・はじめに
この記事は、2023年7~10月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。
・BanG Dream! It's MyGO!!!!!
ベストエピソード:第10話『ずっと迷子』
徹底した一人称での画面作りの凄み、のちの物語展開に必要な謎と希望の種まきという意味で、第3話が果たしている仕事はとても大きく、この話数とベスト選出を迷ったけども、実質的なクライマックスとしての熱量、第9話までにグッチャグッチャにかき乱された要素全てがカタルシスを生み出す構成の妙で、この話数を選ぶ。
見ている時は『残り4話でどうまとまんだよ!』と思わされた混沌が、ライブに至るまでの感情のドミノで、それが倒れきって大きな絵を描くライブ本番で、心地よく見事な解決へと至る。
湿度の高い本音と建前に物語が翻弄されているように見えて、その実精妙に画面に映すものを、セリフにこもる思いを、すれ違いながら確かに繋がるものを制御しながらお話を作り上げてきた技量を、湧き上がる感慨の中強制的に確認させられる話数といえる。
巨大化し軋みが見える”バンドリ”を新たに立て直す起爆剤として、期待以上の波及力を見せたこのアニメは、人間の薄暗い部分がぶつかり合うセンセーショナルが先行して、インパクト重視の作品だと思われがちだ。
しかし圧倒的に”上手い”作品だからこそ、どうにも収まる場所が見えない本音の散乱が、燈がロックンロールに真っ直ぐ突き進む歩みと歩調を合わせ、一つの舞台へとまとまっていくこのクライマックスへと収束もしていく。
そうなるように絵を作りドラマを編み上げ、魂がぶつかり合う火花の飛び方とか、それが青春に飛び移って生まれる焼け焦げまで計算して、たった一話でこれまでの全てを語りきるライブが生まれる。
あれだけ制御不能に思えた怪物が、バラバラな五人のまま同じ道を迷い続ける決着にその身を修めていく時、感じるのはお話の都合にキャラを閉じ込める不自然ではない。
むしろ何もかもが必然であったかのように、ロックンロールの魔法がそれぞれの思いを暴き立て、つなぎ合わせ、一曲に互いの全てが混ざり合う不思議を、心地よく飲み干せてしまう。
そういう話になるようにこのアニメは作られていたし、そのために必要な理性と努力を悪目立ちさせないよう、本気の熱量がキャラの生き様に宿るよう、語り口をしっかり考え話数が積み上がっていった。
そういう精妙な足場があっての、この話数での炸裂ともいえる。
それぞれ個別の凸凹でもって、人間やるのがあまりに難しい迷子たちが、自分たちに嘘をつかずぶつかり合い、すれ違い、解りあった一つの旅路。
このライブにたどり着いてしまったら、まぁひとまずはこのお話なりの答えを穏やかに共有し、それに導かれて幸せな時を掴み取ってほしいという願いを、かなり長い時間を使ったエピローグでしっかり味あわせてくれたこと含めて、大変良いエピソードだった。
まだまだ続くMyGO!!!!!の、最終話でついに仮面を付けたAve Mujicaの物語もまた、この話数で極限に達した熱さと美しさで描かれてほしいと、心底願うアニメになったのは、とても幸せなことだ。
本当に、良いアニメだった。
・Lv1魔王とワンルーム勇者
ベストエピソード:第3話『僧侶フレッド』
人様の目に触れるところでは極力漏れないように気をつけている(つもりだ)が、年を経てアニメ偏食が酷くなっている。
身体が老化し関節が固くなるのに同期するように、感性や価値観もどんどん凝り固まって動きが悪くなり、その範疇に収まらない新しい作品を、強く拒絶するようになっている。
自分が見知っているもの、お馴染みなものに包まれ続けて、不変の安らぎが世界を包んでいるのだ、新たなものを前に変わったり譲ったりする必要などないのだという気持ちを、”こだわり”として肯定して停滞したくなる気持ちは、年々強くなる。
年を取るというのはこういうことだと、己の身をもって実感してみると、かつて嫌悪し理解も出来なかったオッサン達の振る舞いの裏に、じっくり積み上がった動かしがたいなにかがあったことを、今更思い知る。
この話もそんな所に触れていて、全くヒロイックではない共感をしみじみ感じながら見通した。
魔王様のおせっかいな愛で火を付けられて、くすぶっていたマックスはどうにも戻らんと諦めていた場所へ再び進み出すわけだが、老化と成熟が人間普遍の出来事である以上、それはどんだけ惨めでみすぼらしい状況にあってもシリアスだ。
このお話の魅力はコミカルで気楽な面白さの奥に、自分たちが扱うものの重たさ、難しさ、停滞と再起に揺れ動く熱量があることから目を背けず、がっぷり向き合ったことだと思う。
この話数で登場するフレッドの生き方には、作品が持っているそういう姿勢が色濃く出ていて、この話数で本格的に作品から挨拶されたことで、僕はこのアニメが好きになった。
同時に笑いの要素も真剣さのおまけにはせず、心の底から楽しめるよう腰を入れて、本気で戯け続けてもくれて、幽霊ネタはそこら辺の軽妙なバランス感覚を、上手く象徴してくれていたように思う。
原作未読、マシュマロでご推薦をいただきつつこの機会に出会えたお話だけども、この話数を筆頭に『オレはこういうアニメだよ!』としっかり自分に告げてくれていて、その明瞭さに助けられる形で、良い出会いと付き合いが出来たと思う。
こういうお話と新たにぶつかることで、固まりかけていた心の関節がちょっと柔らかくなって、何かを受け入れられる靭やかさが自分に残るのだから、とにかくありがたいことだ。
そういう気持ちになれる物語、そう思わせてくれる話数があることは、やっぱりいいことだろう。
・ライザのアトリエ 〜常闇の女王と秘密の隠れ家〜
ベストエピソード:第12話『変わりゆく日々』
語り口に、一貫性を感じられるお話が好きだ。
創作を構成するものが全て作り物である以上、それを選び取るからには意思と欲望があるはずで、その集積として選ばれたテンポやペースや雰囲気はただ偶然生まれるものではなく、人間が選んだからこそ作り出されていく。
”それ”でなければならないからこそ、そう繰り返し続け積み上げられる物語の中に、結晶化したそういう意思を、物語を受け取る中で勝手に思い入れ、噛み締め味わう行為が好きだ。
アニメでしか”ライザのアトリエ”を知らない自分にとって、多分原作のゲームが持っている雰囲気や味わいとはかなり異なっているのだろうな、と思いつつ、それでもこのお話が選んだジュブナイル・ファンタジーの正統は、やり切るだけの価値があるものとして僕には受け止められた。
それが最後の最後まで維持され、通底し、むしろ最終話にこそ元気だったから、一番いいエピソードはこの話数である。
こうして受け取れているのはアニメで初めて”ライザ”に出会った気楽な立場で、原作ゲームに揺すぶられる体験が心にある人にとって、この穏やかすぎ幼すぎ地味すぎる語り口は裏切りなのかもな、と思いもする。
ここら辺の真実を確かめ得ないのは、いろんなアニメを雑多に食い散らかし、アニメという形式で初めて作品と出会うことが多い自分には良くあることで、片手落ちで主観的な現象だなぁと思ったりする。
しかし同時に、このアニメが選び貫いた(ソフトでスローな外装に似合わず、おそらくは結構頑固で意固地な)語り口は僕にとても良く合っていたし、そういう形で出会えたのは幸福な体験だった。
その個人的な喜びを、客観的な評価を求めすぎて手放してしまうのも、評論でも分析でも読解でもなく”感想”をブログに書いている身としてはもったいなく、本当でもなかろうと思う。
良い最終回だったし、良いアニメだった。
僕はそう思うし、あなたもそうだと良いなと、12話見終えて感じているのだ。
・蒼穹のファフナー THE BEYOND
ベストエピソード:第5話『教え子』
島の外側に渦巻く、あまりに複雑で答えが出ない難問にあえて踏み込まないことで、”ファフナー”を終わらせる算段を付ける。
自分たち生み出した難しさにとことん向き合い、作品に嘘をつかず求める結末をどう引き寄せるかについて、BEYONDはとても真剣だったと思う。
偽龍宮島の閉じた幸福を残酷に奪われ、馴染みのない故郷に力づく反発していた少年が、敵と憎んだものから何を学び取るか。
クソガキが自分を見定め、世界を見つめる時間をかなり長く取れたこと……戦場以外の日常に相当尺を使ったことは、彼が”ファフナー”の変革者・破壊者・再生者として為すべき定めを果たしきり、物語を無事終わらせた今となっては、妙手に思える。
龍宮島が人類とフェストゥムから逃げ隠れし、閉じた”家”のなかで守りたかった人間性は、過酷すぎる世界にはいらない。
そんな風に考え文化を叩き潰してくる、フェストゥム以降の世界に加適応した(島の子どもたちよりもフェストゥム化した)人たちとの、血で血を洗う殺し合い。
EXODUSの苛烈さに耐えかねて逃げ出した自分が、BEYONDを見届けられたのは、島が何よりも重要な価値と定めるものを描く場面が、それで大事なものを学び取っていくシーンが、多くあったおかげだろう。
クソみたいに身勝手でわからず屋なところから、野放図な勢いを殺すことなく何かを学び取り、真摯に考え、周囲を受け入れ変えていくソウシのことを好きになれたことが、BEYOND全体を好きになる大きな助けになったのは、間違いない。
そんな”学び”に満ちたBEYONDで、一番印象的だった師は武術家・御門零央だ。
武器を握りつつそれに飲み込まれず、他人を傷つける怖さを知りながら正しく力を使う。
それが出来ない連中が山盛りの惨劇を生み出し続ける世界で、それでもなお武を信じ武を継ぐ男の在り方は、とても印象的だった。
全てを決着する第11話において、バカ弟子が師匠の教えとファイトスタイルを貫く形で前作主人公に勝ち、”ファフナー”を終わらせる権利を証明する流れ含めて、非常に決定的なものが描かれ、伝わる回だったと思う。
そして零央が厳しくも正しい大人だけでなく、愛する人を宿命に震えながら抱きしめ続ける、生身の一青年であると書き続けてくれたのも大変良かった。
マージで美三香と超幸せになって欲しい。
道場以外にも様々な島の日常が描かれ、次回以降苛烈極まる襲撃によってそれが砕かれ、理不尽に繰り返す定めをどう受け入れていくのか、作品のコアを描く下地にもなっていた。
こういう部分をしっかり組み上げるからこそ、人間を獣に変えていく極限状況でなお、人が人でいるための条件を探す17年の物語、その集大成が胸に落ちていく。
”ファフナー”を語り切る為に12話は少なかったのかもしれないが、しかしこの12話以外の形で”ファフナー”を終わらせきるのは不可能であったろうし、様々な制約の中選び取り描いてきたもの、自分たちが何を積み上げてきたのか冷静に見返し、情熱的に新たに積み上げていく指先には、誠実と不屈があった。
各話数の無駄ない使われ方、全ての要素が有機的にテーマとドラマに活きている面白さを、思い返すと強く感じられる話数なのも、これをベストに選ぶ理由だ。
何しろ17年分、分厚く重い荷物を背負うパッションが際立ちがちなのだけども、BEYONDは凄く”巧い”アニメでもあったと思う。
巧妙で精妙な組み立てが、作品への没入を防ぐ怜悧な冷たさではなく、むしろ力強く見ているものを引き込む強力なパワーを生み出していること。
それもまた、この”ファフナー”最終作を評価しうる、大きな理由なのではないかと思うのだ。
・シュガーアップル・フェアリーテイル
ベストエピソード:第3話『砂糖林檎は裏切りの木』
この話数をベストに選ぶのは、僕が”シュガーアップル・フェアリーテイル”をナメていたからだ。
恋のときめきを最優先に取り回して、色々都合の悪いリアリティを押しつぶして視聴者の見たいもん積み上げていくタイプの話だと、勝手に思い込んでいた頭を、血に飢えた野犬の群れに食い荒らされて、このお話への体重のかかり方が大きく変わった。
そうやって、ナメてた頭を張り飛ばし強引にこっちを向かせるパワーがあるお話と出会うのは、アニメオタクとして幸せなことだ。
どのお話も、それを見る視聴者も、そういう予断と無縁ではなく、しかしそういう思い込みが現実と=ではないからこそ、実際に自分の目で作品を見て、そこに宿っている匂いを鼻で嗅いで判断する意味は大きい。
僕は”シュガーアップル・フェアリーテイル”という作品が持つ生臭さ、それをプンプン漂わせつつも可愛らしい主人公を、純粋で真っ直ぐなままでいさせる気概に感じ入って、見続けることに決めた。
それはけして裏切られることなく、暴力でもロマンスでも成長譚としても多くの果実を実らせる形で、完結まで走り切ってくれた。
つくづく、ありがたいことだ。
そんな強烈なフックをカマしてくれたジョナスくんは、紆余曲折を経た上で再び顔を上げて職人への道に進み直し、まぁまぁ真っ直ぐな生き方に帰還できた。
この話数での惨状を思うと生ぬるい決着……ってわけでもなく、人間と世界が変わりうる可能性を、指先で形を作っていく銀砂糖細工に乗せて祝いできた物語としては、彼もまた変化するべき希望の種子だったのだろう。
むしろ未塾ながらも常に正しかったアンちゃんとか、そんな彼女の隣で真っ直ぐ育っていくシャルに比べて、クソみてーな世界の一番クソな場所から、這い上がってちったぁマシな生き方を選んでいく存在として、泥臭い実在感があった気もする。
こういう手応えが好きだから、ブリジットさんのこともずっと気にかけてきたのかなと、思ったりもするが。
すごく純粋で綺麗なものと、薄汚れどうしようもないものを両方ちゃんと書いた上で、前を向いてより暖かな未来へと希望を形作っていく物語、大変良かったです。
・好きな子がめがねを忘れた
ベストエピソード:第9話『好きな子と校外学習に行った』感想
僕は元々様式と形式を分解し解析しながら物語を食う傾向が強いが、ラブコメは特にそういう形で接種することが多い。
ときめきと笑いと切なさを求められるジャンルが研ぎ澄ませた各種お約束、あるあるシチュエーションと話の展開をどう踏襲し、あるいは逸脱し、都合よく歪んだ作品特有の定形の繰り返しと、そこで終わらないなにかの息吹を、複合的に感じながら仮想の人間に息吹が宿るのを待つ。
そもそもエンタテインメントなるものは見ているものの欲望充足装置として、根本的に都合のいい作り物として存在しているわけだが、ことヘテロセクシュアルを主軸に据えたラブコメディを噛み砕く時に、そんなプラスティックな欲望にどれだけ人間が力を入れるのか、強く感じ取れる気がする。
そんな構造から僕が何を受け取るのか濾しだす意味合いもあって、他人の恋路を楽しく見届け、時に勝手に切ない気持ちになったりもするわけだが、さてこの物語は『好きな子がめがねを忘れた』というワンアイデアが、作品の土台にある。
しかめられた眉間にただよう異質な可愛さ、それを無防備に至近距離で摂取する特権、高鳴る体温と加速する自意識。
いかにも思春期の美味しいところ、恋心の精髄を味わえるシチュエーションであり、ある程度以上物語を支えるのには十分だ。
そういうパワフルな状況をメインエンジンに据えて、手を変え品を変え同じ場所を回っていた物語は、しかし当然限界点に達する。
作中仮想される思春期において、子どもたちは己の在り方、世界の形に悩み、恋を通じて何をすべきか、何をしたいのかを学び取っても行く。
記号化された定形を延々繰り返す素材ではなく、そこからはみ出し勝手な人生を転がしていく主体として、その身体に体温が宿ることがなければ、作品に瑞々しい息吹は生まれ得ない。
不自然で都合のいいジャンルの檻が良くできて堅固であるからこそ、それが作中内部の圧力で崩れ、やや形を変えていく瞬間のダイナミズムには特別な面白さがある。
このアニメにおいて、僕がそういう力を感じたのは何よりこの話数だった。
至近距離で特別なお世話をされる女の子と、する男の子の関係が固定されて動かない安心感でもって維持されていた世界が、回転する中溜まっていく澱。
その定形を、関係性の傾斜を守り続ける限り、”お世話される”弱く幼い存在でしかありえない三重さんが流した涙には、固定され動かないように思えたものが軋み、崩壊した後形を変えて再生していく手応えが、確かにあった。
それが。
それこそが、ラブコメ食ってて一番面白い瞬間なのであり、それがちゃんとあったからこそこのアニメを、僕は好きになれた。
美しき内破の瞬間は、いつでも最高に気持がいい。
・アンデッドガール・マーダーファルス
ベストエピソード:第1話『鬼殺し』
見終わってみて思い返し、その始まりに全部があったな、と思える物語は幸福だ。
”アンデッドガール・マーダーファルス”の第1話は探偵と助手が猥雑な浅草で出会い、お互いの犯行計画を見抜き、怪物専門の探偵一味として欧州へ進み出すまでのプロローグだ。
そこには怪物を狩りたて排除することで成立している近代の残酷さと、そこにギリギリ取り残され悪趣味な見世物を営む街の匂いと、そんなふうに成立している世界への憎悪ごと何もかも笑い飛ばそうとする、真打津軽の眇がある。
首一つに解体されてなお死にきれない少女の悲哀と、それでもなお紡がれる軽妙な言葉たちと、怜悧な視線で真実を射抜き、その冷静さにかすかに燃え盛る感情が薫る、輪堂鴉夜の生き様がある。
怪物拳闘士として時代の悪趣味を生き潰し、他人を巻き添えに死んでいこうとする津軽の犯罪計画と、鬼たる彼を凶器に使った鴉夜の犯行計画はお互いに見抜かれ、犯人たちは奇妙な共犯を師弟にすりかえて、死ぬよりも生きる方へ、時代に噛み砕かれながらなお前に進む存在として、物語を進めていく。
たった一話、鮮烈に短くまとめられているからこそ、このあと長く続く旅に滲む二人のあり方はこの話数に凄く印象的で、作品への期待感は否が応でも高まった。
怪物が実在し、人間に勝てず滅ぼされかけている世界で展開される探偵物語……その合間に挟まる超人バトルの中で、ここで示された魅力は様々な形に膨らみ、豊かに変奏されていった。
津軽がどういう手付きで他人を殺し、シリアスな事件を軽妙にあざ笑い、鴉夜が彼女だけに暴ける真実をどう睨みつけて、どう語るのか。
その萌芽が全部ある第一話が物語の起点にしっかりあるからこそ、そこから伸びていったお話にはこのアニメだけの魅力が、期待通りに、想像以上に面白く育っていったと思う。
絵の作り方にも独特の魅力があり、妖しくも美しい世界観、そこで生きる怪物たちの人生をどう切り取って際立たせるのか、プランはやはりこの始点で示されているように感じる。
なにしろ語りの多い話だから、見せ方を工夫して飽きさせないこと、ヴィジュアルとダイアログの相乗効果で作品に前のめりにさせることは大事なわけだが、バロックな世界観とキャラの魅力に甘えることなく、それをどう届けるか苦心してくれたのはとても良かった。
アバンギャルドな演出が、世紀末の空気を語らずとも教えてくれた部分も大きいわけで、アニメがアニメであるがゆえの面白さもしっかりとあったアニメだったと思う。
そしてこの第一話、そういう部分もたっぷりと味わえるのだ。