってかけがえのない快楽でもあって、これを大事にするために”感想”をやり続けてもいる。

 スキローアニメで自分が”核”だと思ったのは、遠くに離れていく背中をじっと見つめる、置いてけぼりにされた子どもの描写だ。
 これは充実できない自分を蔑み、充実してそうな誰かを羨むミカちゃんを、無自覚に満ち足りた世界を生きている美津未ちゃんと対比する形で描かれたのが、作品の初出になる。
 彼女が内心をぶちまけ美津未ちゃんと友だちになり、主役の善性を際立たせるための当て馬から抜け出した(そうさせることで、作品全体がイヤな引力を振りちぎった)後も、誰かの遠い背中を見つめる視線は幾度も描かれる。
 その劣等感と羨望、満たされない遠さは出会い一つで、青春イベント一個で解消されるものではなく、長く長く人間の根っこを縛る。

 そして彼女が恋い焦がれ、自分の満たされなさを埋めてくれる光と勝手に思い込んでいる志摩くんも、また誰かの背中を見つめる迷子なのだということが、この話数からだんだん暴かれていく。
 それは美津未ちゃん主役の一人称から、群像を横幅広く描き多士済々な世界の明暗を複雑に彫り込んでいく方向へ、物語が舵を切りなおすタイミングだ。
 誰もが甘酸っぱく憧れる、最高のイケメン男子との恋物語
 その奥に何があるのか、なにが主役に見えていないのか、どこに最強無自覚インフルエンサーの限界点があるのか。
 遠く眩しく光る夢を、笑顔の仮面で自分を守っている少年が置き去りに見つめている姿は、自分が作り上げた”スキップとローファー”の善さを解体し、再構築するためのメスにもなっていく。

 その批評的姿勢が作品を新たなステージへと進ませ、自分が何を作り何を語っているのか、自覚的でありながらいまだ掘り尽くせない不思議さに満ちた、魅力的な手応えを生み出しても行く。
 そういう風に作品が”化ける”結節点として、初恋という名前のチャーミングなミステリであり、だからこそ内面を語る権利を持ちえなかった美青年が抱え込んだ影が、ドロリと漏れ出してくるこの話数は、決定的に大事だ。
 充実していない側、置き去りに背中を見つめる側代表だったミカちゃんが、溶けたアスファルトに一歩ずつ自分の足跡を刻み、誰かに手を差し出され己を掴んでいく様子が並走していることが、志摩くんが同じ道にまだ踏み出せず、これから踏み出して最終話で小さく、確かな答えを得る歩みの、見事なガイドラインにもなっている。

 自分から遠くかけ離れているからこそ眩しく見える誰かは、自分と似通った痛みと虚しさを抱えていた生きている誰かで、でもその個別の鼓動を感じられないままに、人は生きている。
 そしてその断絶には、時に橋がかかって優しく満たされ、時にわからない事実そのものが一つの救いになって、どこかへと漕ぎ出していく契機にもなる。
 人のあり方は複雑怪奇で、必ず欠けた部分と満たされた部分があって、天使の羽がないからこそ愛しい。
 そういう豊かな視座を作品が語りだすスタートは、自分的にはここにこそあるのだ。

 

 

 

・私の百合はお仕事です!
 ベストエピソード:第8話『どなたに投票いたしましょう?』

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 この話数を選ぶのは、当然一番演出がキレていたからだ。
 前半戦を丸々前フリにして、果乃子の秘められた本性をサイコ・サスペンス的な筆致で掘り下げていくこの回は、時にコミカルに、時に人間ドラマのぬくもりを持って展開した陽芽と美月の物語との、冷えた対比によって強い存在感を放つ。
 剥き出しの鉄が鈍く光る、バックヤードよりもなお嘘っぱちの舞台から離れた階段を定点観測地に、過剰に恋愛を適しする純加と歪な恋に縛られている果乃子の関係性は、ここからグツグツと煮えだす。
 『ナメてた相手が殺人マシーンだった』的な気持ちよさも、その奥に異形ながら真っ直ぐな純情があることも、本音と建前という物語のテーマをより深い位相へと連れて行く、良い足がかりになっていった。
 原作の段階で、色々と不器用で過不足のバランスが上手くない作風なんだけども、そのアンバランスにこそ人間の愛しい矛盾を彫り込んでいく手がかりが確かにあって、そこを大事にしたアニメ化だったと思う。

 この歪な舞台で、嘘と本当に翻弄されながら自分一つしか制御できない、歪んで美しい獣達。
 その必死の身じろぎを見つめる視線は、人間がなぜ恋をし救われ、解りあえず呪われていくのか、とても普遍的な目線を持っている。
 外装がきれいに整っているからこそ、より強調される人間的な(あるいは怪物的な)歪さは他人事を嘲笑う冷たさではなく、今この瞬間を不自由に、しかし必死に生きる者たちへの共感と、そのあり方を見据える冷静さが同居していて、独自のコクと臭みがある。
 そういう作品の実装でもって、いわゆる”百合”のパブリックイメージを逆手に握り、ボッコボコに殴ってくる創作的暴力性も込みで、こんぐらい濃い”百合”がしっかりアニメになったのは、とても良かったと思う。
 もはや実態のないバズワーズとして、『あなたが百合だと思うものが百合』としか言いようがない拡散を果たしてはいるけども、確かにこのアニメに、この話数に描かれたものは濃厚に”百合”だった。
 そう噛み締められれる物語は、やっぱり良いもんだ。

 

 

・BIRDIE WING -Golf Girls' Story-
 ベストエピソード:第14話『少女の記憶の中に眠っている確かな真実』

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 一年。
 短いようでいて結構長い時間で、何かを忘れてしまうには十分だ。
 バディゴル前半は学園編の途中で見事にぶった切られ、『区切り? なにそれ?』と言わんばかりの振る舞いがこのアニメらしくもあったが、このお話がどんなアニメであったのか、匂いや手触りの細かい所を忘れるにはある意味当然で……そのぼんやりした手応えを、真正面から殴り飛ばしてきたのがこの話数である。
 正直各章ごとのクライマックスはしっかりと熱く、合間合間の抜いたエピソードにも光るものがあり、選別は難しいのだけども、一年の休止を挟んでの視聴体験全体を見通すと、要はここにあった気がする。

 ロケランだったり可変コースだったりアイドルサイボーグだったり、何かとトンチキな部分が取り沙汰されがち(そして実際、それは猛烈に記憶に残り楽しい)バディゴルだけども、ゴルフ競技を通じてあぶり出される執念や絆という、お話のベーシックなところが強いアニメだったと思う。
 二期の開幕を告げるこの話も、香蘭ペアが天才二人に必死に食らいつく意地と熱量、凡才ゆえにゾーン一本でしがみつく悲壮感と決意が、熱くにじむ。
 ここで描かれたペアの絆は、イヴと葵の運命が激しく引き裂かれ、あっという間に世界編へとなだれ込んだ後も、作品の大事な要であり続ける。
 基本個人競技であるはずのゴルフは、一人で回っていても一人ではなく、向かい合う好敵手は目指すべき目標でもある。
 たった一人、勝つだけのゴルフをしてきた少女が自分が孤独ではないこと、そう思わせてくれる特別な誰かに出会うことを、お話の柱にしてきた作品が戻ってきた時、それが主役だけの特権ではないのだと教える物語を描けたのは、とても良かった。
 まぁこの後、満を持しての灘南戦は圧倒的覚醒で一気に轢き潰すんだけどな……ここら辺の待遇の違いも、バディゴルらしさといえばらしさか……。

 粗雑で強引なパワーと、それを上手く一つのテーマにまとめ上げていくテクニックが同居していたこのアニメの魅力が、一年のブランクを経ても健在だと教えてくれることで、最後まで楽しく見ることが出来た。
 それはもちろん、香蘭の二人が好きな僕にとってのご褒美回が、二期一発目にズバンと突き刺さったのも大きいけど。
 好きになれるキャラとドラマ、たっぷりマシマシにしてくれて有り難いアニメでもあったな~~ホント大好き。

 

 

 

江戸前エルフ
 ベストエピソード:第6話『Stand by Me』

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 まぁ……当然普通にこの話数である。
 ゆるーい日常教養コメディであるこのお話が、過剰にゆるくなりすぎず本当に程よい質感で見ている側に届くのは、永生者であるエルダと定命たる小糸がお互いを見据える視線に籠もる熱を、メチャクチャ真摯に、的確にえぐり取っているからだ。
 根本的に生き方が異なる二人が、しかし家族として家族以上に、カミとヒトとの絆に縛られながら、どう体重を預けるのか。
 もう戻ってこない母の生と死の重たさが、ずっしり混ざったその重量感を普段は遠くに覆い隠して、どう”日常”をやっているのか。
 強がりとも芝居とも、思いやりとも当たり前とも取れるそういう思いの表層が、どれだけ危ういものの上に乗っかっていて、お互いを得難く繋いでいるのかを、東京で一番高い場所に進んでいく足取りは精密に切り取る。
 こういうシリアスで腰の落ちた、人間が生きて誰かを求め、でもそうやって伸ばした手が時折空をかいて、その切なさをじっと見咎めて思い切り、自分の側に引き寄せてくれう手付きを、堂々話の真ん中に置く。
 そういう事に成功しているから、ただライトで楽しく……日頃の憂さを忘れるための麻酔薬めいたユートピアの話ではなく、エルフのいる月島で確かに営まれている”日常”として、エルフと巫女の物語を楽しめたのだと、僕は思っている。

 小糸からエルダへの、エルダから小糸への思いの強さはマグマのように、こういう裂け目から時折強く吹き出して、しかし普段はなりを潜め静かにしている。
 それが表になってしまえば、穏やかに当たり前を消化していく”日常”を共有は出来ず、楽しい日々は過剰な熱を持ってしまうからだ。
 しかし『そんなものはないのだ。これは日常の物語なのだから』と切り捨て殺してしまうことも、作品内部に生きている二人の人間を描く上で致命的な嘘で、その熱も鋭さも、確かにずっと在り続ける。
 そういう日常の潜熱をオモテに出して描けるのが祭りであり、巫女と神だけが無人スカイツリーを登るこの話数は、ハレの日に特別な催事を行う意味合いを、かなりまっすぐ見据えてもいる。
 テーマに選んだ物事への、背筋の延びた取材力と考察含めて、作品のポテンシャルが一番良く出たエピソードだと言える。
 そしてそれを最後ではなく真ん中にもってきて、続いていくケの日を描いて終わっていくシリーズ構成の妙も、また素晴らしい。
 つくづく、良いアニメだった。

 

 

・【推しの子】
 ベストエピソード:第7話『【バズ】』感想

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 『かなキチなのにかなちゃんメイン回じゃないんか~い!!』っていうツッコミは、まぁまぁ素直に受け止めるつもりではありますが。
 第1話にしろ第8話にしろ、視聴者の興味をグイッと作品に引き込んで続きを見せる派手で強い回が、一般的にはベストに選ばれる作品だと思う。
 ケレンの効いた見栄きりと、露悪的なスキャンダルで見ている側の横っ面を張り倒し、否応なく自分の方を向かせる味の濃い作風を見事にアニメに生かしきり、このお話はとても高いところにロケットでぶっ飛んだ。
 苛烈な芸能界の闇を暴く荒々しい筆先と、ナイーブな青春絵巻を同居させ、基調としてはなにかに本気だったりガムシャラだったり、薄汚れた嘘で押し流されがちな”本当”にこそ価値があって強いのだと、世間様の認識を心地よく後押しする快楽作りの精妙さ。
 それが上滑りせずガッチリ見ている側に食い込むのは、ナイーブで甘っちょろい人間の横顔をかなりどっしり腰を落とし、映像の詩学を自分たちなりどう作るか、野心的な画作りとともにしっかり仕上げてきた、地道な強さがあればこそだ。

 繊細でヴィヴィッドな色使いと描線、心理的不安とカタルシスを具象化するレイアウト、的確に心を打つタイミングで放たれる演出。
 凄くナーバスで基本的なアニメの表現が強くて、それゆえに派手にキメるところが狙い通り刺さりまくった結果、今作のジャックポット的大ヒットはあると思う。
 とにかく夜の描き方が美しい作品で、それは瞳に星を宿して闇の中、夢を追いかける人たちが一体どんな気持ちで、『世の中こんなモン』を噛み締めつつそれでも前を向いているのか、その瞬間にだけ宿る輝きを精妙に削り出す。

 その眩しさを際立たせるためには夜の闇を色濃く描かなければいけなくて、黒川あかねを死の淵まで追い込むこの回の演出は、このアニメの何処が強いのかを一番精妙に、静かに教えている感じがある。
 暗くて痛い表現がありえんほどに上手いからこそ、それを突破するカタルシスと突破しきれないやるせなさが際立ち、二つが絡み合って猛烈なエネルギーを生む作品構造も、高速で回転していく。
 クオリティの使い所を常時意識し続け、場外までぶっ飛ばすべくしてぶっ飛んだメガヒット作品が二期、どういう輝きと闇を描くのか。
 実力と面白さで世間を殴りつけた、その後にどんなアニメを作り上げていくかはとても楽しみだ。

 

 

 

機動戦士ガンダム 水星の魔女
 ベストエピソード:第24話『目一杯の祝福を君に』

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 終わり良ければ全て良し。
 定型句でまとめたくなる選出になったが、終わってみたからこそ色んな歪さと至らなさ、それをありあまり補い、あるいは欠けているからこそ豊かな作品であったなと噛みしめるような、圧倒的で異質で普遍的な最終回だったように思う。
 ここにたどり着くためにここまでの歩みがあるのだが、どう考えても普通に走っていたのでは追いつけない山道を時に叙情的な健脚を生かし、時に鮮烈なドラマティックとショッキングで飛び越え、あるいはハチャメチャな作劇的ワープでもってかっ飛ばし、堂々真正面から宇宙遊泳しきってみせた、そんなお話であった。
 第一宇宙速度でカッ飛ぶ物語が見せてくれる景色は尊くも残酷に乱高下し、振り回される気持ちよさと精妙に運ばれていく安心感が入り混じった、独自の力強さでかっ飛ばしてくれた。
 リアルタイムで見れて良かったなぁと、書き連ねた長い感想たちを軽く読み返しつつ思っている。

 最後プロスペラ・マーキュリーに割かれた尺、それだけのドラマとエモーションを注がなければ立ち止まり立ち戻ることを己に許せなかった彼女の存在感を思うと、この最終回がベストなのはPROLOGUEあってのことだな、と思ったりもする。
 燃え落ちるヴァナディースが魔女の生誕を祝うバースデーケーキなのだと、最後の最後で腑に落ちる長いパスが、自分を強く射抜いてくれたってのもあるけど。
 この凄惨な殺戮劇のあとにお出しされた本放送の学園ガンダムど真ん中っぷりが、『おいおい全然ちげーじゃねーか!』とツッコミつつも気づけば、全くもってガンダムらしい業に塗られ、それでもなお若人に手渡すメッセージとしてふわさしい前向きさで、荒野を大事な人と手繋いで走り切る、甘ったるくて優しい物語に落ち着いていく起伏を思うと、やっぱ優れたPROLOGUEあっての最高のEPILOGUEである。

 物語の始まりにおいてどうしようもなく血みどろに、世界を燃やし尽くした呪いを総身に受け取りつつ、子ども達はそれが祈りになるように残酷と戦い、誰かの手を握った。
 笑えない理不尽を心中覚悟で描き切るスタイルとは違っていても、しかしその歩みは必死で真摯で真剣で、チャーミングな遊び心と自分たちだけのお話を語り切る熱に満ちていた。
 だからこその強引で望ましいハッピーエンドで、ゴツゴツした問いかけの余地を残し描いた最終回でもある。
 『これで、良いのかなぁ……』と捻った首が、『でも、良かったな』と真っ直ぐにうなずいた後、ちょっとやっぱり傾いでいく。
 そういう結末にたどり着けるアニメは滅多になくて、僕はそれに隣り合えるのが、とても喜ばしく愛しいことだと思う。
 完結おめでとう、”水星の魔女”。
 僕から贈ることが出来る、目いっぱいの祝福を君に。

 

 

 

・君は放課後インソムニア
 ベストエピソード:第2話『猫の目星 さそり座の二番星』

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 『これは俺のアニメだ』と思える一瞬に出会った話数と、『ありがとう、さようなら、最高の俺のアニメ』と思える別れの話数と、どっちがベストなのか選ぶのはとても悩ましい。
 ”君は放課後インソムニア”の最終回は、このアニメらしい落ち着いた語り口を最後までしっかり維持し、自分たちの物語がどんな意味をもっていたのか、とても豊かに分厚く語ってくれる、理想の最終回だった。
 僕は自分たちが何を作って、何を語り届けているのか自覚的なお話がとても好きだし、このアニメが選んだ話のテンポ、描かれたドラマと風景、積み上げられたドラマはどれも、どういう場所に行き着き、どんな気持ちで主役たちの歩みを見守ってほしいのか、明確なヴィジョンを貫いたからこそ、あの最終回になったと思う。
 そういう最終回にたどり着くのは結構大変なことで、そうさせてくれる終わり方に感謝する意味合いでも、もうめちゃくちゃシンプルに最高だったからという意味でも、最終回とどちらを選ぶか、とても悩んだ。

 でもそう思える付き合い方をこのアニメとする上で、やっぱり『これは俺のアニメだ』と思える一瞬を含んでいるこの第2話を上げたほうが、”俺の”ベストとしては率直かつ的確だろう。
 倉敷先生の詰問を前に、陰気で他人に興味がない生き方をしているように見えた少年が伊咲ちゃんを背中にかばい、真っ直ぐで強い目で思いを告げる、あの一瞬。
 その熱量に焼かれて、僕は中見丸太が好きになった。
 主人公を好きになれればフィクションを噛み砕き、咀嚼し、己の身の養いとして愛しく向き合う準備は出来たわけで、やっぱりあの眼に射抜かれたことが、最後までこのアニメの語り口を信じ、描かれるものを楽しんで見届けられた、決定的な理由なのだ。

 星と絡めたエモーショナルな勝負のカットに強さが目立つ話であるけども、しかし輪郭線が太いキャラデザがしっかりと、人間の生きた感情を伝える芝居の良さが、大きな武器だったなと思わってみると思う。
 眠れぬ夜に悩む子どもたちが、何を考えて、何を譲れなくてもがいているのか。
 それがしっかりと伝わる表現を選べるアニメなのだと、何よりも雄弁に真っ直ぐ”絵”で教えてくれたのが、『アニメが持ってる凄くベーシックな武器で、これから戦っていくぞ!』という作品からの宣言にも思えて、それを信じる気にもなった。
 そうして生まれた信頼は、最高の形で報われて最後まで、幸福な星間飛行を駆け抜けてくれた。
 とても良い、好きになれるアニメでした。
  ありがとう。