イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プレイレポート 24/03/23 ストリテラ『Bestiaire -群獣寓意譚-』

 今日はナラティブTRPGオンリーオンラインコンベンション”ジャムコン2nd”

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にて、ストリテラのオリジナルシナリオを遊ばせていただきました。

 

 シナリオタイトル:Bestiaire -群獣寓意譚- システム:ストリテラ

 キズミさん:”三年坂の蝮”葛羽恭路:33才男性:妄執の狂犬 とある二次団体を率いる若き獣。親分亡き後、その夢を引き継いでテッペンを目指してきたが、病魔に侵された身体に残された時間は少ない。命を燃やし尽くし、譲れない道をひた走るか、それとも……。遺品である時計は非常に時を刻み、答えてはくれない。

 フレッド緑野さん:”暴虐の龍”井出遊馬:38才男性:不遜なる獅子 昇り龍の入れ墨を背負った、冷徹にして傲慢な生粋のヤクザ。頭が切れ利に聡く、それ故情の引力で街をまとめるには足らないが、今更爪を収める手立ても知らない野獣。いつかどこかでねじ曲がった道が、定めだと譲らぬ一本気を背負う、孤独な侠客。

 コバヤシ:”色無し伽藍”桑原伽藍:42才男性:還りし龍 かつて悲劇に襲われ、稼業から遠く距離を取って花屋をやっている巨漢。オヤジの死を契機に因縁が荒れ狂う街に、かつて逃げ出した道を辿って首を突っ込んできたハンパ者。色を入れる前に散った背中の花を、赤く染まるのは決意か、犠牲か。

 

 こんな感じの感情と因縁こんがらさせたドヤクザ共が、沸騰する街にそれぞれの生き様をぶつけ合うお話をやってまいりました。
 大変面白かったです。
 お二人共ストリテラ初体験ということで、経験者としては良い出会い方になってくれればな~~と願いながらのセッションとなりました。

 ですが、積極的に『俺はこういうお話をしたくて、こういう奴なんだ』というメッセージを出し、それを受け取って『俺達のお話はこうなると面白いんじゃないか?』という提案をしていただいて、ノーデータ・ノーGMの特異なシステムが最高速を出すために必要な、ロールプレイの燃料をガンガンに投げ込んでいただいて、最高に煮えたセッションとなりました。
 コンベンションでの初顔合わせ、初システムということで緊張もされていたとは思うのですが、積極的にコミュニケーションを取り、楽しい時間を一緒に過ごそうと前のめりにバンバン熱い一撃を入れてくれたおかげで、こちらも引っ張られて良いロールを沢山返すことが出来て、大変面白い時間を過ごすことが出来ました。

 

 お話の方は過去の事件で人生ねじ曲がったヤクザ二匹と元ヤクザ一匹が、抗争に加熱していく街の中で譲れない生き様を探り、激しいぶつかり合いの末に進むべき未来を見つけていく展開に。
 とにかくずーっと雨が降り続いている、湿り気の多い話になったわけですが、キャラクターは出口の見えない業と因縁に溺れつつも、プレイヤーはしっかり皆でどこに行くべきか話し合い、ロールプレイでつっつき空い、理想的なバランスで一緒に走ることが出来ました。
 『俺はこうだ!』という芯を安易に譲らずしっかり構えて、その上で『俺はこうして欲しい!』という願いにちゃんと耳を傾けて、自分含めて同卓している相手全員を尊重した上で、今共有している物語を大事に、皆で納得行く展開を探っていく。
 ストリテラの、ナラティブ・システムの一番大事で一番強い所が、しっかり噛み合って強い出力を絞り出す展開となって、二時間のスピーディーなセッションながらやるべきこと、やれることを全部振り絞った、大満足の物語体験となりました。

 キャラクター提出時、あるいはロールプレイを始める前の相談ではなかなか思い至れないところに、実際のプレイを通じてグイと乗り上げていく手応えも随所にあって、リアルタイムで話を作り上げていくからこその面白さを、たっぷりと味わいました。
 終わってみると想定していないところに全キャラクターが流れ着き、しかしこれしかありえないという納得と満足を持って一つの結末にたどり着くことが出来て、手捻りで先の見えない話を編んでいく醍醐味を、堪能できるセッションでした。
 カタギがヤクザに、ヤクザがカタギに、オセロのように動かないはずの生き様が動いて未来が拓けていくのは、血みどろでどうしようもない人間の業を描きつつも、どこか前向きな希望がある感じで凄く良かったです。
 雨に濡れつづけていた街に日が差し込み、『固い絆』を花言葉とする朝顔が花開いて終わるエンディングも、詩情があって良かったな……。

 

 というわけで、大変楽しい時間を過ごさせていただきました。
 同卓していただいたお二人、コンベンションの運営スタッフ、ストリテラという最高システムを作ってくれたフユ先生、みんなありがとう!

うる星やつら:第34話『校長殴打事件/秘密の花園/涙の家庭訪問 地獄の諸星家編』感想

 可能世界を股にかけて、未来を見つめるエモい旅も一段落。
 気分も新たに冒頭にあらすじをお出しし、大変にロクでもないお話でラッシュを仕掛けてくる、令和うる星第34話である。

 ここ最近情感の濃い、筋道の立ったお話が続いてきた流れをぶった切るように、『あー……コイツラそう言えば、相当なロクデナシでもあったな……』と思い出せるエピソードが、ゴロリと飛び出してきた。
 このしょうもなさ(第2エピソードの投げっぱなし加減含む)もまた”うる星”の味であり、特に理由もなく襲いかかるメガバイオレンスっぷりとか、スキマ時間に蓄積されてきた家庭訪問エピでの温泉マーク虐待っぷりとか、いやまぁなかなかにヒドい。
 先週まで未来の扉を開けて自分たちの可能性を観測したり、幽霊少女と真夏のデートを繰り広げていた連中と同一人物とは思えないが、まー演目の雰囲気に合わせて結構キャラ変わるからな、このお話……。
 そういうフラフラ感も芸幅と、チャーミングに受け入れさせてしまえる腕力が強みでもあって、いい話が続いたからこそここで一発荒れ球投げ込んでくる組み立ては、アンソロジーとしての令和うる星がどういう印象を編み上げたいのか、探る手助けにもなって面白い。
 やっぱどの話数をどの順番で板に乗せていくのか、セットリストから編者の意思を読み取るのが俺的には面白いんだよな、令和うる星。

 

 お話の方は校長気絶の裏側を探るミステリ仕立て……と思いきや、温泉マークを限界まで追い込んで虚偽自白を引っ張り出して終わる、大変蛮性の高いオチ。
 ノリと勢いでガンガン人間追い詰めていく、うる星メンバーのヤバい所が全力で暴れまわる話であり、激詰めされた温泉マークの顔面芸と合わせて、なかなか心地よいろくでもなさであった。
 表向きの被害者である校長はノンキに危機を乗り越え、秩序の体現者なはずの担任が一番ひどい目に合わされるという、トボケて逆立ちした展開がなかなかに面白い。
 つーかアクが強すぎる面々と並ぶと、極めて好い人である校長はけっこう『どうでもいい人』にもなってしまって、なかなかキャラの味付けは難しいな……と思わされる。

 話の軸足が久々に友引高校に戻り、ドタバタ騒がしい高校生活がどんなものだったか、改めて掘り下げる……にしては、色んな意味で治安最悪のエピソードでもある。
 罰則貰うだけの大暴れを確かにしているのに、不服の牙を突き立ててさらなるメチャクチャに踏み出す学生連中も、そんな輩に負けじとヤバめな偏見投げつけて、迷推理で更に場を混乱させる温泉マークも、まぁ大概な人間ではある。
 令和のコンプライアンス意識だと、一部女生徒に教師が投げかけてはいけない妄念がモリッと表に出ていたが、そういう不謹慎も引っくるめて楽しめるのが”うる星”の良いところではあって、心地よいロクでもなさだった。
 高橋先生、『迫られて椿の花が畳にポトリ……』的な表現好きよねぇ……後続作でも良く出てくるので、時代を経てある種の風物にまで昇華された感じがある。

 

 Bパートは宇宙由来の超ろくでなしアイテムが大暴れして、あらゆる場所がメチャクチャになっていくお話。
 宇宙人組がまーったく友引町の大混乱を知らぬ存ぜぬ、自分たちの見える範囲でお片付けして一件落着……みてーな面して、なーんも解決しないままドササーっと終わっていくのが、勢い良くてナイスだった。
 投げっぱなしのナンセンスを巧く使えているのが、コメディとしての高橋作品の強みだと思っているが、今回のすっとぼけた展開はそういう味わいが、濃く出ていたのではないかと思う。
 それにしたってアイツラ、マジで人間どもに引き起こした混乱欠片も興味なくて、久々に宇宙人らしさを感じたよ……。

 地上の大惨事をよそに、幼馴染コンビは仲良くキャッキャウフフしており、ラムラン大好き人間としては喜べば良いものか、ロクでもなさを嘆けば良いのか、なかなか判断に迷いもした。
 妙にテンちゃんがプニプニしててかわいいのも含めて、ランちゃん周辺の過剰なブリっ子イズムが大量摂取できる回でもあって、どんだけヒドいことが起きててもランちゃんのそういう部分を、口にねじ込まれると幸せになってしまう自分の業を感じる。
 何しろ人数が多いので、どのキャラに出番が回るかも難しい座組なのだが、こうして日当たりいいところに出てくるとやっぱ大変可愛く、ラムと仲良くワーワーやってて嬉しかった。
 ランちゃんは単独でも良いけど、やっぱラム相手に仲良し悪友っぷりを見せつけてるのが最高なんだよなぁ……20年早かったきらら時空。

 今回は混乱をもたらすタネが、ヤバイ発言を切り貼りして増殖する宇宙植物であり、MADテープ文化のような面白さもあった。
 あの頃はスーパーオタク共の密やかな楽しみだったものが、時の流れとともに結構一般的なネタになり、あるいは色んな具材をぶち込まれて悪魔進化を果たしている様子を見ると、やはり先駆者としての凄みを改めて感じてしまう。
 淫夢だの猫ミームだの、このエピソードでコスられた面白さを継承・変化させたネタは全然現役で元気であり、というかオタク文化の一般化に乗っかってよりデカくもなっている。
 ある種のタイムカプセルとして、過去から今を立体視する助けになるのは、やっぱこの作品が内側に取り込みエピソードへと消化した、当時のポップカルチャーへの視線が別格に鋭かったからこそかなと思う。
 あんまモダナイズせず当時の味わいを大事にしていることで、結果としてコンテンポラリーな味が出ているのは面白いところだ。

 

 というわけで、久々に”うる星”の不謹慎で暴力的な所がゴリゴリ前に出る回でした。
 いやー……久々に飲み干すと、これもなかなか良いなッ!
 こっからどういうコースを組み立てて、令和うる星最後の1クールを味あわせてくれるのか。
 そこら辺の腕前にも期待しつつ、次週を楽しく待ちたいと思います!

葬送のフリーレン:第28話『また会ったときに 恥ずかしいからね』感想

 かくして、旅は続く。
 北へ進む許可を得るための一級魔法試験にも無事合格し、出会いと別れを繰り返しながら、永生者と仲間たちは天国を目指す。
 その『またね』が叶わぬこともあると深く知りつつ、あっさりと今生の別れを果たす瞼の奥に、もういない君の顔が浮かぶ。
 未来へ歩みを進めるほどに、過ぎ去った思い出が生き生きと蘇る旅路を越えて、それぞれの物語が動き出す。
 フリーレンアニメ、旅立ちの最終回である。

 放送後半を長く引っ張った一級試験も、フィナーレはごくごくあっさりしたもので、ゼーリエ様がザクザク合否を出して残りの時間は、じっくりと旅立ちの叙情を描いてきた。
 スゲー作画でバリバリバトルしつつ、戦いはあくまで物語の添え物、重要なのは時の定めと綾なす人生……という作品の持つ味わいを、最後まで大事にしてくれた語り口かと思う。
 ありふれて下らないと世界が断じる、生活に密接したよしなし事をこそ何より尊いと寿ぐ作風は、細やかな仕草や風景を丁寧に描ききる筆致に支えられていたのだなぁと、冒頭フリーレンのあくびを見て思う。
 第1話、未だ後悔を知らざる彼女が、勇者との最後の逢引に赴く前に見せていた表情をここでリフレインし、28話分彼女を知った今の僕らがどう感じるか、静かに確かめさせてくれるような、粋な出だしであった。
 フリーレンは子ども通り越して、動物めいた純粋さを仕草に宿す所が可愛いと思うね、俺は。

 

 ゼーリエ様の人間診断はサクサク進むが、デンケンとヴィアベルが二人共世界最強の魔道士の力を値踏みし、勝てないなりに戦い方を探ってしまう業を背負っているのが、少し悲しかった。
 バクバククッキー食べる孫(ついこの前出会った)横において述懐されるように、デンケンにとって権力も戦いも二の次、本当に欲しかった妻との幸せな日々はとっくに壊れてしまっている。
 軍属に慣れ親しんだ身の上が、思わず探ってしまう『相手を殺す可能性』も、本来いらない習性だったのだと思う。
 愛妻の墓参りという、あまりにロマンティックな夢のために命懸けの試練に挑んだデンケンは、それを通じて憧れの大魔道士と直接出会い、魔法が楽しいものであることを”思い出す”。
 ”知る”でないということは、元々デンケンは魔法とそういう向き合い方をしていて、戦塵に汚れて忘れかけていた……ということだ。
 そういう年輪全部ひっくるめて、ゼーリエ様が合格出すのは好きだ。
 最後の特大デレで大いにバレたが、あの人人間好きすぎなんだよなぁ……。

 作中示された、『魔法とはイメージであり、人生をかけた祈りである』というテーゼに基づけば、それを『好きも嫌いもない、ただの道具』と言い切れるヴィアベルは、だいぶ乾いた人生を送っているように思う。
 しかしババァ呼ばわりに迷わず手助け、最後の最後にあざとさが過ぎる善良さを見ていると、道具でしかない魔法にプライドはなくとも、それを用いて闘ってきた己の在り方には、いささかの愛があるように思う。
 『勇者、遂に斃れる』の一報を聞き及び、好き勝手絶頂に村焼き始めたクソ魔族をぶっ殺して、故郷の村を守る。
 青雲の志は返り血に汚れたが、しかし誰を殺すべきなのか最後まで迷い判断する理性と、ブツクサボヤきつつも戦友となったものを見捨てない強さは、傭兵暮らしにも煤けていない。

 歴史書に残る偉業ではなく、日常に積み重なる下らない親切をこそ、勇者の伝説と大事に抱えて、ヴィアベルはここまで流れ着いた。
 そしてこの試験で得たもの、見つけたもの、思い出したものをひっそり大事にして、彼だけの物語へと新たに進み出していく。
 別に旅を同じくしなくても、触れ合った時間が短くても、そういう風に色んな人にそれぞれの時の刻みがあり、そこから生まれる物語があり、交わって生まれた何かには、大きな意味がある。
 お話がずっと大事に追いかけてきたものを、別れ際もう一度丁寧に思い返す、いい最終回だった。
 ヴィアベルがしみじみ偉大と胸に刻んだ、ちっぽけで身近な勇者の伝説が、彼の生き様を継いで民間魔法を収集してきたフリーレンの旅路と、豊かに重なり合うの良かったな……。

 

 そしてエルフのロリババァに狂わされた、かつての紅顔の美青年は、悪名を以て歴史に名を刻まんと大魔道士に勝負を挑む。
 『戦いだけに人生を捧げてきた、不器用な男』という要素は、それとの付き合い方を人生使ってなんとか身につけてきたデンケンやヴィアベルと同じなのだが、レルネンはお師匠様への純愛が過ぎた上に、分かりにくい発破を真正面から受け取っちゃったから……。
 『不甲斐ない弟子でも、なんとか最高なお師匠様の名前を歴史に刻まないとッ!』と思い詰める真っ直ぐさ、しわくちゃのジジイになってもピュアさが削れてなくて、めっちゃ萌えるぜ。
 この思い詰め方をいなせるほどに、フリーレンの実力が卓越してるから気楽に萌えられもするんだが、魔族をぶっ殺すために鍛え上げてきた力が誰かの人生を受け止めるためのブランケットにもなるのは、このお話らしい優しさだ。

 子どものまんま長く生きてしまったのは師匠も同じで、極めて分かりにくい愛情を弟子に注ぎ、ムッツリ顔で『失敗作』と暮らす下らない日々がとても楽しかったのだと、ゼーリエは素直に伝えられない。
 目の前にある大事なものに、相手が棺に入るまで気付けなかったからこそフリーレンは、物語の最初で(だけ)大粒の涙を流した。
 かつての自分に、あるいは素直でいる大事さを教えてくれた彼女の勇者に、どこか似ている老成した少年にゼーリエの本意を手渡したのは、二度目の後悔はゴメンだという思いが、どっかにあるのだろう。
 かつて自分の目の前を通り過ぎていった思い出を、ただ消え去っていく幻と手放すのではなくて、今目の前にある物語をより良く先に進めていくための鍵として、しっかり活かす。
 そのために必要な共感と知恵が、やっぱり人間と魔族を分ける決め手なんだと思う。

 

 平和をイメージできなかったゼーリエであるが、自分を置き去りにすぐ死ぬポンコツ共が個性と尊厳をもった一個の生命であり、自分もそれと寄り添いながら生きているのだということは、しっかりイメージ出来たのだ。
 だから彼女の弟子、弟子の弟子は長い時を経て世界を変え、平和をもたらす奇跡にたどり着けた。
 魔法に浪漫を取り戻そうと歴史の表舞台に顔を出した大魔術師が、一番強く夢見た魔法は既に叶い続けていて、それは魔王を倒してしまったフリーレンも同じかなと感じる。
 ある意味、永生者の余生なんだなこの時代……。

 それでも人生という物語は続き、歩幅の合わない永遠をフリーレンは厭わない。
 全ての願いが叶う特権を、フローラルな洗濯魔法に使ってしまった弟子の頭を撫でくり撫でくり、笑いながら明日へと進み出していく。
 その出会いも別れも、下らないと誰かが嗤う人生のすべてが花のように輝いていると、誰かに教えてもらったから、思い出を愛しく葬送していく旅はいつだって、新しい喜びへと開かれている。
 そうして進んだ一歩が、誰かの伝説を芽吹かせていくことは、勇者一行の物語に憧れてここまで自分を運んできた、デンケンやヴィアベルの生き方が良く伝えている。
 そういう風に、連祷のごとく繋がっていく数多の人生をとても美しく描いての最終回は、凄くこのお話らしくて良かった。
 願わくば是非、旅路の続きをアニメで見たいものだ。
 そんな祈りを彼方に手渡しつつ、今はお疲れ様とありがとうとを。
 とても素晴らしいアニメで、優れたアニメ化でした。

 

 

 というわけで、葬送のフリーレンのアニメが終わった。
 大変良かった。
 原作が持つ独特の人生観、死生観を落ち着いた筆致でアニメに焼き付け、作中世界が持っている豊かで美しい風景をたっぷりと、アニメだからこその色彩と匂いで描いてくれた。
 極めてリッチな筆先で描かれる、ファンタジックな風景を四季折々、景色豊かにたっぷり食べさせてくれて、毎週ありえないほどの眼福でした。
 ”下らない”日々の思い出こそを大事にする作風と、目の前に広がる情景から説得力を作る演出がしっかり噛み合って、背景がよく喋る作品になったのは、そういうの大好き人間としては大変ありがたかった。
 こんくらいのレベルで、アニメに再構築された美しい自然を延々と摂取できるチャンスがあってくれると、生き延びられて嬉しい。

 アウラ一派との激闘、あるいは一級魔法試験で作品の潮目が変わりつつも、根本にあるのは過去と響き合う現在、思い出に照らされて眩しい未来であり続けた。
 死と時間に無情に引き裂かれていくように思える、虚しき人の定めがしかし、愛と祈りに満ちて全てを超えていけるほど眩しいものだと、様々な出来事、様々な出会い、様々な人々から描く。
 人間讃歌の綴織のような作りを、どっか達観した透明感を維持し続ける画風と芝居、そこに生きる喜びを宿す細やかな配慮が支えて、静謐なんだけどスケールがデカい、独特の伽藍が組み上がっていました。
 年経た賢者たるフリーレンが頑是ない童女の趣を残し、フェルンにお世話されながら踏み出した新たな旅路が、楽しく喜びに満ちたものであると色んな場面で感じられたのが、大変良かったです。
 旅物語として色んな景色を見て、色んな出来事が起こって飽きない事が、フリーレンがその旅に見つけ大事にしているものの意味を自然と気づかせてくれて、しみじみワクワク出来たのはありがたかったね。

 

 その旅は人類の宿敵である魔族との、激しい戦いの記録でもある。
 要所要所でスーパーバトル作画が暴れ狂い、いい具合にスパイス効かせてマッタリだけで落ち着かせなかったのは。アニメ独自の味わいで非常に良かったです。
 魔族という歪な鏡があればこそ、同じように達観し同じように永遠を生きるフリーレンがどうして”人間”なのか、より鮮明に見えた感じもある。
 魔王を倒してなおその脅威が残る、厳しい世界を舞台とすることで、フリーレンだけが魔族と闘ったわけでも、戦いという生き様を誇り高く駆け抜けたわけでもないと、作品の横幅を確保できたのも良かった。
 大魔法使いフリーレンが、どんだけの規格外かを作画の説得力で伝えてくれた、複製体戦の大迫力、ファンタジックな想像力は、やっぱアニメーションだからこその面白さに満ちてて素晴らしかった。

 とはいえ戦いの中にも生きる意味を忘れず、というか戦えばこそ照らされるものを大事にしつつ、作品の特色である静かな温かさを積み上げていってくれたのは、凄く良かったです。
 この落ち着き、アニメという動きと音がついて派手になりがちなメディアだと取りこぼされそうな部分だったのですが、徹底的にハイクオリティに勝負し続けることで、ともすれば原作以上に研ぎ澄まされた形で描かれたと思います。
 まーあまりに質が高すぎた結果、原作が持つどっかポンコツなトボケが薄れた感じもあるが、張り詰めすぎないチャーミングさはしっかり随所に溢れていて、ラヴィーネ&カンネもイチャイチャしたおして、大変良かった。
 感情表現が全体的に控えめな作風の中で、アイツラだけスロットルの開け方がきららだからな……その異質もまた良しッ!

 あとアニメになってみると、ヒンメル無限の愛がとんでもない破壊力になっていて、『そ、そらアンタは勇者だぜ……』と黙っちまう迫力があった。
 あいっっつマジ純愛なんだけどッ!
 回想と現実がシームレスに重なる語り口でもって、花見ても雲見てもヒンメルを思い出す状況になったこと、その思い出が大変美しい色合いで描かれ続けることで、勇者の愛を天地が祝福し続けているような味わいがあったの、ロマンティックで良かった。
 もはや今生で報いることが出来ない後悔を、追いかければこそフリーレンは天国への旅を続けているわけで、その起因たるヒンメルをいっとう好ましく、凄まじい男と描けていたの、大変良かったです。

 

 というわけで、大変素晴らしいアニメをたっぷりと味あわせてもらい、ありがたい限りでした。
 初手四連発、金ロー枠で思い切りぶっ放すという大胆な戦術もきっちりハマり、盛り上がった力こぶに負けない大ホームランを、盛大にぶちかます快作でした。
 こんだけ盛大に打ち上がると是非、旅の続きをアニメで見たくなるわけですが……齋藤監督、ぼざろも場外までぶっ飛ばしちまったからな……。

 定かならぬ未来に楽しい夢を見つつ、今はこうして素晴らしいアニメを届けてくれたことに感謝を。
 とても楽しく、感じ入るものの多いアニメでした。
 ありがとう!!

ダンジョン飯:第12話『炎竜2』感想

 旅の目的だった火竜は倒され、しかしファリンは戻らない。
 禁忌を侵してでも取り戻したい願いを目の前に、冒険者たちが選んだ道は。
 ファリンの帰還とひとときの安らぎを描く、ダンジョン飯アニメ第12話である。

 前回のハードバトルが落ち着いて、しかし緊迫感としては勝るとも劣らない、黒魔術を使ってでもファリンを蘇らせる決断を果たしたライオス一行。
 色々不穏さが匂う中で、生きてるからこそ腹が減り共に笑える幸せが描かれ、ひとまずは幸せな結末……とならんのだよこの2クールアニメはねッ!
 一体こっからどういう急転直下で”ダンジョン飯”が続いていくのか、アニメで始めて体験できる人たちが嬉しくもあるが、俺は俺で漫画でたっぷり楽しんだもんねー!
 誰と闘ってるのか解んない牽制合戦は横に置いて、物語開始時からの目的であるファリン復活になんとかたどり着き、皆で食卓を囲めた満足感はやはり大きい。
 妙に気合が入った作画で描かれる、ファリマルキャフフシーンの切れ味も鋭かったしな……生きてるってことはエッチだッ!(唐突に叫ぶ人)

 

 元々マルシルが情に篤いエルフであることは示されてきたが、尋常なやり方では復活できないファリンを目の当たりにして今回、涙を拭いて覚悟を決めることになる。
 生命の定めを捻じ曲げる古代の禁呪は、付け焼き刃で効果を発揮するものではないわけで、どんくさエルフが心の奥底に抱えた闇の奥、地道な研究を積み重ねた結果として悍ましき蘇生はなされることになる。
 『魔法に善悪なし』と彼女は言うが、果たしてそれが本当なのかは、今後迷宮の深奥に更に潜っていく中で問われ、試されることにもなる。
 道理や条理を捻じ曲げてでも、親しい人を奪っていく時の定めを捻じ曲げたかった彼女の影が、これから立ちふさがる敵のかんばせと良く似ていることを、一度物語を読み通している立場からは感じ取る。

 『命懸けの迷宮に一緒に潜っているのに、思いの外お互いを知らない』というのはライオスパーティの特徴で、どんな過去が自分を形作り、何を譲れず諦められないのか、旅の目的が果たされたように思えるここに至ってなお、まだまだ見えきらない。
 マルシルが禁忌に手を染めても、死を否定する術式に踏み入った裏にあるものを探る意味でも、旅はここでは終わらない。
 つまりはファリン復活は揺るがされ奪い取られること前提の、幻の幸福……なのだが、ここまでたどり着くまでの奮闘とか、無垢で優しい生きてるファリンの姿とか、色んなモノがそれを嘘ではないと、思わせてくる魅力に満ちている。

 幻ではなく、生きていればこそ腹も減るし、呼吸するために気道から血を追い出さなければいけない。
 ファリンが血に溺れた状態から自律呼吸能力を手に入れて、赤い血に塗れていたのを産湯に清められて人の形になっていくのは、この復活がある種の再誕であることを示してもいる。
 死のアギトに飲み込まれ、一度忘却の無明に降りたファリンは、無邪気で幼い。
 そんな彼女が手に入れた新しい力は、人の範疇をはみ出す禁呪の反動なのか、奇跡を掴んだ祝福なのか。
 お風呂に入ってたっぷり食べて、幸せと抱き合ってぐっすり眠る。
 そんな人間らしい幸せを描いた後に、物語はそんな問いかけへ雪崩込んでもいくだろう。

 

 そんな激変は先の話として、今は生きている喜びを堪能するタイミングである。
 先週”食材”として既に美味そうオーラを放っていたドラゴンステーキが、センシの腕前によって見事なごちそうに変わり、祝宴を豊かに飾っているのは大変良かった。
 爆発事故がつきものなドラゴン炭鉱においては、未熟な炭鉱夫でしかないセンシが、危機をファリンの助けで乗り切った後は見事なシェフに立場を変えているのが、なかなか面白い描写だった。
 呪われし蘇生を切り出す時、今までの親しみやすかったドジっ子の顔を投げ捨て、魔女の如き闇を見せてるマルシルの背後で、”歯のある女陰(ヴァギナ・デンタタ)”のようにガッポリ大穴を開けていたドラゴンの遺骸は、爆裂する鉱山となりパン焼き釜となり、食材それ自体になっていく。
 一つの具象を様々に解釈し、あるいは活用できるのは魔術の基本であり、道具と言葉と想像力を使う生物たる人間の強みでもあるのだろう。

 命を奪ってくる敵が食材となり、命を繋ぐ糧にもなる不思議は”ダンジョン飯”の真ん中にも据えられていて、ファリン復活前の”下ごしらえ”として、解剖学の知識を動員した骨並べが描かれるのもなかなか面白かった。
 マルシルの医学とライオスの動物生態学、それぞれ対象にするものは違えどまさしく知は力であり、ヤバイ禁呪に挑む前段階のはずなのに、楽しいパズルゲームの様相も混じってくる。
 『どんだけシリアスで重たいものに挑んでも、人間が生きている以上腹は減ってしまうものだし、笑いも生まれてしまう』という、英明なコメディへの理解はこの作品の根本だろう。

 復活を成し遂げ新たにパーティに加わったファリンも、そんな”ダンジョン飯”らしさに大きく拓けたキャラクターであり、兄が語る大冒険に目を輝かせ、物怖じせずに魔物食にもかぶりつく。
 色々ぶっ壊れてるライオスが、ヤバさ気にせず禁呪にもOK出すし、バリバリここまでの旅路を語っちゃうブレーキのなさ、彼らしくて面白かった。
 そういう非人間的な部分と同じくらい、ファリンを追いかけているときには秘められていた兄としての顔が、蘇った温もりに抑えきれず元気だったのも、また良い。
 色々ぶっ壊れた魔物マニアではあるんだが、間違いなく妹を深く愛する人情家でもあって、そうじゃなきゃ命懸けで迷宮の奥深くまで分け入って、自分の足を竜に食わせたりはしないんだよなぁ……。
 背丈が伸びても変わらない、トンチキ兄ちゃんとぽわぽわ妹の情景が暖かに感じられて、『色々ヤバそうではあるけど、それにしたって良いもんだ……』と思えたのは、大変良かった。
 この暖かな手応えが、今後ライオス達の旅を追いかける時迷わずにすむ、大事な大事な灯りになっていくからなぁ……。

 

 

 というわけで、激闘を終えた後の一苦労と幸せな時間を描く、第1クールクライマックスその2でした。
 『蘇ったファリンは最高キュートなぽわぽわ女子なんですぅぅう! 生き返ったことは間違いでもなんでもないんですぅうう~~!!!』と、気合の入った演出が全力で語りかけてくれて、大変良かった。
 そう、この安心も幸福も嘘じゃない。

 嘘じゃないんだが、それだけを正しいと出来るほどシンプルなルールで迷宮の中も外も動いてはいなくて、では一体どんなふうなレシピで世界が出来ているのかを、冒険者たちはこの後にこそ探っていかなければいけない。
 過酷なる新たな旅立ちをアニメがどう描くのか、来週も大変楽しみです!

 


・補記 見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった。
わたしが見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。”(エゼキエル書第37章7-8節)
 ファリン復活の前に、マルシルが骨をつなぐ描写があるのはエゼキエル書第37章に重なるものを感じている。
 分断されたイスラエルの復活が死者の復活に重ねて描かれているあの記述と、最終的にこのお話が行き着いた結末を思うと、あながち妄想でもない気がする。

蓬草春風に揺れる -2024年1月期アニメ 総評&ベストエピソード-

・はじめに

 この記事は、2024年1~3月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
 各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
 作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。





・異修羅

 ベストエピソード:第11話『落日の時』

lastbreath.hatenablog.com

 かなりヘンテコなアニメであり、それが懐かしく心地良くもあった。
 出だしから血みどろの悪趣味とゴア全開、前半六話はキャラ紹介にあてる思い切りは、口当たりが良く親切でなければスタートラインにすら立てない、コンテンツ飽和時代にはあまりにソリッドな作りであり……しかし”深夜アニメ”なるものは、そもそもそういう味だった気もしている。
 まぁまぁ近めの作品だと”ゲキドル”や”BLUE REFLECTION ”に感じた、『ついてこれるやつだけついてこい!』と胸を張って走り抜けていく、バズや商業的成功からは遠い場所に自分たちを追い立てるスタイルは、僕にとっては馴染みの味だ。
 垂れ流しにされる専門用語、補助線がない世界設定。
 超高速度で展開される、多すぎ登場人物たちの人間模様。
 多くの人にとって切り捨てる要因になるだろう、そのゴリッとした質感が僕のオタク顎にはちょうどよく、三ヶ月齧りついて楽しませてもらった。

 この異様な形態で展開する物語が何を言いたくて、クセの強いキャラとエピソードが乱舞するモザイクを通して、何が見えるのか。
 なかなか明瞭には告げてくれないからこそ、自分の目で読み並べ直す面白さがあって、今どきブログに長文直打ちでアニメ感想書いている人間としては、付き合い甲斐があるお話だったと思う。
 自分としては弱者と強者の話であり、個と社会、中世と近世に関わる物語なのだろうと当たりをつけていたわけだが、新公国を巡る戦争が決着に近づくにつれ、そうして合わせたピントにお話のほうが近づいていってくれて、我が意を得た手応えがあった。
 先を読めれば偉いというわけでも、初見で見抜ければ凄いというわけでもないけど『こうじゃないかな』と読むのはつまり『こうだと良いな』という期待の反射であり、欲しかった方向にお話が転がっていったのは、シンプルに嬉しい。
 ハチャメチャにチートを暴れさせているようでいて、非常に理性的かつ論理的に話を編んでいる(というか、チート比べはそういう視点がないと成立しない)作品なので、自分の噛みつき方と相性が良かったんだろうな、とは思う。

 そこら辺の見立てが叶ったと、ユノが辿り着いた弱者としての戦い方が教えているからこの話数……というわけではない。
 ロクデナシばかりのお話の中で、一番体重預けて見れたレグネジィくんが考えてた通りの末路で終わってくれた心地よさもあるし、なによりソウジロウとダカイの戦いに、刹那に全てを賭ける剣豪小説の心地よさが溢れていて、良いアクションだったのが大きい。
 長い序章たるこの第一期、チート野郎同志が死力を尽くしてぶつかり合う場面は思いの外少なく、決着はあっさりだったが盗人と剣士、生き様の違う客人二人がそれぞれ手を尽くして勝ちに近づこうとするこの戦いは、未だ炸裂せざる作品の醍醐味を味わえたような、待ってましたの気持ちよさがあった。
 後にトーナメントにたどり着き、十六匹選りすぐりの修羅共がぶつかり合う時に何が見れるかを、僕はじっくり楽しみに待っている。
 それを輝かせるために、長い序章に1クール使ったんだろうしね。

 

 



・葬送のフリーレン


 ベストエピソード:第11話『北側諸国の冬』

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 世評としてはアウラ戦なのだろうし、このアニメのバトル作画は魔法という超常の力が暴れまわった時何が生まれるのか、想像力の限りを尽くして描いてくれていて大変好きだ。
 ……なのだがベストと選ぶのはこの話数で、それはやっぱり僕が、背景のアニメとしてこの作品を見てきたからだ。
 絵空事だからこそ豊かに描ける、様々な絶景、四季の移ろい、山河の表情。
 アニメ見る時に何よりそれを食べたい人間なので、フリーレンのアニメが徹底してハイクオリティであり続けてくれたこと、その質へのこだわりが作品世界全部をしっかり支えていたことは、とにかくありがたい。
 魔法が存在し、永生者が確かにそこにいる異世界に、しみじみと地道な人生の物語を綴っていく独特の画風をなじませるためには、こんくらい異様な気合が必要であり、それを乗りこなす手腕が問われる。
 なかなか難しい勝負だったと思うが、しっかりやりきって最後まで走り、アニメ独自の空気感を宿して追われたのは、大変凄いことだと思う。

 高品質な画面がただそこに在るのではなく、ドラマと呼応しキャラの感情を照らしながら描かれる語り口も、緩むことなく的確に描かれ続けた。
 流れ行く時、人と人の心の距離をレイアウトに反射しながら、静かに雄弁に活写し続ける演出方針も自分にはあっていて、絵を読み解く楽しさの在るアニメだったと思う。
 この話数は雪山の静けさが一つの補助線になってか、あまり自分を語らないフリーレンが世界や他者をどう受け取り、どう向き合っているのか、とても彼女らしい語り方で描かれている回だと思う。
 作品に応じてどういう筆致を選び、そこに生きるキャラクターに相応しい描き方を作り上げていくか。
 アニメの基本なんだろうけど、やり切るのはとても難しいことを常時さらりとやり遂げているお話で、この話数はその手際がどういうものであるか、かなり鮮明に教えてくれている。
 やっぱそういう、創作者の静かな魔法が感じ取れるアニメが好きだから、このアニメが一つの豊かな魔導書として幕を閉じてくれたことに、大きな感謝を覚えている。
 しみじみいいアニメであり、素晴らしいアニメ化だった。

 

 

 

 

・ゆびさきと恋々

 ベストエピソード:第2話『恋々へ』

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 オタクを長めにやっていると、作品と向き合うコストを下げるべくある程度以上お話がたどるだろうコースを予測して、知ってる範疇に収めて衝撃を減らすようになってくる……と思う。
 少なくとも自分はそうで、スタッフや制作会社の座組からキービジュアルの方向性、Webサイトのデザインから作品ジャンル、掲載雑誌、キャラデザの印象などなど、拾える情報を可能な限り集めて、できる限りの”読み”を組んだ後で視聴に挑むことになる。
 それは思い込みで作品をナメる行為であり、予断でもって実像を歪める危うい視聴なのだが、人間はつくづくイメージする動物であり、見知らぬものに出会うときは見知った形を当てはめた上で、類推と想像を駆使して自分に受け止めやすいよう、形を整えてから見始めることになる。

 このお話もまた、『少女漫画のド真ん中、トキメキ満載直球勝負』という予断(あるいは期待)を抱えて見始め……はやくもこの第2話で想定していたものが、全部上回られた感じになった。
 第1話の段階で圧倒的な画面構成のセンス、まっすぐに主題を突き出してくる表現の強さ、繊細かつ美麗な色彩とライティングと、強い部分はたくさんあった。
 主役である雪ちゃんのキャラクターは可愛らしく好感が持て、新しい出会いへの期待感はしっかり高められ、運命の出会いは極めてロマンティックに、”雪”というフェティッシュを鮮烈に活かす形で描かれている。

 

 そういう”良い”を超えた衝撃を受けたのは、雪ちゃんが既にろう学校を出て自分を世に問う決意をしていて、ただ状況に流されるだけのお姫様ではないのだと、非常に鮮烈な表現で教えてくれたときだった。
 僕の中にあった『まぁなんか、座ってても気持ちよくしてくれる都合の良い恋愛劇なんでしょ?』みたいなナメを、雪ちゃんは自分の言葉と表現でしっかりぶん殴ってきて、彼女なりに何かを高望みして飛び出さざるを得なかった、強い衝動があるのだと教えてくれた。
 そういう強さをしっかり出すとは正直思っておらず、しかし描かれてみればなるほど雪ちゃんはそういう人であり、だからこそ逸臣さんと響き合い恋になっていく話なわけで、主人公が空を求めてガラスの天国から抜け出したと教えてくれるこの話数が、膝を整えて作品と向き直させて貰う、とても大事な契機になった。
 こういう事前のナメをぶん殴り、『私はこういう話だ!』と叫び教えてくれる話数に出会えると、一段階作品との向き合い方が筋金入った感じになり、体重預けて見れるのでとてもありがたい。

 物語としての強さや表現の鮮烈さでは、どの話数も大変に素晴らしい。
 もっとスローペースで進むかと思いきや、話の半分で一気にゴールライン(それはスタートでしかないわけだが)を走り切る第6話とか、脇役とされる連中もまたこの作品世界の中で確かに生きているのだと、敬意を持って叙情的に描き切る第8話、第10話も良い。
 第9話、恋人となった二人の距離が近づき触れ合い、セックスを視野に入れつつも極めて慎重に距離を取っていく場面での身体性の描き方なども、この真摯な物語特有の熱と質感に満ちていて素晴らしかった。
 自分たちが辿り着いた物語を誇り、豊かに未来へ広げていく最終話も最高であるし、どれもこれも村野監督の圧倒的技量とセンスに満ち満ちて、極めて素晴らしいアニメだった。
 その上でこの話数がベストなのは、ナメたり殴りつけられたり、極めて個人的な一対一の取っ組み合いとしてアニメを見る行為を、僕が大事にしたいと常々思っていて、このブログはそういう個人的感想を刻みつけていく場所として、僕が選び作り上げた場だからだ。
 僕にとって特別なものになってくれたこのアニメ、この話数を、僕はとても愛しく思っている。
 ありがとう、本当に素晴らしかった。

 

 




・外科医エリーゼ

 ベストエピソード:第9話『嵐の後』感想

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 1クールに渡る物語とどう出会い、どう向き合ったかを軸に置くならもちろん別の話数なのだが、めちゃくちゃビックリしたのでこの回を選ぶ。
 転生モノとしての”外科医エリーゼ”は、わがまま放題な悪役令嬢の人生が最悪な結果に終わった”一周目”と、それを悔いて人間修行を終えた後の”三周目”の間に、現代世界で医術に邁進した”二周目”が挟まるのが特徴だと思う。
 死というコストを支払うことで、転生先でのチート無双を可能にするお話のヤダ味が、己を悔いて人道に勤しむ”二周目”を挟むことで薄まって、キャラとしても清廉潔白な聖人属性が、自然と身につく良い背景だった。
 奇策に思える三度目の転生も実際に蓋を開けてみると、なろうを足場に勃興した新しいエンタメの形というよりも、オールドスクールな仏教転生譚に近い味がでていて、個人的に親しみやすかったのはここが理由かなあ……などと思う。
 エゴ赴くままに好き勝手に過ごし、他人を蔑ろに生きた結果何が起こるか、文字通り身にしみて学んだ後、医師として修業を重ね再び死んで、今度こそより善い結末を望んで”三度目”に挑む。
 ひたすら医に邁進する透明度高い主役が、聖人めいた無私の清らかさを背負うにあたり、非常に軽く扱われることもある転生者の”死”が長い影を伸ばしていることが、エリーゼが”生”にしがみつく手がかりになっているのも、また面白い。

 そういう清らかさと同時に、どんな障害にも真正面からぶち当たって意を曲げない強さがエリーゼさんを支えており、この熱量がお話を信頼する、大きな足場にもなってくれた。
 唯々諾々と周りに従うのではなく、転生の中で既に見つけてある答えを一切疑わず、世界の方を捻じ曲げ制圧していくパワーは、主役が持ち上げられ愛されまくる転生文法に、あんま親しんでいない自分が納得する決定打になってくれた。
 エリーゼさんが仁義と侠気にあふれていて、ある種の侠客物語として読めたことで、彼女がどんだけ凄いのか、全部口で説明するダイレクトな語り口をむしろ楽しみながら、最後まで見れた。
 転生モノへの苦手意識がなかなか消えてくれない自分としては、とてもありがたいことだった。

 そういう視線で見ているので、第8話からエリーゼさん軸のお話を少しズラして、サブキャラ掘り下げ始めたのは少し意外……かつ、横幅広がり味も変わって、大変良かった。
 そんなエピソード群でも、やっぱこのユリエン様のお話が意外性においても、しみじみ良い感じの味わいとしても、一番良かったかなぁと思う。
 医術無双ぶっこいてた主役が患者の立場になるという、逆転の心地よさもあったし、ライバル立ち位置なのに極めて人格に優れ、『そらーお友達にもなりたいわ……』という納得があるユリエン様と、濃い口のキャフフを見せてくれたのも良かった。
 ぶっちゃけこのアニメで食えるとは思っていなかった好物が、ズドンと力強く差し出された嬉しいサプライズ感も手伝って、『あー、俺このアニメ見ててよかったな……』と思える回だった。
 そういうお話があるアニメ、やっぱ良いもんですよ。



 

・僕の心のヤバイやつ

 ベストエピソード:第9話『僕は山田が嫌い』

lastbreath.hatenablog.com

 アニメとしての仕上がりを横にのけて、個人的にこのアニメと付き合った中で一番印象に残った話数を上げるのはどうかなぁ……と少し思うが、そういう主観を刻みつけていくための個人ブログであろうし、この話数がベストだ。
 一期の感想がここで滞り、二期始まるまで延々グダグダのたくっていたのは、”アニメ化”というものの難しさを自分の中で、なかなか消化できなかった結果である。
 僕は僕ヤバの原作がとても好きで、それは京ちゃんと山田のロマンスにしっかり焦点を当てて話の主軸を打ち立てつつ、それ以外のキャラやドラマを愛しく見つめながら、思春期という季節全体を鮮烈に描こうと、のりお先生が頑張ってくれているからだ。
 恋を成就させる主役にならずとも、色んな連中が京ちゃんの世界にはいて、山田との恋に出逢えばこそそういう世界の横幅に、視線が拓けてより多くのものが見えてくる。
 それあ他人が他人なりに、例えば気に食わないチャラい先輩でも尊厳を持って生きていて、そういう当たり前の尊さを当たり前に踏まない生き方の意味と、中学二年生の京ちゃんが等身大に身悶えし、必死に闘っている記録だ。

 

 ナンパイは嫌いだけど、傷つけたいわけでも軽んじたいわけでもない。
 恋の物語としてだけ”僕ヤバ”を描くなら、山田のチャーミングな駆け引きは肯定的に描かれるべきだろうが、ここで京ちゃんは山田が持っている残酷さに衝撃を受け、彼女には無縁だと思いたかった現世の汚れを見て取る。
 世界とそこにいる自分が薄汚れた存在だと思いたくなかったからこそ、挫折の先にヤバい存在に汚れて自分を守ろうとする切実な潔癖がそこにはあって、その思い詰め方が俺はとても好きなのだが。
 『このアニメはそこら辺の複雑さを、切り飛ばして描くつもりなのではないか?』という疑念が、初見時湧き上がって離れなかったから、僕はここで一回視聴を止めた。

 恋だけに焦点を合わせて、一般ウケの良いシンプルなアオハル恋愛ストーリーとして消費されるのなら、複雑で優しい”僕ヤバ”が好きな自分はこのアニメの客じゃないかもと、作品を疑った。
 諦めるには好きすぎて、二期始まるタイミングで幾度か見返し、なんとか省略と再編の意図を掴もうとあがいた結果、飛ばされたからといってなくなったわけではなく、むしろ作品のコアを掴んでいるからこそ、アニメという限られた尺でそれを伝えきるべく、必死の創作が行われているのだという納得を、得ることが出来た。
 書き上げるのに結構苦労したし、だからこそ自分が見つけたもの、見たいと思ったものが嘘ではないと思えて、後の物語を楽しく見通す足場になってくれる体験だった。


 アニメ感想ブログを書くようになって長い。
 徒手空拳で作品とぶつかり合って、疲弊しながらなんとか感想を書き上げるような一心不乱では身が持たないと、ルーチーンで受け流して書くようになっている部分も、年々増えているように思う。
 その上でまだ、このな~んのリターンもない趣味を続けているのは、アニメを見る自分、アニメだけが反射してくれる自分の形を、汗塗れで追い求める行為に意味があると思っているから……あるいは、思いたいからだ。
 僕が見つけて、僕だけの思いとしてここに書き連ねているものが果たして、今この文章を読んでいるあなたに届くかなんて保証はどこにもないわけだし、ある程度以上自分に向けて書いているから続いてるわけだが。
 それでも、アニメを見つめアニメに投射される自分と、そこに乱反射する世界のあり方を見つけた自分がどこかに届きうる、意味がある存在だと感じる(感じていたい)から、僕はこのブログを続けている。

 そのためには結構、石にかじりつくようなしぶとさで作品を噛み砕き、飲み干さなきゃダメな時があるのだと、この話数は教えてくれた。
 プロが根性入れて仕上げているアニメは、そうするだけの価値も意味も十分以上にあるし、そうやって始めて見えてくるものも確かにあるとも。
 そういう、手癖になりかけていたものの奥に元々何があって、ヒネた諦めで楽になろうとした根っこに何が埋まっているか見つけ直す体験が、このアニメで京ちゃんが走った歩みとどっか似ていたのも、彼が好きな僕としては嬉しい。

 

 何かを好きで、だから自分を好きでいられる、不思議で幸せな乱反射。
 それこそがお話の中核にあると信じたから、このアニメは光に満ちた作品になったと思う。
 誰かがいてくれるから、そんな誰かが何かを願って生み出した作品と出会えるから、確かに縁取れる己の輪郭というものがある。
 それがあって人間はようやく、自分を嫌いにならずに眩しい光へと進み出し、見たかったものを見て、辿り着きたかった場所へと進み出していけるのだということも、この後に続く物語の中で色濃く描かれている。

 『ないがしろにされた!』とキレて、一回視聴止めるほどに僕は南条ハルヤが好きなわけだが、そんな彼の物語の最後がこの話数のサブタイトルと豊かに呼応して『山田は僕が好き』なところとか、やっぱり良い。
 9話分、色々グダグダ青春した結果京ちゃんは嫌いだと思い込もうとしたものに、好きだと思われていることを決定的に自覚するわけだが、そんな幸せな認識はやはり、好きになれなかったナンパな先輩がかけがえない鏡になって、京ちゃんとその世界を照らしてくれたから見えたものだ。
 そういう鏡としての他者を、あんま大事にしてくれねぇのかなと疑った話数と取っ組み合ったからこそ、僕は嫌いになりかけた”僕ヤバ”のアニメを、とても好きな作品として見終えることが出来た。
 とても得難い、幸せな視聴体験で、ありがたい限りだ。